-3- シンクロ
【今日は病欠します】
アイラの携帯端末に今朝届いた、キズミからの短いメッセージ。
同じマンションの隣に住む部下の居室の玄関ドアの前で、アイラは迷った。
ゆうべの自信作が、アウトだったのかもしれない。美味しく出来たから食べてもらいたかっただけなのに。でも、こちらは誰もおなかを壊していない。“ハイ・リンク”だったらどうしよう。もし軽率な行動がウルスラのジェラシーを煽ったのなら、こちらの責任だ。
悩んだ挙句、見舞いはせずに出勤した。
出しゃばらないほうがいい。
口喧嘩にでも発展して、部下の体調を悪化させたくない。
それに、看病ならウルスラがついている。
だから、ラルトス=ウルスラが始業ぎりぎりに滑り込んでくるとは思わなかった。
「レスカ君のそばにいなくて、いいの?」
(わたくしがキズミ様の分も頑張りますから、出勤扱いになりませんか?)
けなげにテレパシーでアイラへ懇願する、主人想いのアシスタント。
エルレイド=クラウも一緒になって、熱心な身振りと表情で加勢した。
アイラは難しい表情をする。
「でもね……規則だから」
(やっぱり、査定に響いてしまうのでしょうか)
ラルトスは恐々と尋ねた。国際警察官の養成センターの卒業を目前にトラブルを起こしたキズミとミナトは、成績優秀でありながら正規採用が見送られ、一年間の試用期間が与えられている。国際警察本部から派遣された指導官であるアイラの報告書は、本部の人事評価に直結する。
業務適性がないと上から判断されたならば、後がない。
「心配すんな。警部補なら、ウルスラの働きを考慮してくれるぜ。そっすよね」
ミナトが笑顔で確認すると、アイラは一応はと頷いた。
地元警察の職員に呼ばれてアイラが席を離れた。
その隙に、ミナトがウルスラに小声で尋ねた。
「で……“ハイ・リンク”か?」
無言で落ち込んだウルスラの反応は、答えとして充分だった。
昼休み。
ミナトはバイクでひとっ走り、マンションの一室へ様子を見に行った。
枕元にいた、直立二頭身のデフォルメイーブイのぬいぐるみが手をぱたぱた振る。
重い頭痛でやつれた顔のキズミは片目を薄く開け、ベッドから起きようとしない。
「戸締り、してなかったか……?」
「意識なかったらやべえし、ウルスラに合鍵借りた。これ、スポドリ」
見るからに食欲のなさそうな病人の脇の、ベッドサイドテーブルに差し入れを置く。
「ったく、だらしねえぞ相棒。オレ達は体の丈夫さが取柄じゃんか。ウルスラが可哀想だ」
ミナトは片眉を上げて、怒ったような困ったような不満の顔つきをしてみせた。
メロエッタと裏で結託し、メロエッタがアイラ達を連れてくるまでの時間を稼いだウルスラは、城主に何を吹き込まれたか知らないが、あれ以降デリケートになっている。シャレにならないトリガーの一つが、嫉妬心。特性『シンクロ』は、危機に追い込まれた自身の状態を敵に伝染させる効果がある。ストレスを抱えて、無自覚に発動すれば、精神的なつながりの深い人間の体調に悪影響を及ぼす。
心と体の距離は比例する。
物理的に離れて休息すれば、軽い症状のうちは治まってくるが。
「あんまゴチャゴチャ言いたかねえけど、先の事ちゃんと考えたほうがいいぜ」
ミナトにしてみれば、告白されてもないのに振るのはおかしい、というキズミの石頭は、ダメなキープ男のやり口と同類だ。自己を過小評価しているこの男は、片想いに気づいていないふりを続けていれば、ウルスラの熱もいつか冷めると思っている。その“いつか”にすでに何年費やしたか。こいつは身内に甘い。おまけに見通しも最悪に、甘い。
「ゆうべ何があった? 机にあるクッキーか? あの貰いもんっぽいヤツ」
「警部補の手作りで、お裾分け……お前んちの分も。残り、あれ全部だ」
「マジかよ! いただきまーす!」
「ミナト」
寝室を出て行こうとすると、深刻な声のトーンで呼び止められた。
ジュペッタ予備軍のイーブイぬいぐるみも耳をぴんと立てている。
「おいおい待てキズミ。オレは嫌だぜ。なんかあったら後は頼むとか、ウルスラは任せるとか、警部補をよろしくとか、そういうのは」
「違う、ミナト……うるさい、帰れ。寝る」
「あ! てめっ。ぞんざいかよっ」
◆◇
別の席から嫌味なぼやきが、ここまで聞こえてくる。
俯いているラルトスの顔色がひどく冴えない。
「気にしちゃダメよ、ウルスラ」
デスクワーク中のアイラはぴしっと囁いた。
「最近の若いもんは気合いが足りん。なにが病欠だ」
中年刑事キャンベルの喋り声の大きさは、わざとらしかった。
「国際警察も大したことないな。部下も部下なら、上司も上司だ」
「ぼちぼち一服行きてえんすけど」
長話に捕まっている刑事フィッシャーが、煙草ケースの蓋をいじりながら言う。
「おれはロングのおやっさん、好きでしたよ。入院してもう半年……お? クラウ」
緊張気味に歩いてきたエルレイドが、キャンベルの背後で直立不動になる。
赤い瞳を悲壮にきりっとさせながら、一生懸命にジェスチャーで訴えはじめた。
「何が言いたい? さっぱり分からん。もう喋れんだろお前は」
キャンベルがばっさり切り捨てたのを、見かねた近くの男性刑事たちが行動に出た。
つかつかとアシスタントを連れ戻しに来たアイラにも声をかけて、回れ右させる。
「まあまあまあ、そのへんで。エルレイド君も、ロングロードさんも」
