肝試し
肝試しをやろう、というリールの提案は、まぁ予測がついた。こいつかシンのどちらかなら言い出すだろうとハルモニアは身構えていた。だから、即座にこう言い返した。
「やらない」
「なんだよ、ビビってんのか? おいおい」
「そうやって煽ればいいと思ってるんなら大間違いよ。やらない」
つっけんどんを貫くハルモニアに、リールは鼻白む。彼女はそれをスルーしてフリストに向き直った。
「アンタはやるの、肝試し」
「えっ!? や、やらないよっ」
と必死に首を振るフリスト。レイラもそこに関しては行かないの一点張りである。
マサムネ先生が失踪した翌日。彼は湖のほとりに倒れていた。そこで村の病院でピール先生に介抱されて目を覚ました彼は、やはりこう証言した。
「見回り中に、例の『暑いよぉ』という声を聞いたんだ。それで少しばかり怖くなって……後ろを振り返ったところ、恐ろしいものを見て気を失ってしまった。かたじけない」と。
だが、教頭先生と違う点が一つあった。
「最初に、青い炎が見えた。次にオレンジやピンクや、緑色の炎なんかが見えて……気が付いたらとても大きい……あれは、ポケモンだったのか分からないがとても大きな影が目の前にあって、それで気を失ってしまったのだ」
マサムネ先生はこうも証言していた。それから、彼が見つかった翌日のことだ。リールがクラス全員をガルーラのカフェに集めてこう提案したのだ。夜の学校で肝試しをやろう、と。
レイラ、ハルモニア、フリストは反対した。レイラは当然、保安官の邪魔をしてはいけない、という理由から。フリストは当然、怖いからと言い、ハルモニアは行かない理由を特に述べなかったが、フリストが行かないなら行かないというスタンスであった。だから、ここでフリストが行くと言えばマッハパンチの勢いで掌を返していただろう。
対して、リール側には、当然ながらシンとマイル、それからなんとクラリスがついた。マイルは怖がりとはいえこういったイベントには興味を示すのだ。ハルモニアは理解できないと思いつつ、彼以上に興味本位で参加しようというクラリスを睨んだ。彼女さえ反対していれば4対3で多数決的には行かなくてもよかったのに。
さて、上記のように多数決ではクラス全員で肝試しをやろうという運びになるのだが、ことはそう上手く運ばない。反対派は毛頭行く気がないのだから。それを見かねたリールが口を開いた。
「おいフリスト」「へっ!?」
そもそも幽霊という言葉そのものを聞くのを避けようとしているのか、フリストは耳を塞げるように手を構えていた。脅迫障害のきらいでもあるのだろうか。
「お前、調査団に入りたいんだろ」「そうだけどっ、それがどう関係あるんだよ」
強気だが声が震え出す彼女。
「調査団に入ったらそういう怖い場所だって行かないといけないときだってあるだろ。怖がってちゃだめじゃんか」「……」
そんな心にもないような説得でフリストが動くはずない、と思ってのんきにチーゴの実のシェイクを啜っていたハルモニアは、彼女が何も反応しないのを見て呆気にとられた。
「な? これを機に怖いのを克服してみようぜ」というリールは今までにないほど爽やかな表情だった。
――――テメェこの野郎、面白がりたいだけのくせにっ!
