NEAR◆◇MISS















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第七章
-7- フォルムチェンジ
「オハン! 怪我はない? 金城君は?」
 駆け寄ってきた老ハーデリアは、無念そうに耳を垂れた。
 下竜したアイラが堅い表情のまま、毛艶の悪い愛犬の頭を撫でる。
「いいのよ、捜索ご苦労様。無事に戻ってくれてよかったわ」
 
 キズミは、クラウをお置き去りにしてきた後方を気にかけた。まだ追いついて来ない。この回廊の出口を先に見つけるより先に、迎えに行くべきではないだろうか。ミナトの戦況も不明だ。ウルスラの元にたどり着いただろうか。

 突然メロエッタが瞬間移動で現れて、注目をかっさらう。
 あなたは! と驚くアイラに向かって、大きな翡翠色の瞳がまたたいた。

 音楽の妖精の手に糸状の腕を掴まれている風船霊が、ぶつぶつ喋り出す。
(これもう立派な裏切りですよ、乳母殿。ぷわわ……)
 テレパシーだ。
(びっくりしました? イチリはフワンテ、魂の寄せ集めですから)
「見た顔だ。アルストロメリアで、流れ者の霊ポケ達と居ただろ」
(怖いですねー、湊さまのご友人さんの記憶力は。イチリが悪さをする係じゃなくて、よかったー)
 キズミに一目置くフワンテの腕を、メロエッタがぶらぶら揺すった。
(はいはい、今やります。ハイフェン様にバレても知りませんよ?)

 おええー。

 と、バツ印模様の口から、蓄えられていた五つの黒いカプセルが吐き戻された。
(こちら、湊さまのお供です)

 アレストボールだった。
 アイラの顔色が変わった。
 違法組織が開発したスナッチ・システムを源流とする、犯罪者に帰属するポケモンを奪取する球体型の超法規的装置に、ヌオー=留紺たちが捕らわれている。ミナトから装備品を取り上げたレストロイ卿が、見せしめで悪用したのだろう。
 国際警察官を侮辱している。 
「レスカ君。ロック、手動で解除して」

 キズミは携帯工具ケースを上着の内側から取り出した。そんなことだろうと見越して、家から持参しておいたのだ。ただし、幼い頃から世話になっている設計者に引け目を感じずにいらない。
「まず、無理です」
 捻くれているのではなく、これが妥当な敗率だ。
 
「無理なんて言わないで」 
 虚勢でもいいから強気な返事を、アイラは聞きたかった。
 ――そうか。似てたんだ、私たち。
 恩師に、偉大な父親的存在として心酔している少年。
 安心が欲しい、守られたいと父親に縋っている少女。
 彼の人格が性悪だから、自分と相容れないのだと思っていた。
 人こそ人の鏡というように、無意識の同族嫌悪だったのかもしれない。
「卑屈になるのは、一番弟子と言ってくれるレインウィングスさんにも失礼よ。そんなの、レインウィングスさんのこと、信頼してないのと一緒じゃない。自分の胸に聞いてみて。このまま、銀朱たちが閉じ込められててもいいの?」
 古い殻を破るのがどんなに難しいか、よく分かる。分かるけれども、あなたならきっと出来る。甘ったれで依存気質で、見返りを求めない孝行娘とはいえない私の本性とは違う。命令なのか懇願なのか、自分でもこんがらがってきた。もっと、優しい言い方をすればいいのに。どうしてこんなに、励ますのが下手なのだろう。 
「いいから、お願い。成功させなさい」
 
 ただ事ではない頼み声。
 そういうのは反応に困る。キズミの集中力が落ちて、手が固まる。
 悪い感情は持てない。この状況でそんな目遣いをされると、顕著に。
 自分の胸に聞け、か。
 工具の尻で前髪の生え際をがりがりっと掻いた。
「あー! まったく! 分かったから、静かにしてください」
 不貞腐れた未熟な素を、数瞬後、一丁前のプロ意識で塗り替えた。
 
 その途端。
 ちょっぴりだけど、格好いいのかもしれない。
 嫌な部下と思い続けてきた横顔を、アイラはとっくりと目に焼き付けた。
 一番頼もしかった時の父の顔の記憶を越えそうな、真剣な男の表情。 
 底なし穴を塞いでいた蓋を、踏み抜いたかのような。落っこちる胸さわぎがした。焦るとかえって熱っぽい浮遊感が強まった。今なら、納得できる気がする。ウルスラの人を見る目にも。その気持ちにも。
 
 ニダンギル=イチルをはじめ、前兆に敏感な者たちが身構える。
 生者の魂に飢えた有象無象が、建物を食い破る幼虫のように湧いて出てきた。うじゃうじゃと蠢くムウマ。小から特大サイズまで揃ったパンプジン。先ほど倒したゲンガーもいる。
「レスカ君は作業に集中して!」
 アイラはニダンギルの片割れを鞘から抜いた。切っ先に溜まる『ラスターカノン』の光。双子が相手でなければ、いわゆる刀彩にあたる布状の腕で使い手の体力を吸うまでもない。アイラのひと振りで、射程内の黒いカボチャ腹が消し飛んだ。足元の床に生えたヨマワルの頭を老犬が『噛み砕』いた。自慢の舌を刃で斬り落とされたゲンガーがひっくり返り、駄々をこねながら気化していく。

 フワンテがメロエッタの手を引いて寄ってきた。
(あのー、ここが今一番安全ですー?)
 馴れ馴れしい。と小さく唸る護衛のフライゴン=ライキ。
 翼で周りをガードされているキズミが、工具を片づけ始めた。
 作業着に向かないスーツのジャケットを脱ぎ、未着手の四球を大事にくるむ。
(おや、もう諦めちゃったんですか)

