青葉の下の学校で
少女救出中
 マリア少女が迷い込んだであろうカンロ草原は、案の定不思議のダンジョンとなっていた。
 カンロ草原の木立の中の狭い道を進んでいく。できるだけ早く彼女を見つけて、スピアーに見つかる前にここを出たい。その一心で進むあまり、彼女は分かれ道に気付かず、またすぐ真横に敵で来ていることにも気づかなかった。ジグザグマがミサイル針を飛ばす。
「っ!」
 ハルモニアは咄嗟に身を捩った。数本の針が彼女の右肩に突き刺さった。ハルモニアは走る痛みを振り払い、ジグザグマに向き直る。ジグザグマはフリストの巻き付くを食らって、動きを止められ苦しがっていた。
「ッ、ハァ!」
 ハルモニアはそれを察知するなり、すかさずエレキボールを放つ。発射の際に素早く動くことで威力を増すというその技は、ハルモニアの下を電光石火の勢いで離れ、ジグザグマを打倒した!
「グ……ググ……」
 ハルモニアはジグザグマの容体の確認もせず、すぐフリストに呼びかけた。
「構わないで! さっさと行くわよ。どうせそいつは巻き付くで動けないんだから」彼女はすでに、先に行こうと顔以外は背中を向けていた。だが、フリストが躊躇っているのを見て、その逸る気持ちを抑えた。
「……どうしたの?」
「ハルモニア、まだこの子動くみたい……ッ!」と、言い終わる前にジグザグマは体に絡みつく蔦を切り払い、ハルモニアに「突進」してきた。
「嘘ッ!?」
 当たればダメージは大きいが、反動も痛い技だ。体を捩る前にかけてみようか……? いや、ダンジョンの奥で怒り狂ったスピアーに襲われる可能性もあるのに、そんな消耗はできない。
 僅かの間にそんな判断をした。ハルモニアは、よりジグザグマに近い右手でその顔を払いのけると、突進の軌道をわずかにずらした。そのまま三発拳を正確に打ち込むと、電気ショックでジグザグマを倒した。今度こそ。
「フリスト、行くわよ!」
 ハルモニアは、今度こそ、先を急いだ。フリストも何も言わずに着いてくる。
 マリアは昨日の夕方からいないとマチルダ婦人は言っていた。それが本当なら、かなり先を言っているか道で倒れているかのどちらかだろう。
「ねえハルモニア」
「何よ」
 二人とも走りながら言葉を交わす。
「後ろは私がカバーするから、ハルモニアはずっと前、向いてて。それと相手が強くて無理だったら言ってね」
 ハルモニアの耳に、二人の足音と息と、フリストの声が響く。
「そこまでアンタに負荷はかけられないわ」そしてちょっと笑いながら、「言わなくても伝わればいいけど、ね……ッ」
 転んだ。正確には、転びかけた。足元に転がっていた何かに躓いたのだ。フリストが止まって、こちらを振り向く。ハルモニアはその何かを拾い上げた。紫色に妖しく輝く石。奥には耳が描かれていた。世界中にいるどのポケモンの耳でもない、正真正銘人間の耳だ。ハルモニアはちゃんと覚えている。懐かしいこの形。確か、ラピスの本はこれを地獄耳と名付けていた。丁度いい。
「フリスト、ちょっと待っててね」
「……? うん」
 ハルモニアは鞄をがさごそとあさり、この前手に入れたノーてんリングルを取り出して、腕にはめた。そして、地獄耳ラピスをそこにはめ込む。
――――途端に、ハルモニアの世界の全てが変わった。
 地獄耳、とは名ばかりで、実際は五感六感の全てを駆使している。目を開けているときは遠方のポケモンを察知し、目をひとたびつむれば、微かな音や匂いから、どこにポケモンがいてどう動いているかが手に取るようにわかる。聴覚嗅覚触覚から得る情報を、無意識に統合しているのだ。これがあれば、マリアがどこにいるかの手がかりにもなるだろう。ハルモニアが歩き出すと、フリストもつられてまた歩き出した。
「ハルモニア? なぁに、それ」
「これ?」
 フリストは尋ねながら、ハルモニアがリングルに嵌めているものを指した。
「地獄耳のラピス。他のポケモンの動きと位置が分かるの。
 フリスト、いい? 敵とエンカウントするのは最小限に抑えるわよ」