白眼視とはこのことか、と実感するハルモニア。断れ断れ断れ、と心の中で無限に連呼するが、その願いがフリストに届くことはない。
「じゃ、じゃあ私やってみようかな……」
絶句。その表情のまま固まるハルモニア。傍目から見ていたシンはそれを見ながら幽霊より怖い、と思っていた。
「ちょ、ちょっと、フリスト……」と、レイラが制止するが、フリストは一度決めたら止まらない。
そして、ハルモニアはフリストが行くと言えば行くのだ。
「しょうがないわね、じゃあ私もいくわ」「ハルモニア!?」
彼女としては、快諾したつもりだったが、先ほどから表情を一切変えていない。鬼神よりも恐ろしい顔を見た全員が彼女から目をそらす。
さて、フリストとハルモニアが肝試しに賛成したことになって、これで6対1になった。あとはレイラが賛成すればクラス全員で肝試しをやることになる。察せられていたことだが、この状況に陥ると、押しに弱いのが彼女である。根は気が強い少女だが、それは自分が絶対的正義だという自負があってこそのものである。ハルモニアが首を縦に振ってからおよそ十秒後。穏和村学校の生徒全員が夜の学校に忍び込んで肝試しをすることと相成った。
その日の夜。草木も眠る丑三つ時――――とまではいかないが、陽が沈んで時間が経った頃。つまりは、大人たちが眠りに落ちた時間帯である。世界は静まり返り、闇が全てを覆っている。前に歴史書で、時間が停止するとこの光景が永遠に続くという記述を見たことを、ハルモニアは思い出した。
「時間の停止は、時の大陸にある次元の塔が起こることによって引き起こされた――――。それで、誰だったかしら……英雄シアン=ロビンソン、だっけ。実際に時間が止まった未来から来て、次元の塔の崩壊を食い止めたのは」
約束通り学校に集まるために、ハルモニアはノーテルが、フリストはウェルクライム老人が寝たのを確認して家の窓からそっと抜け出し、落ち合った。
「そうだよ。そのあとも次元の塔の崩壊の黒幕を倒すために奔走したんだ」
「……そうだったわね」
フリストの恐怖をまぎらわせるために、近代史の復習をしながら歩くハルモニア。だが、途中で苦虫を噛み潰すような顔をした。
「それで、その黒幕が――――」
気にせずに続けかけたフリストだが、そこまで言ってからハルモニアの表情に気付いてやめた。
「何よ、別に黙れなんて一言も言ってないでしょ。次元の塔の崩壊を目論んだのはマーガレット=ロイフォード。古代の英雄ハルモニアの姉」
「そうだね」
あえて、自分の姉という言葉をハルモニアは使わなかった。橋を渡り、広場に誰もいないことを確認すると、そこを抜けて学校への道を歩く。だが……。
「……絶対疑わないわ。私の正体は古代の英雄ハルモニア」
「……うん、私も信じるよ」
「信じなくていいわ。信じられないでしょう」
「そ、そんな……」
見透かされていたことに気付き、フリストは絶句する。
「私だってそうよ。疑わないとは言ったけど、信じるとも言ってない。未だに、自分でも私が誰だか分からないの。たまたま共通点が多すぎるから、今は英雄ハルモニアってことにしているだけよ」
「ハル……?」
「私はね、フリスト。“納得”が欲しいの。別に英雄ハルモニアでなかったとしても構わない。ただ、私が誰かも分からないまま一生を終わらせるのはダメ。別に笑い話で終わってもいい。私が何者でもないただのハルモニアであってもいいから、全てに優先する納得を得たい。だから、私はいつか答え合わせをしにいくの。私が何者で、どこから来たのか。そのためなら、世界のどこへだっていくわ」
滔々と語るハルモニアの横顔は、月明かりに照らされ青白く光っていた。彼女の言葉の意味を探りながらその横顔を見つめるフリスト。だが、言葉を噛み砕き終える前に、ハルモニアがくすりと笑った。
「あら、貴女と夢がかぶってしまったわ。偶然ね」
「それって、どういう――――」
「ところでもうすぐ学校ね。皆もう来てるのかしら」
フリストの言葉を遮り、ハルモニアは校門をくぐる。いつも見ているはずの校門、そして教室は、見る時間を変えるだけで全く別の場所のように見えた。非現実のよう。ひょっとして、ここは始めて来る場所なのかと思わせる。普段の教室との唯一の共通点は、クラスメイトがいることのみであった。
