星が瞬くこんな夜空に
オオホリは筋金入りの方向音痴とのことで、二人が彼を穏和村に連れて帰る際にも少し目を離せばあっちへふらふら、こっちへふらふらという有様である。二人はやっとのことで、彼を村の広場へ連れて帰ることに成功した。フリストは、せっかくだからと彼を、あの大きな丘のところまで案内しようと言った。ハルモニアは仕方なし、といった感じで彼女とオオホリに着いていく。
「はぁっ……さっきの場所が村の広場よ。帰り道くらいは覚えておいて頂戴」
「どーもすみません、助かりました。」
「私たちもニョロボンから助けてもらったし、どっこいどっこいだけどね」
「そうね……」
そもそもこいつが落とし物をしなければ助けてもらわなければならないこともなかったのだが、と心の中で付け足すハルモニア。と、そこで彼女は自分たちがなぜオオホリを探しにいったのか思い出した。
「それでは私はここで……そういえば、落とし物もしちゃったんですけれどどこかにありませんかねぇ」
「あ、そうだ。私たちそれであそこまでいったんだよね」とフリストも思い出したように言った。
「そうよ。さっきのガラス玉、あずかってたのアンタでしょ」
「うん」
フリストは答えながら、鞄の仲を漁る。オオホリは一瞬顔に疑問符を浮かべていたが、彼女の差し出したものを見てそれは解消した。
「あっ……! これですこれです、いやーつながりオーブ見つかってよかったですよ。これ一個一万ポケもする代物でしてねぇ。いやー危うく怒られるところだった」
と受け取るオオホリの顔は、ホッとした、というのを体現しているようだった。
「しかし、やれやれ……子どもにあんなダンジョンまで行かせてしまうとはねぇ。このアンポンタン」
そんなことを言っているうちに、気づけば三人は目的地に着いていた。オオホリは夕焼けに染まったその景色を見てため息を漏らす。
「綺麗ですね……いい景色です。また今度来たときにも見られるといいですねぇ」
「……オオホリさん、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「おや、何でしょうか。つながりオーブを届けてくださった上にこんないいものまで見せてくれましたからね、お礼と言っては何ですがある程度の質問は答えて差し上げましょう。それでご用件は?」オオホリはさわやかな笑顔で二人に向き直る。
「えっとね、オオホリさんは調査団で働いてるの?」
「調査団で働く……?」
「う、うんっ。昼間にお店の人に聞いてみたんだけど、つながりオーブを持ってるのは商人か調査団だけ、って話だったから……それで」「フリスト」言葉を滅茶苦茶に発するフリストを、ハルモニアは黙らせた。彼女は木の根元に腰を下ろす。
「何でそういうこと聞くのかとか、ちゃんと言っておかないとダメでしょ。オオホリさんはアンタのこと何も知らないんだから」
「そうですねぇ。聞くのは構いませんけど……調査団に興味をお持ちとかそういうことでしょうか?」
オオホリが尋ねると、フリストは目を煌めかせて頷いた。
「うん! 私小さいころから調査団に憧れてて、それで今からでも調査団になりたいって思ってたんです。調査団に入って、世界の色んなところを見て、たくさんのポケモンと出会って、世界をつなぎたいって。私の年齢ではまだ入れないけど……せめて話でも聞きたいなぁって……みんな、私の夢をバカにするんだ。私には力がないとか、子どものくせに生意気だ、とか。調査団をなめてるのか、とか」
フリストはそう言いながら俯いた。気づけば、陽は完全に落ちていた。黒が空を支配するが、雲が出てきて月も星も姿を現さない。
「なるほど……」オオホリは彼女の言葉を咀嚼するようにうなずきながら話に耳を傾ける。「確かに子どもは調査団には入れないという決まりならありますね。残念ながら私は調査団で働いてはいません。……が、大きな夢にはハードルの一つや二つは付き物です。いや、一つ二つで済むならそれは夢とは言えません。せっかくですので、私が調査団見習いを始める手引きをさせてもらいましょう」
「えっ?」「見習いっ!?」
フリストとハルモニアが同時に声をあげる。オオホリは、自分の鞄の中から何やら一つ二つ取り出してフリストに渡した。
「まずは調査団バッジ。まぁ見習い用ですけれどもね、調査団公認の団体であることを証明するものです」
と言って彼に渡されたものをフリストはまじまじと見つめた。黄色地で、両側に羽根が着いている。黒い線が中央を横に走り、その線の真ん中に円形のスイッチが配置されていた。ハルモニアは、その形にどことなく懐かしさを感じた。人間時代の記憶だろうか? ……だめだ、思い出せない。
それが、五個。「よろしければ、他にもご友人を誘って調査団をやってみてはいかがでしょう。パーティにはもう一人入るようですので」というオオホリの配慮だった。
