奇遇の出会い
夏休みが始まってから五日が経った。これまでの四日、チーム「アスタリスク」の二人はたくさんの依頼をこなしていき、この近くでは少し有名な二人組――――いや、三人組となっていた。
さて、五日目の依頼は安高の丘というダンジョンで迷ったポケモンの救出。依頼主はピクシーというポケモンだった。
「安高の丘って……ここから少し北にいったところにあるダンジョンだったかしら」
「んー。ちょっと時間もかかるし早めに出発しよ」
「そうね」
今日はリーナが一緒にこれないということで依頼はハルモニアとフリストの二人だけである。村を出て北に向かう。安高の丘に着くと、二人とも早速丘を登っていく。
「てやっ!」
ハルモニアは雷パンチでピジョンを殴り倒した。先に行っていたフリストが踵を返して戻ってくる。
「どう?」
「うん、特に危険なところはないかな。多分依頼主さんももうちょっとで見つかると思う」
「そう。じゃあ、さっさと行きましょうか……っ」
ハルモニアは言いかけて、後ろで小さく響いたころんという音に反応して振り向く。見ると、一匹のポケモンが岩に身を隠してこちらを窺っていた。細い体をベールのような翼で包んでいる。警戒しているのか、向かってくる様子はない。
「ハル?」
「フリスト、襲われないうちにさっさと行きましょう」
ハルモニアは、疑問を顔に出すフリストを急かしてさらに安高の丘の上部に向かう。
さて、依頼主のピクシーは空腹か、はたまたダンジョンのポケモンと戦って力尽きたのか、部屋の中に倒れていた。
「ハル! 依頼主ってあのポケモンだよね」
「そうみたいね。じゃあ、あとは……」
ピクシーに向かって走り出すフリストを見るハルモニアの背筋を、悪寒が駆け巡る。凶兆。この二文字が彼女を走らせた。
「フリスト! ダメ、止まりなさい!」
しかし、時すでに遅し。フリストは小部屋の中に躍り込み、周囲を多数のポケモンに囲まれていた。
モンスターハウス、というダンジョンのトラップがある。気づかないうちにダンジョンの野生化したポケモンたちに囲まれ倒されてしまうというものだ。ハルモニアは後ろから、部屋の様子を窺う。ピクシーは起き上がる様子がないが、少しだけ頭を動かしてこちらを見た。なるほど、こちらが何もしなければ敵は襲ってこない、というダンジョンのポケモンの性質を上手く利用している。
――――そんなこと考えてる場合じゃないわ。まずはこの状況を打開しなければ……!
敵は十二匹。一人で六匹を相手にする。この戦力差は痛い。道具を使うか? いや、鞄の中にある潮満の玉は使えば依頼主のピクシーどころかフリストまで巻き込みかねない。
「ッ……フリスト、一旦下がるわよ! 広めの道に誘い込んで二対一に持ち込んで――――」
「ううん、ハル。そんなことしなくたっていいよ」フリストは、ハルモニアの言葉を遮って、耳打ちした。
「――――できないかな」
「できるわけないでしょ。バカじゃないの」
「できるよ。それに、手っ取り早いじゃん」
「手っ取り早くやって、私たちまで死んだら元も子もないでしょう。仮にも命を救う仕事なんだから、確実にやれる方法を私はとるわ」
口論を始めるハルモニアとフリスト。簡単に言ってしまえば、フリストの提案した作戦とは、彼女がこの敵の包囲網をかいくぐってピクシーを抱きかかえてできるだけ遠くに逃げ、ハルモニアが潮満の玉で敵ポケモンたちを一掃する、というものだった。当然、リスクも大きいのでハルモニアが反対する、という次第になっているのだが……。
「つべこべ言ってないで、こいつら全員、ぶちのめすのよ。私はその方が――――」
しかし、次の瞬間にハルモニアは自分の発言を覆さざるを得なくなった。後ろから迫ってくる影。振り向くと、リングマというポケモンが立ちはだかっていた。その後ろにはボスゴドラ。どちらも凶悪さでは随一で、まともに戦えば下手をすれば命を落とすことになる。ハルモニアはその迫力に圧倒され、数秒言葉を失った。
「う、嘘……でしょ」
「ハル?」
「……仕方ないわね。あんたの作戦、乗るわ。ちんたら戦ってる暇もなくなったものね」ハルモニアは唸り声を上げるリングマをしり目に、潮満の玉を取り出した。
「フリスト、速くッ!」
「うんっ!」
フリストは言葉をあげ、弾かれたように駆け出した。一瞬遅れて、ハルモニアが潮満の玉を掲げる。
雄たけびを上げるリングマ。今にも襲い掛かってくるモンスターハウスのポケモン。その全てを薙ぎ払うように、ハルモニアを中心に巨大な水柱が生まれ、津波が起こった。大洪水が森羅万象を飲み込み包んでいく。
