NEAR◆◇MISS















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第七章
-7- 大飛翔
 特性『シンクロ』に依存するサポート能力は残らず、退化した。
 キルリア時代に想像していた何倍も、テレパシーを使えなくなった喪失感が大きい。
 僕はエルレイドになりたい――こうなる前にきちんと、言葉にして伝えておくべきだった。
 
 クラウひとりを、最後に交わした会話の思い出に浸らせはしない。
 進んで打ち明けてくれるまで待つという受け身も、今にして思えば水くさかった。
 黙って、アイラは手を差しだす。進化前の面影が濃い赤い瞳が見つめて、そっと緑肌の腕を伸ばす。
 握手からはじまる、リスタート。
 
 心に直接語りかけることはできなくなっても。
 今までどおり大好きな人に向ける笑顔は変わらない。
 ……か。クラウらしい。
 夢を叶えた喜びと痛みは、アイラに隠れて支援したキズミの喜びと痛みでもある。
 卑怯者とののしられ、口も利かれなくなる覚悟をしていたが、あちらのほうが大人であった。
 アルストロメリアに来た頃の一辺倒な涙ぐましさと見ちがえて、今の彼女には底知れなさがある。
 道理はどうあれ、ミナトとの決闘は負けたほうが悪だった。
 ただでさえ希薄な存在意義をなくし、自暴自棄という名の邪道にすがって正義者を止めるしかなかった。
 あの異常な状況から。
 つくづく。
 生きのびてよかった。
 大げさではなく、そう飛躍しそうになった。
 この怪我で皆の足を引っ張り、どれだけ悪魔がささやこうと。
 もう二度と、悲観の頂点で自分の命をかろんじたりしないと誓う。
 「ここにいて」。そう言われて咄嗟に反発したのは、心の琴線に触れた裏返し。
 今なら向き合える――本当は、嬉しかった。
  
「何か言いたそうね。ミナト君が心配?」
 なんとも答えづらいキズミに、アイラが重ねた。
「合流を焦らないで。心に余裕のない人が、冗談めかして女をフッたりする?」
「……何か言ったんですか、あいつに」
「ちょっと……変な誤解しないでよ。それはもちろん、きらいじゃないけど」
「へえ。なんだ、惚気話か。悪いがそこまで暇じゃない」
「いいかげんにしないと、怒るわよ」
 暗さにかけて夜道といい勝負の屋内回廊の奥から、耳慣れた吠える声が聞こえた。
 見通しの悪さを抜けて、ハーデリアが走り込んでくる。無事に特別任務から戻ったのだ。
「オハン! 全員、見つかった!?」
 駆け寄るアイラ。期待に胸が膨らむ。
 息切れしつつも、老犬は捕虜に目を光らせる。くわえている腕は細長く、まるで風船の糸だ。
(ぷわわー! そんなにせかさなくても、ご老体)
 テレパシーだ。
 赤い眼をぱちくりさせたエルレイドに向かって、捕えられている紫色の浮遊霊がしゃべりだす。
(ええ、もちろん使えますとも。イチリはフワンテ、いろんな魂の寄せ集めですから)
 見覚えのある顔だ。キズミが問いただした。
「アルストロメリアにいたな。近頃増えたゴースト一派は、レストロイの差し金だったのか」
(おや、鋭い。流れ者がこのお嬢さんに危害を加えないか、心配でしたか?)
 キズミとアイラの間を行き来する、詮索好きなフワンテの目くばせ。
 あごの力を強めるハーデリア=オハン。
(いたたたた、はいはい、今やります!)
 おええー。
 からっぽの風船体型を生かして蓄えていた内容物を、バツ模様の真ん中にある口から吐き戻した。ぽろぽろと転がり出てきたのは、黒い小型カプセル。ぞくりと肌が泡立ち、アイラは眉をひそめる。国際警察に対する、許しがたい侮辱だ。もとはミナトの装備品が、レストロイ卿に悪用されたと見える。違法組織が開発したスナッチ・システムを源流とする、犯罪者に帰属するポケモンを奪取する超法規的装置。
 ヌオー=留紺たちが、アレストボールに拘束されている。 

