NEAR◆◇MISS















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第七章
-4- 鏡の向こう
 ふたりだけで、危険地帯におもむかせてしまった。アイラ・ロングロードとラルトス=ウルスの抜けた空き場所が、こちらを睨み返してくるみたいだ。得体を知り尽している感情が、キズミの胸に突き上げてくる。終わったことを振り返らない――気絶する直前に立てた誓いを、よく思い出せ。瞬間、精神をつらぬく最後の砦にひび割れが。上下で押し潰し合った奥歯は数年分先まで摩耗した。性懲りもなく繰り返すのか。それは絶対に断る。最愛の家族を失い、かけがえのない愛犬のすこやかさを奪われた過去に向かって自問自答が荒れ狂った。
 彼女を放っておけない。
 ふらつく身体に鞭打って立ち上がる。
 キルリア=クラウがあわてて正面に回った。
(追いついても、また倒れるかもしれないんですよ! ウルスラさんが悲しみます!)
 ただの正論で終わらせない。赤白黒を原色にする意志の強いまなざしが渡り合う。キズミの駆られた衝動と。
(すみません、偉そうなことを言って。ですが、信じてあげてください……アイラさんのこと)
 信じる、か。
 できるかぎり冷静な心の声を選んで、その願いを反芻する。苦い澱がそっと下りていくようだった。大人げなかった、と反省感をこめた目もとのやわらぎをクラウに送る。つづいて貫禄ある口調で、鮫龍の気分を初対面でも従いたくなるようにぴりっとさせた。
「手分けしてミナトを捜す。先に行ったふたりの援護を、頼めるか」
 両腕のひれを振り上げるガブリアス。生家を出る前のミナトに仕えていたらしい。フカマル時代は遊び相手であったとか。
 ネイティはほくそ笑みを押し殺したままだった。なんと騙しやすいキルリアだろう。氷の鳥籠からの脱出劇が、作り話だとも知らずに。しかし、金城湊の息がかかったキズミ・パーム・レスカを甘く見られない。ハイフェンと交わした取り引きは内密に。最終目的をなし遂げるまで、刑事の彗眼は願い下げだ。

◆◇

 奇怪な回廊に翻弄されながら、アイラたちはまだ見ぬミナトの姿を追い求めていた。
 ラルトス=ウルスラはほぼ密着の距離で、追従している。
 キズミは身を挺して、アイラをかばった。認めるのは、つらい。
 つらさに堪えて、彼の願いを引き継がなくてはならない。
 アシスタントの宿命とは、そういうものだ。

