NEAR◆◇MISS















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第七章
-1- 夏のから騒ぎ
 沖へ向かうほど青みを増すエメラルドグリーンの海洋が、心ときめくバカンスシーズンの到来を叫んでいる。
 ところが数日間にわたり、例年大賑わいをみせるはずのイエローガーデン市のロングビーチは遊泳禁止措置がとられていた。原因は海水浴客に危害を加える野生ポケモンの出現である。問題の個体は特定されたものの地元警察は逮捕(アレスト)に手こずり、警告の立看板が撤去される見通しはいまだ立たない。観光名物のマリンレース大会開催を一週間後にひかえた現地から要請を受けた国際警察支部により、アルストロメリア市駐留の若手捜査員三名に出動命令が下された。


 ボードショーツはパステルレッドから白のグラデーション、グレーのウエストベルトと裾線がアクセントに利いていた。引き締まった男の身体は真っ黒に焼けた肌と相性がよく、丘サーファーに押しとどめられているルックスの勿体なさを誘う。水着一丁で公然を気取れる大パノラマが目に飛び込んでくるなり、覚悟済みといえどミナトは寂寥(せきりょう)()かれた。
 最初からビキニのお姉さんとの出逢いはほぼ、諦めていたが。人っ子一人、浮き輪ガールすら見当たらない。家族連れのちょい悪な釣り人や、一瞥して本業がわかる筋骨隆々のポケモンレンジャー、意気投合できそうな海パン野郎たちはどこへ行ったのだ。条例違反の給餌に味をしめたクラブや盗賊キャモメにも見離されたらしく、シェルダー一枚たりと打ち上げられていない偶然まで重なっている。百歩ゆずってこの空っぽのビーチを独り占めできるならまだしも、遊び目的で海に入る行為は差し止められているので始末に負えない。
 水色のハーフパンツと黒いラッシュガード姿の相棒の肩にがしっと腕を回し、思いっきりブルーな声を聞かせた。
「言いてえことは分かるな、キズミ……」
 むろん、共通の女性上司であるアイラの話題だ。彼女が最後の希望だったのに。
 オレンジのキュロットからすっきり伸びた脚線美。素肌はシルクのように見目すべやかで、日差し効果を差し引いてもまぶしい。つま先から太ももまでの解禁は願ったりかなったりであるとして、きちんと着こまれている裏地がしっかりした白い長袖ラッシュガードには落胆のほうのため息しか出なかった。
「どうかしたの?」
 高い位置でスポーティに髪を結いあげたアイラが、サンダルの足跡を残しながらやってくる。
 浮遊するラルトス=ウルスラがポケモン用のミニ日傘を半分かざしてあげようと彼女について回り、キルリア=クラウは日傘と同じ柄のタオルを首にかけていた。両方ともバトルネーソスのオーナー=アナナスから貰ったサンプル品である。クラウは意中の相手とおそろいの持ち物にちょっぴりドキドキしていた。
 砂浜を渇きを癒す唯一のヒロインと向き合うと、なんだかんだ言いつつ愛想よくせずにいられないミナトだった。
「おおっと、九時の方向に渚のトゲチック発見!」
「うわ言は熱中症になった時だけにしてね。一回リハーサルしたほうがいい?」
「待ってました!  今日は無礼講でいいんすよね、“アイラさん”」
「そうだけど。“ミナト君”」
 逮捕(アレスト)対象は巨大クラゲ型の水系ゴーストポケモン=ブルンゲル。青い体色はオスを明示する。遊泳中のラブラブカップルを五組、いずれも水底に引きずり込んで溺れかけさせた容疑がかかっている。アイラは事件の早期解決をめざし、彼女の恋人役に扮するミナトは上機嫌だが、どちらもおとり捜査を楽観視しているのではない。人間の感情の変化に敏感なゴーストタイプをむやみに警戒させないよう、武器を持たずに誘い寄せるというハイリスクが彼らの気構えを高めていた。
(気を付けてください、お二人とも)
 キルリア=クラウのテレパシーに触発されたキズミも、閉ざしていた口をひらく。
「警部補の腕は信用できません。ここはやはり、自分とミナトでいきます」
 アイラがムッとして彼を睨み、同じ方向に首を曲げたミナトは提言の意図をははーんとくみ取った。
「よーしキズミ! どっちがカノジョ役やるか、ビーチフラッグで勝負して決めようぜ」
(えーっ、そんなのゴミカスだよう! それよりぼきゅ、クラウとウルスラのラブラブアッチッチが見たーい)
 テレパシーで割って入るネイティ=麹塵(きくじん)
 皆の前でリクエストを受けたキルリアがタオルの裾を握りしめ、顔を真っ赤にした。
「試す価値はある。同じ不定形のほうが感知されやすいだろう」
(キズミさんまで! でも! ぼ、僕がウルスラさんの、そ、そ、そんな……)
「落ち着いて、まだ決まったわけじゃないわ」
 相手役の意見抜きで話をまとめるわけにもいかず、アイラが流れを止めに入った。
 このままキズミ様がどなたかと恋人を演じるくらいなら……と、想像した直後にウルスラの逡巡がなくなった。
(やらせて頂きますわ)
 棒立ちになるキルリアの頭の上に、ぽんと手を置くミナト。
「決まったな。暑いしちょっと休憩しよう。超人気店のジェラート、今なら並ばず買えるぜ。オレ、ダブルコーンのピスタチオとチョコ!」
「レモンとヨーグルト」
(わたくし、シングルカップのピーチ味を)
(えっと……僕も同じで、メロン味がいいです)
 皆の視線が一斉に、流れに乗り遅れたアイラのもとへ集まった。
「……イチゴとティラミス」


