-5- 激突
あの男は人生を壊す毒物だ。そんなものを父親と思いたくない。
ハイフェン・レストロイを討つ邪魔をする者は誰であろうが、容赦しない。
たとえ、無二の親友だろうと。
ミナトから仕掛けた。
激突。
霊剣と交わった瞬間、特殊警棒を握るキズミの腕に鳥肌が立った。
ミナトの強さは、よく知っている。
後ろによろめいたキズミは踏みとどまり、臆さず挑みかかっていく。
器用貧乏なキズミは、天才肌であるミナトの器用さを妬んだことはない。すごい奴だと純粋に競争心を高めて、これまで努力目標につなげてきた。ミナトには愛される才能がある。刑事の本分は平和への奉仕。一緒にいるだけで周りの心を明るくさせる男はまさに名刑事だ。そんな男に親殺しをさせたくない。親がいる、生きている、それだけで将来和解できる可能性はいくらでも残る。殺してしまってからでは、どれほど後悔しても手遅れだ。
「ヒトツキ! お前はそれでいいのか!?」
押し合う。打ち合う。弾く音。受け止める音。
空振りの風切り音。浅く、深く、鈍く、鋭く。音。音。音。音。
「無駄だ。イチルはオレの立場を理解してる。てめえより!」
怒鳴るミナト。
唱えるキズミ。
「イチル……名はイチルか、聴いてくれイチル!」
斬撃の合間に、流れるようにミナトが拳や蹴りを織り交ぜてくる。
キズミの警棒による防御をくぐり抜けた打撃を、何発か、貰った。
「レストロイ卿を討ち損じたら! ミナトは次、幽閉で済むのか!?」
霊剣の身震いが柄を握るミナトへ伝わった。
ミナトの注意がわずかに逸れた瞬間、キズミが胸倉をつかんだ。
背負い投げ。
鏡張りの床に叩きつけられるミナト。その手に握られた抜き身の剣が鏡を砕き割った。きらびやかな狂騒が巻き上がった。まるで量産された細切れの水面のように、大小の欠片が、割れ目から出現した下層の鏡の上に散乱した。
切れ味鋭い流血の罠の数の分だけ、まともな足の踏み場が狭まった。裸足のミナトが剣を床に突き刺し、鍔を踏み台にする。跳びかかりざまにキズミのみぞおちに拳を叩き込んだ。頬も殴り飛ばした。重心高めの蹴り主体を好むキズミのリーチは、殴り合いの近接戦が得意なミナトのスピードにくじかれやすい。タックルされたキズミが仰向けに倒れる。背中の下は運よく鏡の欠片が落ちていなかった。
手首をひねりあげ、キズミから特殊警棒を取り落とさせた。手足の骨を折ってキズミを動けなくさせて、カタをつけようとした。馬乗りになり、青い炎のような瞳の色を見下ろした途端に、ミナトの気が変わる。なんだその目は。野郎、ボコボコにしてやる。くだらねえ正義感を振りかざしやがって。何も知らねえくせに出しゃばるな。そう表情に激情をにじませながら、上から殴りつけた。その両腕のガードをさっさとどけろ。絶対に顔をぶっ飛ばしてやる。痣だらけにしてやる。不細工な腫れっ面にしてやる。
無意識に打った脇の甘いパンチを、キズミに見切られた。
反撃の拳底。
ミナトは半身をそらし、その隙をつかれて下から突き飛ばされた。先を争って立ち上がった。殴る蹴るの応酬。素足で破片を踏まないようにして距離を取った。結構入ったはずなんだがな、とミナトは自分より多く傷ついているキズミを睨み据える。相変わらず打たれ強さだけは大したものだった。
「来い、イチル。ケリつけるぞ」
「殺し以外の方法があるはずや、頼む! イチル!」
沈黙していた剣の単眼が見開いた。
生みの親に雪辱を果たさせたい。
生みの親を危険に晒したくない。
まばゆい剣光を空間全域の鏡が照り返した。
真っ二つの葛藤が鋼の身を均等に引き裂き、双剣へ姿と性能が変わる。
第二形態の進化名は、ニダンギル。
飛び立った片方は迷わず主人をめざした。
もう片方も飛び立った。しかし行先は、主人ではない。
片割れの剣は、飾り布をキズミの腕に巻き付けて滋養を吸い始める。
こうでもして剣力を補強せねば、真の主人側についた双子に歯が立たない。
「恩に着る。今だけ、相棒にならせてもらう」
キズミが鞘から引き抜く。精悍な構えが、得物の威容を引き立たせた。
勃発する、鍔競り合い。
「剣術で一回もオレに勝ったことねえ分際で!」
揺るぎないミナトの剣圧。
