NEAR◆◇MISS - 第八章
-2- 極東
 人造悪霊ギラティナもどきの邪気が抜けきらない。仔ルギア=月白(げっぱく)の足には青黒い痣が残り、辛そうなままだった。月白の生まれ故郷で傷を癒すのが一番だろう。考えた末に、ミナトは腰を上げた。理由が理由だ。上司も親友も手持ちポケモンたちも、懲りない連休申請を止めなかった。

 国際線の飛行機内で半日過ごした。
 腕時計を現地の時刻に合わせる。
 生活拠点であるアルストロメリア市とは文化も風土も異なる、時差ボケ不可避の極東の地方。さる諸島に属する目的の離島へは、本土から船を乗り継いで向かう。南へ行くほど海が荒れやすく欠航も増えるので、その心配がない天候でラッキーだった。

 海神信仰の残る、辺鄙な有人島。観光地化が進んでおらず、良くも悪くも秘境っぽい。産業に乏しく人口が流出していると聞いた。第一印象は「ここでサーフィンしてえー!」だった。
 期待以上の聖域だ。桟橋から海面を手で掬ってみて、清浄な水質にヒュウッと口笛を吹きそうになった。『自己再生』を併用しても禊に数日はかかる、と思っていた。これだけ霊的な『神秘の守り』が満ちていれば、数時間でしつこい邪気を浄化できるだろう。

 明日からの宿泊分のキャンセル料が発生しちまうなあ、と考えながら、ミナトは村の民宿に手荷物を置きに行く。経営する老夫婦は国際共通語の受け答えがからっきしだった。ミナトは北はシンオウから南はホウエンまで主流の言語圏にならってお喋りした。国際警察官に必須のマルチリンガルは仕事の実益と趣味を兼ねている。どこに行ってもすぐ人と仲良くなれる。 
 海神伝説が狙いの密猟者も多いはずだ。老夫婦の警戒心が解けた頃合いを見計らう。
 ついでに神社への興味をちらつかせて、さりげなく情報をゲットした。
 高齢の女性宮司は霊力主義の神職家のなかでも特に保守的で、旅に出ている一人娘の力に劣る若輩には跡を継がせないと言って、聞かないらしい。後継者問題は古今東西を問いませんね、とミナトはしらを切った。オレが宮司の孫だと知ったらびっくりするだろうな。と民宿を出て本島のはずれに向かう際に、そう思った。

 
 
 足場の悪い、崖下のゴロタ浜。波が荒く、海底が急に深くなっている本島はどこも遊泳は禁止されている。波打ち際に沿って歩き、ミナトはできるだけ、ぽつんと離れて浮いて見える小さな無人島に近づいていく。
 
 あの無人島そのものが、御神体だ。

 海岸の果てまで来た。周りに人がいないと確認してから、モンスターボールを開放した。
 幼い見た目によらず手持ち最年長の仔ルギアは、風景と潮の匂いに興奮していた。ミナトの襟の後ろを咥えてひょいと持ち上げ、背中に乗せて無人島に向かおうとした。「ストップ、ストップ!」とミナトは笑って浅瀬に飛び降りた。御神体は禁足地。一般人は上陸できない。ミロカロス=長春(ちょうしゅん)とエンペルト=雄黄(ゆうおう)の付き添いのもと、仔ルギアがうきうきして島へ泳ぎ出す。探検はほどほどにしろよ、と言って聞かせたミナトは見送った。

 おそらく、あの場所で月白は生まれた。
 生みの親を探しに行ったのかもしれない。
 
 信仰の対象となる、神格を持つ生物は実在する。
 現状、月白は聖なる力は宿していても、神格までは備えていない。他人の信仰心をとやかく言う気はないが、押し付けられるのは勘弁だ。自分の母親も、同じ考えだったのではないか。あのコらが神様ぁ? とおおっぴらにあきれて、白い目で見られていたのかもしれない。一族への当てつけに、海神の仔を、並みのポケモンと平等に手持ちの一体として加えたのではないだろうか。