◆◇


 どうせなら、仕事抜きでみんなを連れてきたかった。
 そうしてレストロイの私有地で朝から晩まで遊び尽くしてやるのだ。跡目には跡目なりのレジスタンスがある。海岸から肉眼で見えていたその緑の離島に、サーフィン以外の目的でうかつに立ち入らないのもミナトの流儀だった。それはそれ、これはこれ、と、先発の安全確認を快諾したのは、今回のターゲット捕獲に最適な立地環境に選ばれたからというより他はない。
 島の所有者の令息を乗せて上陸すると、エンペルト=雄黄(ゆうおう)は険しい顔で白砂のプライベートビーチを見回した。
「平気平気、月白(げっぱく)は外に出してねーし。それより雄黄(ゆうおう)、今日は一段とクールだぜ! くちばしピカピカ、フリッパーつるつる、足の水かきの裏まで最高にキマってやがる!」
 ナルシストの皇帝ペンギンはすっかり真に受けている。前回ここで『破壊光線』をぶっぱなされた嫌な記憶から気をそらす算段にまんまと嵌ってくれた。これくらい褒めちぎっておけば、やる気のほうはしばらく持つだろう。波打ち際に沿って島を一周し作戦拠点となる入り江に戻ってくると、『ハイドロポンプ』の指示を出す。冠の突起のような三本角をいだく嘴がひらかれ、上空にむかって水柱が打ち上げられた。
 頂上の噴霧に、虹のアーチがかかった。
 ロングビーチで待機していたキズミたちが七色の合図を受けて、一斉に海を渡りだす。
 行く手で海面が泡立ち、三個体のいかめしい顔面が花道を作った。島を護る番兵のギャラドスたちだ。どの形相もひと睨みで侵入者を退散させそうな迫力をもっていたが、キズミとウルスラを乗せて優雅に泳ぐミロカロス=長春(ちょうしゅん)が目先を通過する間だけ心なしか鼻の下が伸びているように見えた。
 浜辺で合流したミナトは出持ちポケモン達をあつめて点呼を取り、役割を復習させる。海塩をつうじて鋼タイプがもつ破魔の気を高めたエンペルトが目標をいぶり出し、霊感の強いミロカロスが潮流を操作してこの入り江に追い込む。そしてネイティは――
(はいはい『瞑想(めいそう)』と『シンクロ』で(ミナト)様のアシストでしょ。めんどくさいなーもう。あっちも茶番だし)
 アシスタントに付きっきりでいる男女の刑事を、古代壁画にえがかれるような独特の黒い瞳が小馬鹿にした。
「危険を感じたらすぐに脱出しろ」
(ご心配ありがとうございます、キズミ様)
「落ち着いて。やり遂げたい気持ちがあれば大丈夫よ」
 キルリアの重い腰を、アイラが優しく上げさせた。
 
 浅瀬に浸かり、見つめ合うふたり。前代未聞の大芝居の幕があがった。
(今日は暑いですね!)
 ムード作りに欠かせない波のせせらぎが、クラウのテレパシーに掻き消された。
(ええ、そうですわね)
 役柄に忠実な作り声で、帳尻を合わせようとするウルスラ。
(今日は……暑いですね!?)
 さっきも聞いたキルリアの二言目に、この場に居合わせる全員が怪しい雲行きをキャッチする。
(今日は……!)
 慌てふためいての三言目。次の台詞が出てこない。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。
 彼女を待たせてはいけないと焦るあまり、真っ白になった頭でアドリブを叫んだ。
(ウルスラさんと一緒に、こんな綺麗な海にこられて、よかったです!)