「えっ」いきなり言われても、納得できない、という表情のフリストだった。ハルモニアは少し眉を顰める。
「ちょっとアンタ、今は“冒険”しているんじゃないのよ。そんな無茶して、アンタが死んだらどうするつもりなの」
「わ、私が死ぬだなんて……そんなわけないじゃん。どんな強いやつが出てきたってさ、絶対倒して――――」
「そんなの分からないじゃない! 今だって! マリアちゃんが死ぬかもしれないから行ってるんでしょうッ!」
 ハルモニアの剣幕に、フリストは完全に黙らせられた。
「アンタが冒険できるのはアンタが生きているから。それを忘れないで。
 私だって、このダンジョンから無傷で抜け出せるなんて思ってない。でも、死にたくはない」
 今の言葉――――「死にたくはない」――――これを言いかけた瞬間、ハルモニアの中には一瞬だけ違和感が生じた。生じながらも、彼女はそれを振り払って言い切った。
 死にたくはない? 嘘つけ。記憶もなくて身寄りもなくて、ノーテルに拾われて穏和村に来て、自分のことは何も分からないのに、この先どうすればいいか自分がどうしたいかも分からなくて、このまま野垂れ死にしてもいいや、なんて自棄になってたじゃないか――――。
「だから、お願い。無茶はしないで」
「……」
 フリストは、黙って聞いていた。最初は拒絶こそ示しつつも、最後には納得を表情に浮かべ、黙ってうなずいた。
「でもさ、それどっから持ってきたの?」二人は再び歩きながら、会話を続ける。敵をなるべく避けるハルモニアにフリストが着いていきながらまた尋ねた。
「ラピスのこと?」
「ううん、そのリングル。授業で配られたやつじゃないよね?」
「実習のときに拾ったのよ。うらやましいの?」ハルモニアはわざとノーてんリングルをちらつかせた。
「ちぇっ、自慢なんかしちゃって」初めて見る彼女の意地悪い笑顔に対抗するかのように、フリストも鞄の中からリングルを取り出した。ピンク色で、モモンの実のような形のバッジが埋め込まれている。
「何それ、モモンリングル?」
「へっへー、私だって違うリングル拾ってるもんねーだ」
 仕返しか、べッ、と舌を出すフリスト。ハルモニアは鼻で笑ったが、すぐに敵が近くに来ていることに気付き、身構えた。フリストも思わず身構える。ミシミシと枝を踏む音が聞こえるので、マリアでないことは明らかだ。
「フリスト、注意して。別れ道もないし後ろに下がったら敵がいる。前からくるやつはぶっ倒すわよ」
「……うん」
 出てきたのはモジャンボだった。蔦を茂らせ、目以外が見えない。原始の力を、力任せに放ってくる。
「オラオラオラッ」
 両手で、飛んでくる岩を全部薙ぎ払う。その後にハルモニアは草結びを仕掛けた。
 モジャンボは見た目から重いポケモンであると想起される。思い相手程技の勢いが上がるその技は、ハルモニアの予想通り、モジャンボを二、三メートル吹っ飛ばした。
「よしっ!」ハルモニアは左手でガッツポーズを作り、右手を横に伸ばした。その腕に後ろから走ってきたフリストが乗っかり、踏み台にすると高く跳び上がった。フリストは真上にあった木の枝を蹴り、モジャンボ目がけて落ちていく。蔓の鞭を突き出しながら。勢いで威力を増した蔓の鞭が、モジャンボの脳天を捉えた。
「やったよ、ハルモニアッ!」
「そんなこと言わなくていいからっ、どきなさい!」フリストが何も考えずに飛びのいた瞬間、モジャンボがそこにまた原始の力を打ち込んだ。空を切った原始の力を飛び越え、エレキボールがモジャンボを打倒した。モジャンボはぶっ倒れて、動かない。
「フリスト、行くわよ」
「うん!」
 二人は、いそいそと走り出した。木々の中を縫うように、少しでも、前へ、前へ。
「ハルモニア、マリアちゃんの居場所は!? 感じない!?」
「そうね……っ」
 ハルモニアは走りながら、地獄耳を使って当たりのポケモンたちの気配に干渉する。大体がその辺をうろついているか、こちらに向かってくるか、だ。どれもマリアとは思えない。近くに来ると足音が聞こえるが、どれも体重が思いポケモンの足音だったりして区別がつかない。