「よう、やっと来たのかよ」
「お待たせ」
ハルモニアとフリスト以外、皆到着して席についていた。授業じゃあるまいし、わざわざ座る必要もないんじゃないかと思いつつ、ハルモニアも自分の席に着席。数秒遅れてフリストも座った。
「よし……」それを合図に、リールが音頭をとる。「皆揃ったな。それじゃあ、肝試しを始めるぞ」
「……」
「ん、シン、何か言ったか?」
「は?」
肝試し開始から十分ほど経って、リールがいきなりシンに話しかけた。
「お前、さっき何か喋ってただろ?」
「何も喋ってねえよ?」
「え?」
だが、会話を続けていくうちにそこに矛盾が生じてくる。
「ちょ、ちょっと……もう出てるなんて言わないでよ」
真っ先に震えだしたのはレイラだった。
「ヒィィィィ……ハル、消えたりしないでね?」「私が消えるなら、多分あんたも消えてるわよ」「今はそんな冗談いらないよぉ!」とハルモニアとフリスト。マイルはオドオドと周囲を見渡し、クラリスは一切の無表情のまま佇んでいる。ハルモニアにとっては、彼女のその顔が一番怖い。というより、不気味だと感じた。そのとき。
「暑いよぉ……」
聞こえた。
「おい、今のもお前だろっ!」「ちげえよ!」
明確に、リールとシンの口調に焦りが浮き出てきた。これを聞き逃さなかった者はいないと見え、マイルとレイラは震えだし、クラリスは後ろを恐る恐る振り返った。ハルモニアは身を硬くして、フリストは目を固く閉じて耳を塞いでうずくまった。
「暑いよぉお……」
また声が聞こえたかと思うと、今度はそこらに色とりどりの炎が現れた。人魂のように揺れるそれは、現れては儚く消えてゆく。ふわりふわり。揺ら揺ら。
それを見ながら、一抹の違和感を覚えるハルモニア。その正体に気付き、しかし次の瞬間、フリストの手を取って走り出していた。
「ヒッ!? は、ハル!?」
「おい、どうしたんだ――――」
リールが彼女の去った方を目で追った。当然、他の者もそちらを向く。そこに、ハルモニア逃げ出すきっかけとなったものがあった。
赤い禍々しい瞳を抱くその影は、周囲の木を優に二倍は超えようかと言う程に巨大である。それは、しっかりとクラスメイトたちを見つめていた。
ハルモニアでなくても、悲鳴を上げるには充分である。それぞれていでいに、イトマルの子を散らすように逃げ出した。
色とりどりの炎と、巨大な影から命からがら逃げおおせたハルモニアたちは、そのまま自分の家に飛び込んでいった――――と言いたいところだが、クラリスやレイラたちはともかくとして、フリストとハルモニアはそうは行かなかった。家の前に来たところで、ウェルクライム老人とノーテルの待ち伏せという罠に引っかかった二人は、フリストの家に連れ込まれた。
「お主ら、こんな夜中にどこをほっつき歩いておる!」
ウェルクライム老人の雷が落ちる。しかし、肝試しをしていた、というのはいいが、学校にいっていた、とは言えずに言い訳をしあぐねていた。なんて言えば許してもらえるか、ハルモニアがフリストをちらり盗み見たところ、
「すぅ……」
床に倒れて寝ていた。もちろん、ウェルクライム老人の説教を受けながら。
「こらフリスト! ワシの説教はまだ終わっとらんぞ!」
「だってもう眠いんだもん……ふぁ、おやすみ……なさい」
「ちょっと、起きなさいよ」
ハルモニアはフリストを揺すったが、目を覚ます気配はない。
「仕方ないのう。フリストはあとでみっちり叱っておくわい」
ため息をつくウェルクライム老人。それを聞いて思ったよりもすぐに解放されたと安堵するハルモニアだったが、
「仕方ないから今回はお前さんにだけ説教するかの」
「は?」
「は、じゃない! ええかお前さん、大体な……」
理不尽がすぎる、と思いながらやつれた表情を浮かべるハルモニア。ウェルクライム老人の説教は数時間に及び、途中まで苦笑いのまま静観していたノーテルが眠さに耐えきれず、家に戻ってからも続いた。説教が終わったのは空が白み始めてから。ようやく家に帰り、眠りについた。思えば、肝試しの最中は目が冴えて全然眠れなかったのに
陽が高く登りそう、というところで目を覚ましたハルモニア。頭が痛く、眠気がとれない。
「おう、起きたか? ハルモニア」
「おはようございます……」
