NEAR◆◇MISS















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第七章
-6- 進化
 高天井より真っ逆さまに飛来した、双剣使いが一人。映しは移し。鏡の霊道を使いこなせば、これほど便利で速い移動手段はまたとない。侵入口の座標を、敵将の寝台の真上に定めたのだ。もとから破れていた天蓋の穴をすり抜けざまにひと回り大きく悪化させ、両手のニダンギルを着地点に突き刺した。観衆の度肝を抜く。二本同時に引き抜くと、嵩の張る上布団の刺し口から中綿が堰を切ったように噴き出した。スワンナから採られた極上の白羽が舞う中、警戒を解いたアイラが背後から声高に名を言い当てた。
「ミナト君!」
 彼は振り返り、目と唇を弓なりの元気印にした。
「よっ、おまたせ!」
 殴り合いで負った怪我を気遣われる先を越して、上司だが自分と歳の変わらない少女とラルトスを安心させたかった。はつらつとした声を出すのは数日ぶりだ。爽快な気分の再会が一転、よいしょと年代物の絨毯から尻を上げるハイフェン・レストロイを見つけた途端、ミナトは人が変わったように舌打ちした。はだけた薄墨色のナイトガウンから、濃緑の長髪を束ねたこの若い実父がぎりぎりで奇襲をかわした裏付けを多少取れるのみ。腰を抜かすほど脅かしてやる作戦は不発に終わったらしい。
 余裕綽々のレストロイ卿は満面に笑みをたたえて、殺気立っている息子になれなれしく語りかけた。
「遅かったな。連れはどうした。はぐれたか」
 急いであたりを見回す。てっきり一緒に来たと思いこんでいたアイツは、どこにもいない。
「どこ行ったキズミ!? ふざけんな、迷子とかありえねえ!」
(キズミ様が!?)
「無事なの、クラウも一緒!?」
 沸きあがった黄色い声を無視してまで、ぶつぶつ文句を垂れていられない。切り換えが大事だ。ミナトは大真面目な顔を作る。この化け物屋敷に咲く一輪の花のような、得難い人間の女性。可憐なその手に一方のニダンギルの柄を押しつけると、その上からぎゅうっと両手で握りしめた。嘘いつわりのない瞳をまっすぐにぶつけながら告げた。
 
「好きだ、アイラ!」
 
 は、とアイラの目が点になる。
 周りにいたほぼ全員が息をこらしたが、ミナトの関心にはならない。視界は彼女一人に占有されている。
「でもネーソスのアルバイトの子も気になってるし、近所のスクールガールも、職場のお姉さま方もだ。だから君一人に集中できねえ。悪いっ、ごめんな!」
 ごめんな、と言われても。
 うぶな若い娘の基準で激しくなっていた動悸はとっくにおさまり、アイラに残ったのは興ざめだけ。
「勝手に告白して勝手に振るって、どういうこと?」
「ここは任せろってことだ!」
 彼女の両肩をつかんで強引に押し出し、護り刀とラルトスともども適当な近くの鏡にねじ入れる。
 互いの姿が見えなくなる間際、別れ別れになる星の下に生まれた双剣がテレパシーで武運を祈り合った。
 
 一族の当主たる者、今生の別れが終わるまで待つ度量はある。さて、それで仲間を逃がしたつもりか。ハイフェン・レストロイは大げさに、落胆の吐息を漏らした。はべらせていたムウマージ共に、追え、と手で命じる。むざむざと守護霊の力を弱めた愚か者め。心霊と対極にある科学の小道具に代役がつとまるほど、二身一体の剣の道は生易しくはない。
 
「その棒きれに、何を望む」
 
 すでに口調が、舐めきっている。ミナトは血の気をみなぎらせた。
 ニダンギルと特殊警棒。この二刀流にかけて、二度と鼻で笑えなくしてやる。
「絶対あとで返せ、って託された。国際警察官の生命線をだぞ。この意味が分かるか? 分からねえよな。残酷で傲慢で、自分以外の命を見くだしてやがるクソジジイに逆立ちしても理解できるかよ! 誰からも帰りを待たれたことがねえ、城一番の不幸者が!」
 啖呵を切ってすぐの燃えるような熱が悪寒と混ざり、ミナトの体の中がぬるくなる。
 内外を裏返したミラーボールに匹敵する室内、所せましと飾る鏡群が総がかりで門となった。棲み家より呼び寄せられた影が流体に身をやつし、鏡面と同じ本数となって下り落ちてゆく。天と対になるべき最も低い平面が闇で覆いつくされた。
「ならばその不幸とやらをもってして、貴様の幸福を潰すとしよう」
 守護霊ここに極まれり。レストロイ卿の宣告にならい、反骨の王と同質の真紅の両眼が今、ひらく。
 