「レスカ君。手動でロックを解除して」
「不可能です」
 
 けんもほろろの拒絶は、父のように慕うオルデン・レインウィングスの設計を意識したのだろう。彼の反射的な卑下が肌に突き刺さるように感じて、アイラは意地になって肩を持たずにいられなくなった。
「あなたがモンスターボールにこだわってるのは、あの人への尊敬だけ? ウルスラたちの目線に立って、安心してもらえる『居場所』を保障したかったからじゃない? 自分の胸に聞いてみて。私はそうしたわ。人は親孝行な娘だと言うけれど、父の背中を追ってた本当の理由は……縁が切れたら、最後の家族にまで見捨てられる気がして、怖かったから」
 ――そうか。似てたんだ、私たち。
 知らず知らず、あなたの中に落ちている同じ影を感じていた。
 私の中で止まっている時計の針を、仕返しに見透かされたくなかった。
 他人は自分を映す鏡。あなたが心をひらかなかったのは、自己嫌悪をなすりつけていた私が原因。
 もう、こんな、すれ違いだらけの関係は終わりにしたい――
 「……私とは、違う。あなたの努力は無駄じゃない。お願い。力を貸して」
 
 すべてを見透かされたような、頼み声。問答無用でキズミの気を引いた。
 自分の胸に聞け、か。
 ――俺は何をやってるんだ。
 成功する自信は微塵もないが、虚勢を張ってでもやるしかない。
 
 憑き物が落ちたとは、こういう気分を言うのだろう。
 アイラはまじろぎもせず、秘蔵のキットを取り出した横顔をとっくりと見つめてしまった。
 なぜかしら。
 今日この時、出会った中で一番真剣な男の人の表情を忘れたくない。
 血染めの右頬が痛々しい。上司命令がなくても、遅かれ早かれ彼はミナトのために危険を冒しただろうか。たとえそうだったとしても、自分が強行した捜索の道連れにしたばかりに、大怪我を負ったのが結果論。
 そばにいたい。けれども傷つく姿は見たくない。
 今ならウルスラの気持ちが、少し分かる気がする。
 底なし穴の蓋を踏み抜いたような、胸さわぎ。
 真っ逆さまに落ちてゆく、甘く苦い、独特の浮遊感。
 ――ウルスラ。私、ひどい裏切り者になるかもしれない。
 
 
 次から次へと、生者の魂に飢えた闇のしもべが湧き出してくる。
 エルレイド=クラウとのコンビネーションで、大立ち回りを演じるアイラ。ボディラインに密着した臙脂(えんじ)色の特殊スーツを着こなし、フライゴン=ライキを駆るモダンな竜騎士姿が勇ましい。ミディアムボブの栗毛をなびかせ、長い睫毛に縁どられた灰色のつぶらな美人の源で、有象無象(うぞうむぞう)の戦闘不能を看取ってゆく。向かうところ敵なしだ。国際警察仕込みの技量を気に入り、ニダンギル=イチルも腕状の刀彩で体力を奪うことなく彼女にくみしている。相手が女性という、ミナト譲りのサービス精神も少し。いや、かなり。
 
 繊細な作業をしいられるキズミにとって、恵まれた環境とは言いがたかった。
 目の前のことにだけ集中しろ。留紺たちを解放すれば百人力だ。モンスターボールの遮蔽効果で『シンクロ』は抑制され、頭がもうろうとせずに打ちこめる。涙をのんで閉じこもっているウルスラの想いを無駄にするような仕事は絶対に、するものか。
 
 ニダンギルの切っ先に集束する光。『ラスターカノン』。巨大なベールとなって囲いこんだカゲボウズの大群が、アイラのひと振りでなぎ払われた。奇兵ゴルーグを切り捨てる、肘から伸びた『リーフブレード』。老犬の牙がヨマワルの顔面を『かみ砕く』。
 これだけ苦労して、着手できているアレストボールはたったの一個。
 本当に開くのかと怪しむフワンテの前で、キズミが驚きの行動に出た。
(ぷわわー? 急にどうしたんですか?)
「俺の腕じゃここまでだ。あとはこじ開けたほうが早い!」
(原始的……)
 敗色が濃厚になるにしたがい敵勢が撤退し、骨休みのひとときが訪れる。
 指のしびれたキズミからクラウに引き継がれ、力をこめた。べらぼうに固い。
「私も!」
 次はアイラ。ねばったが、握力がすっからかんになった。
 その次はオハン。前足で押さえてがりがり噛みついたが、効果なし。
 その次の次はイチル。紫の刀彩で手刀をあびせたが、うんともすんとも言わない。
 ぐるりと一周して、ふりだしのキズミに戻る。またクラウへ。さらにアイラにパス……
(いつ終わるんですか、これ)
 瓶のフタじゃあるまいし。脱力したフワンテが漏らした。
 