「こっからが肝心だ。こじ開ける!」
 
 固い。
 息を止めてぐっと力むと、右頬に痛みが走った。
 ひらいた傷口からだらだらと血が流れて、顎の先から垂れていく。
 下っ腹の圧を抜いて肺に酸素を入れ、痺れた指先を振って少しだけ休ませる。
(まだ一個目ですよねー。疲れません? ワザで壊したりとかは?)
 無頓着におしゃべりな風船霊。
 その口を黙らせたそうな真顔のライキ。
「『技』はロックを再起動させやすい」
 素手が最適だ。キズミはしばらく受け答えしないつもりで、奥歯を食いしばった。両手がわななくまで握力全開で粘り、酸素の補給で小休止を挟む。その繰り返し。裂け目から血を絞り出す右頬に、気を散らしていられない。
 アレストボールの開口部は一向に、爪の先が入る隙間さえ出来ない。 
  
 きりの無い魚群のようであった大量が、退散していく。

 その原因が、猛烈に吹き寄せた。アイラやハーデリアは木の葉のように転がされていった。キズミ達が飛ばされないよう抱え込みながら、氷属性が天敵であるフライゴンが『砂嵐』で打ち消そうとする。砂の粒子と擦れて、美しい羽音が奏でられる。脈々と種の遺伝子によって受け継がれてきた、まるでいにしえの“歌声”のように。

 メロエッタが瞠目した。

『砂嵐』に優勢な『霰』の主――ユキメノコが綺麗な金髪に興味を示して、しずしずと近づいて来る。片手で口元を隠す上品な笑い方。レストロイ卿とは別腹の端正さを見初めたのだと分かったフワンテが、お手上げな表情をしてみせた。飛行タイプは寒さに弱い。テレパシーまでぶるぶる震えながら、フライゴンのそばを離れないようにとキズミに忠告した。
(氷漬けのコレクションにされちゃいますよー。あの方、面食いなので)
 こんな時まで外見の話か。
 いい加減にしてくれ、とキズミは苛立った。

 天候の覇権をめぐり、歌い続ける砂漠の精霊の翼。

 メロエッタは聴き入っていた。

 防ぎきれない冷気が回廊を、氷河をくりぬいた洞窟のように凍結させていく。なめらかな氷面が鏡のようによく映る。どこに転送路がひらいてもおかしくない。アイラが壁の異変に気付き、身をかわした。
 不気味な渦の像の中心から、雄々しい黒いたてがみが飛び出してきた。
 狩場で二又の尾をくねらせる――レントラー。
 身の毛もよだつ戦力を、ハーデリアは年の功で嗅ぎ取った。突っこんできた『雷の牙』がワインレッドのボディスーツに穴を開ける寸前、孫のように慈しんでいる主人を守りたい一心で、老骨に鞭打った。喉に噛みついたが、一瞬で振り落とされ、逆にうなじに食らいつかれた。牙から流し込まれた電撃で、マントのような背中の鎧毛さえもが焼け焦げていく。
「オハン!」
 モンスターボールの収容レーザーを照射したアイラは霊剣ごと、二又尾で壁に叩きつけられた。緩衝性の極めて高いボディスーツのおかげで大事はない。すぐに立ち上がり、柄を握り直して化け獅子に斬りかかって行く。

「警部補!」
(危ないですったら!)
 飛竜の保護下を出ようとした丸腰の少年刑事へ、風船の糸腕が絡みついた。
 強襲。
 霰にまぎれた白い幽鬼の連続『氷の牙』を、フライゴンの『守る』が防ぎきれない。シールドが切れた。クロスさせて盾にした両翼が、手あたり次第に噛み千切られた。噛み傷の氷が貪欲に広がっていく。頭を狙った『氷の礫』の乱れ撃ち。触角を一本へし折られた。赤い複眼型の防砂器官の片側も砕き割られた。
「ライキ!」
 キズミの案じる声に呼応して、反撃の『ドラゴンテール』を振り抜く。豪快に食らったユキメノコが吹き飛びながら、霧状に溶け消えた。再生して戻ってくるまでに少しはかかるだろう。フライゴンは守り抜いた男刑事に目配せをして、うずくまった。

 ライキを手当てしたい。アイラも放っておけない。
 しかし稼いでくれた時間を無駄にできない。
 キズミはアレストボールをこじ開けようと躍起となる。
 フワンテは溜息をつき、一緒になって上蓋を引っ張りながらぐだぐだ喋った。
(しょうがないなー。特別サービスですよ、湊さまのご友人さん。あーあ、ハイフェン様に怒られる。イチリは付和雷同だから、いつか消される気はしてましたけどねー)

 『霰』につづいて『砂嵐』が晴れていく。

 争いごとが嫌いで、レストロイ親子を止めてほしいと他力本願でキズミ達を呼び寄せたメロエッタが、ミナトを救出しようと一丸となって奮戦する国際警察のために非暴力を捨て去る心を満たした。
 羽音が奏で終わった武闘の歌。
 久しく忘れていた舞踏のリズム。
 情熱が、妖精の体の奥から燃え上がってきた。緑髪がターバン状に巻き上がり、オレンジに染まる。瞳の翡翠色が閉じて、赤珊瑚色がぱちりと目を覚ました。あでやかに活発な踊り子のフォルムで、にっこりと笑う。借り受けた黒く強固なアレストボールに、格闘タイプの剛力を発揮した。

レイコ ( 2021/05/02(日) 20:27 )