「それとこれです。調査団バッグ。これも見習い用ですけれども」と言って、オオホリは変哲のない鞄を二つ渡した。ハルモニアには肩から下げるショルダーバッグ。フリストには後ろに下げるタイプのものを。
「ダンジョンに潜るのは危険が付き物です。道具を持ち込まなければ普通はクリアできないんですけれどもね、普通の鞄じゃ必要量入りきらなかったり、途中で破けてしまうなんてこともザラにあるもんですよ。そんなところでその調査団バッグなんです。軽くて丈夫。容量も申し分なし」
更に、オオホリはこれを取り出した。小さな携帯端末。画面を触ると電源が起動した。
「な、何よこれ……」随分と進化を遂げている技術に、ハルモニアは気色悪さすら覚えた。よく見ると、端末の側面にはつながりオーブがはめ込まれている。
「調査団ガジェットというもんです。画面をよーく見てみてください」
言われて、ハルモニアとフリストはガジェットを覗き込んだ。つながりオーブを覗き込んだときに見た、たくさんのポケモンのつながりが見えている。そのポケモンのアイコンは、赤かったり青だったり黄色だったり。
「それを見れば、ポケモンたちのつながりだけでなく困ったポケモンの悩みを知ることもできるんです。困っているポケモンがいたらそこに赴き、手を貸し、悩みを解決するッ! これも調査団の大事な仕事です。もしかしたら、そこで助けたポケモンに調査団バッジを渡すことになるかもしれませんね。
さて、そろそろ陽も落ちるところですからここいらでお開きにしましょう。それの見方は明日ご教授いたしますので」
「す、すごい……」
フリストは突如渡されたカッコいい仕事道具に目を光らせた。憧れに今、何十歩も近づいた、そんな気分だった。
「そうですねぇ、明日村の広場に来てください。そこで調査団の仕事内容をお教えしますので」
まだ信じられない。フリストはハルモニアとオオホリを交互に見た。
ダメだ。やめろ。まだ子どもなのに。お前には無理。弱っちいくせに。
今まで言われて、彼女の精神をズタボロに傷つけていった言葉が、浮かんでは消える。曇天だった空から、徐々に雲が消え始めていた。
「私が……私が、調査団になれるの? なってもいいの? こんな私なのに」
ずっと待っていたその時は、思ったよりも早く、そして突然だった。嬉しい。でもちょっぴり怖い。楽しそう。死んだらどうしよう。
「……ハルモニアさん、でしたか。ガジェットにマップのアイコンがありますよね? それをタップしてみてください」
「あ、こ、これかしら……」ハルモニアは、言われるままにガジェットを操作する。
すると、文字通り地図が出てきた。フリストが言っていた。世界地図だ。彼女が行きたい場所がいくつも見えている。
「調査団の目的は、この世界の見えないところを解明して、調査団本部にあるガショエタワーに内蔵された世界地図を完成させることです……だそうです。もちろんそれに携わっている中にも、強いだけのポケモンや、頭がいいだけのポケモンだっていますよ。それでもみんなしっかりやっています。誰一人いらないと言われたことなどありません。
資格なんていらないんです、大事なのはパッション! 心です」
フリストは、鳥肌を立たせる。次の瞬間身震いした。
「どんなあなたかはまだ知りません。知りませんが、大きな夢を持っているのであれば、調査団は大いにあなたを歓迎すると思いますよ」
とオオホリは二ィっと笑う。フリストは息を飲んだ。鳥肌が立ち、思わず身震いが起きる。感極まる、とはこのことか、希望が湧いてきた。空を覆う雲が晴れ、満点の夜空がラピスラズリのように星々を煌めかせる。
「……オオホリさん、ありがとう。私やる気出てきた! やる、やるよ! 絶対叶えて見せる! 私の夢ッ!」そして飛び跳ねるようにハルモニアに抱き着いた。
「ちょっとフリスト……」「ハルッ! 一緒にやってくれる? 調査団見習い」
垢のないまっすぐな、純真な瞳。それにあてられることがなくても断れないのがハルモニアである。
「別に、断る理由もないしね」
キミがやるなら私もやる。キミが私を信じてくれるなら、私からもキミを信じよう。せっかく芽生えた二人の絆を、ハルモニアは潰させないと決めていた。その上で、彼女はフリストの夢に全てを委ねた。
「本当!? じゃあ、今日が私たちのスタートだねっ! 私たちはチームだッ!」
フリストはハルモニアの手を握った。ハルモニアは負けじと、もう片方の手で握り返す。オオホリはそれを見て目を細めながら言った。
「いやいや、いい友情ですね。おめでとう。
ところでさっき言い忘れていたんですが……チーム名を決めなければいけませんね」
「チーム名?」
