NEAR◆◇MISS















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第七章
-3- 悪夢
 コピーポケモンの製造技術。
 国際法に違反するテクノロジーを、人間の複製に悪用した犯罪組織が存在した。需要の高い遺伝子ホストの拉致や闇取引が横行し、罪なき民間人が搾取された。コピー元から生み出された“商品”の多くが血塗られた末路を辿った。
 ある若い兄妹は美貌に目を付けられ、親族に売り飛ばされた。虚弱であった兄はまもなく死んだ。兄の体細胞から二種類のコピー胚が製造された。成長促進の改造をほどこされた胚は培養に適さなかったが、無改造の再クローニング用第一世代である一検体は順調に赤ん坊へと発育した。
 幾千の“人命”が金と欲望のために不条理に消費されていく。
 収容所に残された妹はおぞましさに耐えかね、命がけで脱走した。
 実の兄とも甥ともつかない赤ん坊の検体を胸に抱いて。

  
 キズミと名付けて育てられた幼子は偶然生い立ちを知り、激しく動揺した。
 
 ――パームは、ぼくのもとになったヒトのなまえやったんやね。
 生まれた時から自分は偽物だった。実の両親だと思っていた人々に騙されていた。空虚な家族ごっこだった。先生と呼んで懐いていたオルデン・レインウィングスのことも信じられなくなった。何も見たくない。何も聞きたくない。人目が怖くて家から出られない。誰とも話したくない。
 部屋に鍵をかけて、閉じこもるしかなかった。生きていることが気持ち悪い。ひっそりと消えてしまいたかった。こんな望まれないコピーではなく、本物が生き延びていればよかったのに。終わらない絶望を抱えて、眠れない夜を繰り返した。
   
「……」

 あんたのせいよ。オリジナルなんて死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
 叫び声は狂っていた。尖った刃物が振り下ろされる。何度も何度も、とっくに動かなくなった女性の骸に向かって。男性は頸を切られて床に転がっていた。異常な物音がしたのでおそるおそる大人の寝室を見に行くと、こんな事になっていた。むわっと鼻にくる金臭さの元がベッドシーツに飛び散っていた。吐きそうになっていなければ、悪い夢だと思っただろう。
 声を失くして突っ立っていると、気づかれた。
 女だ。返り血にまみれた鬼の形相。一番戦慄させられたのはそこではない。
 痩せこけていたが、瓜二つだった。美しく整っていた育ての母の面差しに。

 奇声をあげて突進してきた。白目を縁いっぱいに剥き出していた。
 足が動かなかった。刺されると思った。後ろから脇を、火のような風が掠めていった。どこから入って来たのか、小汚い子犬が女に踊りかかった。女の細い喉に食らいついた。見るべきではないのに、目が離せなかった。蘇らないとはっきりするまで、見知らぬガーディは噛み千切るのをやめなかった。
 戻ってきた四足の足跡が、足型の血痕だった。そっと熱い舌で頬を舐められて、自分がどんなに放心していたかを知った。もう大丈夫。興奮の引いた黒い瞳が、そう慰めてくれているようだった。毛むくじゃらを抱きしめると、ふさふさとして温かかった。大事に育ててくれた父と母が殺された。この世からいなくなってしまった。もう永久に、仲直りできない。到底気持ちを整理できない惨状の真っただ中で、わっと涙が溢れだした。
  
 ――なんでや。
 このコはワルない。ぼくをまもってくれただけや。
 ――なんでや。
 キケンとちがう。せんせい、しんじて。けいさつのヒトが。
 ――なんでや!
 おねがいやから。なんでもしますから。ぜったい、ころしたらあかん。
 ――このコが、けいさつけんに? ぼくは……

 幼い子どもの証言能力は軽視されやすい。先生だけは信じて疑わないでくれた。行きずりの野良犬の正当防衛を警察に証明するために、奔走してくれた。殺処分が見送られたとしても、保護処分でバトルネーソスに送致されてしまう。ガーディと離れ離れになると思うと、食事も喉を通らない不安感に襲われた。命の恩犬はすっかり心の支えになっていた。刑罰を確実に免れるには、厳しい訓練を受けた国際警察犬とそのパートナーになればいいと先生が奥の手を示してくれた。晴れて、大恩ある子犬にファーストと名付けた。ファーストは家族を失った傷を癒そうとしてくれる、新しい家族になってくれた。
 

 ファーストが走ってくる。懐かしい、ガーディだった頃の姿だ。抱きとめようとすると、大きくジャンプした。頭の上を越えていく。見上げた顔ごとぐるりと体の向きを変えさせられること、百八十度。目で追っているあいだに雄々しいウインディへと変身を遂げて、着地と同時にまた地を蹴った。子犬の駆け足と比べ物にならない脚力で、ぐんと、沈む夕陽のように彼方へ去っていく。待ってくれ。そう叫ぼうとして、なぜかできなかった。
 届くはずのない右腕を伸ばした。
 置き去りにされた手よりも小さくなっていく、広げた指の隙間の後ろ姿。

 すべてが暗転した。

【だが君は、大切なファーストを守れなかった】
 あるサーナイトの念語と寸分たがわない。脳裏に直接響く、優美な男声。

 橙色や黄色が激しく競り合う景色に、切り替わった。
 業火の中だ。まぶしいほどに燃えている。奇妙なことに熱さを感じない。煙で息苦しくもない。誰か倒れている。放っておいたら火の餌食にされる。近づいてみると、目と口をひらいたミナトの体だった。そばにミナトの仲間たちも折り重なっていた。他の屍も横たわっていた。ジョージ・ロング、ウルスラ、クラウ、アイラ。

【コピーとデザイナーベイビーなら、どっちが哀れな作り物かしら】

 目線を上げた向かいに、火が舐めるように衣服を這う金髪の男がいた。
【馬鹿な坊や。どうせ偽物なら、あたしみたいに楽しまなくちゃ】
 己自身と錯覚しそうな整形者との遭遇だった。同じ顔が、唇をひん曲げて邪悪に嗤っている。蛹を破るように湧きだした二足狐のオーラが、本性そのものの実体へなり替わった。緑がかった青玉が尾のように毛先を束ねる、赤毛の大たてがみが満足げに揺れていた。

【レスカ君】
 また暗転した。
 媚びた甘え声で名を呼ばれた。振り返るのは躊躇を通り越し、苦行だった。
 やはり、アイラだ。
 大切な父親の仇を取り逃がした男に見せる表情ではない。反発してばかりいる問題児の部下に向ける表情でもない。どんな怪物とまみえるより、その明るさのほうが委縮させられた。そこだけ大輪の花が咲いているようだった。見ていて切なくなるくらい、綺麗だ。
【あなたを許すわ。もういいの、パパの件は全部!】

 でたらめ言いなや! 俺みたいな出来損ない、あんたが許す訳ない――!



「キズミ! てめえ、いい加減起きろ!」

 閉じ込められていた箱庭の壁が砕かれたみたいに、意識を表に引きずり出された。暗闇からの急展開に五感がすくむ。このくらくらする嫌な感覚は、まぎれもない現実世界だ。キズミはのろのろと上体を起こした。目前に、やかましく騒いで悪夢を途切れさせた外因が、鎖に繋がれていた。あれが休暇前まで、明朗快活に周りを惹きつけていた男か。同一人物の印象は今や、すさみ切っている。長い付き合いだ。そんなことだろうと心の準備をしていた。キズミはその名を口にした。
「ミナト……」  


 藍色の眼光が鋭く、睨み返した。 

レイコ ( 2016/04/09(土) 23:31 )