フリストはその洪水から逃れるように、ピクシーを抱えて、できる限り走り去ろうとした。しかし――――
「重いッ!?」
事はそう上手く運ばない。ピクシーの体重はそこまで軽くはなく、フリストでは動かせない。津波が襲いかかるまでコンマ一秒。見捨てるという判断すら敵わなかった。
フリストが目を覚ますと、まず見えたのはハルモニア。睨むような、しかし泣きそうな瞳だった。次に、西の空に悠然と浮かぶ太陽。ここはどうやら、安高の丘の頂上のようだ。それと、草の上に横たわっている依頼主のピクシーと、一人の知らないポケモン。三日月のような細面に、華奢な桃色の体。翼で身を包んでいる。知らないポケモン。だが、遙かに美しい。
「え、えと……」
「あのポケモンが助けてくれたのよ。お礼を言って」
と、ハルモニアがそのポケモンを指さす。
「えっ……そ、そうなんですか? ありがとうございます……」
「いえいえ、構いません。私もこのポケモンを助けに行っている途中でしたので」
そう返す謎のポケモン。救助活動? ひょっとして、調査団の一員か? いや、そもそもあの状況からどうやって自分たちを救い出したんだろう。
「すみません、私からもお礼を言わせてください。ところで、助けに行っていた……ってことは、調査団の方、ですか?」とハルモニアが、フリストの疑問を肩代わりする。
「いえ、そうではないのですが……ただ、フェアリータイプのポケモンは助けるようにしている身ですので」
「フェアリータイプは……そう、いえばクレセリア、っていうと確かフェアリータイプの守護神という捉え方もされていたんでしたね」
ハルモニアが言った名前は、フリストには聞きなれないものであった。くれせりあ? 美味しいのか?
クレセリアというポケモンは、もちろんフリストのそんな様子に気付くこともなく、ただハルモニアの言葉にのみ目を見張った。
「あら、まあ……私をご存知なのですね。それではここいらで、よろしければこの近くの穏和村でまたお会いしましょう」
クレセリアというポケモンはまばゆい光とともに、一瞬で消えた。その稀有な立ち去り方すら自然に思わせるように。ハルモニアとフリストは、依頼主のピクシーを無事家まで送り届けて穏和村まで帰ることにした。その途中、ハルモニアがかがんでいたかと思うと、何かを拾いあげた。
「これって……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないわ。いきましょう」
「あなた……は、確か、クレセリア……」
安高の丘から戻ってくると、件のポケモンが広場のベンチで待っていた。ハルモニアとフリストは彼女の元まで走り寄る。
「あら、あなたは先ほどの……やはり、珍しいですね。私の種族を知っているなんて」
「ええ、三日月の夜にこの世のどこかの島で優雅に舞う、なんて伝説もあったはず……ですよね」
「博識なのですね、一説では希少な種ゆえに伝説のポケモンと呼ばれることもありますよ」クレセリアは優しい笑みを浮かべる。そこにフリストがしたり顔で入り込んだ。
「ハルは物知りなんだよ。ポケモンのこととか何でも知ってるんだもん」
普段であればハルモニアはそこではいはい、と退けるはずなのだが、なぜか彼女は今回クレセリアというポケモンの顔をまじまじと見つめるだけだった。
何だろう、このポケモン、初めて会うはずなのにすごく見覚えがある。微かに香る、懐かしい匂い――――。
「……そうだ、私安高の丘から帰る途中でこれ、拾ったんですけど」
ハルモニアがそう言って鞄の中をごそごそとあさって取り出したのは、銀色に輝く羽だった。冷たくも優しそうな光を放つ弓なりの羽根は、さながら三日月のようだった。
「これ、あなたのですよね?」
「あら、そうです。拾ってくださってありがとう……でも、羽根の一枚なんていいんです。これも何かのご縁、記念に持っていてください」
「記念なんて言われても……」「いいんですか?」躊躇いと喜びを同時に見せるアスタリスクの二人。ここで、ハルモニアは初めてフリストを咎めた。「ちょっとやめてよ。そんながつがつしないの。
本当にいいんですか? クレセリアの羽根、っていうと確かダークライの悪夢を打ち消すなんて伝説もあったはずじゃ……」
「いえ、もうダークライはいないので大丈夫ですよ」とクレセリアがまた笑いかける。「なので、羽根も用済みです」
ハルモニアは今の言葉に、当然、衝撃しか受けない。思わずクレセリアに詰め寄った。
