夜の国のおとぎ話
ミステリアス
 リールとシンはまだ子供である。失踪した日の朝にはいたというのが、彼らの母親が目を離した隙にいなくなっているのである。それから半日。仮に村から出て行ったとしても遠くへは行っていないはず。
 当然、ハルモニアたちは彼らを探そうということに相成った。当然ながら村の中で、である。
 心当たりならある。というか心当たりしかない。教頭先生とマサムネ先生と、両方とも夜の学校に行って怪異に襲われたのだ。リールとシンを攫ったのはその学校に現れる怪異だろうとハルモニアは早くも結論付けていた。
「っていうか、いなくなったってどういうことなんですか。朝起きたら消えてたってこと?」
 ハルモニアはクラリスを連れて、リールの家に赴いた。彼の家は学校を挟んでハルモニアの家の反対側である。そんな遠いところ行きたくない、自分はシンの家でいいとごねたが、そのシンの家はリールの家の二軒隣である。どっちにしても学校の反対側に行くわけだ。
 さて、家の場所は置いておくとして、ハルモニアとクラリスは一応リールの母親に話を聞きにきたのである。普段は尊大な態度を崩さない彼女だが、ここでは少し腰を低くしている。というのも、リールの種族はヤンチャムである。ポケモンの子供、というのは一般的にメスの種族が受け継がれる。……つまり今ハルモニアの目の前にいるのは、ゴロンダという大柄で強面なポケモンである。そのリール母は、息子を心配しているからか、その見た目通りの雰囲気は漂わせないが、ハルモニアはいつ取って食われるか分からんとばかりに冷や冷やしていた。
「んー……えっと、事情は少し複雑なんだけどね」
 とリール母は一言一言区切りつつ口を開いた。
「今朝あの子を叩き起こして、朝ご飯を作るのを手伝いなさいって言ったのよ。それで一階に降りて、ずっとご飯を作ってたんだけど……」
 ここで、ハルモニアは彼の家の玄関にいて、リールの家が二階建てであることに気付いた。一瞬、自分の家のことを思い出した彼女だが、家主がまだ若い上に、自分は住ませてもらっている身だ。野暮なことを考えるのはよそう。
「十分くらい待っても降りてこなかったから見にいったの……そしたら、いなくなってて……」
 と、不安げな顔で頬に手を当てるリール母。なるほど、彼女も一人の少年の母親だというわけだ。
「ごはん食べないで遊びに行ったとかじゃないんですか?」
「そんなことないわよ〜。それだったらあの子が降りてきたときに気付いてるもの。あの子ね、階段を降りるときにドタドタって音をたてるのよ」
「そっかぁ……どこかに隠れてる、なんてことは?」
「いそうなところはみんな探したけれどいないのよね」
 そう聞き、ハルモニアもリール母も黙り込んでしまった。そもそも、どこかに隠れているという発想はないなと切って捨てた。いやでも、たった数時間前に恐ろしい目にあったばかりだし……違う、リール母はちゃんと彼を起こして、それで彼は家の中から失踪したのだ。だから……。
 そこにクラリスが割り込んでいく。
「ところで……いつごろいなくなったか、とか分かります?」
「ええとねぇ……今朝の8時に起こして、10分後に見にいったらいなくなってたのよ」
「そうですか、ありがとうございます。リール君の行方が分かったら連絡しますね」
「あら、探してくれるの? でも無理はしちゃだめよ」
「ええ、それじゃ」そう言って、クラリスはハルモニアの手を引いてリールの家から出ていった。
「もう終わっちゃうの?」
