来訪者
「ふぅ、やれやれ」
村の西の崖の上から、穏和村を見下ろす一匹のポケモンがいた。
「あそこが穏和村ですねぇ。全く、方向音痴なのも困りものです……とりあえずいかなくては」
黄色の体に長い首。ヒレのような前足を揺らして歩く彼は、デンリュウというポケモンだった。
ハルモニアは昨日と変わらず朝目を覚まし、ご飯を食べた。
「おん? ハルモニア、そのスカーフどうしたんだべさ。中々似合うんじゃねえの?」
とノーテル。ハルモニアは、起きてすぐにスカーフを首に巻いていた。
「あ……え、えっとフリストからもらいました」
「ほーんそっかあ。てことは仲直りもしたんだべか。よかったよかった」
と笑いながらノーテルの言う言葉を、ハルモニアはリンゴと一緒に飲み込んだ。
朝食を食べ終え、学校に行こうと鞄を背負ったところでフリストが迎えに来た。ハルモニアは家から出ると、フリストを連れ立って学校に向かう。
「あのさー、ハル……」
「どうしたの」
フリストの言葉は、彼女が迎えに来たときより心なしか重苦しそうだ。
「今朝起きるまで忘れてたけど、私たち昨日……授業抜け出したんだよね」
「そうね」
ハルモニアは気にせずさっさと歩く。
「ね、ねぇ……気にしないの? 先生に怒られちゃうかもよ」
「そんな問題なことなの?」
フリストの不安を、彼女は臆面もなく一蹴する。フリストは目を丸くして、ハルモニアの背中を見つめた。
「あ、当たり前だよ! 私たち何も言わないで授業サボっちゃったんだから……ハル?」
駆け寄ったフリストは、ハルモニアが広場の方を見て呆けていることに気付いた。
「……なんかいる。何か変なのがいるわ」
「えっ」
ハルモニアは、広場の中央を指す。そこにいたのは、黄色のポケモンだった。巨体で首が長く、手はヒレのようになっている。そのポケモンは、ふらふらと歩いてはカクレオン専門店やカフェにぶつかっている。
「何アイツ。……確か、デンリュウって種族だったかしら」
「ふーん、なんか怖いなぁ……っていうか、このままだと学校行けないよ……」
デンリュウは広場から学校へ続く道の前をふらふらと歩き回っていたが、そのうちハルモニアたちに気付いてそちらに寄ってきた。正面から見ると、そのふらつき具合がよりおかしく見える。
「ひっ!?」
「ご名答、わたくし、デンリュウというポケモンです。名前はジョウイチロウ=オオホリ」
「……」
二人よりも一回り以上も大きい巨体が迫ってきて、ハルモニアは思わず身構えた。
「いやはや、実は私ものすごい方向音痴でして、それであっちにぶつかりこっちにぶつかり、という感じで歩いておりまして……これでもさすらいの旅をしておるんですがねぇ、やれやれ」
敵意はない……ようだが、それでも不自然すぎる。方向音痴の癖に旅をしてるだって? というか、今ふらふら歩いてたのは方向音痴とか何も関係ないだろう。
「ええっと……君たちは村の子供ですね?」
「そうだよ。私はフリスト。こっちはハルモニア」
フリストはそんな警戒心もなく、平然と二人の名前を晒す。
「ほほう、ツタージャのフリストにピカチュウのハルモニア……おや、ピカチュウですか」
と、オオホリはハルモニアを見て何かを思い立ったようである。
「……何かしら」「……よろしい、ここで会ったのも何かのご縁。差支えなければ何か一つ技を伝授したいところですが」「いらないわ」
何かのご縁って何だ。技を教えると思わせておいて、他に何か目的があるんじゃないのか? 突然こんなことを言ってくるのも変だ。あとで変な請求をしないでくれよ。
「そう言わずに。五秒で終わりますから。知ってますかねぇ、雷パンチ! 簡単ですよ? 拳に電撃を籠めて相手を力いっぱい殴りつける。これだけです」