 宿命と引き換えに、大切な人からの信頼を一身に受けられる。
 痛いほど、ウルスラから伝わってくる。アイラは気づかないふりをしていた。
 
 殺気。頭上からだ。
 息をそろえて、飛びのいた。
 丸飲み攻撃をはずした鋭利な牙とひと続きに、丸太のように長太い図体が真っさかさまに落ちてきた。むっちりとした着地の振動。艶っぽい紫色の鱗。広げた頚部には恐ろしげな人面模様。威嚇のシンボルだ。強い筋力で腹板を波打たせ、まっすぐに迫りくる。
 白っぽい口腔をむき出した――アーボック。異常なほど敏捷性が高い。
 フライゴン=ライキが翼をはためかせようとした、直前。
 血に飢えた毒蛇を後ろから、振袖のようにひれの長い腕が羽交い絞めにした。突起の多い紺色のシルエット。ガブリアスだ。乱入に、誰もが唖然とする。のたうち、ぶつかる、怪物同士が生き残りを賭けた音という音がとどろく。ねじ伏せ合いにもつれ込むと、息を切らせたガブリアスはアイラたちに向かい、黄の虹彩をまたたかせた。
 「地面」と「龍」のよしみで、フライゴンは味方だと直感する。
 軽くアイラの肩に頭突きした。ここは任せて、先へ進むように。
 うながされるまま、アイラは先頭を走った。
 曲がり角をまがって転がりでたのはまたしても似て否なる、別の回廊。
 天井には、うす青い玉房がぎっしりとぶら下がっている。
 すでに靴音が広がった。
 就寝中の彼らには、特大の警報のごとく聞こえたらしい。ハート型の孔で吸いついていたコロモリたちが、鼻を離す。一斉にはばたいた。すさまじい羽音だ。群れの統制をとるために高周波の音波を放った、あの一匹だけの進化系が司令塔のようだ。
 一糸乱れぬ、『風おこし』。
 フライゴンが防風壁を担い、アイラとウルスラが背後から補強する。
 正面突破するには、数が多すぎる。戦闘をさける方法を、考えるのだ。相手はエスパーと飛行タイプ。特性は単純、鈍感、そして天然。ところで深い愛情を受けて進化するポケモンを、すさんだ心の持ち主とよべるだろうか。打点を見つけ、アイラが口をひらく。
「力を貸して、ウルスラ。あのココロモリと、『シンクロ』を」
 シンクロと聞いて、ウルスラの顔がこわばった。
「聞きたくない言葉よね。でもあなたにしか、できないことなの」
 他者の心に寄り添い、直接想いを分かち合える。
 そんな素晴らしい能力に、どうか自信をもって。あなたの美点を否定しないで。
 アイラの一途さを赤い角がキャッチして、ウルスラの全身がほのかに熱くなる。
 わたくしの取り柄。キズミ様が育ててくれた――
 今、恐怖に負けてはいけない。ウルスラは頷くと、精神を集中させた。
 『単純』なココロモリの目尻から、徐々に角が取れてゆく。
 平和が戻ると、思った。
 引き裂くように一発の縦揺れが起き、絡み合った大蛇と陸鮫が転がり出てきた。
 目つきが逆戻りするココロモリ。風速が跳ね上がる。
 全員、巻き込まれた。
 転回する。危ない。ウルスラの体が、壁の姿見に。ぶつかる。
 衝突の瞬間、鏡面が波紋をつくった。ウルスラが、鏡の中に消えてしまった。
 まさか。ひとりにできない。強引に腕を伸ばしたアイラも、吸い込まれた。
 

 ミナト自らの手で縁を切らせ、迎えにきた仲間を立ち退かせる。
 手前勝手な策略もここまでくると、すがすがしい。
 言い出しっぺの麹塵は現当主をうまく出し抜いたつもりらしいが、片腹痛い。口では忠誠を誓いながら、その子息を利用する気だ。敵将を討ち取る機会とそそのかすのは、朝飯前だろう。そろいもそろって血の気が多く、学習能力がない。どこで何をしていようと攻め込んでくるのだから、寝室でごろごろしていればよい。のこのこ参上したその時に、牢へ逆戻りさせてやろう。
 心ここにあらずという有様で、ハイフェン・レストロイは唇を重ねている。
 のしかかっている紫色の魔女霊は、焦らし上手が気に入らない。長年召し抱えられているのだから、せめて一度くらい。本気で、寄り集まった前世の魂をなぐさめてもらいたい。亡妻の幻を見せる呪文もあるけれど、それだけは女のプライドが許さないわね。
 
 一枚の鏡が外部とつながり、波紋を立てた。排出される人影。
 寝台の天蓋を真上から突き破ると、霊体のムウマージをすり抜けて、止まった。
 高所から運よく、分厚いマットレスに背中から落ちてきたのは、若い娘。
 アイラだった。
 ここがどこだか知らないが、下が柔らかくて助かった。
 仰向けの安楽もつかの間、抱きかかえているウルスラの驚いた表情につられ、あごを上げて視線を倒すと。
 枕側に追いやられ、あぐらをかいたハイフェン・レストロイ卿と、ぴったり焦点が重なった。
「斬新なハニートラップだな、お嬢さん方!」
 男は一人、腹をかかえて大いに笑った。


◆◇

 
 麹塵の荒業で鏡の反対側に放り出され、ようやく対面できたと思えば、この落差か。数日前と、同じ男だと感じられない。クラウには悪いことをした。探し人だと認められず、すっかり上の空だ。あふれんばかりの「光」を売りにしていた親友像を、キズミもつぶさに思い出せる。受け止め方の明暗を分けたのは、その光に隠れがちな「影」に接した量。長い付き合いだ。心の準備はできていた。
 
「何しに来た」

 獄中のミナトは眼光鋭く、一言だけ吐き捨てた。
 長ったらしい皮肉を聞かせてやってもいいが、胸中で間に合ってる。
 ざまはねえ。いい見世物だろ。なんたってオレは、メタモンの血を引く――異形だからな。

レイコ ( 2016/04/18(月) 22:05 )