NEAR◆◇MISS















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第七章
-4- 鏡の向こう
 謎多き古代王国は滅亡した。現在においては、考古学者の頭を悩ます碑文と海底遺跡が残るのみ。門外不出の口伝によれば、祖先は王家の墓所を番する墓守の一族であった。一族は地位を守るため、優れた霊能者を代々輩出するべく、調和の現人神たる当代の王のみが持つ婚姻特権を侵していた。

 魔獣と契り、子を成していたのだ。

 禁忌を侵し、王家を裏で冒涜し続けた一族は発覚直後から国を追われた。
 落ちのびた一族の血と契りの儀は、亡国と運命を共にすることなかった。
 その末裔の本家が――絶大な霊能力を誇るレストロイ家である。

 ハイフェン・レストロイに絵本を読み聞かせてもらったことはない。
 親が幼児へ唯一語った祖先の歴史を、ミナトは忘れようにも忘れられない。

 この城で暮らした幼少期は、ドブに捨てたも同じ時間だ。ミナトはそう烙印を押している。物心ついた頃に父ハイフェンに命じられ、夜な夜な携帯獣のタマゴを剣で砕いた。殻の内側しか知らない未成熟な魂を祭具に吸わせ、付喪神ヒトツキを生み出し、守護霊としてかしずかせるための儀式だった。ネイティ=麹塵にそそのかされてタマゴからポッチャマを孵してみるまで、温かい命について考えたこともなかった。殺生とは取り返しがつかないことなのだと、教えられたことはなかった。このまま何も学ばなければ、何も自分で選べないままだという恐怖に気づかされた。身の回りの世話は、乳母のメロエッタや他のゴーストのしもべ達に任せきり。守護霊を完成させた後は父と顔を会わせることもなくなった。けっして子ども部屋の外へ出すなとメロエッタ達に言いつけた父を、次第に憎むようになっていった。
 父から育児を放棄されつづけたある日、武者修行に出すと言われた。年端もいかないミナトは国際警察へ放りこまれた。とうとう捨てられたのだろう。ミナトの憎しみは増していった。何らかの霊障で過去の記憶が欠落していた従者ネイティは、城を離れてからは文字通り、羽を伸ばした。ネイティが取り戻した幾つもの秘密の記憶が、幼いミナトに言いもたらされた。

 モンスターボールによる束縛は奴隷化と密接であるがゆえに、人間と携帯獣の交配は世界的に禁じられている。。レストロイ家の伝統を嗅ぎつけ、罪に問おうとした者はその身内もろとも歴代の当主に呪い殺された。
 かの国際警察でさえ、レストロイ家の捜査を無期限に凍結した。
 レストロイ家の自衛は盤石であったが、血脈は先細りであった。
 十月十日の『変身』を保った母体は役目を終えると、力尽きる。生まれた赤子は遺伝子上、純血の人間と相違点がない。ミナトの前に二人いた腹違いの兄はどちらも不全であり、生後数日と持たなかった。
 異端児ハイフェン・レストロイは失敗つづきの世継ぎ作りに愛想を尽かした。
 自由を求め、生家である古城から出奔した。
 放浪先で人間の女をたぶらかし、子をもうけた。逃亡生活は数年に及んだが、やがて親子は一族の追手に捕らわれた。女は処刑され、後継者候補にせざるをえない物心がつく前の一人息子は助命された。ハイフェンは大人しく連れ戻されたと装い、古城に隠遁する血縁者を皆殺しにした。その後は父子で引きこもり、人外の類に身の回りの世話をさせるようになった。

 みじめに生涯をもてあそばれて、母親は死んだのだ。
 あのクズ野郎は、いつか息子に殺されても文句を言えない。

 ミナトがそうした牙を研いで長持ちさせるのは案外、容易ではなかった。国際警察の訓練生活は過酷であった。だが目に見えて実力がつく日々は悪くなかった。むかつく金髪のルームメイトは実際にはいい奴で、無二の親友になれた。真面目な犬をからかうイタズラ猫のような気分で面白かった。馬鹿正直に死に急ぐ親友を見ていると、悔しいくらい反面教師だと思った。人生を楽しまないのは損だ。自分をすり減らしてまで憎悪に固執するのも馬鹿らしい、と、考え方が変わっていった。

