NEAR◆◇MISS















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第七章
-2- 古城
 弱い日照に気を許したコロモリたちが鳴き交う、濃い霧の中。鬱蒼とした森の奥深くにレストロイの居城はそびえていた。手つかずの自然を砦とする壮観は、霊能界隈きっての有力一族の邸宅にして古き要塞の威厳をうかがわせる。左右に立つ門衛のゴルーグたちが無言の重圧で誰何したその時、堅牢な扉が内部からの念動力によってひらかれた。にわかに脚光を浴びる人ならざる開門者。五線譜に置きかえられる筋入りの萌黄色の髪をもつ音楽の精は喜色をたたえて、突撃訪問を敢行した一行を迎え入れた。
 
 豪奢な謁見の間で待たされる。その寸暇を惜しんで定位置から視界に入る部屋のすみずみまで探索の目を巡らせた。休暇期間を過ぎてなお無断欠勤がつづく金城湊の足取りを追うと、生まれ故郷で途絶えていたのだ。昔から腹を割って話せない家庭事情があるのはお互い様だ。帰省を旅行と見せかける偽の日程を組んで申請した、と事前に聞かされていたキズミは親友の覚悟を墓場まで持っていくつもりでいた。個人の問題は個人の力で解決させてやれば良い。男一匹の尊厳を傷つけてまで首をつっこむべきではない。
 その冷徹ともいえる殻を説得の末にやぶらせたのが、アイラだった。彼らの信頼関係をかえりみたいのは山々でも安否確認は一刻を争う。知っている情報を洗いざらい告白してほしい。「あなたが行かなくても私は行く――」その宣言がどれだけ随行の決め手となるか、彼女は分かっていただろうか。伝わる由もないだろう。
  
 麗しい童女と分けがたい萌黄色の髪をした歌姫――メロエッタは「H」と読めるイニシャルらしきひと文字が書きなぐられたバスケットボールを抱きかかえたまま、温かく来客とみなした彼らのそばを離れずにいた。天井から吊り下がっているシャンデラが内装を不気味に青白く浮かびあがらせており、古めかしい玉座に腰を下ろした城主を虚ろに照らしだす。
 括り位置の低い、無造作にのびた暗緑色の毛髪。両手にはグラスと高級蒸留酒入りボトル。あご髭の手入れは中途半端に行き届かず、浅黒い肌をじかに覆う上質な墨色のナイトガウンとスリッパは一日中着たきりと見える。無気力そうな眉目秀麗の西洋人であり、本来あるべき育ちの良さを崩しつつ全身から自堕落な男の色気を漂わせていた。好かれる相手を選ばないアイドル系のミナトの目鼻立ちとあまり似ていない。不摂生そうであるが実年齢の三十代半ばに輪をかけて若々しく、十七歳の一人息子の兄を偽れる見かけに達している。
 生きた人間の娘に会うのは何年ぶりか。しかも美少女だ。寝酒の功罪というべき眠気が青緑の瞳から吹き飛んだ。
「おおーっ初めましてカワイ子ちゃん! 一緒に飲まねえか!?」
 こういう部分の血は争えないらしい。アイラは表情には出さずにひそかに呆れた。
 
「――つまりオレが、せがれの失踪に一枚かんでると?」
 ハイフェン・レストロイ卿はさも愉快そうにまばらに髭の生えたあごをさすりながら、内容をかいつまんだ。
 ボブカットの栗色髪とグレーのパンツスーツが似合う別嬪刑事。と、お供の金髪男子の人相と自己紹介はすでに頭に叩き込んだ。予告なく現れた来訪者が噂の同僚とは面白い。小童なりに二人ともなかなかいい面構えをしている。一方的に婚約を通告したところで焼け石に水、配下をさし向けて剣戟を強制すれば可愛げのない連勝記録を打ち立てたあの聞かん坊が、トモダチに危害を加えるという脅しにだけは屈して生家に舞い戻ったのだ。この者どもにそれほどの価値があるか、高みの見物ができるまたとない機会である。
「よかろう! 気が済むまで探したまえ。妙な疑いを拭うといい。ただし忠告しておこう。場内は見張り番がうろついている。奴らの所業に責任はもたないぞ。これよりオレは諸君と一切面識がなかったことにする。その意味を心得たかね? ああそれと、我が城を手ぶらで退去したときは……せがれを行方不明者として国際警察の籍から外し、二度と関わらないでもらおうか」
 かいつまむと、ミナトの監禁を自白された。追い返されるどころか、キズミたちは剛毅な挑戦状を叩きつけられたのだ。ここで引き下がれば、好機を永久に失うかもしれない。やむをえず、アイラを筆頭に応じた。
 