「……いや、感じる、感じるわ。確かにあの子はこのダンジョンに来てる」
 だが、その中でも感じるものがあった。遙か遠くだ。足音がさらさらとしかなっていないポケモンで、しかもしっかりとダンジョンの奥へと向かっている。
「はっきり感じるわ。この道をいくと、時期に会えるかも……」
「本当? じゃあ、速くしないと……っ」
 フリストの目は、希望を灯した次の瞬間に恐怖を讃えた。ハルモニアも、その視線を追って恐怖の意味を知った。ハチミツを作る張本人たち、スピアーとミツハニーが空を飛んでいる。まずい、いつの間にか奥地にまで来ていたのか。幸い、スピアー達はまだハルモニアたちに気付いていない。マリアまでは、ざっとあと二百歩。
 ハルモニアとフリストは、息と足音を殺しながら走っていく。頭上のスピアーとミツハニーを気にかけながら。
「……でも、どうしよう、このままじゃ見つかっちゃうよ」
「走るわよ。そんなのはマリアちゃんに追いついてから考えればいいの」
 ところで、スピアーの目は複眼になっている。目が数百個ついているのだ。
 当然、視界もいい。下を走っているポケモンの姿など丸見えなのだ。
「! ああもう、また侵入者だ! しかも今回は草原の中まで堂々と立ち入りやがって、忙しいったらありゃしない」とうとう、ハルモニアとフリストが見つかった。そこにミツハニーが便乗する「ねえ! あそこにもいるわよ。ああもう、本当に忙しいわね!」
 ハルモニアたちの百八十歩先のマリアまで見つかった。
――――ダメだ!
 一瞬、諦めてしまうかと思った。しかし、ここで止まってしまってはマリアの死体を見ることになるだけだ。
「フリスト、アンタはあとから追いついて」
「えっ!?」
 言うや否や、ハルモニアは鞄から一つの種を取り出した。俊足の種である。齧ると、噛まずに飲み込む。食道に痛みを感じる暇もない。
 とたんに、ハルモニアの見るもの全てが遅くなった。木々のざわめき、隣りで走るフリスト。頭上のスピアーとミツハニー。彼女がより素早く動けるようになった証拠だ。
「フリスト、死なないでね!」
 すかさずハルモニアは、電光石火で飛び出した。スピアーの飛ぶ速さなんて相手じゃない。残り百五十歩ほどあった間合いを、彼女は十秒経たずに詰め切った。
「マリアちゃんッ!」
「えっ……ハルモニア?」
 息を切らしながら、彼女が見たのは間違いない。昨日の夕方から行方不明の少女だ。
「……マリアちゃん? こんなところに来ちゃだめじゃない」ハルモニアはそう言いつつ、目はスピアーたちの方を見ていた。応援を呼んだのか、ミツハニーが一人増えている。そして、フリストが攻撃をいなしながらこちらに近づいてきている。
「う、うん……でも、私、ハチミツがほしいから……お小遣いもちゃんと持ってきたのに」
「だからって危ないことしちゃだめよ! 今すぐ帰るわよ――――」「何、ハチミツが欲しいだと!?」
 唐突な大声。不意を突かれたハルモニアが振り向くと、そこにはまた新しく来たスピアーが毒針を構えていた。
「挟み撃ちだわ、まずい……」
 ハルモニアが舌打ちをしたところで、フリストがたどりついた。
 後ろにはスピアーとミツハニー二人。前にはスピアーが一人。ハルモニアは、まともに戦って勝てる見込みはないと踏んだ。だが、逃げ道がない。穴抜けの玉なんて持ってない。
「全く、ハチミツ作りで忙しいってのに、侵入者でしかもハチミツ泥棒だなんて……」
「ごめんなさい。私たち、この子を連れ戻しにきただけなの。用が済んだからもう、帰るわね……」「だまらっしゃい! 今そこのクソガキがハチミツが欲しいって言ったのをちゃんと聞いたんだよ俺は!」
 と、前にいるスピアーが怒鳴りつけた。
 その瞬間、相手を説得するという選択肢がハルモニアの脳内から消え失せた。もちろん、逃げる算段も持っちゃいない。
「……マリアちゃんが、クソガキ……ですって?」
 こんないい子のどこが? 母親のために危ない場所に行って、しかもちゃんとお礼まで用意するこんな健気な少女が、クソガキ?