 家がどうとか親がどうとか、しがらみなく、未来を見ていたかった。
 でも、甘かった。 

 何年経とうがクズはしぶとくクズ当主だった。子どもを勝手に捨てておきながら今度は無理やり手中に戻そうとする。やり方が汚い。くだらない虐待には屈してたまるか。いざとなれば正当防衛で分からせてやる。ついでに母親の仇を討ってやる。その覚悟で十年ぶりに敵城に乗り込んだ。
 幽閉生活に逆戻りしろと宣告され、さもないとお前の仲間を殺すと脅された。
 まったく話にならず逆上して、多勢に無勢で、このざまだ。
 挙句の果てに。
 呑気に寝ているキズミを、鏡の向こうから送り込まれてきた。
 傑作だ。ミナトはひとしきり、悔し笑いを漏らした。こいつのことだ。助けに来やがったのだ。鎖が邪魔で、顔面を殴れない。大声で叩き起こすしかなかった。心の中で盛大に毒づいた。ここに来たのは間違いだと後悔させてやる。いい晒し者だろうよ。
 なんたってオレは人道もクソもない、メタモンの血を引く異形なんだからな。
「キズミ! てめえ、いい加減起きろ!」

「ミナト……」
 目覚めて、こちらを見据えた碧眼はやけに腹をくくっている。


◆◇


 氷の鳥籠ごと氷漬けのオブジェと化しているネイティ=麹塵が、しぶとい生命力でもごもごと、テレパシーで何か言っている。しかし聞き取れない。天蓋付きベッドの足側の端にいるラルトスから見て、向かって右にご満悦なユキメノコ。左には、独占欲丸出しでふくれ面なムウマージ。真ん中にはどっさりある枕を背もたれにしたハイフェン・レストロイが足を投げ出した姿勢で、両方の肩を抱いていた。ガウンが四分の三は脱げていており、痩せたしなやかな褐色肌に、下ろした長い髪がすべすべの蔦のように絡んでいた。
「君にも、このハーレムのよさが分かってほしいんだがな」
(お断りしますわ)
「そう結論を焦らずに」
 レストロイ卿は笑みを絶やさない。
「ただしガキは諦めてくれ。養子も却下。子育てはめんどくせえからな」
 言い方があっけらかんとしていた。
 ウルスラは戸惑った。子を持つ親の発言とは思えなかった。 
(あの方を……ミナト様を、愛しておられませんの?)
「愛もなにも、興味がない。子どもを欲しがったのは死んだ妻だ」
 パン! と陽気に膝を打つ。
「すっげえ霊力の強い東洋人で、いい女だった! 名は金城雨音といってな。オレはそれまで敵を痛めつけるのが楽しいと思ってたんだが、相手によっちゃ自分が痛めつけられるほうが楽しいと知ったんだよ、彼女のおかげで。にしても、全然口説き落とせなくて。あれ、なんで最後落とせたんだろ。ん? なんの話だっけ? ははっ」

 笑い方の雰囲気が、息子のミナトによく似ている。

「死なせるのも妻に悪ぃんで、乳母をつけてやったし、のびのび育つようたっぷり放任してやった。最低限は身を守れるように、守護霊の作り方も伝授してやったぞ? あの忘れ形見め……今じゃすっかり逆恨みされちまって、オレは自分が可哀想だよ。おっと、ナンパ中に昔話はご法度か」

 卑下が、ウルスラの胸に広がった。正論を言い返したとして、経験の浅い小娘になんの説得力があるのか。考え方があまりにも異なる。ミナトの父は、欲しいものはなんでも手に入れてきたに違いない。心のあり方が残酷なまでに野放しだ。まるで王様だ。彼が愛しているのは亡くなった奥方であって、子息ではない。そこに悪気は微塵もない。
 血のつながり以外の絆を持てなかったミナトは、父親嫌いにならざるをえなかったのだろう。笑顔が似合うあのミナトは、キズミ達と出会う前の生い立ちを語ろうとしなかった。また今度な、と適当にはぐらかしていた。この父親にして、どんなに孤独な幼少時代を味わっただろう。