「だってこれ以上聞くことなかったでしょ」
「まぁ、そうね。あ、そうだわ」
「なに?」
 今度はハルモニアがクラリスの手を引いていく。そのままリールの家の裏手に回るハルモニア。1階はそこそこ広い彼の家だが、2階は小さく、窓も1つしか見当たらない。ハルモニアは、裏手に生えていたニワトコの木の側まで来て、その窓を指差して言った。
「リールのお母さんの話を聞く限り……出ていくとしたらあそこしかないわよね」
「確かにそこしかないわね……だとすると、どこからあの窓に登ったのか、っていう疑問が出てくるけど」
「この村にも鳥ポケモンくらいいるでしょう。それか、この木を登ったとか?」
 と言って、ハルモニアは木を検分し始めた。それを見たクラリスは、近くの地面を調べ始める。
――――これはっ。
 ハルモニアは木を検分してすぐ、ある異変に気づいた。
 木がところどころ焦げている。葉や枝が黒く染まっている。
 リールが昔火遊びでもしてやらかしたのだろうか? いや、確かニワトコの木は落葉樹。葉をつけたのは三カ月ほど前のはずだ。彼が焦がしたにしてもそんな昔のことではないはず……。おや、これは。ハルモニアがふと見上げてみると、二回の窓の近くの葉っぱまで焦げている。これは……。
 これが示唆するところを考えていると、クラリスに声をかけられ、思考は中断されてしまった。
「ねぇ、ハルモニア……足跡の一つもないのだけれど」
「えっ」
 今ハルモニアたちがいる場所は、赤土の柔らかい地面である。今までハルモニアは窓から誰か侵入し、リールを攫ったのだと仮定していたが……すると彼を攫った者の足跡がなければならない。そこから考えを整理していくハルモニア。数秒経ってこう言った。
「それでも窓からリールが出ていってないっていう証拠にはならないでしょ。足跡なんてほら」ハルモニアはそういって、ニワトコの木の枝を一本折った。その時に、別の枝も折られていることに気づく。
「こうやって消せるじゃない」それで一つの確証を得たハルモニアは、自分がいたところの地面をその枝で直していく。立ちどころに足跡が消えた。
 おや?
 立ちどころに足跡を消したハルモニアは、地面に何かが落ちていることに気が付いた。鉄粉である。確かこんなものを前にも見たような気が……あれは、古の骨導だったか? 二日ほど前だったか、ハルモニアがフリストを探して彷徨っているときに見つけた謎の古びた建物。後でノーテルに聞いたところ、昔のポケモンたちの墓場だということらしい。
「ねぇ、クラリス」言いながらハルモニアは彼女の耳に口を近づけた。「……」
「できないことはないけど、そんなことして、何か意味があるの?」ゴニョゴニョと耳打ちされたクラリスは怪訝な表情。
「なくてもいいから、やって」
「仕方ないわね……それで?」
「……この事件、マサムネ先生がいなくなったのと同じじゃないかしら」
「と、唐突ね……夜の学校にいて失踪したってこと?」
「ええ。違うのはいなくなったときの現場。マサムネ先生は学校にいたままいなくなったけど、リールとシンは一度学校から離れ、家に帰りついたのに消えた。これ、“怪奇現象なんかじゃなくて誰かのいたずらや愉快犯”だと考えれば簡単よね」
「私も、誰かの仕業だと思ってるけど、簡単って?」
「リールたちを取り戻すことが、よ」
「そう?」
「ええ、攫われた現場が違うのはリールたちが思ったよりも早く逃げ出したから。わざわざ家にいるときに攫ったのは、朝になってあいつらがいなかったとしても、怖くて動けないから二人が家に帰りついてないと私たちがそう考えたら困るから」