 国際警察の世界に放り込まれる前の餞別として、ハイフェンからぽいっと投げ寄こされたモンスターボール。母親の形見分けだと言われた、その中身が月白だった。それがミナトと月白の出会いだった。
 成長速度の遅さは長寿と関係がありそうだった。体つきはいまだに、成体サイズより二回りほど小さい。密猟者を撃退する訓練を充分に積ませてからリリースしよう、と思い続けてきた。故郷でルギア親子が再会できたなら、そのまま親元に返してやるのがベストだ。消えた我が子を二十年近く待つ親ルギアがいるのかはよく分からない、という私見は置いておいて。
 
 野生に帰すといえば、今回の渡航の主役はもう一体いる。
 このあたりの出身だと最近まで知らなかったガブリアスを、球外へ呼び出した。
「一応おさらいな。オレの手持ちはフルで埋まってる。お前は銀朱たちと違って、体がでっけえ。だから、ボックスって言う電子空間で留守番させることになる。ここまで覚えてるか?」
 ミナトは頭の後ろで腕を組んだ。
「それって退屈そうだろ。お前は、ここで暮らしたほうがいいんじゃねえ?」
 ガブリアスの目線がミナトから離れ、きらきらと反射している海面の眺めに耽る。
「ゆっくり考えたらいいよ。オレも時間、潰してくるから」
 ミナトが背を向けた途端、無人島の方角からかすかに聴こえてきた気がした。
 雷と風と笛の音を合奏にしたかのような、胸の奥を深く渦巻かせる呼び鳴きが。 
 
 ミナトは潮騒をバックに、急峻な石の階段をのぼって行く。

 小高い山の中腹に鎮座する由緒ある神社では、祭神としてルギアが祀られている。宮司を世襲しているのは、霊能に秀でたミナトの母方の家系だ。受け継いできたものは、宮司の務めだけではない。本島の周辺が、伝説のポケモンと世間的に称されているルギアの営巣地。その秘密を代々守り抜いてきた。

 ガブリアスに乗れば石段の頂上までひとっ飛びだった。ミスったぜ。
 軽く汗をにじませ、地道に石段をのぼりながら、ミナトは思い浮かべる。
 幽閉されていた幼少期。ネイティ=麹塵が頼んでもないのに吹き込んでくる父親の醜聞とは違い、母親について知るすべは乏しかった。大まかな情報を隠し持っていたフワンテ=イチリの口は重く、割らせるのに苦労した。父ハイフェンが気まぐれに聞かせてくることもあった生前の惚気話は、まったく参考にならなかった。妾のゴーストタイプをはべらせて育児放棄しているクソジジイを、どう信用しろと言うのだ。
 祖父が病で跡継ぎが望めなくなると、結婚前に生まれて遠方の地で暮らしていた祖父の婚外子が養子として引き取られた。霊力主義の家風に合わず、祖父の妻との折り合いも悪く、娘は懐いていたルギアの幼体を道連れに海外へ飛び出した。しがらみを捨てるように金城の旧姓に戻り、それきり、二度と本島の土を踏むことなく殺された。
 それがミナトの母親だった。

 事前の下調べによると、先代宮司であった祖父はすでにこの世を去っている。血のつながらない娘の帰りを待っているのなら、祖父の妻はまだ知らないのかもしれない。直接、訃報を伝えようと思う。そうするのが当たり前だからだ。母親と義理の祖母との確執を、気にしても仕方ない。会ったこともない他人を、こそこそと避ける動機にはならない。
 
 階段をのぼりきった。鳥居をくぐる前に一礼した。

 手水舎でも、作法にのっとる。拝殿を囲む総構えの神門にはまだ向かわない。小ぶりな祠には、主祭神と縁故の深い水神が祀られていた。別名を、北風の化身、とも呼ばれている。
 海神は四十日も続く大嵐を起こして邪悪を打ち払い、水神は濁った海を浄める。
 レストロイ家の霊能が闇を基盤とするのに対して、母方の霊能は自然界の生命力に宿る光、特に水の属性を基盤とする。言い伝えによれば、水神と心を通わせ契約を交わした先祖が霊力を授かり、海神に奉仕するようになったとされている。