 

 転送先の回廊で、出会い頭の幸運があった。
「ライキ!」
 顔を、腕の中に押しつけるフライゴン。アイラと無事を喜び合う。
 離ればなれになる原因を作ったラルトスの胸が、ちくりと刺された。
(恐縮でございました。わたくしのために……)
「気にすることないわ。私のほうこそ、ありがとう。あの時『シンクロ』で、ココロモリを鎮めてくれて」
 優しげな返事を、勘ぐらずに受け取るべきなのだろう。息苦しさがやや落ち着く。一旦慣れれば、アイラの人柄は安心できる。危険を顧みず、体を張って鏡の向こう側まで追いかけてきてくれたこと、時間が許せばウルスラはもう少し感動の余韻に浸っていたかった。せめて無礼のないように俯いた顔を上げようとして、でも力が入らない。別途で捉われている不安が、あまりに大きくて。
(あの方が、お目覚めになられましたのに。おそばにまいれば、また繰り返すかと思うと……恐ろしくて、たまりませんの。このような弱気、アシスタント失格ですわ)
 辛辣に自罰しなければならないほど、重症なのだ。「また繰り返す」。頭ごなしに打ち消すようなアイラはいない。下手な言葉をかければきっと議論は平行線をたどり、無理に励ませば余計に内容がこじれるのではないか。こういう時。同じ立場に陥ったキズミ・パーム・レスカなら、どう答えるだろう。あの部下は自分の命を軽くみている節がある。死に急ぐ謎の手がかりはおそらく、権限不足でアクセスできない国際警察データベースの暗部に眠っている。それはともかく、警官の奉仕精神と一線を画する強迫じみた観念から脱却しない限り、ウルスラの心を傷つけ続けることは彼も承知しているはずだ。
 それでも、苦境に立つ選択を辞められない。
 抜き差しならない部下と同じ判断をくだす程度なら、地位などあっても意味がない。
「ウルスラ、あなたは戦わなくていい」
 直属の上司にしか発行できない、免罪符。
 今にも崩壊しそうに青ざめたラルトスに衝撃を与え、仰がせた。
「私だって、部下を守りたい。ここはひと肌脱がせてもらうわよ」


◆◇


 長い舌が実体化し、鞭のように振るわれる。ウルスラの『サイコキネシス』で粉みじんにされたあのゲンガーが復活したのだ。同じ不意打ちは食らわない。キルリア=クラウは『雷パンチ』を瞬発させた手づかみで舌を捕え、逃がさないよう霊の核を感電させながら、見よう見まねで覚えた背負い投げをあざやかに決めた。一本取られた敗者は痺れがとれるまで大の字に伸び、床に溶けるように透過して逃げていった。
 一難去ったが、気を抜けない。ミナトを見失った後れを取り戻そうと、巨大な屋内回廊の探索を再開する。
 キズミの右頬に貼りつけた応急処置の外傷パッドが変色して目一杯に膨らんでいる。出血の勢いが落ちない。
(無理しないでください、ウルスラさんが悲しみます。あなたのことが……一番大切なんですから)
 休憩のすすめを聞く耳を持たせようと、クラウに隠し球を使われた。
 最後に壁に手をかけた位置で、キズミの伝い歩きが止まる。根が生えたように動かなくなる。
「いつからや」
 切なさのにじむ微笑をクラウがうかべて肩をすくめることで、気づいた時期の明言を避けられた。
 怪我人に応分なぎこちない動作で座り込み、棒になった足を投げ出すキズミ。建物全体が陰鬱で湿気ていた。
 エルレイドへの夢を追う純粋な感性の延長線で、もっと泣かれたり恨まれたり、軽蔑されるかと思っていたが。
「男の趣味、悪いやろ。お前の頑張っとる姿見たら、ウルスラも目え覚める思たんやけどなあ」
 クラウが想いを寄せる相手から、慕われているという事実を。
 今まで黙っていたことを許せとは言わない。選んだやり方の責めは負う。
 意思を汲み、受けて立つクラウ。その場で片膝を折った。逃げも隠れもしない青眼を、食い入るように見つめる。
(あなたで、良かったです。僕とウルスラさんの、両方の幸せを考えてくれる人で。たとえこの想いが届かなくても、後悔しません。どんな時もウルスラさんの気持ちに寄り添えるくらい、立派に成長したいんです。どうかこれからも、ご指南をお願いします) 
 信じて疑わないと決めた恩人の面前で深く頭を下げ、筋を通した。
 ひと言で言い表せない揺さぶりが、キズミの身に沁みる。
 彼に声が戻るより早く、クラウの全身が淡く光りはじめた。キルリアの生涯で二度目の、進化の兆し。
 しかし前回とは少し感触に違っている。姿が変わる進行をりきんで食い止めながら、理由を半信半疑で訴えた。

(まさか……選べる気がします。でも、どうして?)

