NEAR◆◇MISS















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第七章
-8- 秋の気配
 存外、愉しめた。
 取り逃がしたハイフェンは一人、悦に入る。
 前途有望な若鳥らが取って返す前に、無期限に撤収するとしよう。
 蹂躙された屋内の被害状況を見渡し、命じた。
「わが城の任を解く。転居の支度をせよ」
 レストロイの血族を守りつづけた数百年の歴史に幕を引く、未曾有の下知。
 たわむれと聞き流す“肉壁”は万に一つもなかった。城全体がスライム状に形態を崩し、本来の姿に回帰していく。国際警察官を迷わせた地下回廊のからくりは、巧妙な集団『変身』の氷山の一角だ。持ち場を失い、次々と弾力のある音をたてて積みあがる、薄紫の軟体の被支配者層。
 仕上げに霊力で引き寄せていた濃霧を、解消した。
 一帯、廃棄した鏡の残骸だけが城跡を知るよすがとなる、寒々しい更地が広がった。
 
 
 約束の期日までに土地を移して構えた新居に、記念すべき初の客人を食事に招いた。諫言したであろう家臣は皆、今や故人。時代遅れの伝統様式に縛られず、現代建築を融合している。整髪し、高級な正装を一分の隙もなく着こなしたハイフェン・レストロイ卿がグラスを傾けた。
 
 身なりは小ぎれいだが華のない、丸眼鏡を愛用するオルデン・レインウィングスが第一回会合に臨む。鏡を使ったテレポートは有用である。とはいえ、目隠しをされて拉致されたような余韻が胸元を去らない。
 品格を重んじた背景曲と共演するヴォ−カルは、幻のメロエッタ。えも言われぬ歌声で観客を魅了する。グランドピアノの椅子は空白。ヴァイオリンは宙を舞う。霊感はなくとも手品の類でないと区別がついた。
 
「そのロトムは進呈しよう。命の恩人にふさわしい」
 アレストボールに拘束した捕虜とは一部、オルデンの狂言だった。
 電脳スパイが潜り込んでいたのは、国際警察が保有する通信衛星システム内部。
 元をただせば、アップデートされた警備ポリゴンに追いこまれていた窮地から救った。
 利害が一致する勢力を探していたオルデンは黒幕を突き止め、交渉材料に利用したのだ。
 
 装備開発部門の裏の顔をもつ、ひとかどのエンジニア。
 ハイフェンは一定の評価を下しつつも、国際警察の飼い犬と蔑む素振りをためらわない。
「君は若かりし頃、誤認逮捕を受け人生を歪められたはず。なぜ国際警察に加担する。弱みでも握られたのか?」

 オルデンは降ってわいた昔懐かしさを口の中でころがし、質問の答えになじませようとした。あの暗黒の季節を乗り越えられたのは、ひとえに親友のレスカだけは無実を信じてくれたおかげだ。気を抜くと、場違いな笑みが漏れそうになる。親切心のかたまりで情に厚く、筋金入りの好漢だったが、色恋沙汰は苦手だった。縁あって、赤ん坊を抱いた金髪の美少女から求婚され、泣きついてきたのが昨日のようだ。
 
「正当防衛を立証できないガーディの助命と引き換え、という条件でしたので」

 裏取り引きがあったことは、生前レスカが偏見なく愛した養子に伝えていない。
 いたいけな少年の心を守るため、大人の汚さを握り潰したことに。善も悪もない。

「ジョージ・ロングロード氏が、パイプ役を。当時彼はある秘密結社を追っており、実験を受けた形跡のあるガーディを生きた捜査資料として、保存しておきたかったようです。構成員の中心は、コードネーム『Pz』なる団体の元専属研究員。目的は改造生物兵器ゲノセクトの性能向上と量産化、そして闇の武器市場への参入。計画を水面下で進行できる立地、素体となる化石を復元する最先端技術に不可欠の『夢の煙』の確保、これらの条件を満たす最適の環境として、結社が目を付けたのが……」
 