 
 燐火をともしつつ、持ち場の壁燭台で寝静まっているヒトモシたち。冷えきった地下回廊の規模はホエルオーの群れが連絡する海底トンネルを彷彿させた。王侯貴族が巨獣を随伴して権威を示した、古代の建築様式と思われる。しかし側壁に取り付けられた姿見は経年が浅く、歴史的均整を欠いていた。
 モンスターボールの外に出た途端、キルリア=クラウとラルトス=ウルスラはぞっと鳥肌を立てた。霊力をもたないキズミやアイラですら薄気味悪さをおぼえるほどの、過酷な邪気。霊的地場に攪乱され、ミナトの所在を探ろうにも得意の感知能力が通用しない。人隠しにはこの場所をおいて他にないだろう。
 時間をかけて慎重に、壁づたいに階を一周する。
 最初の地点に戻ってみれば、地上に通じる螺旋階段が消え去っていた。
「まるで『戻りの洞窟』ね。霊気の強い地相では空間が歪むっていう」
 アイラは、不可解な間取りの変化をシンオウ地方の伝承にたとえた。その名の通り、踏みこんだ者はさまよううちに入口に送り戻され、最奥部にたどりつける者はよほどの幸運の持ち主だそうだ。
 国際警察の支給品、サングラス型の多機能スコープを霊視モードに切り替える。
 しかしノイズが酷く、らちが明かなかった。
 じりじりと、キズミの中で手詰まり感が強まってゆく。体調が思わしくない。霊の影響で、ウルスラとの『シンクロ』が悪化している。この状況で、警部補の力になれるだろうか。もし隣にミナトがいて心を読み取ったなら「やれやれ、また過保護がはじまった」とあきれた仕草でダメ出しされただろう。
 ラルトスとキルリアも同じように、見慣れた彼らの光景を思い浮かべていた。
 
 青い蝋燭灯りの当たり具合などではない。前々から健康がすぐれない日が続いているようだった。刻々と血の気が引いてゆく部下の顔色を、無視できるアイラの限界が近づいていた。連れてこないほうがよかった。しかし、自分とクラウの力だけで突破できる関門とも思えなかった。
 気温が急激に下がったような悪寒がした。
 直後、闇より這い出た悪霊がアイラの背後に襲いかかった。湿ったピンク色の扁平肉。狩猟の興奮にみちたゲンガーの舌だ。アシスタントの防衛本能が呼び覚まされる。身を挺してかばったクラウが唾液にまみれて吹き飛ばされ、糸を引きながら味方を巻き添えにして倒れ込んだ。その場から起き上がれない男組。追加効果の『麻痺』がキルリアの体の自由を奪い、元々衰弱したキズミは乱れた平衡感覚を持ち直せないのだ。
 戦闘形状をとった女性用の特殊警棒と、おぞましい上歯を剥いて笑う敵が僅差に迫った。
「サイコキネシス!」
 引き換えに失うものを覚悟したキズミの叫びが、守りたい人の窮地を終わらせる。
 ウルスラは攻撃指令にそむけなかった。従者を身代わりに戦わせることを極力避けてきたあの彼が。一方通行の愛情をひめた胸を締めつけられる。
 爆散するゲンガー。紫色の粉塵が広がり散った。
 不滅同然の霊体も完膚なきまでに打ち砕けば再生に時間がかかる。
 慈悲なき殺傷技の発動と同時に副作用の激痛がキズミの脳を悶えさせ、ヒューズが飛ぶように意識を失った。
 最悪の結果が頭をよぎる。アイラは青ざめた。駆け寄って膝をつき、卒倒した部下の名を一連の動作で呼びかける。仰横たわる身体は人形のように動かない。だが脈も呼吸もあった。蒼白な寝顔は精神崩壊に至る苦しみをのがれて安らかだった。
「こんなこと、してほしくなかった」
 噛み跡のついたアイラの唇が不完全な感情を語り、ウルスラの爆発を招いた。
(なんという言いぐさですの! キズミ様に救われておきながら!)
「あなたはこれで良かったの?」
 稀に見る血相にひるむことなく、後に残された者が負った痛みの本質をすくい上げる。
 凛とした灰色の瞳が理性に訴えかけた。気を静めて。病人の精神を夢の中まで冒さないで、と。
 悔しさという気持ちは一緒なのだ。遠くて近い背中合わせの立場が触れ合った。煮え返っていたウルスラの目が泳ぐ。

