気になる私は伝説少女
チーム『アスタリスク』が結成してから二週間経った。入道雲が乱れ誇り、熱気が皆を覆う。夏真っ盛りだった。
「というわけで、今日で学校も終わりだ。明日から夏休みに入る」とマサムネ先生が言った瞬間に、教室中が歓声で沸く。「こらこら、お前たち夏休みだからって浮かれるんじゃないぞ!」
という彼の教壇の上には水中ゴーグルとシュノーケルが置いてあって、一番浮かれているのは彼のようだった。
先生から解散の合図がかかると、みんな狂ったように校門から飛び出していく。ハルモニアはフリストとクラリスと一緒に帰り道を歩いていた。
「ふぅ、これから四十日も学校がないなんてね……クラリスなんか暇すぎて死ぬんじゃない?」とハルモニアが茶化す。
「ううん、別に……読む本がなくなったら新しいのを近くの街まで買いに行くだけよ」と返すクラリス。味気ない返事で、ハルモニアはつまらなかったのかフリストに向き直る。
「アンタはどうせ調査団見習いやるんでしょ」
「当然でしょ! ハルも手伝ってくれるよね? 私のチームの一員だもんねー」
「そうね……でもたまにはほかの子を誘ってもいいのよ。例えばクラリスとか、ね」
「んー……まぁ、興味なくもないかな。考えておくわ」
クラリスの返事はあまり素っ気がない。それでも、ハルモニアの目だけはしっかり見返している。
今日の仕事は、ボーマンダというポケモンの討伐だった。場所は新緑の森。とある木を中心とした広場に陣取っていて、動かないそうだ。その木はダンジョンの中でも神木とされているためとても困る、というのが依頼主であるキバゴの弁。なるほど、依頼を任されるくらいには手ごわい相手だったが、リーナが手伝ってくれた。タイプ相性のおかげで、無傷のままにボーマンダをぶっ飛ばすリーナ。無事依頼を済ませたのち、二人はリーナと別れて家路についた。
さて、ハルモニアの家とフリストの家は道を挟んで向かい合っている。つまり、かなり近い。ので、帰ってきた二人は、フリストの家の前で会話しているノーテルと村長老人にすぐ気づくことができた。
「あ、あの……ノーテルさん?」ハルモニアが声をかけると、ノーテルは丁度良いと言わんばかりに振り向いた。
「おっ、ハルモニアか。丁度よかったべ。悪いけどまた家を空ける用事ができちまっただ。今回はいつ帰ってこれるかわがんねえから村長さんっとこで預かってもらえんかって話をしとんだが……大丈夫だか?」と、最後の一言は村長を向いて言った。
「おお、噂をすれば帰ってきおったか。ホッホッホ、わしゃ構いませんぞ。うちのフリストとも仲がいいようで何よりじゃ」
「……ってことは、ハルは今日からウチに泊まるの?」
「おう。すまねえけど大事な用事なんだど。そんじゃ、できっ限りはよ帰ってくるから頼みます」ノーテルはそう言って、荷物を抱えて歩いていってしまった。
「いえいえ、お気になさらず。さ、二人共さっさと家に入りなさい。夕食の準備をするぞ」
村長老人は二人を手招きした。ハルモニアは突然のことに少し戸惑うが、フリストが彼女の手を取った。
「じゃあ、しばらくハルがうちにいるんだ。えへへ」
「何よ、変な笑い方しちゃって」
「ううん、私こういうの初めてだから楽しみだなーって。今からご飯が待ちきれないや。じっちゃんの料理、すごく美味しいんだよ!」
フリストの一言目に、言葉に詰まるハルモニア。それには気付かず、フリストは彼女の手を引いて家に吸い込まれていった。
さて、フリストの言った通りウェルクライム老人は料理にかけては達人と言わしめるほどの腕前だった。フリストは食べ物を両頬いっぱいに頬ばり、ハルモニアさえもいつもの静けさを忘れて食に傾倒し、村長にもっと静かに食べろと説教されたくらいだった。
夕食が終わり、皿を片付ける。
「そうじゃな、せっかくこう客人がおるんじゃから何か面白い話でもしてやろうかのう」と村長老人の弁で、ハルモニアとフリストはまたテーブルを囲んだ。
「きゃっ、客人なんてそんな……」
「じっちゃんずるーいー。私のときは早く寝ろってうるさいくせに」
「やかましい。お前に聞かせる昔話はもう語り尽くしたわい。しかしなんの話をしようか……そうじゃ、フリストにも一つ、聞かせとらん話があったのう」
「えっ、なになに?」
