NEAR◆◇MISS















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第七章
-6- 進化
「クラウ!?」
 キズミが素っ頓狂に驚くと、右頬の傷口に激痛が走った。
 口をなるべく可動さないようにつづきを尋ねる。
「お前、いつからそこに?」
(少し前です。さっきまで、眩暈でダウンしてました……それよりその怪我!)
「『癒しの波動』……頼める、か?」
 キズミに問われ、キルリア=クラウはおろおろと目尻を下げる。
(僕はプロのヒーラーじゃないですから、たぶんすごく目立つケロイドになっちゃいますよ。それに、無理やり治癒を早めるから、反動できつい倦怠感とか吐き気とか、運が悪いと……)
 傷を塞ぎ終わった後も細胞の増殖が止まらず、元患部に悪性の病変が起きる。
「分かってる」

 そこまで決意が固いのならば、断れない。
 止血をめどに、傷口に薄皮が張る程度の回復にとどめた。「まだここ、ズキズキすんねんけど」と微妙にクレームをほのめかされ、(そう言われましても……)と口を濁す。クラウは特殊警棒を拾い、右頬を指差しているキズミに手渡した。

(僕たち、ミナトさんの乳母を名乗る方に連れてこられたんです。ウルスラさんがご当主の気を引いて時間を稼いでるから、その隙にお二人を助け出すようにと言われました。乳母さん、この牢の座標も教えてくれました。でも結界が強くて、『テレポート』にずっと失敗して。残りのパワーは脱出用ですが、全員を一度に運べるかといわれると……)
「乳母、か。まあな、オレを可愛がってたほうか」
 憂鬱な子ども時代を、ミナトは思い返す。
 僕たち? とキズミが反応し、さっと眉根を寄せた。
「まさか、警部補もか? 何考えてんねんこんな危ない城へ!」
「ウルスラも心配してやれよ。あのエロ当主、守備範囲の広さやべえから」
(うわああああああ! 早く、早く助けなくちゃ!)

 ストップストップ、とミナトは手でなだめた。

「二手に分かれよう。救出はオレが行く」

 名乗り出た黒髪男が一番、囚われのラルトスのヒーローになる義理が薄い。
 怪我人の青眼が露骨に、治療者の赤眼が微妙に、人選を怪しんだ。
 二対一。
 ミナトの藍色の目がむっと反発した。
「脱出方法も考えた。クラウはキズミを連れて、先に行け。陽動だ。この幽霊屋敷のしもべ共を引きつけろ。イチルの片っぽ、お前はこいつらに憑いて行け」
 双剣が互いの武運を祈り合う。
 納得したクラウが大急ぎで『テレポート』の準備に入る。
 飛び去る間際に、キズミが特殊警棒をミナトの胸にどんと押し付けた。
「必ず返せ」
 ミナトは押し戻そうとして、間に合わなかった。

 合わせ鏡の鏡像が孤独とも群衆ともつかない、狂気じみた密室に辟易していた頃の、元の無音が戻ってきた。こんな牢獄、さっさと出ていくに限る。納刀した愛剣の片割れを肩に担ぐと、ミナトは鏡面中を声で殴りつけるかのように売り言葉をぶちまけた。

「やい! 覗き見してんだろこのデバガメ暇人! 決闘だ! オレが負けたら、望みを聞いてやる。てめえが負けたら、死ぬまでバネブー箱にぶち込んでやる。分かったらさっさと、“通路”を開けやがれ!」



◆◇



 アイラのいそうな座標の特定をおおざっぱにする代わりに、脱出に『テレポート』の全パワーをつぎ込んだ。城のどこかに、出るには出られた。窓のある薄暗い回廊。また、結界酔いに見舞われた。クラウは眩暈で起き上がれない。キズミも似たり寄ったりだった。ニダンギルまでぐったりしている。脳が疲れ切って眠りに落ちれば、城に滞留している濃い霊気にあてられ悪い夢を見るだろう。敵に『夢喰い』なんかされたら、とクラウの気持ちが焦る。この状態で悪霊に出くわしたらまずい、とキズミも睡魔と戦っている。

 室温が急激に下がったかのような悪寒がした。

 暗がりにぽっかりと、巨大な白い鎌の刃ような歯並びが浮かんだ。透明化させていた幽体にぶわりと紫の色がつく。ゲンガーだ。にたにたと獲物を物色している。第一号に選ばれたキズミは、生傷の癒え切らない顔に、唾液をたっぷり舌でなすり付けられた。体温を奪われて、背骨のあたりから震えが起きる。目の奥の奥がくらくらっとして、意識を真っ暗闇に突き落とされた。

 ――また、彼女だ。

 ずっとそこで待っていてくれたみたいに、幸福そうなままだった。

「謝れないんです、俺は」
 その綺麗な表情をどうか、やめてくれ。見ていて拷問だ。 
 こんなクソみたいな自白、吐かせたって終わりなんか無い。
「あなたのお父さんを……ロング警部を襲った被疑者を、捕らえるまで。許しを乞う資格がない。あなたより先に、自分だけ楽になりたくないんです」