 敵襲の前兆をのがすまいと神経を尖らせていたクラウたちが、身がまえる。
 つららが垂れるように頭上をすり抜けて、ユキメノコが息も凍る雪化粧を見舞いに現れた。
 ハーデリアとフライゴンが皆を『守る』。裏切り者と見なされたイチリがぷうと頬をふくらませた。
(ご無体な。ハイフェン様にさからうなど、百害あって一利(イチリ)なしですのに)
 真下に、殺気。たおやかな氷結の幽鬼はおとりだったか。
 鉄壁の防御を無効化できる『ゴーストダイブ』。狙われたライキが速度で負けた。
 みすぼらしい破れ傘に似たムウマージが、自分をこんな醜い姿にした仇のどてっ腹を突き上げる。
 弱点の寒さで力を発揮できないひし形の両翼を、『氷の(つぶて)』の乱射で見るも無残な蜂の巣にされる。
 目を守る半透明な赤い防護器官も、片側を砕き割られた。虫の息で、大量の血痕の上に横転した。
「ライキ!」
 応答のない愛竜を、モンスターボールに緊急収容するアイラ。
 ハーデリアとニダンギルに命じた。
「彼の援護を!」
 アレストボールを解除する邪魔はさせない。
 べっとりと頭からかぶった飛び血が栗色の前髪をつたって瞼にかかる前に、手の甲で拭う。特殊スーツは耐寒性。北極だろうと活発に動ける。ホルスターから拳銃型射出器、アレスターを抜いた。オルデン・レイウィングスの試作品の睡眠弾を屋内で拡散させたくなければ、一発必中させるのみ。
 ライキのためにも、勝つ。
 決意したアイラの手首がつかまれて、いきなり同型のグリップを押しつけられた。
 キズミのアレスターだ。
 灰眼と青眼が引かれ合い、ひと言も発さずに離れる。
 
 二丁拳銃。
 
 託された想いの数だけ、強くなれる。クラウが肘の刃を伸ばして、仕掛けた。
 油断していたムウマージを、『リーフブレード』でユキメノコの傍らまではじき飛ばす。
 怒った魔女のひと睨み。『痛み分け』で体力を奪い取られた。かわまず、単身で追撃するクラウ。『炎のパンチ』を叩き込もうとしたが、雪女も『道連れ』で牽制する。うかつに手出しできない。ムウマージたちの先を読み、ちょこまかと逃げ回る。進化後に発達した、相手の考えをキャッチする能力で。
 ――機敏に動くわれらに、人間の小娘が照準をさだめられるものか。
 ――老いぼれ犬と裏切り者の守護霊も、怪我人の子守りでいそがしい。
 ――『痛み分け』と『道連れ』で威圧しておけば、痛烈な攻撃がくるわけがない。
 ――若造一匹、はさみ撃ちでひねりつぶしてくれる。
 
 そのおごりが、命取りだ。
 誘導されているとも知らず、敵がクラウ視点で絶好のポジションについた。
 『テレポート』で相手の懐に飛びこみ、『サイドチェンジ』。
 瞬間。
 赤い目をした居合いの名手と、灰色の目をした射撃の名手の位置が入れ替わる。
 技を放とうとあけ広げていたムウマージとユキメノコの口を二つの銃口がふさぎ、発砲。眼球を裏から押し出すとばかりに爆発する、『キノコの胞子』。のけぞる、過剰吸入した頭部。そのままぐにゃりと倒れ、しどけない寝相で正体なく眠りこむというとどめを刺されようとは。序列上位の双璧がまさかの陥落。守護霊になりそこなった、しがない風船霊の懐に興奮がおさまきりらない。
(おみごと! ねえイチル、湊さまにはああいう気骨のある人間の女性がお似合いだと思わない? 嘘の婚約より、よっぽど本物の婚……)
 開かずの容器と格闘するキズミの血のにじんだ割れ爪がふと目に入り、黙りこんだ。
 風雲急を告げる、壁面に並ぶ作りつけの飾り鏡。
 選ばれた一枚の鏡面に輪波が立ち、妖獅子を移送した。
 狩り場で二又の尾をくねらせる――レントラー。
 オハンの鼻が別格の戦闘能力を嗅ぎとる。老骨に鞭打ち、勇敢な国際警察犬の意地を見せた。だが一瞬のうちに後ろ首へ雷の牙が食いこみ、丈夫な体毛が電撃に打たれて焼け焦げてゆく。
 身ぶるいを振りきり、出遅れて負け戦をいどむニダンギル。
(……ああもう、どうせ付和雷同(ふわらいどう)ですよ!)
 子どもをさらうと恐れられるその手で、フワンテがキズミに力を添えた。