「ハイリンクの森」
 
 ふ、とハイフェンが鼻で笑う。
「国際警察は元来、わが血族に寛容でな。人知を超えた報復をおそれるがゆえに」
 証拠を残さないのが、霊的手段の利点。証拠がなくては、当局も動けない。
 手さえ出さなければ穏健であり、むしろ反社会分子の台頭の抑止に一役買っている。
「……君子危うきに近寄らずとは、よく言ったものだ」
 いかに法が異種間のつがいを禁じようと、レストロイ家には焼け石に水。『変身』した当主の妻は、世継ぎを産み落とすと力尽き、必然的に命を落とす。ミナトと腹違いの兄を二人もうけたが、どちらも人間のなりそこないで数日で死んだ。
 携帯獣虐待の嫌疑をかけられたことは、一度もない。
 これも証拠がないのうちとは、片腹痛い。
「だが、ジョージ・ロングロードは別だった。勇敢と無謀をはき違えた男よ。初見の分際で押しかけるなり、強行突入の立ち合いを求めてきた。潜伏先が霊妙不可思議な空間とあらば、蛇の道は蛇。助力を拒むなら、調べあげた罪状を列挙しこの場で連行する、とまで抜かす始末だったぞ」
 周囲の信奉が少ない幼い息子から、長期に引き離される口実を与える気はなかった。
 外堀を埋められ、奴の言いなりにならざるをえなかった恨みを。
 思い出すだけでも胸が悪くなる。
「敵が投入したゲノセクトは暴走、現場は阿鼻叫喚の(ちまた)と化した」
 大量のムンナ、ムシャーナも、血の海に沈んだ。
「搾取されていた獣らは平和を祈り……夢を実体に変える力が、森の護り神を生んだ」

 人間に絶望した者どもが見る悪夢をたばねし――セレビィ。
 
「これが、その魂を封印した報い」
 濃緑色の髪の『変身』が解け、肩に本性が愛玩動物のように乗る。
 脱毛した頭皮。祟りを受け、死期を早められた病躰の縮図である。
「当代をもち、レストロイ家は断絶する」
 死なばもろとも、渡りに船。
 雨音を手にかけた一族を身代わりに厄を移し、かたきを討ち果たせた。
 無知なミナトからは快楽目当ての人殺しとなじられたが、知ったことか。 
 
 若い男と見えて、余命いくばくもないと知る。
 人として、憐れをさそわれた。オルデンが神妙にたずねた。
「ご子息は、ご存じなのですか」
 紫色の柔らかい従者を髪の姿に戻し、かぶりに振るハイフェン。
 不識こそ、神の心を懐柔し、魂の許しを受けるために肝要なのだ。
「弱い男に興味はない。が、あれの亡き母が浮かばれん」
 ネイティの体に閉じ込めた悪霊が、真の力を取り戻したとき。
 父の死後、庇護を失った小せがれに災いが降りかかる。すでに手は打った。
 だが十年かけて、ミナトは物にできていない。備えの期間を無駄にしている。
「神の“洗礼”とでも言おうか。生き残る素質はある。あとは本人の鍛錬次第」
「そのために国際警察に預けた、と?」
 オルデンは手持ちの理論に情報を加味し、有力な仮説をしぼり込んだ。
 『キャピテヌ』こと、ジョージ・ロングロード。『タンタキュル』『ドルミール』。
 三名の極秘任務が“神”または金城湊の監視だとすると、アルストロメリア潜入とつながる。

「察しがいい」
 ハイフェンが気前よく、手札を一枚明かす。
 この機に乗じ、オルデンは避けて通れない提案を切り出した。
「ジョージ・ロングロード氏をこちら側に引き入れるのは、いかがでしょう」
 途端に。
 手を組むくらいなら亡き者にする、と脅迫も辞しない程度の嘲笑が起きた。
「あやつの妻の生涯を、知っているか。夫に捨てられ、薬に溺れて中毒死だ」
 家庭より、仕事を選んだ男には。
 助けられるものに全力を尽くさなかった、この世で最も唾棄すべき男には。
 分かるまい。どうあがいても守りたかった女を、守れなかった男の絶望が。
「行方知れずの長女を捜そうともしない。つくづく気に入らん」

