天啓山ノススメ
山というのは、しばしば神体として祀られることがある。かつて人間の時代、極東の島国では山岳信仰が盛んだったという言い伝えもある。これは神奈備と言われているが、神奈備はやがて周囲の森林を巻き込んでいき、鎮守の森や神籬というものに信仰の形を変えていったという歴史がある。もっとも、その歴史も英雄ハルモニアの人間殲滅戦争で全て途絶えてしまっているが、山を祀るという考え方そのものはポケモンの世界にも受け継がれていった。山岳信仰で祀られる山のことを広く霊峰というそうだが、なんとハルモニアたちの住む穏和村のすぐ近く。ニョロボンリバーを渡った先に、世界的に有名な霊峰があるということらしい。
夏休みが終わり一か月ほど過ぎた。すぎゆく季節の香りを吐き出すハルモニアは、先行きも短い落葉樹を横目にポテトをつまみロメの実のソーダを吸い込む。向かいに座るフリストはそれを茶化した。
「ちょっとハルー、秋だからって何ノスタルジーやってんのよ。似合わないよ?」
「うるさいわね。大体湖のほとりでランチに誘ったのはアンタでしょう。それよりさぁ、あれ」
と言って、ハルモニアは東方を指さした。そこには、上記の霊峰が佇んでいる。
ハルモニアには一つ不思議でならない点がある。極東の島国で一番大きな山は、かつてその神体が祖神の宿泊を拒否したために万年雪が積もるようになり、巡礼者が参らなくなったという逸話がある。時代が変わり、巡礼者は人からポケモンに変わったが、やはり同じく、雪の積もる山道を通ることが困難であることに変わりはない。
「ああ、天啓山がどうかしたの?」
しかしハルモニアが指さした霊峰、名前を天啓山というそうだが、その高さにも拘わらず、一面緑で覆われている。だが、今までハルモニアは天啓山に登ろうというポケモンを見たことがなかったのである。
「アンタさ、あの山に登ろうとか考えたことはなかったの?」
それを聞いたフリストは、豆鉄砲を食らったマメパトのような顔をした。少しして、コーラを吸い込みこう言った。
「ハル、知らないの? あの山は怖い神様がいるから登っちゃだめって昔から言われてるんだよ?」
「だからどうしたのよ。私たち――――っていうか、アンタは行ったらだめってところは須らく足を運んでるでしょ。カンロ草原も、ニョロボンリバーも」
「でもそれは、危ないからとかそういう理由だから言いつけを守らないで行っても許されていたんだ。天啓山は……登ったら、祟りが起こる。そう言われてるの」
「祟りが何よ。私たち、この前墓場を荒らしてきたばかりじゃない」
「それはそうだけど……」出会った当初なら、禁止どころか推奨されたって天啓山には行かなそうな彼女だったのに。自分がよろしくない影響を与えているのではないかと不安になるフリストである。
「ハルは行きたいの?」「別に。アンタがいくならいくわ。ただいきたくならないのかしらって」「……ハルって、もしかして私のこと好きだったりする?」「そんなわけないでしょっ!」「困ったなー、私女の子を好きになる趣味なんてないよ?」「私もないわよ」
他愛もない会話で天啓山の話を終わらせる二人。
「宿題終わった?」「……」「何か言いなさいよ」「ハル、世の中には聞かない方がいいこともあるんだよ?」「それはそうとして宿題はやった方がいいわよ」「うぅ……」
こうして明日もフリストは先生に怒られるのである。ずっとこれも変わらないんだろうなと思いながらハルモニアはポテトの包み紙を丸めた。
「ねぇ、ハル」
「何よ」
「人間って、どんな生き物だったのかな」
「知らないわよ。いきなり何、それ」フリストの言葉に身を硬くするハルモニア。ここ数日、というより自分の生い立ちや人間についてのあれこれを聞かされてから数週間。彼女の脳内にずっと付きまとう心配事があったのだが、フリストは見事、それを打ち抜いてきた。
「ハルは気付いてるかもしれないけどさ、私たちずっとお伽話で人間は悪い生き物で、ポケモンじゃなくて技も使えないくせに私たちを支配してたって教えられてきたんだ。ずる賢くて、残酷で自分勝手なんだって。でも、ハルはそんな感じじゃなくて……」
「まぁ、この世界では人間を滅ぼしたエルマーニャ=レアーフェルデが英雄扱いなんだものね。そりゃ人間を悪者扱いするわよ」
「どういうこと?」
「例えばこの村で言うと、村長さんが悪者だったらみんな嫌でしょう? あの人が悪い奴だったら、村のみんなは付いてきてはくれない。だから正義の味方であることを証明しなければならないの。そしてそれはこの世界のポケモンみんなも同じ。エルマーニャを崇める以上、彼女は正義の味方でなければならないの。だから、彼女に敵対した人間たちを悪者に仕立てたんじゃないかしら。要するに、みんな勧善懲悪モノがすきってことよ」
