諦められない夢がある!
「貴様らッ……許さん……許さんぞォーッ!」
フリストの蔓の鞭と宿り木の種で疲弊したガバイド。ひょっとして、自分の作戦は無意味だったのか、とハルモニアはまた自分の嗅覚に聞いた。そろそろいい塩梅だと、彼女の鼻は言っている。ハルモニアはマスクをかけ、フリストを呼んだ。
「フリスト! もういいわ。こっちにきて」
彼女を手招きしながら、自分も移動する。
「え? あぁ、うん」
「させるかッ!」
「!」
ガバイドは突然、雄たけびを上げた。すると、今まで地面に眠っていた砂たちが風もないのに、舞い踊り始めた。砂嵐、である。ハルモニアは息を飲んだ。
「まずいわ!」
フリストに早く来るように指示を出したが、ハルモニア自身が、立とうと思っていた場所にたどり着く前に砂嵐が吹き始めた。
ガバイドの特性は「砂隠れ」である。文字通り、砂嵐の中にいる間、背景と同化することができるのである。彼は姿を消した。その数秒後、ハルモニアは自分の真横で微かに音がしたのを感じ取り、その場を離れた。次の瞬間に、ガバイドのドラゴンクローがその場を薙いだ。
危なかった。あとコンマ一秒でも遅ければ八つ裂きになっていただろう。
彼女は、音だけを頼りにガバイドの攻撃をかわしながら部屋の入り口へ向かっていった。完全にかわせているわけではない。胴体に数本、傷がついている。だいぶ深いものもあるが、それはあとでオレンの実を使えばどうにでもなる。
「フリスト! 私に構わなくていいから、この部屋から出るわよ! 砂嵐の中じゃなければなんともなるわ――――」
そう叫んだハルモニアの脇腹に、ドラゴンクローが突き刺さった。ついにクリーンヒット。腹から血を流し、ハルモニアは吹き飛ばされる。
「ハルモニア!?」
壁にぶつかり、力を失い寄りかかった。揺れる世界を何とかして見ると、ガバイドが、姿を消すことすらせずに彼女の目の前に仁王立ちしていた。
「テメェ……テメェから先に始末する。俺の宝石に手を出すやつには容赦しねぇ!」
最後の最後で甘く見ていた。鞄の中のオレンの実を取り出している暇もなければ、今からフリストがオレンの実を持ってこっちにきても、悠長に手当てしている暇もない。彼女は、青ざめた表情をこちらに向けている。じきに、ダメ、かやめて、と言い出すだろう。
だが、彼女はできるならそう言わないように頼みたかった。消えるべき時に私は消える。
思い出せなくなった彼女の記憶が、そう叫んでいるのだ。フリスト、今更アンタが何を言おうが、その運命は変えられない――――。
それに今は、抗う必要もない。
「……かはっ、残念だけど、始末されるのはアンタの方よ」
ハルモニアは立ち上がろうともせず、壁に寄りかかったままそう返した。
「なんだ、虚勢でもはるつもりか? 確かにあのツタージャのクソアマは足が速いだろうが、それより先に俺がお前の首をかっ切る方が早い。そして俺があのツタージャを仕留めるのもたやすい……?」そう言いながら、ガバイドは胸に微かな違和感を覚えた。
「それは違うわね。アンタはもう動けないはずよ。大量の毒ガスを吸っているんだもの」
「何だと? 何を言っているんだ……がっ」その瞬間、ガバイドは強く咳きこんだ。ゴホゴホ、ゴホゴホ。たんを吐いてもまだ咳き込みは収まらず、その場にうずくまる。ハルモニアは得意げに目を細め、鞄の中からオレンの実を探し出し、マスクをずらすと一口かじった。その際、空気を吸わないようにした。
痛みが引いていく。腹に受けたダメージが抜けるように消えていく。オレンの実を半分食べると、もう半分の果汁を、傷口に塗った。
ダメージは回復したが、それでもなお彼女は立ち上がろうともせずに、洞窟の中で燃え盛っている火に目をやった。強くもなく弱くもなく燃え盛り、煙を出している。
「石炭の中にはね、硫黄ってのが入ってるの。硫黄それ自体は別に毒なんてないんだけど、それが燃えたとなれば話は別よ。硫黄原子が酸素分子と結合した二酸化硫黄ガスは生物の体に有毒なのよ。本来であれば匂いを感じた瞬間にその場を立ち去るべきなの。この狭い空間内なら、ガスはすぐに充満する……」
「ああああああッ!」ハルモニアの言葉を遮り、ガバイドは更に怒鳴る。「モグ、モグリュー共……約束通りだッ! 泥棒の……始末、を……頼む」
「!?」
あのモグリューたちが、ここにくるのか? 今の自分は、ガバイドとの戦闘で疲弊しきっている。とてもモグリューの集団を相手できる身ではない。それに、毒ガスが充満している部屋だ。モグリューたちも危ないだろう。どたどたどた。この部屋に向かう足音が響いてきた。このままアイツらがくるか? とハルモニアは身構えたが、耳を澄ました彼女が聞いたのはこういった会話だった。
「……なぁ、ガバイドさんの部屋、変なにおいしねえか?」
「んだなぁ。ちょっと入るのは危険な気がするべ……」
ハルモニアはじっと聞き耳を立てていた。
「おい! 約束しただろうッ! この宝石を盗みにきたものはお前らが追い払うのだとッ!」とガバイドが叫んだが、モグリューは現れない。
ハルモニアはため息をついて、ぱちぱちと燃える炎の下に歩いていった。そして、フリストを手招きすると、
「アンタ、竜巻使えるでしょ。それでこの火を消してちょうだい。」と言った。
「なんか分からないけど、もういいの? この煙がガバイドを倒すのに必要なんじゃないの?」