「いない……!? ダークライ、が?」
「ええ。ダークライというポケモンは、本来存在するはずのないポケモンだったんです。それが、ちょっと前まではこの世に一匹だけ存在していた。名前はマーガレット=ロイフォード」
「えっ」
ロイフォード。八千年以上も前にハルモニアという人間を滅ぼした英雄を輩出した、人類最後の王家。
いや、偶然だろう。たまたまポケモンにもロイフォードという苗字の家柄があっただけだと信じたい。
「そういえば、私の名前を名乗っていませんでしたね」ここで唐突に、クレセリアは自分のことを持ち上げた。それがどういった意味を指すのか。ハルモニアとフリストは目配せをして逡巡する。すぐに、それを察した。クレセリアはそれを見て、穏やかな声で名乗りをあげる「私はマーガレット=ロイフォード。かつてはダークライというポケモンでした」
ハルモニアとフリストは、クレセリア――――もとい、マーガレットの隣に腰を下ろした。
「せっかくなので、私の身の上話でもさせていただきましょうか……私、いえ、マーガレットは元は人間でした」
「人間!?」「うそ、ハルと……」「フリスト」
思わずハルと同じだ、と言おうとしたフリストを、ハルモニアは四文字の圧力で黙らせる。
「ごめん、ハル」「いいのよ。それで、マーガレット……さん。あなたが元は人間だった、ということはひょっとして生まれは八千年かそれ以上前……ですよね。それに、ロイフォードってことは人間の王家だった……んですか?」
「そうですよ。ロイフォードはポケモンに滅ぼされた人間の王家ですから。ロイフォード王六代目とその妻テレジア妃の間に生まれた長女が私なのです。
……皮肉なことに、そのロイフォードを滅ぼしたハルモニアもロイフォードの人間だったのですが」
言って、悲しげに目を伏せるマーガレットにハルモニアはもちろんいい気がしなかった。ハルモニアは自らの素性を明かそうかどうか迷っていたが、フリストを目でけん制しつつ、それはあきらめることにした。
「話が少しそれましたね。私ことマーガレットは人間で、ハルモニア=ロイフォードの姉でした」
だが、マーガレットとハルモニアの関係を知った瞬間、その決断に後悔が生まれる。目の前にいるクレセリアが……姉? 自分の?
「私たちが生まれた時代、レイクスの街にとどまらずポケモンは人間の道具だと考える人が多かったのです。戦わせて見物したり、重い荷物を運ばせていたり、戦争の道具に使っていたり……。もちろん、心からポケモンのことを愛する人間もいました。しかし、それもペット止まりで、いわば玩具という扱いでしかなかったのですよ」
マーガレットの言葉を何とか耳に詰め込むハルモニア。懐かしい匂いに合点がついた。実の姉。それも、八千年前に別れたきり一度も会っていないのかもしれない。
「王女だった私とハルモニアは二人で悩みました。ポケモンは人間の尻に敷かれて良い存在ではない、と。私は人間とポケモンが仲良くなれる方法をずっと考えていたのですが……」
ハルモニアは、マーガレットの声を聴くのが怖かった。しかし、聞かずにはいられなかった。姉から見た自分はどうだったのか。フリストが心配そうに彼女の顔を覗き込むが、ハルモニアにはそんなこと気にしている余裕などない。
「そんなとき、レイクスの街のポケモン愛好家の家で火事がありました。家主はポケモンを放っておいて、自分の財産を優先して持ち出したんです。ポケモンなんて金さえ出せばまた買えると言って。その家に住んでいた多くのポケモンが火事で死にました。ハルモニアはそれで怒りを覚えて、反乱を起こしたんです。多くのポケモンたちを引き連れて……」
ハルモニアの鼓動が、ドクドクと早鐘を打つ。聞きたくなかった。いやでも、聞かねばならない。
「私の妹は、そもそも人間が嫌いだったようで……ポケモンと人間が分かりあう道を切り捨てたのです。一年間失踪していたかと思えば、現れたその日に突然人間の虐殺を始めました。それは大陸全土どころか世界中におよび、ほとんど全ての人間が血祭になり死に絶えました。
ハルモニアは途中に私と彼女の両親、祖父母、家臣を殺しました。ただ……」
それを語るマーガレットは、ただただ悲しそうに言葉を紡ぐだけだった。たった一人生存を許された彼女が真実を語る。ハルモニアは、その声に一筋、優しさが含まれていることに気付いた。
「ハルモニアは、姉の私だけは殺せなかったのです。……知っていたんですよ、私だって。あの子は根はやさしい女の子だって。ナイフを捨てて、私を抱きしめて泣いてたんです。ごめんなさいって言いながら。