「やかましいこのハチミツ泥棒! そこのクソガキから始末して――――」「ぶっ殺すぞこのクソ野郎ォォッ!」
 ハルモニアは雄たけびをあげ、一瞬にしてスピアーに飛びかかるや否や、その頬をぶん殴った。間髪入れず、エレキボールをぶっ放すかと思うと、エレキボールが着弾するその前に電気ショックを放ち、これを当てた。そこにエレキボールが追い打ちをかける。
「づぁっ! な、なんだテメエ……やっぱりハチミツ泥棒だなッ!」
「ハルモニア、やめよう!? まともに戦っても勝てないんだよ!?」
 勝てない戦いを挑むな、と言った彼女自身がスピアーに肉弾戦を挑む皮肉を阻止しようと、フリストはハルモニアと前方のスピアーとの間に割って入った。
 そこにスピアーが、どくどくを放った。
 目の前にいる相手を猛毒状態に陥れる最悪の技だ。
「フリスト!?」
「っ……」
 細いフリストの体が力なく横たわる。
「はっ、ハチミツ泥棒はくたばっていろ! おい、お前たちもコイツをぶっ殺せ!」
 次の瞬間、後ろからスピアーとミツハニーが襲い掛かってきた。ハルモニアはフリストとマリアを抱いて、なんとか毒針と風起こしをかわす。
 後ろの三人には攻撃できない。今、ハルモニアが敵意を抱いているのはマリアをクソガキ呼ばわりしたあのスピアーだけだ。
「全く、ハチミツ泥棒とは見逃しちゃおけないわね。ぶっ殺すわッ!」
 ミツハニーが、ハルモニアの鞄の中の俊足の種を一つ奪って食べた。
「しまった……」
 次の瞬間、ミツハニーが目にも止まらぬ速さで風起こしと体当たりを繰り出した。その衝撃で、ハルモニアとフリストが吹っ飛ばされる。
――――!! マリアちゃんは!?
 マリアは、どちらの技も当たらなかったために、元の場所であたふたしていた。そこに後ろのスピアーがミサイル針を打ち込んだ。
「危ないッ!」
 ハルモニアは飛び出すと、マリアを抱きかかえ、ミサイル針を弾き落とせるだけ弾き落とした。残弾が、彼女の脇腹に刺さる。ハルモニアはそれを引き抜くと、マリアを地面に下した。
「……マリアちゃん、安全なところに避難してて」
「えっ……」
「え、じゃないの。死ぬわよ」
「……」
 腑に落ちない様子だったマリアだが、いそいそとフリストの下に歩いていった。後ろのスピアーがそれを追いかけるが、ハルモニアが呼び止める。
「ちょっと待って、その子に手を出すのは私が許さないわ。今から全員ぶっ倒してあげるから、かかってきなさい」
 スピアーとミツハニーの円陣。真ん中にハルモニア。正直、敵が一斉に攻撃すればハルモニアは即死である。だが、ハルモニアは怯えた様子を絶対に見せない。
「どうしたの? さっさとしなさいよ」
 彼女はただひたすら、前のスピアーを見つめる。他の三人は知らないが、マリアをバカにした怒りは収まらない。
「ちっ……この泥棒野郎がッ!」
 スピアーが針を振り上げる。すると、他の三人がそれぞれ風起こしと虫の抵抗を構えた。
 ハルモニアはそちらには見向きもせずスピアーをにらむ。スピアーは気づかないが、彼の後ろにはフリストがいた。どくどくによる猛毒状態を感じさせない。
 そして、フリストは飛びかかって蔓の鞭を振るった。
「なんだとッ!?」「フンッ……私、モモンリングル持ってるから……毒は効かないんだ」
 フリストは前方のスピアーを振り飛ばすと、後方の三人に、最速で走っていった。そして、グラスミキサーを撒き散らす。タイプ相性もあってか、ダメージは大きくないようだった。しかし、反撃に飛ばしたミサイル針と風起こしはフリストが動かなくても彼女に命中することがなかった。グラスミキサーがスピアーたちの視界を暗くしているのだ。
「ちっ、こしゃくな!」
 痺れを切らした前方のスピアーは、羽根を広げて虫のさざめきを放った。唐突に、音速の攻撃を受けたハルモニアは電気ショックで相殺しそこねて、地面に仰向けに倒れた。間髪入れずに、上でスピアーが毒針でとどめを刺そうとしている。後ろからは、フリー状態のミツハニーの風起こしが迫っている。