「私の部下から離れなさい!」
 聴きなじみの深い怒号が夜明けを率いてきたような、鮮烈な寝覚めがした。
 キズミが直後に見せつけられたのは、身体を真っ二つにされて塵になっていくゲンガーだった。斬り捨てたのはニダンギルと、行きずりの若い娘剣士。灰色の瞳の目尻を凛とさせて、国際警察官の勇敢さが煌々としていた。
「顔、ひどい怪我だわ。それになんだか、殴られた? 誰の仕業?」
 
 詰め寄った上司の正面顔に勢いがある。
 いかにもという職業病の語気で訊ねてくる。
 現実だ。本人だ。
 無事に再会できた。
 じわっと気の休まる感慨が、キズミの胸に沸き上がる。夢にまで見たという表現は、先人が作った誇張ではなかった。助けられた、ありがとう、と柄にもなく正直に言おうとすると、その前に条件反射で、全身にぴっちりとしているワインレッドの生地に目が行った。 
「変な格好……」

「失礼ね、レスカ君」
 アイラは憤慨寸前の声を抑えた。こう見えて特注のツナギなのだ。このフィット感は、由緒あるドラゴン使いの伝統の一種。スカイバトルのコーチが形から入れ、と推すものだから、こうしてわざわざ着ているのだ。感情の沸騰が収まってくると、やっぱり変かな、とアイラの中で恥ずかしさが込み上げてきた。やっぱり予算オーバーで妥協しないほうがよかったかも。と、マント無しが不甲斐なくなってきた。
「お説教したいけど、金城君は? そうだウルスラは!? あのコ――」

(上!)
 
 臥せているクラウが喚起する。キズミがアイラを突き飛ばした。
 丸飲みをはずした牙とひと続きに、丸太のような図体が真っさかさまに落ちてきた。キズミを下敷きにして、むっちりと着地するアーボック。頸部の恐ろしげな人面模様を広げてシャーッと威嚇した。
 フライゴン=ライキが翼を羽ばたかせた。
 通路の曲がり角の向こうから、堂々とした闊歩の振動が、戦闘開始に水を差す。
 身の毛もよだつ獰猛な唸り声。
 ガ、と、クラウのテレパシーが頭文字で、一旦途切れた。

(ガブリアス……)
 
 ニダンギルの片割れが金属質に鳴いた。
 両目を凶悪に細め、大柄な陸鮫が走り出した。
 襲い掛かってくる。身構えたが、素通りされた。なぜ、とアイラとキズミが唖然とした。腕の尖った三角ひれが、毒蛇の鎌首を薙ぎ払う。勝利を賭けたぶつかり合い、ねじ伏せ合い。鋭い一本爪に人面模様を切り付けられると、アーボックは巻きつく攻撃を諦めて逃げ出した。
 
「味方なの?」
 鋭利で殺傷力の高い鮫肌の部位から、アイラはまだ目を離さない。
(僕たちが敵じゃないと言ってくれたんですよ。助かりました)
 クラウに礼を言われた片剣=イチルは、鍔の一つ眼をくりくりさせた。
(ミナトさんの専属番竜とやらさんも、ありがとうございました) 
 ガブリアスが、ぐぅ? と喉を鳴らした。

 キズミは蛇の体重で足を痛めていた。 
「荷物になるので、俺を置いて行って下さい」
「馬鹿言わないで。それなら初めから、駆けつけたりしないわ」
 肩を貸そうとするアイラへ、しかめ面で反抗した。
「誰も、助けに来てくれとは言ってません」
「私だって、庇って怪我をしろとは言ってない!」 
 そろって口を閉じた。
 揉めている場合ではない。新手だ。

 どろりどろりと、見えざる濃い妖気が垂れ込めてくる。

 ニダンギルがけたたましく鳴いた。勝負を挑むガブリアスが咆哮した。結界酔いの落ち着いたクラウが通訳した。アーチ型の天井をすり抜けて、紫色のぼろ帽子とぼろケープを被ったような外見が実体化する。魔女霊の見くだした薄笑い。
 アイラ、クラウ、キズミの順でまたがり、離陸するフライゴン。
 城内の回廊はトンネルのように広い。立体的な飛行が可能だ。
 しんがりを任せてよかっただろうか、と気を揉むキズミ達をニダンギルが激励した。フライゴンは地面、ドラゴンの同タイプのよしみを信頼して飛び続けた。回廊を曲がる。
 天井にぎっしりと、大量の暗い青色がぶらさげっていた。カントー文化圏の快晴を祈る風習である、軒先に吊るすティッシュ人形を悪役にしたかのような見てくれだ。ぎょろりと寄り目を瞠ると、瞳の金のハイライトが乱舞する蛍のように、一斉に押し寄せてきた。すばやくアイラが拳銃型射出機、アレスターを構える。標的があちこちで突然消えた。ふっと現れた。また消えた。点滅するように霊体と実体を行き来して、狙いを攪乱される。翼の動きを邪魔して、フライゴンの速度を落とさせようとしている。
「レスカ君、スコープは!? 私のはここに着いてすぐ、壊されたの!」
「俺のもさっき、潰れされた衝撃で!」
 風の音に負けないように声を張り上げる。「クラウ、『シンクロ』!」(はい!)「無茶だ警部補!」「あなたに言われたくない!」ライキの背中に添えているほうのアイラの手首が後ろに引っ張られて、グリップを握らされた。
 キズミのアレスターだった。
 青眼と灰目が一本線で結び合い、ひと言も発さずに離れる。
 