オオホリはそう言うと、手本を見せんとばかりに右手を光らせ近くにあったカフェの壁をぶん殴ろうとした。
「ちょっと!?」ハルモニアは咄嗟に振り下ろされた右手を自分の右手で弾き、カフェの壁がぶっ壊されることを防いだ。ジーンと手が痛む。
「手本ですよ手本。邪魔しないで。それじゃいきますよっ」
とオオホリはハルモニアの制止も聞かずもう一発。
「やめろォォッ!」
ハルモニアは目の前に踊り出て、右手を光らせる。ばち、と閃光が走るその瞬間、オオホリの雷パンチを同じ技で受け止めた。ばん! と轟音が響き、フリストが体を痙攣させ、周囲のポケモンの目がそちらに傾いた。
「おお、できるじゃないですか。そんな感じで敵にエネルギーをぶつけるんですよ。これが雷パンチです」
得意げにいうオオホリに対し、ハルモニアは冷や汗が止まらない。
「そう……もう分かったから、お願いだからカフェの壁をサンドバッグにするのはやめて」
「ははは、冗談ですよ。では、私しばらくこの村に滞在する予定ですので」
と言って、オオホリはまたそこかしこにぶつかりながら歩いて、村の東の出口から去っていった。周囲のポケモンたちが未だに奇異の目を向けている。
「何かしら、アイツ……あら、何か落としてる」
ハルモニアは、オオホリが立ち去るときに玉のような何かを落としたのを目撃した。不思議玉かと思ったが、ビー玉サイズのそれは全く違うもので、表面に細かい造形が施してあった。ガラスを掘ったように見えるそれはさながらオーブといったところか。
「あの人の落とし物かなぁ……とりあえず、私が預かっておくよ」
「そう? じゃあお願い」
ハルモニアがオーブを渡すと、フリストは鞄の中にそれをしまった。それを見ると、ハルモニアは学校へ向かう。フリストがそれに着いていった。オーブの持ち主のオオホリとやらは学校が終わってから探そう、と二人で納得していたら学校の目の前にきた。さぁ、今日も授業だ頑張ろうとハルモニアは意気込むが……。
「ねぇ、ハル……私たちさ、昨日学校を抜け出したよね」
「またそれ言うの? 別に怒られたりしないわよ。白を切ってれば大丈夫じゃないかしら」
「でもぉ……絶対先生にばれてるよぉ。ねぇハル、今日も休もう?」
と上目遣いで頼み込むフリスト。それに対し、ハルモニアは何も注視せずにうーんと考え始めた。
ノーテルが言っているから今は学校に行っているが……そういえば学校にいって学んで、何をするんだ? ひょっとして行っても意味がないんじゃないか?
だからと言ってサボったら多分ノーテルは悲しそうな表情をするんだろうな……。
とりあえず、校門の前まで行って先生の様子をうかがってみよう、とハルモニアは往生するフリストの手を引いて道を歩く。そして校門の前にくると、そばにあった岩陰に隠れて、様子をうかがう。校門前にはあの小うるさそうな教頭先生が、心底機嫌の悪そうな顔で、おそらく自分たちを待っていた。
「うぅ……ほらぁ、教頭先生すごく怒ってるじゃん!」
「うーん、そうね……」
そりゃあ自分だって行きたくない。けど、今ここでいかなくなるのはちょっとまずいんじゃあないか。今更マチルダ婦人を連れてきて話を通してもらうわけにもいかないし……。
どうしよう。考えあぐねる。そんなときだった。
「ハルモニアさん」
クラリスが話しかけてきた。
「えっ……? どこ?」
岩陰からあたりを窺う。この近くにはいない様子だ。青空教室の方を見ると、クラリスはすでに席に座っていて、こちらに手を振っている。テレパシーで語りかけてきていた。
「教頭先生が邪魔で入れないんでしょ? ちょっと待ってて」
そう伝えると、クラリスは席についた。それきり動く気配はない。何をしているんだろう?