「9000年前の英雄の話じゃよ。最近では学校も人間を滅ぼした、としか教えておらんようじゃがのう。名前もハルモニアと一緒じゃからちょうどよかろうて」
「(えっ?)」「ハル、と……?」
村長老人の一言にハルモニアとフリストは顔を見合わせた。
「うむ。エルマーニャ=レアーフェルデという名前くらいは知っておるじゃろう?」
「ええと……約9000年前、ポケモン歴だと紀元の年に人間を絶滅させたっていう英雄だよね?」
「うむ。正確にはその年を紀元としたんじゃがな」
「あの、エルマーニャが私と同じ名前ってどういうことですか?」
「エルマーニャっちゅう名前はな、後世の作家の誤訳なんじゃよ。本当の名前はハルモニアじゃ。
草の大陸の言葉ではハルモニアはこう書くんじゃよ」
村長老人は、紙と万年筆をとり、そこにこう記した。「Harmonia」。
「で、その作家は仏の国の出身なんじゃが、その国の言葉では単語の最初のHは発音しないんじゃ。だからアルマニア、とその作家は読んだ。その話が語り継がれていくうちに、古代の英雄はエルマーニャ、と呼ばれるようになったんじゃ。一説には苗字のレアーフェルデも元々は違う名前であったらしくてのう。
エルマーニャ……いや、英雄ハルモニアは王家の出身でのう。当時の王家がロイフォードという名前だったから、ハルモニア=ロイフォードという名前だったんじゃ、と言われておるんじゃよ」
「ロイ……」
そういえば、じっちゃんはハルモニアの苗字を知らないはず……。フリストが恐る恐るハルモニアの顔を見ると、ハルモニアも眉根にしわを寄せてフリストをチラッと見てきた。二、三秒まばたきを交わし、また村長老人に向き直る。
「おっと、そろそろ暗くなってきおるな。陽が完全に沈んぢまっておるわい。じゃあさっさと話してしまうかのう」
「あ、あのっ、すみません」
「ん? なんじゃトイレか?」
「いえ、その……英雄ハルモニアって、種族はなんだったんですか?」
ハルモニアは、ここで老人の答えを望んでいて、それでいて望んでいなかった。こんなに早く自分の正体が分かるとは! という気持ちと、そんな悪鬼羅刹が自分だったなんて、という気持ちが混じり合う。
「一説にはフェアリータイプのポケモンであるっちゅう話もあるがのう、ハルモニアはロイフォード王の第二王女なんじゃよ。で、ロイフォードは元々人間王家。じゃからハルモニアは人間であるというのが定説じゃ」
ハルモニアの胸を冷凍パンチが飛び込んできたような感覚蹂躙した。フリストが村長老人とハルモニアを交互に見ながら、口をパクパクと動かしていた。ハルモニアは、そんな彼女を目で制する。落ち着け、まだ古代の英雄とは種族と名前が一緒であるだけじゃないか。何千年も前の人物とそれだけしか共通点がないんだ。心配するな。
「まぁ、人間が人間を滅ぼすっちゅうのも皮肉な話じゃがな。じゃあ本題の昔話でもしてやろうかのう。昔昔、あるところにハルモニアという女の子がおりました――――」
ハルモニアは、王様の娘で、国の京の城に住んでおった。姉が一人、母親が三人。父親は水の大陸を統べる王様じゃった。家臣が百人おって、みなハルモニアとその家族にかしずいておった。幼いころからずっと庶民と変わらぬ格好をして街を駆け巡っておるような王女でのう。見目麗しく、誰にでも隔たりなく接して、優しい笑顔を忘れぬ少女じゃったから、誰からも慕われておったんじゃよ。一度誘拐されたこともあったが、誘拐犯が最後には彼女に跪いて忠誠を誓ったこともある。
じゃがハルモニアは人間よりポケモンの方が好きでのう。家族よりもポケモンといる時間を大切にした。
当時は人間がポケモンを従えておってな、人間がポケモン同士を戦わせる施設もあったんじゃが、彼女はそれをよく思わず、独断でそれを取り壊そうとした。人間がポケモンを虐めていたのを見て、その人間に私刑を加えたこともあってな、それからハルモニアを慕っておった庶民は彼女に幻滅して離れていったんじゃ。みな彼女への当てつけのようにこれ見よがしにポケモンを痛めつけるようになり、ハルモニアは狂っていった。
それで、ハルモニアが十六歳のころじゃったかのう。ある商人の屋敷で火事があったんじゃ。その商人はトリミアンを何十匹も飼っておってな、人心を失ったハルモニアにも優しく接しておって、ハルモニアもその商人は信頼しておったんじゃ。