 残響を、ざあっ、と潮騒が包む。
 海水に手を浸けてエンペルトを遠隔浄化しているミナトが生きのいい口笛を押し殺し、アイラが口を手で覆う気配がした。
 台本通り続けたほうがいいのかしら。完璧な演技でキズミの期待に添いたかったけれども。ウルスラは曖昧にほほえんだ。
 クラウの体温が天井知らずに上がりだす。恥ずかしい。申し訳ない。ひっきりなしに汗がしたたる。右を見ても左を見ても、噛まずに口にできるのはいったん燃えあがったこの気持ちだけだ。ミスをした責任をとりたくて必死で、顔中をマトマの実を食べた直後みたいに火照らせながら喋り出した。
(今日だけじゃなくて、あなたとお仕事ができたり、今はお隣に住んでいたり、他にもいろいろ)
 高圧の霊気が、ミナトの手肌で索敵できる圏内に入った。
 距離の詰め方がやけに注意深い。あれでまだひと押し足りないのか。
(いつも、いつもお世話に……いえ、その、つまり、ずっと……最初にお会いした……ときから――)
 急にテレパシーがおぼつかなくなり、土壇場でやめざるをえなくなった。
 変だ、目まいがする。それに頭が熱くて、気分が悪い。
 朦朧とする意識。クラウは背中から倒れこみ、派手な水音をウルスラの悲鳴を追った。
「ここで熱中症!? マジかよ!」
 救助に向かったミナトだが。足首に波を被った所で立ち止まる。アイラが追い越して水しぶきを上げ続けた。
 陸地に残ったキズミは保冷材と飲料水の用意を急いでいたが、「おう」と呼んだミナトの目を見てうなずき合う。
 先を行かせた上司に駆け寄ると、目を渦巻きにしたキルリアを介助している彼女の手を握り、ぐいと引き寄せた。
「まいったな、この綺麗なビーチが霞んじまう。やっぱりハニーは特別だ」
 一瞬なんのことかと、ミナトを見あげたまま惚けた。
 判断材料を求めてキズミへ視線を飛ばすと、こちらの事など眼中になさそうにウルスラたちを岸へ誘導している。
 奴が近くにいる、調子を合わせてと耳打ちされて、本気の口説きとまぎらわしい部下の狙いがはっきりした。
「きゃー、ダーリンすてきー!」
 バカップルの片割れ女をありったけイメージして、なりきる。恥を捨てて彼の首っ玉にかじりついた。
 霊気の異常な高まりと接近を感じるミナト。とっさにアイラの両ひざの裏を片腕で持ちあげて横抱きにし、ぶら下がりに任せた上半身側の空いた手で隠し持っていたフラッグをかかげた。ビーチの遊び道具を流用したサインを見逃さず、キズミが手旗信号どおりの地点を狙ってカスタマイズした拳銃(アレスター)を発砲する。射出されたモンスターボールは外付けのタイマーパーツがオンになり、内包する携帯獣を空中で解放した。発光後、通常サイズに復帰したヌオー=留紺(とめこん)が落下を開始する。頭を下にした状態で腕を付きだし、拳に強力な凍気をまとわせた。着水と同時に『冷凍パンチ』が炸裂。同心円状に海面が波ごと凍り付き、ミナトの脚も侵される。苦痛は気合いで抑え込んだ。だが見返りを得る前に、ターゲットの潜伏ポイントに亀裂が入った。完全に固まり切る前に、特性『呪われボディ』が『冷凍パンチ』の威力を妨害したのだ。
 蓋をする厚氷を実体化して粉砕し、得意の海中から上昇する幽霊クラゲ。地元警察の追跡をかいくぐってきた意地を見せた。二メートルを超える水分の塊で地表の引力に反発する姿は「浮遊ポケモン」の分類名に恥じていない。この世の終わりを宣告する隕石のような冥闇を落とし、眼下の人間たちから灼熱の太陽をさえぎり奪った。
 すかさずキズミがミナト達を守るために動いたが、数か月自重していた瞬間移動はやはり得手が悪かった。
 冷たい氷上をスリップして液体の海に飛び込み、熱失神したクラウのときより数倍大きい「どぼーん!」が滑稽に響き渡る。
(わたくし、また『テレポート』で不手際を……!)
「引き上げなくちゃ、下ろして! ミナト君!」
「オレはもう少しこのままでも」
 自力で這いあがり、ずぶ濡れで戻ってきたキズミが特殊警棒を抜き、彼らに背をして盾の構えをとる。
 生意気に武器で牽制する小僧を封じてやろうと、ブルンゲルはヌオーに目をつけて触手で締め上げた。
「バカ、そいつはやめとけ!」「危険だ!」(無謀ですわ!)「はやく離れなさい!」
 口々に叫ばれたのは、轟々たる非難ではなく非推奨。なぜだか逆に心配されている。不安をおぼえ、親近感が沸かないこともない湿った水色の坊主頭を見下ろした。でも騙されないぞ、と自我を強く保つ。これみよがしに捕えた人質ならぬポケ質を高く持ち上げながら、ぶくぶくごぼごぼ、と気泡音に近い声で脅迫した。
(言葉遣いが乱暴なので直訳いたしかねますが、人間に強い恨みがあるようですわ)
「それで最初のおとりに食いつかなかったのか」と、ウルスラの通訳から疑問を解決するキズミ。
「ニンゲンをなんでカップル限定で襲ったのか、言ってみろよ」と、説得のヒントを探りだそうとするミナト。
 ごぼごぼ、ぶくぶくぶく。
(モンスターボールに閉じ込められて、何日も連れまわされたあげくに遠くの海で逃がされた。苦労して棲みかに戻ってみれば、当時付き合っていた可愛いピンクのブルンゲルはすでに別の相手と仲睦まじく、決してよりを戻してくれなかった。だから人間に復讐してやった、と証言しておりますわ)
「あなたに落ち度はなくても、パートナーが薄情だったのね」と、ぽろっと言うアイラ。
 ブルンゲルはゾロアにつままれたような顔をした。それは思いつかなかった。でも誓って言いきれるだろうか。ずっと考えないふりをしてきたような気がする。認めたくなかった痛手を。あのとき口が裂けても言えなかったそしりを。
 少しずつ、不気味でつぶらな瞳が潤んでゆく。先ほど逃げおおせた氷盤に舞い戻り、わっとばかりに泣き崩れた。
 触手をだらりと解かれたヌオー=留紺(とめこん)が、攻撃の『潮吹き』ばりに涙を流す失恋クラゲの額をさすってやった。
 