と思いきや。なぜか教頭先生がくねくねと動き始めた。顔がにやけている。
「う、へ……本当ですか? うへへへへへ」
なんだあれ、キモい。とてつもなくキモい。クラリスが色仕掛けでもしたのだろうか。痛ましくて見ていられない。なるほど、この隙に教室に入ってこいということか。しかしにやにやと笑い続ける教頭先生がとんでもなく気持ち悪く、あれの傍を通り過ぎるのはちょっと躊躇われる。
「ハル、今のうちに行かないと……せっかくクラリスがなんとかしてくれてるんだから」
二の足を踏むハルモニアの手を引いて、フリストは気づかれないように教頭先生の隣を通り過ぎ、校門を突っ切って教室に飛び込む。ハルモニアはそそくさと席に座るとクラスを見渡して席に着いた。クラリス以外の皆が気まずそうに目をそらす。そこに教頭先生が入ってきた。
「おっと、そろそろ始業の時間ですねぇ。問題児二人がまだ来ていませんがそいつらはあとでとっちめて……」
と、教壇に立つ彼。そしてざらっと教室を見渡す。
「とっち……あれ?」
朝早くから待っていた例の問題児二人。なぜか自分の目を盗んでいつの間にか席に座っているじゃないか。
いやそんなことどうでもいい。この私の目の前に来た以上こっぴどく叱りつけてやる。
「こ、こらお前たち! なぜ席に座っている。昨日授業を抜け出しておいてよくも抜け抜けと……」
「先生、早く朝礼を始めてください」
と思っていたのもつかの間、クラリスが口をはさんできた。
実はさっき、教頭先生はテレパシーでクラリスにべた褒めされていた。
「――――先生、私、先生のこととても尊敬してます。すごくカッコイイし、頼りになると思ってます、次の校長先生はあなたになると思ってます。間違いないです」
ひょっとして、彼女は問題児たちをかばうつもりなのか? あんなのに引っかかってしまったのは情けないが、彼女らが優等生に庇われているのは面白くない。
「いや、朝礼がどうのじゃなくてですね、そんなことは今はどうでもいいのですよ。二人とも、昨日なぜ授業を抜け出したか説明しなさい」
教頭先生はハルモニアとフリストを睨んだ。二人は顔を見合わせると何か困ったような表情をして、目を泳がせた。
「どうしました? 説明しなさいと言っているんです。何かやましいことでも……」
「教頭先生、その件については不問にしてください」
問い詰める教頭先生を止めたのは、校長先生だった。悠々と歩いてくる。
「えっ……不問?」
「ええ。ハルモニア、フリスト、今朝マチルダさんから聞きました。昨日君たちはマリアちゃんを助けるためにカンロ草原に行ったそうですね。
確かに授業を抜け出したのはよくありませんし、君たちが危険なところに行ったというのも問題ですが……。まぁ、なんと言うかですね」
ニコニコとしたまま、校長先生は咳払いをして続ける。
「君たちの一番大事なものを考えた上での行動、というのは評価するべきですし、正しい判断でしょう。
そう考えると授業一コマ分くらいは見逃すべき……ではないでしょうか、教頭先生。今回の件について君たちにはお咎めなしで。さ、朝礼を始めましょうか」
「えっ……は、はぁ」
ハルモニアとフリストが校長先生の話を聞いて表情を明るくする一方、教頭先生は納得がいかないようだった。
朝礼と一時間目の間の休み時間。
「……悪ぃな、ハルモニア」「疑っちゃってごめんな……」
いつもは胸糞悪い顔で睨み付けてくるリールとシンが、頭を下げて謝ってきた。
「ごめんなさい。私も疑っちゃって何もしなかった……」
とクラリス。ハルモニアは、さっき彼女がテレパシーでフォローしてくれたのは何かの埋め合わせなのだろうかと思った。レイラとマイルも頭を下げてくる。
「なんつーか、少なくとも嘘つきじゃあなかったみたいだし、そこは認めるよ。流石に元人間とかは信じきれないけど……」とリール。
「二人とも……!」
フリストは目を煌めかせて、リールに歩み寄った。
「いや、認めたっつっても仲良くなるわけじゃねえぞ。こっちくんな」
「またまたそんなこと言ってぇ〜ほんとは仲良くしたいんっ」
ハルモニアはこう言われて尚リールに近づこうとするフリストの尻尾を掴み、引き戻した。「……アンタはここでしょ」
「お前やっぱりうっとうしいな」とシンがぼやくと周囲がはにかみを見せた。