「はっははは、災難だったなぁお前さんも。んで、どこさ言ってたんだど?」
起き抜けに答えづらい質問を突きつけるノーテル。だが、頭が働いていないハルモニアは馬鹿正直に答えてしまった。
「あー……学校にいってて……」
「学校? なんでんなとこに……忘れ物……? あっ、ひょっとして肝試しでもやってたべか?」
しまったと思いつつも正解を答えられ、ハルモニアは仕方なく首を縦に振る。それを見て、ノーテルは腹を抱えて笑いだした。ウェルクライム老人のように怒鳴りつけるということはしない。前から思っていたが、ノーテルは村の大人が言うようにあそこに行くなここに行くな、と口うるさく言わない。そこを疑問に思っていたハルモニアだった。
ハルモニアは、学校で見たものは全て気のせいとして扱うことにした。あの人魂も、大きな影も、みんながマサムネ先生が言ったことを思い出して集団心理からパニックを起こしただけだったのだ、そう言い聞かせた。家から出て、よろよろと歩きながらフリストの家の前に歩いていった。ドアをノックしようとして、そのドアに何か貼られていることに気付く。
「……? えっ……『今日は罰として家の掃除を手伝わされることになったので調査団の仕事はできません。ごめんね!』」
小声で彼女の言伝を読み上げ絶句するものの、昨日の夜自分が説教を食らっているなかコイツはすうすう寝息を立てていたんだ、と思い直し、そこから思考を放棄してガルーラのカフェに行くことにした。おぼつかない足取りで振り返ると、フリストの家の中からウェルクライム老人がフリストをどやしつける声が聞こえてきて、目の下にクマを浮かべたフリストは少しばかり足を止めたが、そのまま歩き出した。
歩きながら、ハルモニアはある声を脳の中で反芻していた。
『私の名は、ギ――――。魔の国を統べる者なり』
音は不鮮明だが、そんな感じのことを言っていた気がする。これを聞いたのは、肝試しの最中――――と言っても最後の最後。人魂とともに出てきた巨大な影が発した声なのだ。
――――ギ、というのが引っかかるわね。多分自分の名前を言ってたと思うんだけど、ギから始まる名前のポケモンと言えば、ギギギアル、ギガイアス、ギルガルド……でもあんなでっかい影、ギガイアスでも無理よね……せめているとすれば、伝説のポケモンで確かそんな名前のやつが……ああダメダメ、これは気のせいだって決めたじゃない。私以外誰も聞いてない、あの声は。
再びそう言い聞かせるハルモニア。疲れからか思考が少し混濁しているが、ハルモニア自身はそれに気づかない。そのままガルーラのカフェに行くと、レイラとクラリスが談笑していたのでそこに相席した。二人とも昨日の肝試しについて話していた。
「もう忘れましょ、あれは気のせいよ、気のせい」
「へっ……気のせい? でも、私もクラリスも大きな影を見た……って言ってたけど」
「だから気のせいよ。二人とも、マサムネ先生が見つかったときの言葉を覚えてるでしょ。最初に人魂が見えて、次に大きな影が出た、って。それでみんなその二つが見えると思ってたから見えたの、そういうものよ」
「……そうでもないと思うのだけど」
「なによ、こんなの、そうとしか思えないじゃない」
「ハルモニア、ひょっとして一番に逃げ出したから」
「はぁ!? 何言ってんのよ、んなわけないでしょ!?」
「ねぇ、昨日のことが集団幻覚というならこれはどう? 昨日影が出たときに、聞こえたんだけど――――」
クラリスの言葉を聞き、体の芯が冷えそうになったハルモニアである。おいおい話が違う。あの声は私しか聞いていないんだ。私以外の誰かが聞いていたら、昨日のアレが集団幻覚じゃないっていう裏付けになってしまうじゃないか。やめろやめろ。
「魔の国から来た、何か、っていうポケモンらしいわよ」
「何かって何よ」
「それは分からないけど、ギから始まる名前みたい。私もレイラも聞いてるわ」
眉間に皺をよせるハルモニア。
「……私も聞いてると思ってんの?」
「聞いてないの?」
「聞いてるけど」
ハルモニアはそう返し、ガルーラが運んできたアイスコーヒーにガムシロップとミルクを三つづつ入れて飲んだ。
そこにやってきたマイルが、また耳を塞ぎたくなるようなセリフを口にした。
「リールとシンがいなくなったんだって」