◆◇

 死者は、蘇らない。
 生前の心と記憶をかたどる超常の痕跡を、命あるものと混同した霊能者は、身を亡ぼす。しかし秘術をほしいままにしたレストロイ卿の、魂を魂とも思わない冒涜には反吐が出る。
 冥王ギラティナを生き写しにした、禁忌を恐れぬ人造の守護霊。
 受け入れがたい何重もの事象に押しつぶされそうで、ミナトは静止していた。
 
 剣身を真っ二つにへし折られた、ニダンギル。
 酷使した特殊警棒はバッテリーを使い切り、沈黙している。

 行き道で邪魔なキズミと引き離したものの、収穫は見込めなさそうだ。
 腹に一物あるネイティはおとなしく、メロエッタに抱きかかえられていた。 
「“子ども部屋”の結界を破れたことは、褒めてやらんでもない」
 床に散った刃片に踵が踏み下ろされると、気だるげな男の声の背景でちらちら耳障りな音を発した。
「だが如何せん、弱すぎる。国際警察で何を鍛えた。修行を完成させてやる。なに、城の暮らしも捨てたものではないぞ。その気になれば存分に享楽できる。長きにわたる調教の歴史の中で牙をもがれた、変幻自在の奴隷どもに望みを命じよ。猛獣に化えて命尽きるまで殺し合わせるもよし、女に化えて慰み者するもよし……」
「やめろ!」
 仕掛けた罠にかかった獲物を楽しむように吊り上がる、レストロイ卿の口角。
 ミナトがきつく握った柄からは、愛刀の息吹が伝わってこない。単眼の瞼は閉じられたまま。
 ――反対側でひそやかに感触をもたらす、預かり物のトランツェン。
 忘れるわけがない。今もこの城のどこかで活路を見いだしている「希望」がいることを。
 小鼻を膨らませ、肺にたっぷりと酸素を送り込む。
 呼気を完全に吐き出し終える段階では、胆力を仕切り直した。
 オレは、こんな所で終われない。
 どくん、と。
 ぼろぼろの剣柄に、霊気が脈打つ。背水の陣で紫眼をひらいた守護霊からの、かしこまった応答だ。
 
 さながら生温かな、湿気を含む吐息がふわりとこの場に吹きこまれたように。
 潮流が変わった。
 室内装飾の度を越えて四方を囲む壁、天井を覆い尽くしている調度品の鏡が、白く曇りだす。ホワイトアウトしたモニターに包囲された監視部屋を彷彿させる、外部との連絡を遮断された密室が構築されてゆく。退魔の力を行使した、第三の勢力。超現象に取りこまれた父子は、共通の女性の母性を想起せざるをえない。
「『海霧(うみぎり)』……」
 レストロイ卿がつぶやく。増援を禁じ、諸悪の根源たる男を袋のミネズミにする魂胆か。
 空間歪曲を使える最後の扉は、ミナトの手の内にある。
 反射に長ける鋼色に研磨された重傷の刀身に、情熱を秘めた若人の面差しが映っている。鏡の素養を開花させた剣を構えた我が子へ、必要のない疑問符をたわむれに投げかけた。

一縷(いちる)の望みをかけてみるか?」

 噴光。
 まばゆい水蒸気。暴れる辻風。
 体を張って味方専用の侵入口をひらいたニダンギルは、内側から沸き起こる竜巻に耐えきれなかった。卵殻の外界を知らない仔らの憑依が、依代から解放されてゆく。柄と鍔を残し、折れ刃が根元から砕け散る。
 瀕死の星屑のまたたきの中より(たすき)をつなぐ、五指のごとくたくましい先端をもつ双翼。
 禍々しい黒金の霊竜と対極をなす、神々しい白銀の聖獣が爆誕した。
 
「よお、月白(げっぱく)。アレストなんちゃらの中は快適だったか?」

 亡き妻の、もう一つの形見。
 人を食ったハイフェン・レストロイ卿の口ぶりが、因縁ある聖獣の逆鱗に触れる。
 紺の突起を生やした両眼が怒りに燃え、己を見失った形相で口腔から『水の波動』をくり出した。すかさず、霊竜の『悪の波動』が迎え撃つ。息のつづく限り、白黒の分身をかねた衝撃波が覇権を争う。水棲の滑りやすい首根にしがみついている、汚れた身なりの二人の乗り手の、金髪の男のほうが名を呼んだ。
「ミナト!」
「分かってる!」
 『シンクロ』で意識に直接触れ、猛り狂う深海の化身を鎮めるのだ。キズミ達が振り落とされる前に。
「無視すんな、麹塵! 早くしろ!」
 再会を喜ぶ暇もなく、双子の剣がメロエッタからネイティをひったくる。
(やだやだ! このままやらせればいいじゃん! ……もう最悪!)
 息の合った紫の刀彩が両腕のようにネイティを締め上げて、降参させた。
 『波動』の余波に負けじと踏みしめ、銀羽を蓄えた巨躯の正面に回り込むミナト。
 目と目を合わせて交感したい。
 