「ははーん。さてはお嬢ちゃん、子持ちの年上男はタイプじゃねえな?」
(そ……そういう問題ではないですわ)
「オレは種族も法律も気にしない。君が片想いしてる人間とは違う」

 ウルスラはぎくりとした。

「君がこっぴどく傷つく前に、助けてあげたいだけなんだがな」

 痛いところを突かれて、気持ちがおそろしい速さで収縮していく。彼の言葉には、嘘偽りがない。あの切れ長な青緑色の瞳に、何もかも見透かされているらしい。ウルスラの周りにいる者たちは優しく、厳しい現実にウルスラを無理やり向き合わせるような暴挙に出なかった。皆の配慮でぬるま湯に浸からせてもらえていた。けれども己の内側は、後戻りできなくなればなるほど、己に対して針のむしろだった。自分は、国際警察官にとっての、ただのアシスタントだ。ただ一人の特別な異性へと向ける、めらめらと燃えて輝くこの想いが実るはずがない。 

 レストロイ卿はふうむとあごを撫で、パチンと指を鳴らした。
「イチリー、着替え持ってこーい」
 フワンテと白服が一式、ずるん、と壁にかけられた姿見から登場した。
 壁を透過するより奇抜な移動だ。萎縮していた乙女心が驚きで浮上させられた。
(まーたそんな格好なさって、風邪ひきますよ。乳母殿はどちらへ?)
 流暢なテレパシー。
 聞き耳を立てながら、ウルスラはじりじりと身構える。
「そりゃあ、行き先は一つだろ」
 青緑色の流し目が、ウルスラを見据えてにっとした。  
「まだ時間稼ぎを続けるかい、小さなハニートラッパー君」


◆◇


 映り込みが無限に続く、出入口のない鏡張り。照明具もないのにくまなく明るい。頭から爪先まで、見渡す限りの幾何学が支配する密室だ。まさに二人は、万華鏡の筒の一端を転がるオブジェクトと化している。電脳世界に迷い込んだかのような視覚の処理力が追いつかない空間に、気を狂わせられるまでに長い時間はかからないと本能的に察知させられる。

「寄るな!」

 壁に磔にされているミナトの怒声に、キズミはぐっと立ち止まった。
 しかし。
「ウルスラを奪われた。言い争っている暇はない」
 キズミはミナトの枷を外そうと右手首を調べた。親指の関節を外して抜くのは見込みがない。ミナトの両腕を左右に広げさせている鎖は二本とも透き通り、鏡の壁面とつながっている。見た目と手触りはアクリルガラスに似ているが、どうやら別物だ。足首につけられている重りも同じ成分だろう。
 
「なんだよそれ。オレのせいだと言いてえのか?」

 刺々しいミナトへ、「いや、」と返事を一旦止める。透明な鎖を引き千切ろうと試みて、無駄に揺らしただけだった。ガチャガチャと金属質の音は鳴らず、ガラスの鐘鈴の群れのような澄んだ響きが広がった。こうも聞き心地が良いと逆に悪趣味だ。
 ぽつりと、続きを漏らした。

「俺のせいだ」

「ざけんな、てめえ!」
 弱気を垣間見せた表情に向かって、ミナトは轟きを浴びせた。
「そうやって自分責めて、いっつもそこで終わりじゃねえか! 本気で悪ぃと思うなら変われよ! 昔から気に喰わなかったんだ。自分に価値がねえと思ってるから、自分より弱い奴を助けて、必要とされてえだけだろ。それがてめえの、自己犠牲の正体だ!」 
 激しく腕を揺するほどに、納涼じみた美しい音色が奏でられる。
「てめえの助けなんざ、アテにしてなかった! 助けてもらうほど、オレは弱くも落ちぶれてもねえ。迷惑なんだよ。てめえが死に急ぐせいでどんだけ周りが振り回されてきたか、ウルスラがそうだ、ファーストだってそうだ!」
  