「それは、分かるけど……取り戻すのが簡単、っていうのは?」
 ここで、ハルモニアは声のボリュームを一段あげた。
「マサムネ先生と、二人が攫われた事件、犯人は同一のポケモン。だからあいつらもほうっておけばひょっこり湖のほとりにでも現れるんじゃないかしら」ハルモニアはそう言って、踵を返して歩き始めた。
「じゃあ、探さなくてもいいってこと?」クラリスはそれについていく。怪訝な表情は崩さないが、段々彼女が何を言いたいか分かってきた、という感じである。
「今のところは、ね。それじゃフリストたちと合流しましょ……それで、クラリス」ハルモニアは突如、声を潜めた。「この近くに誰かいた?」
「いたわ、一人。私たちと同じくらいかそれより小さい。タイプは分からないけど……私たちのこと、ずっと見てた」
「ふーん」
 放置していればいいと啖呵を切ったハルモニアは少し苦い表情を見せた。


「うぅ……やっぱり肝試しなんかやるんじゃなかったんだよぉ」
「過ぎたことに文句をつけたって何も始まらないでしょう。タイムリープできるってわけでもないんだから」
 ハルモニアの言う通り、リールとシンは一日どころか三日経っても見つからなかった。ジバコイルの保安官が搜索しているにも拘らず、である。肝試し当日の夜、保護者に見つかったハルモニアとフリストは、二人で打ち合わせし、肝試しは二人だけで行ったということにしていた。嘘をつくのは躊躇われたが、他の五人も叱られるのは子供心に気が引けたのだ。それが裏目に出た。リールとシンは、教頭先生やマサムネと違い、学校にいっているでもないのに攫われた、と騒がれてしまったのである。
「どこにいるんだよぉ、あいつら……」幽霊譚が苦手なフリストの弱々しい呟きを耳に、ハルモニアはフロートを啜った。
「状況を考えましょう。リールが攫われる直前にいたのは、あいつの家の二階の自室。そこから親に見つからずに部屋を出るには、窓から運び出すしかない……」
「ハルは、やっぱりリールとシンは誘拐されたって思ってるの?」
「ええ」
「うーん……確かに、あいつらがわざわざ自分から消えるような理由もないけど……」
「でも、ハルモニア」とレイラ。「マサムネ先生と似てる事件だからって誘拐事件とは限らないんじゃないの? 大体、マサムネ先生だって誘拐されたかどうか分からないじゃない」
「マサムネ先生が自分から狂気を起こして消えたならそれはそれで問題でしょ」
「それは……」
 それっきり、レイラは口を噤んだ。
 ハルモニアがこれを誘拐事件であると決めつけているのは、三日経っても彼らが帰ってこないというのがもっぱらの理由である。リールの家のニワトコの木を検分したとき、木の焦げ目に違和感を覚えた彼女は、そばにいたクラリスにサイコパワーを使って周囲に怪しい者がいないかダウジングしてもらっていた。そして、上述したとおりクラリスよりも一回り小さいポケモンがそばの茂みの影から二人を見ていたのだが………。
 マサムネ先生同様、あの二人もすぐに帰ってくるという言葉を、ハルモニアはわざと聞こえるように言い、それを聞いた犯人は彼女の恐怖心を煽るために未だにリールたちを帰さないようにしている。ハルモニアはそこまで結論づけた。
 それで、犯人の像だが……。ニワトコの木についていた焦げ目から、炎タイプであり、なおかつ体の一部に火が灯っているポケモンではないか?