「うーん? よくわかんないけど、じっちゃんは悪者じゃないよっ」と言うフリストの語気に、少しだけ真剣な怒りを感じてしまうハルモニア。
「怒らないで。例えばって言ったでしょ。私だって村長さんは正義の味方だと思ってるわよ」
「……そっか、へへ、そうだよね」
ガルーラのカフェのゴミ箱にそれを捨て、ロメの実のサイダーのコップをガルーラに渡す。そしてカフェを出たときだった。
「おい、二人ともちょっといいか?」
ノーテルが目の前にいて声をかけてきた。
「あっ、ハルん家の……」「なんですか?」
「いんやぁ、カフェで飯さ食ってんの見かけたから……おめぇたち、今日も調査団の活動してたんだか?」「えっ、知ってたの!?」
彼に言われて目を丸くするフリストである。ハルモニアは彼に関しては特に怒られることもないと思っていたので調査団のことは一通り話していた。フリストは当然怒られると思っていたので口をつぐんでいる。
「んや、別に怒りゃしねぇよ。んで今日はどこさいったんだ?」「ニョ、ニョロボンリバーに……」とオドオドしながら答えるフリスト。
「あぁ、あそこか。辺鄙なとこさいぐもんだなぁ。ところで、おめぇたちさっき天啓山の話さしでながっただか?」
「し、してたけど……」
「ほーん……」
ノーテルは頬をかきかき、少し考えこんでるような表情を見せた。いつもあまり見せないような奇妙なその顔に違和感を覚えるハルモニア。あ、さすがにお叱りをくらうのか……? と、少し身構える。すると、こう帰ってきた。
「んなら、登ってみるか?」
「へっ!?」「えぇえ!?」
「しーっ。声がでけえよ。とりあえず、ここじゃ話しづらいから交差点にいぐぞ」彼はそう言い、二人を連れて歩きだす。
そういえば、この前の幽霊事件の下りで一番怖がっていたのはフリストだったか。不本意ながら二番目は自分らしいがなるほど、フリストにとって天啓山の祟りはあの心霊体験と同様のものであるようだ。
「んで……二人がいいんなら今から天啓山さ登ろうかと思ってんだがな、どうする?」周囲に話が漏れていないことを確かめつつノーテルは話す。
「どうもこうも……どうする? フリスト」
「ええっと、わ、私は……あの山は、登っちゃだめってみんな……」
「怖いの?」
「そっ、そんなことはないよっ!?」言った瞬間にフリストはしまった、という顔を見せたが、もう遅い。一度吐いた言葉は戻ってはこないのである。
「じゃあ決まりね。でもどうして急に……?」
「んんー、まぁオラの気まぐれみたいなもんだなぁ」
と、ノーテル。彼は天啓山に向かう道すがらもこう述べた。
「気まぐれってぇのもあるんだげどな、なんつーか、こう……外の世界に目ぇ向けるってことはいいことだど思うんよ。村長さんなんかはあそこさいったらダメだーとか色々言ってるかもしんねぇけどな」
「……ノーテルさんってさ、ちょっと前にこの村に移住してきたんだよね」
フリストは彼に対して訝しむような視線を投げかけた。
「あなた……」彼女がそんな顔をするのは、少なくともハルモニアが見ている中では初めてのことである。
「そうだなぁ。元々生まれも育ちも東の農村なんだげどな。いよっと」
木の根っこを飛び越える三人。どんどん木が多くなってくるが、その葉の隙間から見える天啓山はどんどん大きくなってくる。
「ふーん……王都の近く?」
「んだなぁ。リーラル集落ってとこなんだが、聞いたこたねえだか?」
「ないかなぁ……それにしても、そんな遠くからわざわざ来たの?」
「そうだで。天啓山は一度登って見たかったからなぁ」
「……」
どこか引っかかる、と言わんばかりにフリストは顔を若干伏せて何かブツブツ喋っていた。
立ち入ることが許されない山であるにも関わらず、天啓山には登山道が整備されていて、麓には登山口があった。そこでは村の住民であるヒポポタスが大きな欠伸をしながら門番として鎮座していた。傍にあった岩の影に隠れて様子を伺う三人。
「……どうするんですか」さすがにハルモニアと言えど顔見知りを攻撃するのは気が引けるのか、たじたじとノーテルに問いかけた。
「心配すんな。ちゃんとこがなときのために考えてっからよ」ノーテルはそう言って、右手の三本の指の内二本を、口の両端に添えた。「おめーら、ちょいと耳さ塞いでくれ」「えっ?」「はわわっ」
言われた通り、ハルモニアとフリストは掌を耳にあてがった。それを確認したノーテルは、その口から「草笛」を奏でる。
細く切なく、しかし芯の強い音はヒポポタスの耳を刺激した。辺りをキョロキョロと見渡し、音の正体を探る彼は、次の瞬間には横になっていびきをかいていた。