 怒りだしたということは、それだけ無視できない事柄ということだ。
 うまく誘導できれば、脈はある。居直る思いで、オルデンは駒を進めていく。
「長女……メギナ・ロングロードの消息について、何か?」
「さあな」
「我々が掴んでいない情報を、ロングロード氏が持っていると考えたことは?」

 彼を襲ったのは何者か。なぜ彼は眠らされたのか。
 今、どんな“夢”を見ているのか。
 謎は、周囲まで及ぶ。次女アイラが拉致されかけた理由とは。
 絶妙のタイミングで現れた出自不明のブラッキー、彼女の身の潔白は。
 意見を聞きたい題目など、いくらでもある。
 
「私には、陰謀が入り乱れているように思えてなりません」
「ときに、ラプラスの肉は口に合わんかね」

 ナイフで切り込みすら入れていない、手つかずのメインディッシュ。
 食用は国際条約に違反する。文化的嗜好にも合致しない。
 試されている。と、オルデンは感じた。


◆◇


 酔っぱらいみたいに壊れて、野郎相手に身の上話をぶちまけた。
 コピーとクウォーター。
 どちらのほうが生きづらい世の中と考えたところで、分かりはしない。
 とてもじゃないが、まともな自己管理ができるメンタルに戻れなかった。
 キズミの家にころがり込んでから、かれこれ、ざっと二週間。
 丁寧に揺り動かされて、ミナトは目が覚めた。
 役に立たなかった携帯端末のアラームを、セットした責任をもって、止めた。
 眼底がずんと、重い。背骨がポキポキ鳴る。寝返りを打つには、ソファは狭すぎる。
 でも、慣れた。
 毎晩、食べ汚すコーヒーテーブルの上は起きるとかならず、綺麗に片づけられている。腰の下敷きになっていた固い物は、コントローラ。何時に寝たか、覚えていない。家庭用ゲーム機とつながったテレビにはプレイ画面ではなく、朝のニュース番組が映っていた。
 四季折々の風物を伝える、ミニコーナー。
 緑の夏毛が抜け替わった、茶色いシキジカの映像。
 よどんだ目を、釘付けにされた。二度寝したい欲が引っこんでいく。
 もう、そんな時期か。
 キズミのコレクションを飾っている、棚。
 その片隅を借りて安置している、遺品というべきゴージャスボールを見た。
 「……いつまでも引きずってらんねえな」
 決めた。
 今日かぎり、自堕落な居候生活をやめて、自宅に戻ろう。
 
 食欲は別にして、荒れた胃に優しいメニューを用意してくれたことが嬉しい。
 一日三食、うまい飯を食わせてくれるラルトス=ウルスラには頭が上がらない。
 たまご雑炊に細切りの海苔をぱらぱら振りかけながら、ミナトがたずねた。
「そろそろ、アシスタントに復帰しねえか?」
 朝食の席は、ふたりきり。キズミのフライングが常習化している。
 近ごろ、不眠がおさまったらしい。思う存分、早起きを制している。
 『シンクロ』が減退したのだ。
 何かが吹っ切れたように、不必要に体を張らなくなった。
 そこへいくとウルスラも、恋の(やまい)との付き合い方が上達した。
「クラウたちが療養中で手が足りないっつーか、職場が男にかたよっててムサいっつーか」
 それでも再発をおそれて、四六時中べったりにならないよう、自粛している。
 いつか爆発する前に、誰かが彼女の背中を押してやらないと。
(後でお聞きしますから、温かいうちに召し上がって下さいな)
「いただきます! うめえ。オレにとっちゃ、ウルスラの作るメシがおふくろの味だ」
(昨日は、三ツ星レストランがひらける、でしたわね。その前はグルメサイトNo.1、その前は……)
「よく覚えてんなあ。かぶったら大目に見てくれよ?」

 
 