 敵に背を見せるとは。
 ハイフェンが虚空を掴み、抜刀の動作をする。
 柄頭から切先へ余すところなく、不可視の霊体から実体へ転じる光の外縁が浸透した。最強の切断力を誇る王剣、ギルガルド。父みずからの腕を振るい、無防備な息子に斬りかかる。非情なる城主の裁き。そこへエルレイドが割って入った。受け止めた肘の刀が、身を削って衝突音を提示した。
 
 クラウにかまうな。集中しろ。無我の境地に己を追い立て、急ピッチで精神世界に移行する。
 血管網のように張り巡らしたミナトの意識が月白(げっぱく)の意識と結びつき、怪物的な逆上を中和してゆく。
 お前から金城雨音(きんじょうあまね)を奪ったあのクソジジイを、この世から葬りたい気持ちはよく分かる。
 けどそれは、今やるべきことじゃねえ! 背中に乗せてるのは誰だ? オレもお前も、人命第一の国際警察だろうが!
 
月白(げっぱく)!」

 レストロイ卿のみを映していた月白の瞳から鬼気が消え、ミナトを見た。あどけなさの残る丸みを取り戻した。無益な『水の波動』をやめ、遊泳するような飛行で『悪の波動』を回避する。キズミらの緊迫が峠を越える。負傷したエルレイドがモンスターボールに戻り、ネイティの冠羽をむんずとつかんだニダンギルが主を迎えに駆けつけた。刀身に立ち乗りしたミナトは得意のサーフィンを披露するように滑空して、仲間のもとにたどり着くと月白の背上の最後尾にまたがった。
 
 帰ってきた。

「総員、退避!」
 栗色の髪をなびかせた上司の指示を聞き届け、ミナトは高みを指差し、腹に力を込める。
「エアロブラスト!」
 伝家の宝刀を、抜いた。
 海神固有の、開口より発射された圧縮空気のえがく大螺旋と、その中心を突き抜ける一条の風光。地下迷宮と並ぶ息苦しさをおぼえる、採光を排斥した暗室の最上部を打ち砕き、あっぱれな天窓を穿つ。
 清き鎌風が城上の陰の気を祓い、割れた海に波が回帰するように、濃霧の晴れ間から太陽の奔流が落ち込んだ。影に巣食う霊竜がひるんだのを流し目に。四十日もの嵐を起こすと伝わる勇壮な羽ばたきで、離昇する。
 
 別天地へ旅立とうとした白い後足へ、赤い棘つきの触手が巻き付いた。
 黒翼は変形できる。天敵の直射日光にされられ再生と破壊を繰り返しながらも、牽引力は衰えない。
 守らねば。ニダンギル=イチルが矢も楯もたまらず飛びだした。
 円盤状に回転し、触手をばらばらに断ち切る。悪しき鎖は解けた。その刹那、逆襲の業火に飲みこまれた。
 ミナトが身を乗り出したが、煙と真っ赤なうねりでよく見えない。
 わずかな炎の切れ目から、二刀の眼は力を振り絞り、にっこりと笑いかける。
 鞘も残さず、燃え尽きた。
 
「飛べ!」
 
 嘘だ。嘘だ。馬鹿の一つ覚えみたいな脳内の反復を押し殺し、ミナトは血を絞るような声で命令した。
 救えなかった。不可逆を悟った瞬間から、つかみたいのにつかめない、手から零れ落ちていく水を見送っているようだった。ついさっきまで動き、忠実に仕えてくれていた、無限の可能性を秘めたあの輝きが。永久に失われた。あまりにあっけなくて、笑いそうになるくらい、あっという間の最期だった。
 力加減を忘れた蹴りで、発進の扶助を送った。
 ふたたび怒りに囚われかけていた月白(げっぱく)が我に返り、持てる揚力を最大限に引き上げる。
 背びれをたたんだ最小抵抗のフォルムを取り、風穴からすべり出た。
 ついに自由を得た銀翼があたりに立ち込めた深い霧にまぎれ、執念深い触手を後方に引き離す。
 大気圏の突破も辞さない最高速度で星の重力を脱出してゆく、空前絶後の昇り竜。

 最果てに見えたものは――青空。

レイコ ( 2017/02/11(土) 23:08 )