 二丁拳銃。

 霊感にすぐれたアシスタントの感知能力と、低度の同期を図った。通常の視界が夜間の暴風雨のように混濁する代わりに、眼球が百にも二百にも増えたかのような、真上も背後もすみずみまで掌握できる広視野の中枢を司った。
 視得る。
 クリアな映像として脳が処理しきれない霊的オーラが、至る所を泳ぎ回っている。
 アイラはトリガーを引いて引いて、引いた。
 オルデン・レイウィングス製の睡眠弾を全弾、命中させた。

 まとわりついていたカゲボウズがぼとぼとと落ちていった。フライゴンの羽ばたきが軽やかになった。久々の、そしてこれが最後になるかもしれない、クラウとの『シンクロ』の負荷で頭がふわふわとして、前のめりになった。支えようとクラウが腰に抱き着いた。その後ろのキズミが二の腕を掴んだ。強い感触が気つけとなり、アイラがはっとなる。「ど、どこ触ってるのよ!」「腕や腕、腰は俺とちゃう!」「あなた、そんな喋り方だっけ……?」
 ニダンギルがキーッと敵の接近を知らせた。

 しんがりを突破されたのか。
 キズミの注意は後方に引かれる。シュレッダーにかけた黒いゴミ袋のようなこま切れの集団。ムウマージの体片だ。上へ下への乱高下。フライゴンの飛行は、もう一歩のところで振りきれない。魔の手が迫る。ここで飛び降りれば、おとりになれる。そう思い、キズミは飛竜の背を掴んでいる手を離そうとした。読まれていたとしか考えられないタイミングで、アイラに毅然と叫ばれた。

「ここにいて!」 

「ですが!」
 指をくわえているだけの役立たず状態を、肯定しないで貰いたい。
 不安定なキズミの手を、離させまいとクラウが上から押さえつけた。

「龍星群!」

 女竜騎士が凛々しく解きはなつ、ドラゴン技の奥義。
 進行方向に向かって、竜の口腔に集められた破壊の力が撃ち出された。一発のエネルギー弾が破裂し、隕石雨が息の長い柳花火のごとく、向かい風に乗って飛来する。フライゴン=ライキはアクロバティックに切り抜け、後続のムウマージにまんまと被弾させた。強烈な光と爆音と熱波が背後から吹き寄せた。

「私たち、腕を上げたでしょ!」 
 アイラの声が得意げにきらきらとしていた。前を向いていて顔は見えないが、ふんぞり返らないように我慢している気配がある。キズミは複雑な気持ちに駆られた。彼女は元々優秀なライダーだ。嫌味を真に受けて、地道に特訓したのだろう。生真面目な優等生を日頃から傷つけている自分に、ここにいて、は優しすぎる。いなくなってくれと言われるほうが、身の丈に合っている。

(前方、気を付けて!)
 察知したクラウの警告が遅かった。『岩石封じ』が掠めてライキがバランスを崩した。全員が背中から投げ出される。岩の隆起で生じた床の亀裂を、頭で突き崩してガブリアスが這い出してきた。全身傷だらけだ。目つきが“混乱”している。ムウマージ戦で追い詰められて『逆鱗』を使ったらしい。敵味方なく“倒す”という戦闘本能に支配されている。
 『催眠術』は安定しない。『冷凍パンチ』は間合いが厳しい。
(先に行ってください、すぐ追います)
 考えて、キルリアは凶竜に対峙した。「待て!」と呼び戻そうとしたキズミを、アイラが「あなたが鍛えたんでしょう、信じなさい!」と腕ずくで愛竜の背上に押し込んだ。

(今日下さった“お守り”! 僕はここで、使います!)
「……おめでとう!」
 武運を祈りながらアイラがまたがり、飛竜が発つ。

 絆が、祝福が、キルリア=クラウの心を満たしていく。
 目も眩むほどの光が、全身から放たれた。手足が伸び、頭身が高くなっていく。電子空間上でデータ体に装着した不可視のアイテムは『持ち物』と呼ばれる。バトルネーソスを脱走したドンカラスは、ヤミカラス時代の持ち物だった『闇の石』が進化を誘発した。
 頭部に雄々しい蒼き角をさずかった。
 混乱状態にある爪の切り裂きを、瞬時に伸びた肘の刃がはじき返した。壁を蹴り上がり、サマーソルトで頭上を取る。カラフルな『マジカルリーフ』を纏った腕は、緑光まばゆい『リーフブレード』の大太刀へと上位互換を遂げた。

 御免!

 礼儀を胸に念じ、急所を一閃。
 真っ白な二脚を下にして、柔らかく着地する。
 陸鮫が戦いの呪縛をのがれた表情を浮かべ、沈むように地響きを立てた。

レイコ ( 2016/10/15(土) 17:08 )