キズミは押し負けた。金髪を振って吹き飛び、背中から鏡張りの壁面に叩きつけられる。抜き身が来る。七時方向からの斬り上げで、霊剣の片割れをはじき飛ばされそうになった。ミナトの太刀筋には躊躇がない。斬り下げを防ぐ。掠った。右薙ぎ、なんとか払いのける。刺突、打ち返す。防戦一方だ。袈裟斬り、受け流す。左切り上げ、かわす。反撃の隙を見いだせない。眉間をめがけた『峰打ち』をいなし、受け身をとって壁際から転がり出た。劣勢がつづく。
「この一回に勝てたらあと一生、負けでええわ!」
布のハンディも、不利な長期戦化も、諦めていい理由にはならない。ニダンギル同士の波長はつながっている。ミナト達の動きを読める相棒のリードに、キズミは長年『シンクロ』のために鍛えた同調力を駆使して息を合わせた。
激しく、斬り結ぶ。
ひっきりなしに鳴り響く、金属音。
「粋がるな、キズミ!」
ミナトは業を煮やした。立っているのもやっとなくせに。見違えるように、剣さばきがこなれていきやがる。決着なら、柄の霊布に取り憑かれた時点でついている。キズミがここまで食らいついてくる理由は、金城湊の復讐を止めるためだ。父親を殺せば、いつか必ず実の息子として後悔する日がくると妄信しているからだ。
くそったれめ。
「孤児が、肉親に、夢見てんじゃねえ! オヤジがどういうクズか、教えてやる。言うこと聞かねえと仲間を殺す、とか脅してきやがった。てめえもその中に入ってるんだぞ。これでもまだ、オレを止めてえのかよ!」
渾身の『連続斬り』を見舞うニダンギルの片割れと、必死で受け流す片割れの、兄弟愛を越えるミナトへの忠義心は鍔の単眼にみなぎり、拮抗していた。死角からの『影打ち』。キズミの脇腹が貫かれた。外傷はないが痛覚に効いた。ガードの揺らぎをのがさずミナトに、胸を足蹴にされた。数歩下がり、そのままがくんと膝をつく。剣を杖代わりにしても、立ち上がれなかった。肉体が疲弊し、鉛のように重い。いつからだったのか、肩で息をしていた。気遣われるように霊布が腕からほどかれた。まだ負けていない。キズミは歯を食いしばる。
「ハア……生かして、逮捕したらええやろが」
「簡単に言うな。あいつ、どんな報復しでかすか分からねえから、今まで誰も……!」
「ハア、それでも刑事か、ミナト。ハア……」
キズミは鏡の破片を拾う。
そこに、見納めになる己の一部を映した。養父と仲直りできなかった少年の目元。遺伝子ホストの享年と同じ歳の、同じ形の青い色。苦しみの尺度は人それぞれだ。不幸比べをする気はない。ミナトの復讐心に共感できないように、今からやることを、ミナトから共感される必要はない。
「人質一人減らしたるわ。命どっちか選ぶんやったら、俺は親父さんがええ」
「よせ!」
手に持つ破片がキズミの喉に向かい、ミナトが腕を引き止めた。
どこに隠していたのかと思うような馬鹿力で、掴んだ腕が抗ってくる。
切り裂く寸前のキズミの頸動脈から、破片を強引に引き離そうとする。
「馬鹿なマネすんな!」
主人に加勢しようとした剣の前に、もう片方の剣が立ちふさがった。
「安いもんや! これで俺達警察の神髄、思い出してくれ!」
「お前に死んでほしくねえ!」
心から出たミナトの絶叫。
その一瞬、こんな時だというのに、キズミはじんときた。
奪い合う凶器の進路が狂い、キズミの右頬をずるりと削ぎ落とした。
溢れ、滴った鮮血で、襟周りのよれたシャツが汚れていく。本人はまだ痛みを感じていない。生命の危機感に訴える警戒色の赤が、ミナトに緊急の力を上乗せさせた。怪我人の腹に膝蹴りを食らわせ、腕の関節を極める。手から叩き落とした破片を遠くへ蹴り飛ばし、うつ伏せに倒した背中に乗り押さえた。
二人分の荒れた息遣い。
制圧後の膠着状態は肩が上下する以外、びくともしなかった。そのあいだにも、傷口から真っ赤な流れが床にこぼれていく。一滴残らず流れ切ってしまうイメージが頭から離れない。鋭かった雄獅子の牙が子猫の前歯になっていくかのように、ミナトのなかで猛りが落ち着いていった。
「別に、クソ当主と今日ケジメつけなくてもいいよな。どっちかってえと今日は……ウルスラ救出日和だ」
決して空耳ではない。
キズミは抵抗をやめた。自由の身にされ、無言で向き直る。ミナトはそう宣言したものの、整理のつかなさそうな表情で、藍色の眼をそらしている。もう争わなくていいという実感がぐずぐずとして湧いてこない。すっきりしない。
部屋の隅でキルリア=クラウが、流血沙汰をおろおろ見回した。