 マリンスポーツが大好きだ。水ポケモンは同好の士だ。
 水系トレーナーを名乗るには、母系の素質を継げれば充分。父系はおまけ。

 参道の両脇のある守護獣像はシャワーズをかたどっていた。生きているシャワーズも四体、石畳に寝転がっていた。野性を忘れていそうな三体はたぷたぷとして肉付きが良い。皺くちゃな一体は肉体的な寿命を超越していて、霊格が高い。
 霊格をコントロールできなくなった携帯獣は、常人に知覚できない霊体へと実体が昇華し、静かに消滅していく。実体を保てた所謂“()けた”個体は妖力を備えるようになり、次のステージである神格の獲得へと進んでいく。
 というのが、昔ながらの迷信的な考えだ。合理的根拠はない。現代の霊能者は本気にしていない人のほうが多い。信じる信じないの論争は勝手にやればいいよ、というのがミナトのスタンスだった。
 幼体が確認されていない伝説級の種族は、既存の別種が“進化”した個体ではないか。と、消去法で“()ける”説を支持するマニアはいないこともない。考察にあがる代表的な伝説が、本土の一地方ジョウトに残っている。虹色の神鳥の力で蘇らされた三聖獣が元は、命を落としたシャワーズ、サンダース、ブースターであったという仮説だ。そこでだらけている年寄りのシャワーズがいつか、もし、北風の化身へ“進化”したら。ぶっ飛んでエキサイティングな見物だろう。

 神門へと歩き出したミナトは頬を、北風になぶられた。
 驚いた四体のシャワーズもミナトと同時に、風上を仰ぎ見た。

 何もいなかったはずの、神門の屋根の上でたなびく紫の大たてがみ。
 水晶型の一角を額に戴く青い聖獣から、静かな敵意を向けられている。
   
「歓迎されてねえのな、オレ」
 北風の化身。
 本物だ。初めて見た。
 レアな遭遇に、思わず、ミナトは気分が盛り上がる。
 それも神格を持つ、正真正銘の水神。こちらの何かが気に入らないらしい。レストロイ家の血か。メタモンの遺伝子を受け継ぐ、混ざりものの本性か。不穏を察知した義理の祖母の差し金で、門前払いしに来たのかもしれない。そういう時はマダムの気に障らないように身を引くのが、ナイスガイの対応だ。 
「宮司さんに伝えてくれ。金城雨音は亡くなりました、息子がいるけど神社継ぐ気はないです、って。じゃあな!」


◆◇



 傷が癒えた月白はミナトの元へ戻ってきた。ガブリアスは故郷に留まる道を選んだ。
 周りにろくな親族がいねえ、と思いながらミナトはあくびをした。行きの便より短縮された帰りのフライトタイム。偏西風さまさまだった。ぐっすり寝たので、今度こそ時差ボケ対策はばっちりだ。腕時計のリューズをいじる。飛行機が出発したのは夕方四時頃。到着が同日の朝九時過ぎ。 
 タイムマシンで過去に戻されたみたいな、違和感の塊だった。
 日付変更線を西から東へまたぐ体験を、珍しがれるうちが花だ。
 一人前の国際警察官になれば、これも仕事のうちになる。
 アルストロメリア空港に降り立ったその足で、墜落したらヤダ! と縁起でもない駄々をこねて渡航を拒否したネイティと、海嫌いを克服しきれていないガーディを迎えに行く。キズミの自宅へ直行した。
 島で買った『おいしいシッポの燻製ジャーキー』『粉末ガラガラトウガラシ』『渦潮せんべい』。それから向こうの国際空港で買った、甘い黄色い房をモチーフにしたスポンジ菓子『ヤマブキとろぴう寿』と、蒼海の王子”のタマゴを模した『うみたまご』。
 キズミへの土産をテーブルの上に広げたミナトは、胸をそらしてさばさばと笑った。
「こないだの連休は心配かけたからな。奮発したぜ!」

「どうせ、警部補へのお土産のほうがええ値段するんやろ」
 元気に帰ってくれば、それが何よりの土産だ。
 口の端がゆるんでくるのを引き締めながら、キズミが淹れたてのコーヒーを勧めた。

レイコ ( 2021/07/09(金) 13:34 )