「すっ、凄い……!」思わず感嘆するフリスト。道すがらの曇りきった表情が嘘のように晴れ渡っている。
「こうしてりゃ安心だど」平然と言ってのけて、ノーテルはその先の道を進んでいく。
天啓山登山道はダンジョンになっていた。
三人の目の前にメリープが飛び出たので、フリストがグラスミキサーで切りつける。次に出てきたドッコラーはリーフブレードで一撃だった。次にオンバットが出てきたので、他の二人では不利だと判断したハルモニアが、十万ボルトを放った。ゴリ押しで敵を倒すハルモニア。その横で、フリストがエレザードを切り捨てていた。
「フリスト、アンタ……」「なぁに?」「最初の頃と比べて、だいぶ動きがよくなったわね」ハルモニアはそう言ってやった。
途端に唇の端を釣り上げしたり顔になるフリスト。
「えっへへ……ハルに褒められちゃった」「そこまで喜ばなくていいわよ、気持ち悪い」「むぅ……」言ってはやるけど、つっけんどんなところは変わらない。そんなハルモニアと膨れるフリストを後ろから見守るノーテル。最初は二人に対して表情を隠していたが、次の瞬間に、あからさまに渋い表情をした。
「うっわ……これは厄介んだなぁ」
ハルモニアとフリストはそれを聞いて彼の方を振り向き、その視線を追う。そして、彼と同じ表情をした。
五合目辺りだろうか。いつぞや、学校で怪談があったときに世話になったジバコイル保安官、そしてコイル警邏隊の五人が見張りをしていたのだ。三人はさっきと同じく岩の影に身を隠す。
フリストは、先ほどの事を思い出し、表情を元に戻した。
「こんなのどうってことないでしょ。ノーテルさん、早く眠らせちゃおう」
「……やめた方がいいわ。ノーテルさん、フリスト、戻りましょ」
それと対照的に、足の向きを後ろの方に正そうとするハルモニア。
「どうして? せっかくここまできたのに……」
「二重に見張りを置いてるなんて、この先にあるものが相当やばいものじゃないと説明がつかないじゃない。そもそも今まで私たちがいったダンジョンは見張りなんていなかったでしょ。一人目の見張りで警戒しておくべきだったんじゃないかしら」
「そ、そんな……」眉を落とすフリストを見て思わず問いかけるハルモニア。
「うーん、ノーテルさん、どうにかなりませんか……?」
「んや、難しいな……。惜しいけどおらの草笛は成功率もあんまり高くねえでな、この数を眠らせるのはちょいと難しいど」
ノーテルは言葉以上に憎々しげに言い放ち、何かを思案するように腕を組んだ。フリストは肩をしょぼんと落とし、この状況に気づけるのはハルモニアただ一人だった。コイルの一人が気付いたのかこっちに向かってきている。
「そこに誰かいるのか?」
――――しまった!
このままだと見つかってしまう。逃げるにしてももう遅い。野生ポケモンのふりをしてやりすごすか? いや、それで攻撃されてしまうのはもっとまずい。そうだ、逆に攻撃してしまえばいい。ダメージを与えることなく、なおかつ相手の自由を奪う……。
ハルモニアは、コイルが向かってくる方とは逆側から顔を出し、彼から見えないように天使のキッスを放った。
ハートマークが直撃したコイルは、数秒間ビビビビビと奇怪な音を出し、あらぬ方向に電気ショックを打ち始めた。ジバコイル保安官たちはこちらの様子にはまだ気づいていない。
「今よっ!」「うおっ!?」「ひゎっ!」ハルモニアはフリストとノーテルの手を取って駆け出した。
ハルモニアたちが麓に降りてきたときには、ヒポポタスは目を覚まして見張りに戻っていた。
「……今度はどうするんですか。同じ方法は二回も通用しないと思いますけど」一度ならまだいいが、二回目となると警戒されるだろう。そうなると、村の中で犯人探しが始まることになる。
「心配すんな。おらが話しかけて時間さ稼いでっから、その隙にとんずらしな。いいか?」
ノーテルはそう言って、ずかずかと歩き出すとヒポポタスに話しかけた。
「おう、お勤めご苦労だど」
「ん? ありゃ、ノーテルさんか!? 山に登ってたんか!?」
「いやいや慌てなくていいど、ちょいと差し入れ持っていったらおめぇさんがぐっすり寝てたからなぁ。村の子どもが迷い込んでねぇか見回ってたんだ」
「そ、そういうことか……。いやー面目ねぇ。見張りなのに寝ちまうなんてよぉ」
「気にするこたぁねえよ。それよりほい、こいつでも食って元気出しな」
「んお、オレンの実か、ありがてぇ」
話しながらハルモニアとフリストが、無事にヒポポタスの後ろを通り抜けたのを見届けたノーテル。
「んじゃ、おらはこれで。見張りさ頑張ってくれど」と彼が言うと、
「ほいよー」とヒポポタスは砂を吹き上げて答えた。
かくして、ハルモニアの天啓山の冒険は幕を閉じたのである。