「フィッシャー、さっさと行ってさっさと帰れよ」
あーかったりぃ、とフィッシャーは同僚にバトンタッチしてオフィスを出ていく。
アイラ達を誘導して席に戻した男性二人組は、小声で口々にフォローした。
「キャンベルさん、あんなんだから奥さんが実家に帰っちまうんだよなあ」
「酔ったらおもしろキャラに変わるのに。君らを飲みに誘えないのが惜しいよ」
いえ、とアイラは潔く言い切った。
「前任の休職は言い訳できません。部下の体調管理ミスも、私の指導不足です」
堅い。
少し苦笑した刑事たちが、後腐れなく持ち場へ帰って行く。
可愛げのなさを自認する。落ち込む暇もなく、アイラはひそめた眉を向けた。
ウルスラを庇いたかったのだろう。その気持ちは尊重したいけれども。
「フライングは感心しないわ、クラウ。いざとなれば私が意見しに行くわよ」
エルレイドはしょんぼりと、アイラへ謝罪の仕草をした。
暗い顔のラルトスは思いやりを察して微笑みを捻り出そうとしたが、出来なかった。
一回りほど年上の女性刑事が、今いいですか? と声をかけてきた。現場の警官が少々手こずっていて、飛行ポケモンに詳しい助っ人が欲しいらしい。アルストロメリア警察本部の飛行班は別件で出払っている。バディを引き受けたアイラは「ウルスラも来て」と連れて行くことにした。昼休憩で留守のミナトのデスクに、用向きを書いた付箋を貼り付けておいた。
先輩の女性刑事はショートカットが似合っていた。雰囲気がほんわかとしていながら、勤務ははきはきしている。口説き落とせないのは承知で、ミナトもよく雑談のどさくさでナンパしていた。周りから好かれている彼女と自分とを、アイラはつい比べてしまう。こういう人が上司だとレスカ君も安心できるのかな、と移動中にふと気になった。
市内中心部を流れる川に架かる高速道路橋を、端から端まで見渡せる。
ずらりと浮かんでいるボートが優雅な、川沿いのプロムナードに臨んだ。
「なーんだ。国際警察って、あのかっこいい金城さん達じゃ……」
と、がっかりしかけた若い女性の制服警官が、アイラを二度見して態度を変えた。
「えっ! 美人、カワイイ!」
「はいはーい。仕事に集中してね」と、先輩の女性刑事。「トレーナーは、君?」
「ごめんなさい、ごめんなさい。進化したら、こんな事になるなんて」
半泣きで謝る学生風の少年。大丈夫よ、と女性刑事が肩にそっと手を置いた。
進化の余波で生じるポケモンの暴走は、酔っぱらいの乱闘並みによくある騒ぎだ。
面食い気質の制服警官が咳払いをして「あれです」と、上空を指差し、説明する。
「あの豆粒みたいなのが、ココロモリ。ハイウェイであやうく大事故を引き起こすとこでした。『超音波』が強烈で、近づけないんです。全然反省してないし、あの感じはまた悪さしますよ。国際警察さん、いい作戦ないです?」
「そうですね……ちなみに、特性は?」
アイラに訊かれて、少年が答える。
「『単純』。僕のコロコロ、ちょっとレアなんです」
ナックラーから進化して、感激していたビブラ−バ。
最終進化系のパワーアップに、感動していたフライゴン。
今は、大怪我で飛べない。愛竜ライキを思い出しながら、アイラが述べる。
「失礼ですけど、『単純』の影響でしょうね。空を飛べるポケモンは飛行能力の変化に敏感です。向上した力を試したくて仕方ないのでしょう。飛行バトルで大敗させれば大人しくなると思いますが、超音波で危険となると……ウルスラ。力を貸して」
『シンクロ』で、あのココロモリを鎮める。
ラルトスの顔が強張った。
(で、ですがわたくし、それに、あんなに遠く離れていたら……)
無理強いの泥沼になりはしないか、エルレイドは不安そうにふたりを見守った。
「相手は懐き進化、深い愛情を知ってるわ。あなたならできる。ううん。『シンクロ』で心を通わせられるあなたにしか、できない」
その素晴らしい力に、罪はない。自分から否定しないで。
アイラの一途さを赤い角がキャッチして、ラルトスの全身がほのかに熱くなる。
幼い頃より、キズミ様がはぐくんで下さった――わたくしの取り柄。
粛々と、頷いた。
ラルトス=ウルスラが集中する。エルレイド=クラウが『手助け』する。
空高く、飛び回っている波長。まるで夜の森で荒ぶっている一匹の光らない蛍だ。
その蛍を困難にも、目をつぶりながら素手で潰さずに捕まえなければいけない。
点滅的な念を受信したココロモリが、笑いながら急降下してきた。
空を自由に飛べない者たちを、からかうつもりだ。
鼻の先に力を集めて、プギーッと好戦的に鳴いて発射した。
見えない盾が、『超音波』からアイラ達を守った。
ココロモリがひるんだ。隙ができた。この距離なら。
ウルスラは、一瞬クリアになったアンテナの状態をのがさない。
荒療治のごとく、心と心をリンクさせて『シンクロ』させた。
――戦いたくない。
調子に乗っていた『単純』なココロモリの目つきが、みるみる穏やかになる。
ちょこんと着陸したところにモンスターボールの収容レーザーを当て、状況終了。
そうには、違いなかったのだが。
発動して瞬時に消えた『神秘の護り』は、誰の加勢だったのだろう。
アイラ、ウルスラ、クラウは、顔を見合わせた。
その光景の一部始終を、サーナイトが遠くから見守っていた。
そして吊り橋の高速道を支えるケーブル塔の頂上から、瞬間移動で去った。