 
 夕暮れどき。
 人に絶滅の危機に追い込まれた心優しき竜鯨は、少なくなった仲間を探してかなしげに唄うという。
 長い首をもたげた孤影は遠洋に安息を求め、美しくも暗然とさせる調べが凪の手で水際まで運ばれていた。
 
 もう少し休憩に集中したいとウルスラに伝えたけれども、それは独りになりたいクラウの建前だった。
 彼方より届く憂いの歌声に寄せて、つくづく昼間の失敗が身にこたえる。彼女の足を引っ張っただけで一日が終わった。こんな醜態でエルレイドを目指していいのだろうか。支える思いが増えるほど、理想に近づく努力に裏切られることが怖くなる。刻々とせまる落日にのびる影法師。強い波が押し寄せて、濡れた真砂の上に大の字で寝ころぶ痩身にまとわりついた。
 周囲の知覚を盗んだネイティの念話が、物理的な近接を介さずにキルリアの脳裏に忍びこんだ。
(ねえ。元気がでる特効薬、教えてあげよっか)
 悪魔も裸足で逃げだしそうなくらいに、ささやく声は甘ったるい。
(あのね、別の強い感情に置きかえればいいんだよ。たとえば嫉妬とかさあ……キミ、心の底ではわかってるんじゃない? ウルスラの想い人が誰なのか)
 

 泣き疲れて大人しくなったブルンゲルをアレストボールに収容して、ようやく帰り支度に手をつけられた。
 早く仕事が片づけばひと乗りできるという淡い目論見は崩れ、サーフィンどころか患部に巻いた包帯は歩くのも窮屈だった。
「凍傷になるところだったわ」
「軽いしもやけっすよ」
 上司の心配を軽くかわし、懲りない笑顔でミナトが応える。
 脚の怪我の有無を見比べて、気分がふさぐアイラは口調に迷いながら尋ねた。
「あの時、庇ってくれたの?」
「もしそうだったら惚れてくれるかい、お姫さん」
「今のでお礼をいう気持ちがなくなったわ」
 それを聞いたミナトがあけすけに笑い、アイラも愛嬌のあるしぐさで頬をゆるませた。
 そろそろクラウを呼び戻すべきかと打診しに来たキズミが怪訝な顔で、二人の不可解な共鳴が収まるのを待つ。
 海と陸の風向の変わり目のさなかに、滅びゆく種族の挽歌が聴こえた。
 こうして全員で一緒にいられる時間も、いつか終わる。ミナトは普段の冗談めいた語り口を抑えて請け合った。
「ブルンゲルはああだったけど。オレになんかあった時は、忘れていいよ」
 言葉どおり受け取った彼らがはっとする。光の速さでアフターケアに取りかかった。
「あーでも、キズミが意外とガチ泣きすっかも。そん時は慰めてやってください、アイラさん」
「寝言は寝て言え」
 と、真顔が解けきらない彼女の分まで隣の金髪男が恐い表情になる。
「んな事より! 次、海くる時はぜひビキ――」
 ぽかっ、と浴び慣れたげんこつに最後まで言わせてもらえなかった。

レイコ ( 2016/03/05(土) 00:00 )