 アイラは決断を迫られた。シンクロ性の発作は経過に個人差がある。目覚めるのは数分後か数時間先か、あるいは数日を要するか。貴重な時間を目的の人捜しに充てず、そばに張り付いて看守ることを一番許さないのは気絶した本人だろう。彼は最後まで介入に反対したが、友の帰りを信じて待つ姿勢は誰よりも殊勝だったのだから。
「あなた達を配置転換し、二組に分かれて金城湊の捜索を続行します。クラウはキズミ・レスカを保護しなさい」
 負傷者を残し、臨時アシスタントと共に先へ進む。物理的距離に見合うだけ心的負荷も軽減するので応急処置にもなる。
 痺れがとれたクラウが壁に粘液をなすり付け、綺麗になった手をうつむく想いびとの肩に添えようとして、やめて言った。
(ここは任せてください。アイラさんを頼みます)
 その申し入れの重さは熟知している。同じアシスタントとして無下にできない。ウルスラは、今従うべき主人へ、向き直る。
(先ほどは取り乱してしまい、申し訳ございませんでした)
「私のほうこそ。もう弱音は吐かないわ」
 目的意識の強い謝罪が双璧誕生の産声となった。
 愛竜フライゴンと愛犬ハーデリアを内包する球を、強き願いを込めて開放した。

 大勢が空間の歪みの向こうへ旅立った。待機命令を下されたクラウは見送ることしか出来なかった。身命を投げうって上司を守り抜いた男の病床に侍し、深く考えこむ。海辺の件はただの恥さらし。同じはずの昏倒が彼と比べるとまったく別物だ。『舌でなめる』を耐え切っていればこうなる事態を防げたかもしれない。自分が不甲斐ないばかりにエルレイドの夢を応援してくれた恩師を煩わせ、大切なふたりの女性までをも悲しませてしまった。
 未熟者の無力感。だが、振動によってさえぎられる。身の毛もよだつ唸り声がヒトモシ達の火を震わせた。
 陸を闊歩する鮫肌の巨躯が見通しのきかない通路の死角から抜け出し、凶悪な金眼でこちらを標的と見定めた。
 ガ、の頭文字でクラウの発音がいったん途切れた。
(ガブリアス……)
 

◆◇
 
 
 無限に繰り返される写り込みは迷宮のごとく、人心を虜にして狂わせる幾何学的模様のように。いにしえの祭器から近代の日用品まで、世界中から収集された多彩な鏡が寝室の壁面を装飾していた。ハイフェンのしどけない寝なき姿が古めかしい天蓋付きの寝台の上という臨場感を得て、一城の主たる権威をあるがまま顕示する。枕代わりに頭部をうずめた漆黒のたてがみを手酌の合間に掻くと、十字星の房尾を二本もつ透視の雷王は喉をならした。寵愛を受ける音が聞こえるたび、やぶれ帽子を被ったローブ姿に似寄る紫色の魔女霊が嫉妬に燃える目で、猫又の最上格たる化け獅子を睨みつける。家臣の序列をもたず、気まぐれに居着くメロエッタは優雅な美声の持ち主から活発な赤毛の踊り子へ転身し、壁当てならぬ鏡当てに興じていた。ときに優しく、ときに激しく。打ちこんだバスケットボールは水銀色の面を割ることなく液状の波紋をえがいて吸いこまれ、膨大な枚数のうち一つからランダムに弾き出される。その位置を予想してレシーブするのが醍醐味なのだ。繊細なスタンド付きの三重構造の氷の鳥籠と、その芸術的完成に欠かせない囚われの黄緑の超鳥を、白妙をよそおう雪女の幽鬼がみずから手がけた出来栄えにうっとりとして見上げていた。
 映像端末のように手頃な大きさの鏡を扱うハイフェンが、ふと口元を緩める。
 籠抜けの隙をうかがっていたネイティ=麹塵は交渉のチャンスと見て切り出した。
(ぼきゅに説得させて! あいつら顔見知りだし、うまく追い返せるよ。早くここから出して!)
 鏡から青緑の目が上がった。
「ほう。貴様のショーを堪能しろと? やなこった」
(何それムカつく! じゃ、こんなのはどう? アイラの名前を聞いたとき、ピンとこなかった? 忘れたとは言わせないよ。ジョージ・ロングロードが仕向けなければ、ハイフェン様はぼくの魂をこの器に封印することもなかった。ぼくを封印しなければ、ハイフェン様は湊様を手放す羽目にならなかった。おまけにレストロイ一族が死に絶えたのは……それは別にいいか。今からでも遅くないよ。さっきの小娘を身代わりにして、手っ取りばやくあの男への恨みを晴らしちゃおうよ。喜んで協力してあげる!)
「黙れ。セレビィ」
 やっと呼んでくれた。
 穢らわしげな吐き捨てぶりにぞくぞくした。偽の体だと忘れるほど馴染んだ嘴でほくそ笑む。
 ネイティより。麹塵より。人間が好き勝手に押しつけた名前の中では、それが一番気持ちいい。

レイコ ( 2016/03/27(日) 22:51 )