 出勤途中の緑地公園通いが、キズミの日課になりつつある。
 ベンチに座り、自主トレーニングに励む顔ぶれをそばで見守っていた。
 走り回って体を鍛えているガーディ=銀朱(ぎんしゅ)。遊びを通してコーチすることも多い。
 エルレイド=クラウは坐禅を組んでいる。腕には包帯。激しい運動は完治を遅らせる。
 ぬぼーと噴水に打たれているヌオー=留紺(とめこん)に遭遇するのは、なかなかレアだ。
 左の肩越しに、突然の。
「早いわね」
 じゃれつくような澄んだ声に、肩が跳ねそうになった。
 アイラだ。
 銀朱(ぎんしゅ)が飛んできた。自慢の鼻で、朝食の食べかす探し。全戦全敗。
 身体チェックを受け終わると、ベンチの空いている座面に腰をおろす。
 真横に腕を伸ばせば当たりそうな、つかず離れずの並び。
 術後はじめて覆いをはずし、さらけ出した右頬に。
 
 傷跡。

 腫れ物にさわるような、彼女の視線を感じた。
 キズミが言う。
「自業自得です」
 見る者次第で醜くく映り、おびえる等するだろう。
 捉え方によっては、強面のほうが他人からなめられないで済む。刑事向きだ。
 それに。
「“親”に生き写しも、考えものでしたので。これはこれで、“自分”の顔です」
 フライゴン=ライキはまだ、翼の穴がふさがっていない。
 奇跡的に感電死をまぬがれたハーデリア=オハンも、めっきり老け込んだ。
 このうえ、人の心配までしないでくれ。
 そっけない物言いと、伝えたい中身の乖離。自己採点は不合格。
 言い直そうとした、矢先。
 彼女が、口をひらいた。
「私は父に似てないって、よく言われる。でも姉とは、よく似てたみたい」
 “親”について尋ねるのも悪い気がして、自分の話に持っていくことにしたらしい。
「母と同じで、小さい頃に別れてそれっきり。似てるといっても、姉のほうが綺麗だったわ」
 話し方は気丈だが、とっくに諦めたような、力のない笑いで締めくくられた。
 
「はっきりさせておきたいことが、あります」
 何度もここで会っている。そんな申し出、今日が初めてだ。アイラはまばたきした。
 暗い話をして変な空気にしたから、たぶん彼の機嫌をそこねたのだ。慌ててひらめいた。
「あのスーツ、そんなに似合ってなかった?」
 あの変な格好か。キズミは臙脂色のボディスーツに思い至る。
 はっきり言って、ああいう体の線が出る服は勧めない。ミナトが調子に乗る。
「たしかに趣味を疑いまし……いえ、そのはっきりではなく」
 キズミは、襟を正した。
 
「あなたとは、馴れ合うべきではないと思っていました。身勝手だったと認めます」
 
 吸いこまれそうな、灰色の瞳。
「……ですが、俺に関わるとろくな目に遭わないのは、事実です」
「それを言うなら、お互い様よ」
 胸の奥深くどこまでも、彼女がもつ光を当てられて、目のやり場に困った。
 
「おーっす!」
 脳天に、プラスチック製の打撃。金髪を滑り、落ちかけた包みをキャッチ。
 立ち上がって振り返ると、こういう悪ふざけをやりそうな声にぴったりの男と。
「ウルスラ」
「弁当忘れるとか、ひでえな。可哀想に、オレが慰めてやるぜ。妬くなよ、キズミ」
「よしなさいったら」
 一方的に角を撫でまわすミナトから引き離そうと、アイラも立ち上がる。それに先がけ、くすぐったがっていたウルスラが彼の肩からひょいと浮いた。抱き上げたのは、駆けつけたクラウ。無傷の片手を使い、アイラの腕の中に避難させた。銀朱(ぎんしゅ)が口元をなめたがり、からっぽの肩に前肢をひっかけようと、さかんに跳びかかる。
 しゃがんで犬流の忠誠心と親愛の情を受け止めながら、ミナトが笑った。
「へへっ、たまには大勢で登庁ってのも……ん?」
 陽の光をあびてきらきら輝きながら、のんびり遠ざかっていくぬるぬるの後ろ姿。
「おい留紺(とめこん)、抜けがけすんなー!」

 天気は秋晴れに、高く澄みわたっていた。

レイコ ( 2017/03/20(月) 20:15 )