 視認できない――『目覚め石』。
 ポケモンが自己に役立つ物質と電気的に融和した状態、すなわち電子世界でデータ状態時に結合したアイテムは『持ち物』と呼ばれる。キズミに言わせれば、アイラがクラウの隠しごとを見破るヒントはあり余っていた。こっぴどく殴りつけてサーナイトへの進化を止めたことがある。ヌオー=留紺とのバトルでは、惜しげもなく炎のパンチの完成を披露したらしい。例の迷惑なドンカラスは、ヤミカラス時代の持ち物だった『闇の石』が偶然の進化を引き起こし、特性『自信過剰』となったせいでバトルネーソスを逃げだした。あの騒動からひらめいた彼女が大事なアシスタントに内緒で、お守り同然に持たせていたとすれば辻褄が合う。
「打ち明けてくれるんを、ずっと待っとったんやろ」
 それが間に合わなかった場合を考えて、そなえておいてくれたのだろう。
(そ、そんな……だったらなおさら、進化できません。アイラさんの立ち合いがなくては!)
 接近を、悟らせなかった。
 獲物の気の乱れを好機とみたアーボックが突如、牙をむいた。
 丸飲みの一撃はかわしたが、尾がキルリアの華奢な腰に巻き付いた。脱兎の勢いでさらって行く。
 毒蛇を追おうとしたキズミだが、立ち上がった瞬間に激痛が襲う。両肩を串刺しにされ、磔にされた壁から身動きがとれない。禍々しい杭状の霊気の出どころは、宙にたたずむムウマージの双眸だった。弱り目に『たたり目』。気に入った玩具をもてあそぶ前触れのように、嗜虐趣味な舌なめずりをしている。次から次へと、厄日だ。自力で打開できれば最良だが、あいにくトランツェンをミナトに預けてしまっている。
 このままここで、終われない。
 絶体絶命の刹那、つばの広い三角帽子を被ったような魔女霊の首が吹っ飛んだ。
 飛行速度に物をいわせて切り捨てたのは、片割れのニダンギルとその使い手。
 低空を翔るフライゴンに尻尾ですくい上げられ、背に乗せられた振動がキズミに再発した『シンクロ』性の頭痛に響く。
 悲願だった彼女らとの再会にふさわしいどんな第一声も、前列に座る女騎士こと上司の衣装替えに優先されなかった。
「変な格好!」
「失礼ね、レスカ君!」
 そんじょそこらのぴっちぴちなライダースーツと一緒にしないでほしい。オーダーメイドで値の張るブランド品でもある、れっきとしたドラゴン使い御用達のボディスーツだ。国際警察から転向したスカイバトルのコーチに、形から入りなさい、と言われたので実行しただけのこと。あとはマントがあれば伝統衣装の完成だけれども、予算オーバーで諦めた話はしないでおく。
(キズミ様! お、お怪我を……)
 傷のなさそうな部分を選んでシャツにすがりつきながら、ラルトスがテレパシーを震わせた。
 もっぱらの犯人はミナトだ。一番でかい顔の傷は自分でつけた。などと、口が裂けてもキズミは言えない。
「ミナト君といい、誰にやられたの? 私の分まで怒っていいわよ、ウルスラ!」
 でもまずは、このデッドヒートを制してからだ。
 まるで細かく引き裂かれた黒いゴミ袋片のハリケーン。原型を失ったムウマージに執拗に追尾されている。
 フライゴンは上へ下への乱高下、トンネルのように広い通路を余す所なく使ったアクロバット飛行で翻弄した。
 しかし、もう一息のところで振りきれない。追っ手の量は膨大。下手な鉄砲も数を打てば当たる。魔の手が迫る。
 キズミと目が合ったウルスラは跳びあがって背を向け、抱きついたアイラの腰に顔をうずめた。
(こ、攻撃命令は聞けません! わ、わたくし、反抗期でございます!)
 本気も本気、大本気でそう言っているのだ。とうとうこの時が、来たか。震えながらもきっぱりと向けられた頑固な後ろ姿は、てこでも動きそうにない。今まで尽くしてくれたアシスタントの決断を踏みにじり、無理強いをする気には到底なれない。ならば別の手を打とう。一人分、重量が減ればライキの機動力が上がるのではないか。
 ふらつく頭を考えがよぎったキズミの、不安定に浮きかけた手を、振り返えらずにアイラが握って抑え込んだ。
「ここにいて! もう二度と、あなたを置いていくような真似させないで!」
 そんな言葉、身に余るだけで髪を掻きむしりたいくらい余計に苦しい。
 ほんなら俺は、なんもせえへんと指くわえて見とけっちゅうんですか!
 押し殺した心の叫びか、風鳴りにかき消された悲壮な呻きか。
 つながった二人の手が離れないように、ウルスラも上から覆いかぶさった。

