NEAR◆◇MISS - 第七章
-1- 夏のから騒ぎ
「警部補、フツーにビキニ似合いそうなのにな」
 ピスタチオのジェラートを食べきったミナトが、至極真面目に言い出した。
 レモン味をまだ舐めている途中だったキズミが、ぶふぉふぉとむせ込んだ。
「シバくぞ!」
「そりゃ強要はダメだけど、期待しねえのも逆に失礼だろ。女扱いをぜんぶ悪みてえに言う過激派のほうが、爽やかじゃねえよ。綺麗なら綺麗、可愛いなら可愛いとオレは思うし、オレは口説きたい。エロガキ上等! つーかキズミまでなんだ、その厚着」
 キャップにサングラス。ラッシュガード。ハーフパンツ。サンダル。
「黒ずくめはねーよ、マジで」
「日焼けは嫌いだ」
「色うっすいもんなあ。ははっ、前に全身真っ赤で一日呻いてたっけ」
「笑いごとじゃない」
 保養地イエローガーデンからフェリーに揺られ、約三十分。
 温泉が有名な火山島のビーチは、遊泳禁止措置が取られている。国際手配中の野生個体が海水浴客を襲ったのだ。さびれ具合がひどい。ビキニのおねえさんどころか守備範囲外のうきわガール一人いない。アイラの水着姿というミナトの最後の賭けは、オレンジ色のキュロットと白い長袖ラッシュガードの前に半勝半敗感に終わった。
 沖へ向かうほど青さを増すバカンスシーズンの海洋が、陸の人間を天真爛漫に呼び込もうとしている。そのエメラルドグリーンの声を聞いているのは、国際警察本部の指令でアルストロメリアから捜査しにやって来た男の刑事二人とその手持ちだけだった。観光客の食べこぼしを狙うクラブや盗賊キャモメにも見離されたらしく、波打ち際にはシェルダーの殻一枚打ち上げられていない。とても一週間後にマンタインサーフ大会開催を控えている会場の景色ではない。ミナトはつま先で軽く砂を蹴った。脱いでむなしい体型だと自分が不満なので、低体脂肪と筋肉質を維持しやすい体質で仕事の上でも得している。色黒の丈夫な肌は直射日光をいくらでも浴びていられる。グレーのウエストベルトと裾線がアクセントの、パステルレッドから白へグラデーションになったボードショーツは下ろし立てだ。このまま丘サーファーでいるのは萎える。
「さくっと事件を解決して賑わいを取り戻してやろうぜ」
 こんな形で海に来ても、味気ない。
 不本意な帰郷を果たす前に、仕事抜きで皆で遊びに来たかった。


 夕暮れどき。
 密漁で数を減らした心優しき首長竜は、少なくなった仲間を探してかなしげに唄うという。一角の生えた頸をもたげた孤影は安息を求めてか、遠洋を渡っていく。美しくも暗然とさせる調べが凪の手で、水際まで運ばれていた。

 島中のビーチを巡り終わると、待ち合わせの老舗レストランに移動した。手頃な価格で新鮮な魚介が味わえると評判だ。さまざまな牡蠣料理を提供しているオイスターバーでもある。温泉目当ての客でパラソル席が混んでいた。
「おい見ろキズミ、九時の方向に渚のトゲチック発見!」
「うわ言は熱中症になった時だけにして、金城君。何か情報は?」
 と、アイラがあしらった。ミナトは笑った。
「だいぶオレの扱いに慣れてきたっすね、警部補」
 温泉プール付きのホテルを渡り歩き、働く地元住民や滞在客の聞き込みを担当したアイラは見るからに湯上りで、肌がゆで卵のようにつるつるでしっとりしていた。ラルトス=ウルスラとキルリア=クラウは全身、磨いた大理石のようにピカピカだった。毛並みが一時的に若返っているハーデリア=オハンが、呆れて頭が痛そうな渋面で、役立たずな後輩警察犬を睨んでいた。濡れることが大嫌いで海を見ただけで震えあがるガーディ=銀朱は能天気に、ただよってくる料理の匂いを嗅いでいた。
(人間ってなんでわざわざ海に行くんだろ。人間やっぱキモいよお。ぼきゅも水浴びしたーい)
 潮風でべたついた丸い体をくちばしで羽繕いする、ネイティ=麹塵(きくじん)
 御託は無視して、ミナトはヌオー=留紺(とめこん)の肩にあたる箇所に腕を回した。
「オレ達も温泉行くか。お前ますます美肌になっちまうな、留紺(とめこん)。キズミも来いよ」
「後でな」
 蒸した二枚貝をふんだんに使った海鮮パスタ。
 濃厚な甲殻類の身がごろごろ乗った海鮮ピザ。
 地元名産のブドウを使ったジュース。
 カクテルソースをかけた生牡蠣の身を殻からフォークで掬い、綺麗に一口食い。
 幸せな味にほくほくしていたアイラは部下らの注目に気づき、慌ててムッとした。
「一晩張り込んで、明日以降はおとり捜査。これで様子を見るしかなさそうね」
「じゃあオレ達、テント泊するんで。警部補はオレの別荘で体力温存してください」