しかし、火事の折に商人は炎に苦しむトリミアンそっちのけで自分の家の財宝ばかりを持ち出しておった。心が痛んだハルモニアはトリミアンたちを救い出そうとしたんじゃが、結局皆死んでしまった。火事の後、焼けた商人の家の前で泣きながら懺悔しておったところ、その商人が言った。「ポケモンはまた金で買える」と。勿論昔話じゃから少し誇張表現もあるじゃろうがのう。その言葉にハルモニアは激高し、商人を殺してその街から消えたんじゃ。
失踪したハルモニアは、水の大陸をずっとさまよった。彼女は、そのときには人間を殲滅するつもりでおったんじゃ。じゃが、勿論それには軍隊が必要じゃった。それもポケモンで編成されたもんがな。
最初は、ポケモンと意思疎通をする方法を探った。人間はポケモンの言葉は分からんかったからのう。それで、どこかの山奥にポケモンの言葉がわかるようになる不思議玉があるっちゅう話を聞いたハルモニアは、三ヶ月かけてそれを探した。その不思議玉は触れたときにハルモニアの体に取り込まれてしまったんじゃがな、それでポケモンの言葉がわかるようになったハルモニアは、各地で会った強力なポケモンや伝説のポケモンを集め、軍隊を作った。ラティアスとラティオス、それにコバルオン、テラキオン、ビリジオンっちゅうポケモンたちが名乗りをあげたんじゃ。ハルモニアは最初、大陸の北の村や町を一つずつ破壊していったんじゃ。やがて勢力が大きくなるにつれ、父親である王が、討伐隊を差し向けるようになった。が、ポケモンと人間では力量に差がありすぎてのう、討伐隊は簡単に返り討ちにあっておったんじゃ。
ハルモニアは他の大陸に渡りながら軍を次第に大きくし、仕舞いには王都に攻め込んだ。彼女は人間への恨みを剥き出ししてな、老若男女構わず殺したんじゃ。中にはポケモンを心から愛しておった人間もおったじゃろうがな、もうその頃にはハルモニアは全て殺そうとしか考えておらんかった。城に攻め込んだら、ハルモニアはかつて従えておった家来とおうたんじゃ。じゃが、自らの刃を見せるハルモニアに対し、家来はみなポケモンを戦わせようとした。ハルモニアは刃をしまうと、そのポケモンたちと戦った。
ハルモニアが取り込んだ不思議玉はな、特別なものなんじゃよ。ポケモンの言葉がわかるだけではない。ポケモンの技を受け付けなくなるんじゃ。勿論単純な腕力ではまだまだ適わんが、それでもハルモニアは家来のポケモンたちをみな説き伏せた。家来は自分のポケモンに鞭打って従わせようとしたが、ハルモニアがそれを見咎めた。結局、水の大陸の人間はハルモニアの怨念でみな死んでしもうたんじゃ。ハルモニアと、ハルモニアの姉だけ残してな。それからハルモニアは草の大陸、風の大陸、霧の大陸、砂の大陸、赤の大陸、時の大陸、全ての大陸に住む人間を殺させた。時の大陸の北の果てにはまだ人間の生き残りがおるらしいがのう。それで、ハルモニアは全てが終わってからポケモンたちのために、新しく京を作りインフラを整備して消えたんじゃ。ハルモニアの姉もその翌年に消えた。まぁ、自ら命を断ったんじゃろうな。
「これが、古代の英雄ハルモニアのお話じゃ。おしまいおしまい」
聞き終えた後、ハルモニアとフリストの間には気まずい雰囲気が流れた。
「まぁ、客人に聞かせていい話じゃないかもしれんのう。ほっほ」
「ねぇ、じっちゃん」
「なんじゃ?」
「ハルモニアが消えたって言ってたけどさ、死んだとはならないの?」
「ああ、そうじゃそうじゃ。ハルモニアはな、この後辛酉の年の伝説を知って自らを不思議玉の中に封印した、と伝えられておるんじゃよ」
「辛酉の年?」
ハルモニアはピクりと耳を動かした。これは知っている。ハスブレロに教わった話だ。
「1260年に一度、この世に大災害が起こるって話ですよね」
「おお、ハルモニアは物知りじゃのう。そうじゃよ。それで、辛酉の年に大災害でポケモンが滅びるのを防ぐためにハルモニアはその年に前後して蘇るように眠りについた、という伝承じゃよ。ハルモニアは今も生きていると言われておるんじゃ。ひょっとしたら、お主が英雄ハルモニアの正体かもしれんのう」と笑いながら茶化す村長老人。「さぁ、もう寝るとするかの。せっかくの夏休みじゃからのう、早起きは三文の得じゃ」
「はっ、はい……」
「お、おやすみ。じっちゃん……」
「はいおやすみ」
村長老人に急かされるまま、ベッドにもぐる二人。満天の星空が二人を見守っていた。