「龍星群!」

 勇ましい女騎士の号令が解きはなつ、ドラゴンの奥義。
 進行方向に向かい、口腔に集めた破壊の力が隕石化されて打ち出された。一発の岩弾は分散し、無数の断片が向かい風に乗って息の長い金色の花火のごとく降りそそぐ。竜の筋力と虫の敏捷性。すぐれた視力で安全な航路を見きわめ、翼の折り畳みや身のひねりを駆使してかいくぐるフライゴン=ライキ。乗り手は阿吽の呼吸で最高のパフォーマンスを引き出し、皆で弾幕を火傷ひとつ負わず切り抜けた。
 指折り数える暇もなく、後続のムウマージの体片が被弾し、強烈な光と爆音と熱波が背後から押し寄せた。
「無茶を! ……随分、腕が上がったようですが」 
 ぼそりと付け足したつぶやきは、別に届かなくていい。
 キズミの思惑に反して、早い応答があった。
「あなたにみ、」
 認められたくて。じゃなかった。
「……見返したくて!」
 角度でアイラの顔は見えないものの、得意げにきらきらしたほほえみを漏らさないよう我慢している気配がする。元々彼女は才能豊かで、技術も申し分なかった。それとは別に、傍目には発展の余地があったのも事実だった。うまい伝え方が分からず、嫌みな言い方で焚きつけたのを真に受けて、むきになって特訓したのかと思うと、少し複雑だ。

(危ない! 来ないでください!)

 聞きなれたテレパシーが、アイラの脳裏に焼きつく。はるか前方に見えた戦跡と合致した。
 手負いのガブリアスが、クラウを壁際に追い詰めていた。足元には横たわるアーボック。血だまりが出来ている。気絶している。もとはガブリアスは味方だった。連れ去られて喰われる寸前だったキルリアの救出に成功したのだが、死闘でのっぴきならず発動した『逆鱗』による混乱で見境をなくし、暴れ出してしまった。恩をあだで返せないと必死で逃げ回っていたが、進化を抑えながら攻撃の流れ弾に耐える体力は、もう限界だ。
 ガブリアスは刺激に過敏になっており、近づいていく羽音を聞きつけるなり新手の敵とみなした。フライゴンの行く手を、床、天井、壁の八方から隆起した『岩石封じ』が無慈悲に阻む。進退がきわまった。キズミは隙間に挑んだが、小さすぎて通り抜けられない。今すぐ突き崩そうにも、これだけ狭く皆が押し込まれていてはライキの大技は危険で使えない。。
 アイラはまぶたを閉じた。これが最後の『シンクロ』に、なるかもしれない。
 
 少し早いけど、“おめでとう”。
 
 祈るような祝福が、絆をつうじてクラウの心を満たしたとき。
 目も眩むほど、全身の光が強くなった。腕と足がすらりと伸び、頭身が高くなっていく。頭部を縦断する雄々しい角をさずかった。ガブリアスの錯乱状態に拍車がかかり、腕の三角ヒレを振り下ろした。切れ味抜群の一閃を、すばやく伸びた肘の刃がはじき返す。壁を足場に跳びあがり、サマーソルトで上空の死角を取る。色とりどりの『マジカルリーフ』が取り巻き補強された腕は、緑光まばゆい『リーフブレード』の大太刀へと変貌を遂げた。
 御免!
 礼儀を胸に念じての、急所必中。そして真っ白な二脚を下にして、柔らかく着地する。
 一瞬、快眠に落ちる前の安堵のような表情を浮かべ、意識を手放した陸鮫の巨躯が地響きを立てて伏した。
 
 かっこいいですわね、エルレイドのクラウさん。
 力も、涙も、未来も。心残りはすべて彼に託す。キズミに見守られながら、ウルスラは球の内側に身を引いた。

レイコ ( 2016/10/15(土) 17:08 )