 べ……?
 と、食事のつづきを口に運ぼうとしたアイラとクラウの手が一緒に止まった。

「つっても小せえし、普段は貸し出してるからコテージみてえなもんっす」
「ミナトは金持ちですよ。上司なのに、そんなことも知らないんですか」
 嫌味を放ち、平然とパスタをフォークで絡め取るキズミ。
 ミナトは心底興味がなさそうに、あごを引いて肩をすくめた。
「どうでもいい資産を贈与されたせいでな。一部は株の元手になったからいいけどさ」
「どうりで、金城君の現住所地は高級マンションだったのね……」
「今度泊まりに来ます?」

 ミナトがアイラにウィンクした。

(なのにキズミさんのお宅にいりびたって、ごちそうになってるんですか!?)
(あらクラウさん。ミナト様は喜んで召し上がるので、わたくしは嬉しいですわよ)
「おうよ。金は道楽に使って、普段の生活は質素倹約!」
 と、胸を張るミナト。
 キズミが呆れた。
「俺の食費でウルスラの作るメシ食う生活を、質素倹約とは言わない」
「そー言うなって、ジェラートおごったろ。持つべきものは友達だぜ?」
 笑いながら、ミナトがピザのピースをキズミの皿に取り分けてやった。




 空一面に綿をめん棒で薄く伸ばしたような、もやもやした星無し夜。
 ツイてない。とっぷり暮れたはじめのうちは、ミナトはそう感じていた。天気さえよければ、手が届きそうに沢山見えていただろう。身近な暗くて広い場所にランキングをつけるとしたら、海岸を超えるものはそうそう無い。裸眼の天体観測が格別の趣味でなかったとしても、そういう特別感を期待したくなる魅力がキャンプにはあった。
 ランタンが照らす砂浜のテントは、波音が出る立体音響機器のついた、宇宙空間をただようライト付きの救命ポッドのようだ。『フラッシュ』を使い合い、『冷凍パンチ』を特訓中のキルリアと指南役のヌオー。ポッドの外にいる宇宙生物が光っているみたいで面白い。
 物が見えない暗闇は不安になるどころか、ミナトは夜行性動物のように高揚させられる。自我のどこかに、科学で解明されていない領域の扉が、ゆらり、とひらく覚えがする。生きた肉体とそうでない存在の境界があいまいになり、両側から押しつぶそうと迫る壁の罠のように、匂いとも音とも異なる発せられる気配に、五感以外の別の感覚が飽和させられていく。
 昔は支配される側だった。血脈に刻まれた霊能力の奴隷だった。今は違う。あーまたか、で流せる。気にしなければいい。別室で誰かがセットした目覚ましのアラームみたいに、放っておけばいい。
 ぼちぼち見張りの交代時間が来る。仮眠するタイミングを完全にのがした。
 懐中電灯の光が近づいてくる。テント内のマットに寝転ぶミナトはごろんとうつ伏せに変えた。海から上がってきた半魚人みたいに膝から下が濡れている、釣り竿をかついだライフジャケット男。もうじき十七歳になる金髪の同級はひそかな釣り好きで、腕もいい。訓練生時代には衰弱したヒンバスだった長春(ちょうしゅん)を釣り上げて、水タイプの育成を先攻していたミナトが看病した。適材適所というヤツだ。今回は夜通し、おとり捜査をさせたくない思いから手配犯の確保を粘る気でいる。どこまでお人好しだ、と素朴な疑問でしかない。一緒に戻ってきた護衛のミロカロス=長春(ちょうしゅん)の蛇行跡がジャローダそっくりだった。ボウズか、とミナトは一瞥して起き上がる。テントを出て半袖半ズボンのウェットスーツ姿で準備運動をした後、おーいとキルリア=クラウを呼んだ。
  
「リハーサル、付き合えよー」

 手配犯は巨大クラゲ型の水系ゴースト、ブルンゲル。体色は青。溺死未遂の被害者はいずれも、遊泳中のラブラブカップルだった。動機は失恋の逆恨み。人の手で連れ合いと引き裂かれ、逃がされた後に住処に戻ったが復縁できなかったと初犯の逮捕時に供述したそうだ。本番では二組、ミナトとウルスラ、ミナトとクラウがカップル役を演じる。勘の鋭いゴーストタイプを油断させるために、丸腰で挑むおとり捜査員を安全とは言えない。逮捕は砂浜の援護チームに懸かっている。今夜の張り込みが無収穫に終われば、作戦の詳しい段取りを正午までに煮詰める予定だ。
 湿っている波際。仁王立ちで向かい合った。
 真剣に演技しなければ、とクラウが表情を引き締める。
 ミナトが、親指を立てた。
「遠慮せずオレをウルスラだと思って、コクれ」