階段の上から、校長先生と教頭先生が教室を見下ろす。
「……教頭先生、子どもたちに必要なものを一つあげろ、と言われたらなんと答えますか?」
「必要なもの? ……そうですねぇ、教養、とかいい家庭環境、とかですかね」
「うーん、確かにそれもそうかもしれません。私の欲しい解答とはちょっと違うんですけど」
「あ、あらら……ちなみにお答えは?」
「……笑顔です。
幸せな人って、笑いますよね。作り笑いじゃなくて、魅力的な。本物の笑顔で。確かに教養とか知識とかって大事だと思うんですけど、それでも幸せじゃなかったら意味がないじゃないですか。
だから、私の目が黒いうちは誰も笑わない教室などというのをこの学校に作りたくはないんですよ。皆が笑顔になれる授業をするのが私の理想なんです。
……教頭先生、そう考えると今まさに、理想の授業ができていると思いませんか」
校長先生はそう言って、静かにほほ笑む。
「え、ええ……。
いやはや、あなたには敵いませんねぇ。全く、私が次の校長先生になるのはだいぶ先の話のようです」
ニャスパーの少女に言い返すつもりで、教頭先生はぼそりと呟いた。
日が高く上り、この日も授業が終わった。さて、ハルモニアたちは朝のデンリュウを探しに村の広場に出ていた。
まずは、落とし物のオーブが何なのかを調べる。カクレオン商店のカクレオンは仕事柄そう言ったものへの造詣が深いため彼に聞いてみた。
「ああ、これ? つながりオーブってやつですね。ポケモン同士のつながりを見られるんですよ。友だちとか、先輩後輩とか、そう言ったつながりを可視化してくれるんです。でも公には規制が入ってましてねぇ、これ持ってるのは商人か調査団のポケモンくらいなんですよ。まぁ誰でもが皆のつながりを見られるって怖いですからね。公的に信用が置けるものに持たされているといった感じなんです」
ということだった。話を一通り聞いたあと、オオホリを探しに戻る。フリストは調査団という言葉に反応し、もっとカクレオンの話を聞きたがっていたがハルモニアが引きづっていった。
「うーん、いないな……ねぇ、ちょっと」
フリストは広場を見渡してオオホリがいないことを確認するとヒポポタスに声をかける。
「んあ、何だ?」
「今朝さ、この辺にデンリュウってポケモンがいたと思うんだけど見てないかな?」
「あのふらふら動き回ってたやつか? それだったら朝あそこから出て行ったっきり見てないけど」
と、ヒポポタスは村の東の出口を指した。
「そっかぁ……うーん、探しにいくにしても手がかりがないなぁ」
「滞在するって言ってたし、またここに戻ってくるんじゃないかしら」
「そうかもしれないけど、今必要なものだったりしたら大変じゃない?
……あ、じっちゃん」
村の東出口から、村の外に出る寸前。ハルモニアとフリストはウェルクライム老人とすれ違った。
「おお、フリストにハルモニアか。どこにいくんじゃ」
「ポケモンを探してるの。デンリュウって知ってる?」
「デンリュウ? デンリュウっていうと、あの黄色のバチバチしたポケモンじゃったかのう……? そういえば朝そないなポケモンがおったのう。そこかしこにぶつかっておってな。さっきもすれ違ったぞい」
「本当!?」
「ああ、あれは……」顎にヒレを当ててしばらく考え込むウェルクライム老人。高齢ゆえか、思い出すのに時間がかかっているようだ。
「そうじゃ、ニョロボンリバーの奥地に向かっている感じじゃったかな」
「ニョロボンリバー?」
「うむ。ここから炭鉱を超えてしばらく行った先にある川じゃよ。お主らはいってはいかんぞ、あそこは凶暴なニョロボンちゅうポケモンが縄張りにしておる。興味本位で行ったら命がもたん」
と言い残して老人は去っていった。
しかし、もちろんフリストはそんなことでは引き下がらない。それはハルモニアとて同じだった。
「……あのね、ハル。私オオホリさんにもう一回会って話を聞きたいんだ」
「調査団のこと?」
「そう。あの人商人って感じじゃあないし……だとすると調査団の一員かもしれないじゃない? 私、調査団になれるチャンスを逃したくないからこんなところで待ってられないんだ。行こう、ハル!」
つながりオーブの話を聞いたフリストを止められる気はしなかった。ハルモニアは、歩き出すフリストの背中を数秒見つめると、彼女のあとに着いていった。