「ええ。なんでもいいですよ。好きな食べ物とか、座右の銘とかなんでも。六文字以内で決めてください」
ハルモニアとフリストは顔を見合わせた。星々が夜空を彩っている。赤い星、青い星。皆キラキラと瞬いている。
「チーム名、かぁ……うーん」
「まぁ、いきなり言われても困りますよね。明日でもいいですけれど……」
と食い下がるオオホリだが、ハルモニアは夜空を見上げて動かない。十秒、固まっていたかと思うと、唐突に口を開いた。
「Asterisk……」
「え?」
「アスタリスク。星、ですね……悪くないネーミングではありますが……」
「私たちは星。小さな星。小さいけど、あなたの言うパッションは誰にも負けないわ。夜空の星だって、何万光年も先では熱く燃え盛ってるんでしょう? だからいいと思ったの。アスタリスク……だめ、かしら」
言ってから二人の顔色を見るハルモニア。
「アスタリスク……ううん、いいよ。ダメなわけない。すごいカッコいい! 私たちは今日から、チーム『アスタリスク』だッ!」
跳ねるように帰っていくフリストの背中を、見えなくなるまで見つめていたハルモニア。見えなくなるや否や、口を開いた
「あの」
「なんでしょうか。あなたもそろそろおうちに帰る頃合いでは? 私も今日の宿を探さなくては」
「一つ聞きたいだけ。そんなに時間は食わない。
……あなたは、何者なの?」
「と言いますと?」
「どう考えても不自然じゃないかしら。調査団で働いてはいないと言っていたあなたが、どうして調査団のことをそんなに知っているの?」
ハルモニアはオオホリの目を真っ直ぐに見入った。だが、残念ながら彼の瞳に揺らぎは見られない。
「私はただ、風の噂で伺っただけですよ」
「じゃあこのガジェットやバッジはどこから手に入れたの? それに、つながりオーブは無くしたら怒られる、って言ったわよね。誰に? あなたが商人なら組合がある程度保障してくれるわよね」
「……やれやれ、聡い子どもですねぇ。入手経路は言えません。一般には手に入れられないものですから。つながりオーブもね。まぁご想像にお任せしますよ。いつか答え合わせする機会もあるでしょうから。
さ、あまり遅いとおうちの人が心配します。帰りましょう」
とオオホリはハルモニアを促した。
「……はい。あ、そうだ」ハルモニアは数歩歩くと振り返った。
「なんでしょう?」「広場にカフェがあったでしょう。あそこの裏手に宿屋があるから。それじゃあ」
それだけ言って、ハルモニアは去っていった。
「カフェ……カフェ……、はて、どこにありましたっけぇ。ん?」
こめかみを抑えるオオホリは、おもむろに鞄から何かを取り出した。
調査団ガジェット。画面には通信中という文字がでている。オオホリはそこをタップして、ガジェットを耳に当てた。
「はいはい、もしもし。こちら団長ですよ」
「団長!? 何やってるんですかッ!!」
その耳に、甲高い声が突き刺さる。鈴の鳴るような女性の声だ。
「いぎゃっ。ちょっとあの、耳元で大声を出すのは……」
「あーすみません。ええと、こちらデデンネです。団長、今どこにいるんです?
雪梅が探しても見つからないって言ってたんですけどぉ……」
「私ですか? 今は穏和村ですよ。雪梅は私も見てませんねぇ」
「穏和村……穏和村って、どの辺りですかね……」
ガジェットの向こうからバサバサと、書物を捲る音が鳴る。
「穏和村……そういえば調査対象地区でしたね。あ、あった……って、大陸の西の方じゃないですか。冗談はよしてくださいよ、あんたがこんな遠いところまで行けるはずないでしょう」
「やれやれ、信頼されてないのも困りものですねぇ。私はちゃんと穏和村にいますよ。看板を見てもちゃんと穏和村と書いてありますし」
「あんたの地理情報だけはアテにならないんですよ」
「そんなことないでしょう? 事実、帰れなくなったから助けてくれなんて言ったこともないですし行かなければならないところにはちゃんと行けているじゃないですか」
「……まぁ、そうですね。納得は行きませんけど。それで、どうです? 穏和村。異常とかは」
「うーん、見当違いだったみたいです。例の事件に関係するものは何一つありませんね」
「えっ……じゃあ、そんな辺鄙なところまでわざわざ出向いたのは無駄足ですか?」
「そうでもないですよ。いい人材が二人いました。二人とも子どもで調査団に入れるのは四年後ですが……いい戦力になってくれるかと」
「団長ったら……今必要なのは即戦力なんですよ? それじゃあ辛酉の年の三年後にはとても間に合いません」
「まぁまぁ、そんな目くじらを立てないで。正直、私からすれば今入れてやってもいいくらいなんですよ……はい、はい、それじゃ」
それでオオホリは通話を切った。真っ暗な夜空に、小さな星たちが煌めいた。