 スピアーがまさに、その針を振り下ろした瞬間だった。
「待ちなさい」
 毒針、風起こしはハルモニアに届かなかった。一瞬にして現れたミツハニーの群れが、ハルモニアを覆うように壁を作る。役目を終えたミツハニーたちはあるところに吸い込まれていった。そのあるところとは、さっきの発言の主である。
 細いくびれと、膨らんだ下半身。ミツハニーは、その下半身に吸い込まれていっている。そこは六角形の空洞がたくさん開いていた。上半身は、スピアーに似た顔立ちだが威厳が違う。
「……あなた、は。確かビークイン……」思わず、ハルモニアはひれ伏しそうになった。現にスピアーたちは恭しく頭を下げている。
「いかにも。私はこのカンロ草原の女王です。ビークインと言います」
 静かな声。だが、聞くものは畏怖を感じるであろう。なるほど、女王にたる存在のポケモンだ。ハルモニアは、何かを言い返そうとして言葉が出なかった。フリストも、マリアも、無言でビークインを見つめるのみ。
 そうだ、ビークインだ。同じ親から生まれるミツハニーのメスのうちの一匹が進化することで生まれるポケモン。子のミツハニーを大量に生み、そのミツハニーたちをまとめ上げ、命令を下す役割を担っていたはず。
「女王、と言いましてもこの時期のハチミツ作りをまとめているだけですが……まずは彼らの無礼をお許しください。ただ、今はカンロ草原の蜂の民は皆忙しく気が立っています。あなた方の行為の危険さもご理解ください」
「……しかしビークイン様」前方のスピアーは納得がいかないようだ。「このピカチュウ、実際に私に攻撃を……」
「お黙りなさい。あなたがそこにいるスボミーの少女を侮辱したからでしょう。責任はあなたにあるのですよ」とビークインはスピアーの言葉を一蹴し、マリアに近づいていった。
「あなたは……マリア、と呼ぶのですね。ハチミツをもらいにいらっしゃったのでしょう? 歓迎いたします」
「はっ、はい……」マリアは背筋を伸ばした。「私のお母さん、病気で……それで、ここのハチミツが栄養があるって聞いたんです。あの、お小遣いもちゃんと持ってきました。なので……」
 そう言ってマリアが差し出したのは二百ポケ。なけなしのお金だが、ビークインはその金貨の意味を理解しているようだった。
「……母親想いのいい子なのですね。構いませんよ、ハチミツは差し上げます」
「ほ、本当ですか?」マリアは、差し出された蜜ツボと引き換えにお金を渡そうとした。しかし、ビークインはそれを拒んだ。
「お金はいりません。どうか受け取ってください」
「えっ……」
「これは私からのプレゼントです。それでは、お母さんによろしくお伝えください」
 そういうとビークインは木立の中に姿を消した。その後をスピアーとミツハニーたちが追う。前方のスピアーはまだハルモニアに恨みがあるようで、完全に姿を消すまでこちらをずっと見ていた。
「ねえ、マリアちゃん?」フリストがいつもの明るい調子で少女に話しかけた。「君のお母さん、昨日の夕方からマリアちゃんがいないからずっと探してたんだよ? 今日も学校にきて、そこで倒れちゃったんだ」
「うん……」
「だから、早く帰ってお母さんを安心させないとね。さ、ハルモニア、帰ろ」
 フリストはマリアの代わりに蜜ツボを担ぎ、マリアの手を引いて歩き出した。ハルモニアはその背中を十秒ほど見つめていた。
「……ねぇ、フリスト」
「ん?」
――――嬉しかった。彼女が信じてくれたこと。一緒にきてくれたこと。何もかも。今の今までの、ハルモニアが穏和村に来てからの全ての不安が、今日で全部洗い流された。ハルモニアはそんな気分だった。
「――――ありがとう」
「全然いいって。それより早く帰ろう?」
「……そうね」
 オレンジ色になりかけた陽が、ハルモニアの瞳を彩った。



■筆者メッセージ
勝手ながらタイトルを変更いたしました。
鏡花水月 ( 2015/12/19(土) 14:18 )