 ネイティがひいひいげらげら、砂浜をころげ回った。
(クッソ茶番じゃーん! 死ぬ死ぬ、キモすぎて笑い死ぬー!)
(ム! ムリムリ、ムリです! 僕そんな台本は知りません!)
「チクったら焼き鳥にすっぞ麹塵。いい機会だ、オレが練習台になってやらあ」
 クラウの意中のラルトスには知られない。アイラ達と別荘で休息している。
 太陽の下が似合うムードメーカーのいい笑顔は、暗い海辺でもしっかり伝わった。
「やろうぜ、クラウ!」
 勇気か元気か、クラウの胸に何かが湧いた。たぶん、逃げたくない気持ちだ。
 おろおろして真っ赤だった顔を、パンと叩いた。胸いっぱいに息を吸いこんだ。
(あ……)
 裏返った震え声のテレパシー。
 ぎゅっと瞼を閉じる。練習だろうと手は抜かない。頑張れ。叫べ、自分。 
(あ、あなたと、また、こんな綺麗な海に来たいです! 今度はふたりっきりで!)
 ざーんと波が高鳴って、残響が掻き消された。
 突き飛ばされたような痛みにクラウが目を開けた途端、乾いた砂に尻餅をつかされた。
(ミナトさん?)
 きょろきょろした。さっきまでいた辺りに、人の影も形もなくなっていた。
 ――ブルンゲルは船を沈め、乗組員の命を吸い取る習性があるらしい。
 まさか、海中に引きずり込まれて。
(ミナトさん、僕を庇って!? キズミさん助けて! 何か指示をっ!)
「どした!」
 駆けつけたキズミが深瀬を見やると、大ジャンプの離水音が飛び上がった。

 黒夜堂々と白霧を引き連れたマンタイン。
 からのエアリアルワザ、アシレーヌフリップ。

 空飛ぶ絨毯を舞わせるように、スピンを華麗に操るサーファー。
 ミナトだった。
「長春、留紺! お前らに野生の子分作らせといて正解!」
 下からの『シャドーボール』が滞空中のヒレをかすめた。蹴って背中を飛ぶ。
 肉眼では黒染めの海水に無色のゼリーのようにまぎれている、雄のブルンゲル。
 取り逃がした獲物の着水を待ちかまえるしつこい気配の塊を、ハンと鼻で笑った。
「頭に海水より行儀を詰めようぜ、インターフェア野郎!」
 落ちながら、ヒトツキを召喚しようと黒球に指をかける。
 僅差で、海岸のキズミが先に指示した。
「長春、『メロメロ』!」
 海中を隠密に接近していたミロカロスが、動いた。鱗の端麗な胴に掴まるヌオーも。
 ここで剣技は巻き添えにしかねない。その瞬間にミナトは雑魚を叩き斬る欲求をひっこめた。ほぼ水分で出来ている脳天を踏み台にして、場外へ着水。戦闘を離脱した。ふらふら寄ってきた、技をかけられていない子分のマンタインまでめろめろになっていた。頭をはたいた。元に戻らなかった。波間から黒髪がへばりつく顔を出しているうちに、みるみる逮捕劇が進行していった

 砂浜に宇宙漂流感が戻る。
 水浸しのアレルトボールを拭くキズミ。投げかける口調は尋問的だ。
「任務は抹殺じゃない。逮捕だ。さっきの殺気はなんだ」
「るっせーな、ダジャレかよ。売られた喧嘩だぜ? 半殺しはいいだろ」
 タオルでこする黒い前髪の隙間から、藍色のきつい眼差しが射る。
「みんながみんな“優しさ”に感謝すると思うなよ、キズミ」
 不安そうなクラウ。あくびをする麹塵。
 見守る長春。どちらにもつかない留紺。
 頑固なキズミは考え方を譲らないだろう。空気を左右する鍵は結局オレか。
 と、ミナトは得にならない意地の張り合いから手を引いて、ニッと歯を見せた。
「オレ、警部補に直接報告してこよっと。可愛いパジャマだったらラッキー!」
 ビーチを走り出す高笑い。「コラふざけんな!」とフライングされた幼馴染が追う。
 僕テントみてまーす! とクラウのテレパシーが少年二人の背中を送り出した。
 時刻は、朝の三時前だった。

レイコ ( 2016/03/05(土) 00:00 )