 そう思ってハルモニアが調べたところ、穏和村には炎タイプのポケモンはいなかった。だが、旅をしていてこの村に在中している炎タイプのポケモンが見つかった。まず、ヒトカゲ、リザード、リザードンの兄弟。それからヒトモシの一座。ポニータ。炎タイプに変化できるポケモンのロトムもいたが、わざわざタイプを変化させる理由がないため除外した。
「容疑者は三人に絞れたわ。それから、私とクラリスをストーキングしてたのと、学校に出た巨大な霊の正体が同一犯と考えると……ヒトモシ一座の《別れの歌(パニス・アンジェリカ)》ではないかしら」
「別れの歌? あっ……なるほど」「ヒトモシの一座が? ……ああ、そうね」レイラとクラリスが納得を見せた。マイルも理解に難関はないと頷いている。
「えっえっ、ど、どういうこと?」フリストだけが疑問符を呈する。
「学校で見た巨大な霊はヒトモシたちによって見せられた幻覚。それから、リールの家を調べたとき、私たちと同じくらいかそれより小さいポケモンにストーキングされたって言ったでしょ。それがヒトモシと考えれば……」
「でも、リザードンは?」と食い下がるフリスト。「何がよ」
「だからさ、学校で見た巨大な霊はリザードンだったんじゃあないかなって。ちょっとサイズは小さいかもしれないけどさ……リザードンって、メガシンカで黒くなるじゃん? それにあの霊もちょっとドラゴンタイプって感じがしたから私はそう思うの」
 ドラゴンタイプという言葉に心の内を引っかかれたような違和感を覚えたハルモニア。それで喋り出さない彼女の代わりにクラリスが、「それは……その」という自信のなさげな声で答えた。これを以て彼女たちは振り出しに戻ったのである。どころか、マイルが「そういえば、あのとき聞いた咆哮? っていうのかな、あれなんかリザードンのものって感じがした……気がする。気がするだけだけど」
 沈黙の中で心の内を引っかくこの違和感は何だと探るハルモニアは、一つの視線に気づいて振り返った。カフェの窓から木漏れ日と茂みが見える。彼女が感じたというその視線は、振り返った瞬間に消えてしまった。
「ねぇ、ところでさ……」と言って、別方面の会話を切り出したのはマイルだった。
「どうしたの」と返すレイラ。
「僕最近、気になることがあるんだけど……皆、足はどうしたの?」
「え?」
「だから足だよ足」言われるままに、誰もが自分の足を見た。最初にマトマの実を齧ったような顔を見せたのはレイラだった。
「きゃあ、何これ! 真っ黒じゃない!」
「わ、私も! ……うえっ、血の臭い」と、フリストは足を擦ってその臭いをかいで吐き気を徐に表す。
「……血の臭い? ほんとだ。血っていうか、鉄の臭い? 嫌ね、これ」クラリスも不快感を隠そうとしない。その鉄の臭いという言葉を耳聡く見つけたハルモニアはその場で行動を停止した。
「やだなぁ、これ……帰りに湖のほとりによって洗ってこよっと」
 その代わりに、彼女の頭は今までにないほど回転していた。鉄粉が落ちていたのは、古の骨導。それとリールの家。そして今ここ……いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。立ち上がって、無言のまま店の外に出るハルモニア。右を左をきょろきょろと見渡す。周りにはいつも通り談笑しているポケモンたち。ふと、地面に目を落とす。すると、鉄粉が砂に混じって落ちているのが目についた。今度はカフェに戻り、床を見る。鉄粉で汚れたポケモンたちが残した足跡が、はっきり視認できる。なるほど、今日はジュカインの旅人がここを訪れていたらしい。
 カフェには毎日来ているが、こんなことが前からあっただろうか? 否、これはこの幽霊事件が騒がれ出してからのことだ。だからリールとシンが消えたこととこのことははっきりと関係がある。問題はそこではない。なぜ、鉄粉なのか?
「ハル、どうしたの?」
 いきなり立ち上がって飛び出していったハルモニアの元にフリストは駆け寄った。その声で、ハルモニアははっと我に返る。
「ひょっとして、リールとシンが見つかったとか?」
「そんなわけないでしょ」
「だよねぇ」
 苦笑いのまま、フリストはハルモニアを席に連れ戻す。
「何かあったの?」「僕、びっくりしたよぉ」 と、レイラとマイル。
「……」
 無言のままハルモニアはフリストをちらりと見る。彼女は微笑みをたたえ、ハルモニアを見つめ返した。
「えっとね、皆、いいかしら」椅子にもう一度腰かけ、ハルモニアはすかさず口を開いた。
「今夜もう一度、肝試しをやるわよ」



鏡花水月 ( 2016/07/30(土) 22:51 )