でも、私は彼女に殺してほしかった……。もう家族も友人も失って、私に残されたのはハルモニア一人しかいなかったんです。
それなのに、彼女は辛酉の年の伝説を知るとまた一二六〇年後に大災厄が起こることを知って、自分を封印しました。そのときにまた蘇って、世界を救えるようにと。あの子は心からポケモンたちを愛していたんです。一つだけ、ハルモニアは自分に
呪いをかけていました。次に蘇るときには、ポケモンの姿として目を覚ますようにと、ハルモニアはそう
呪っていました。
願わくば、私はもし再会できるなら人間のハルモニアに会いたかったのですけどね」
冷たい手に背筋を撫でられたように、ハルモニアの体が痙攣する。自分だ。人間を滅ぼしたハルモニア=ロイフォードは自分だ。もう断言できてしまう。そう考えれば辻褄が合うというだけの話だが、ハルモニアの中には確信のみがあった。
「私の世話は、彼女の部下のポケモンに任せていってしまって、人間として残された私は一人ぼっちになってしまいました。……それから寂しさのあまり、黒いドレスを纏って、彼女の部下の前から逃げ出したんです。そのときに私は人間性を捨てていたんでしょうね。彼らの目の前から去った次の瞬間にはダークライになっていました」
ハルモニアは、その優しさを汲み取って初めて、自分の罪を悟った。自分がマーガレットに苦しみを与えてしまったことを。
「恐らく、憎しみが私を変えてしまったんだと思います。私を独りぼっちにして眠りについたハルモニアへの憎しみが……それで、私は世界を闇に包んでしまおうと考えました。彼女が守りたかったポケモンたちの世界を滅ぼし、それをハルモニアへの仕返しとする。その計画もつい五年前に頓挫してしまったんですけれどもね……。
時の大陸の英雄が、私の目を覚まさせてくれたんです。シアン=ロビンソンと言うんですけれども……とにかく、彼に殴られて私は目が覚めて憎しみが解けました。そのときに
呪いも一緒に解けたんです。気が付くと、私はクレセリアというポケモンになっていました」
マーガレットは言い終えると、ベンチから降りた。
「……マーガレットさん?」
何も口を開かないハルモニアの代わりに、フリストがマーガレットに話しかけた。
「すみません、こんな昔話を聞いてくださってありがとうございます……誰に話しても、私は狂人扱いされるのみでまともに取り合ってすらもらえなかったものですから……頓狂な話かもしれませんが、信じていただかなくても結構ですので」
「あ、いいいえ私っ、信じますよ」
フリストはとりあえず顔に笑顔を貼り付ける。
「この子だってそう思ってますから……ね?」とハルモニアの肩を叩く。素性が知られるのは嫌だろう、というのはフリストも理解していた。だが――――。
「……マーガレットさん」
「はい?」
「……ハルモニアは、あなたの妹は、あなたのこと、なんて呼んでました?」
「ハル……」
嫌、かもしれない。でも知らせなきゃいけない。たとえどんなに憎まれていようと。蔑まれていようと。
「お姉ちゃん、って愛おしそうに呼んでくれてました。……可愛かったんです。1260年に一度の復活ですから、もう中々会えませんけれど。ひょっとしたら、この命が尽きるまでに会うこともないのかも……」
少しためらった。口をパクパクと泳がせて空気を出し入れすること五秒。
「……お姉ちゃん」
「えっ?」
マーガレットは、ハルモニアの言葉の懐かしい響きについ捕まってしまった。
「私よ、お姉ちゃん。ハルモニア=ロイフォード。元は人間、今はピカチュウ」
その瞬間、マーガレットの息が止まった。瞬きを繰り返すと、少し笑う。
「わ、私のためにわざわざそんな妹を演じていただかなくても……」
「演技じゃないわ、お姉ちゃん。信じて」
マーガレットは二、三秒ハルモニアの顔を見つめた。
「もしかして……声を聴いたとき、もしかして、とは思いましたが……でも、私を呼ぶその声は確かに……」
「ごめんなさい、私には記憶がないから証明はできないわ。でもハルモニアという名前であることだけは確かよ。穏和村の役場にもそう登録されてる」
マーガレットは、目の前のピカチュウの少女の傍に、一人の人間の少女が立っているのを見た。栗色の髪をなびかせ、丈の短い純白の外套を纏っている。切れ長の目だがあどけなさを残す顔の少女は、まぎれもない。マーガレットが知っている、彼女の妹だった。
それは夢か幻か、マーガレットに笑いかけると、淡く消え去っていった。