「ああ、そうだ! 俺は俺の命の価値が分からない!」
 叫び返したキズミの瞳は、高温の炎であるかのように青い。
「だがミナト、お前、俺に説教できる立場か!」
 名を列挙された愛犬の幻に、内側から烈火のごとく燃やされている。
 身動きできない黒髪めがけ、松明を叩き込むかのような衝動だった。 
「勝てもしない喧嘩をなぜ売った、いつからそんな無能になり下がった!」

「オレはまだ、クソ当主に負けてねえ!」
 乱暴に吠えたミナトが、何百、何千、と合わせ鏡の領域で同期した。

「言い訳をするな!」
 ぐいと距離を近づけたキズミの像も、無制限に作り出された。
「お前の強さを、俺は……お前だって、俺の信頼を裏切ったんだぞ」

 突然、ミナトに頭突きされた。額にひびが入ったと錯覚する痺れだった。弧に振ったキズミの右拳がミナトの頬に入る。殴り飛ばした横顔はすぐにまた正面を向いた。先に言葉にならない溜め息をついたほうが格下だと目と目で通じ合い、口を引き結んで火花を散らす。

 何かが、キズミの懐で身じろぎした。 
 ジャケットの内ポケットから取り出し、「これは……」と独り言を掛けた。
「ゴージャスボール? いつの間に」
 もしやあのメロエッタの善意からくる細工ではないか、という勘が働く。

「それはオレのだ。そいつなら鎖を切れる。出せ」
 せかすな、と鋭い目つきで逸るミナトに釘を刺してからスイッチを押す。
 黒球から強い光が飛び出し、たちまち一つ眼の刀剣である元の形態を作った。

「やれ、イチル!」
 
 主命に忠実に斬られた。
 透明な枷が、最後の鈴音を立て、霊的に蒸発していった。
 手首をさすりながら、のっそりと立ち上がるミナト。凝った肩を曲げ伸ばししてポキポキ鳴らす。裸足だ。黒いタンプトップにデニム素材のジョガーパンツ。この薄着で帰郷したはずがない。上の服は装備もろともレストロイ卿に没収されたのだろう。ならばガーディ=銀朱たちはどこにいるのか、と心配がキズミの頭をよぎった。ミナトへの注意が泳いだ瞬間、顔面に飛んできたミナトのパンチをぎりぎり手で払い落した。
 今のは当然の攻撃だと主張したそうな不寛容な顔でミナトが言う。
「鎖に縛られた奴のツラ殴るか、普通」
「先に頭突きしたのはお前だ」
 邪見に言い返すキズミ。 
 鞘に戻った霊剣は主人の肩に担がれた。 
「オレは借りを返す。その隙にてめえはウルスラ取り返せ」
 吊りあがった藍色の瞳に本気の憎悪が宿っている。
 
「ここから出る方法を探すのが先だけどな。クソ当主、ぶっ殺してやる」

「それは犯罪者の思考や……ミナト」
 炎の犬の幻がふたたび、ひと回り激しくキズミの中で燃えだした。
 幾度となく自分たちは、一線を越えて引き返せなくなった連中を現場で見てきた。私怨は私怨だ。殺人はどこまでいこうと殺人だ。駄目なものは駄目なのだ。安っぽい道徳心とけなされて構わない。あの夜、自分が無力だったせいでファーストの手を汚させてしまった。
 同じ轍を踏まない。
 外したネクタイをぐしゃりとズボンのポケットに突っ込んだ。
 スーツの上着も脱ぎ、装備類も取り外して下に置く。
 これが今の自分に示せる、ミナトを守る形だ。
 国際警察の象徴である特殊警棒を、握りしめた。
「俺は、お前に殺人なんかさせたない!」
 かけがえない友であるからこそ。伸長させた先端を突きつけた。

レイコ ( 2016/04/18(月) 22:05 )