「アイツをけん制する必要はあったけれど、倒す必要まではないわ。それに、アンタが宿り木の種をまいてくれてるから大丈夫よ」
「う、うん……えいっ!」
フリストが竜巻で炎をかき消すと、ハルモニアは光の玉を使った。毒ガスと砂嵐で悪くなっていた視界は、その二つが消え去って透き通るようになった。 ハルモニアは、部屋の入り口に歩いていくと、そこで右往左往していた工夫たちに言った。
「部屋に充満していた毒ガスは取り払ったわ。ガバイドに呼ばれているんでしょう」
モグリューたちは部屋に入っていくと、ガバイドの下に走っていった。
「す、すいません……どうにも部屋の中の空気が悪かったもんで」
ガバイドは未だうずくまりながら、彼らの言葉を遮った。
「そんなことはどうでもいいッ! あの宝石泥棒たちを始末してくれッ!」
「違うよ! 私たち、泥棒じゃないよ! 赤い宝石を取りにきただけだよ!」とフリストが叫ぶが、彼は更に言い返した。
「黙れ! それを泥棒と呼ばずになんと呼ぶ! 赤い宝石がどれを指しているのか知らんが、そこにあるのは全て俺のモノだぞッ!」
叫びながら、ふらつく足を支え立ち上がろうとするガバイドを、モグリューたちは止めた。
「ガバイドさん……あの、おいら、あの子たちは泥棒とかじゃあないと思います……」
がく、とまた崩れ落ちそうになったガバイドを支えたモグリューがこう言った。
「……なんだ、と……」
また別のモグリューがこう返す。
「おいら、あの子たちが炭鉱を抜けてくんの見たけど、なんつーか楽しそうって感じだった……瞳に一点の曇りもない、かどうかは分かんねえけど、とにかくそんな……あの、泥棒とかするような子たちじゃねえと思うよ」
そう言って、モグリューがハルモニアたちの方を見ると、フリストと目が合った。フリストはハルモニアに「……もう、いいんじゃない? 帰ろっか」と言った。
「あら、赤い宝石はいいの?」
「だって、モグリューたちが一応かばってくれているんだから宝石を盗っていったりしちゃ悪いじゃん? それにガバイドにとって大切なものならだめかなぁ、って」
「……そうね」
ハルモニアは、ガバイドのところへざっざと歩いていった。
「ごめんなさい、お騒がせして。宝石はいらないから帰るわ」ハルモニアは一切色を変えないガバイドの顔を見ながら言った。
「私たち、この奥がどうなってるか見にきただけなの。宝石は知り合いに持ってこいって言われたからそのついで。でもいいわ、あなたが大事にしているものみたいだから」
「……そうか」
ガバイドはそう言うと、宝石の山に目を向けた。天井に穴が開いていて、上から光が差し込んでいるため赤や青や黄色の光が目に映える。ハルモニアも同じ光景を見ながら言った。
「そういえば、ガバイドは宝石を食べる種族だったわね」
「ああ、そうだよ。ここに飯を貯蓄してたら、いつの間にかこんな部屋ができてたんだ」
「で、ある日おいらたちが炭鉱からこの部屋まで穴をつないじまったんだ」工夫の一人が言葉をつないだ。
「そ、それで、この宝石を目的に炭鉱に侵入する輩も増えちまって……だからあの穴は立ち入り禁止になってたんだ」
「そっか……」ハルモニアは、いつの間にかフリストがそばに来ていることに気付いた。「ごめんね、色々迷惑かけちゃって。私、これを見られただけで満足だから気にしないでほしいな……じゃ、帰ろう。ハルモニア」
「ええ、じゃあね。それとよかったらこれを使って」
ハルモニアはガバイドの足元にモモンの実とオレンの実を置いて、立ち上がった。その後をフリストがついていく。
「ありがと、ハルモニア」
「……何がよ」
「私、こういう冒険とか好きだからリールたちの前では虚勢はってたけどさ、ここまでこれたのはハルモニアのおかげだから」
「気にしないでいいのよ。元々アイツらに行けって言われてたのは私一人なんだから。それより、ここを出たらさっきあんたが言ってたところに案内してちょうだい……あ」
ハルモニアとフリストは、ほぼ同時に未だに二人がマスクをしていることに気付いて、それをとった。
穏和村に帰ってきたハルモニアは、フリストに手を引かれながら歩いていた。例の場所に行こうとしているのだ。
「すごいいいところなんだよ! 絶対来て損することなんてないから、もしそうじゃなかったらそこの木の根元に埋めてもらっても構わないよ!」
「はいはい」
そんな二人は、広場にいたリールとシンの目の前を通り過ぎた。
「お、おい!」リールが呼び止める。
「あ、リール?」
若干忘れっぽいフリストは赤い宝石の件をすっかり忘れていた。ハルモニアだけが「あっ……」と声を出す。
「お前たち、立ち入り禁止の穴に行ってきたのか?」
こう聞いてくるリールは、やたら威圧的だった。
「いってきたよー。すっごい楽しかった! じゃあね!」
のびのびとした笑顔で答えるフリスト。そのまま振り返って行こうとしたところを、シンが引き留めた。
「お、おい待てよ! だったらあるんだろうな? 証拠の赤い宝石は」
「持ってないよ」
「なっ……」
さらりと言い返したフリストに、彼は絶句した。じゃあ認めない、だのとのたまおうとしたリールたちにハルモニアが告げた。
「あんたたちはどうせあの奥までは行けてないんでしょ。あそこには赤だけじゃなくていろんな色の宝石があったし、全部ガバイドっていうポケモンの宝物だったから持ち帰るのはやめにしたわ。全く……実際に見てないくせに知ったかぶりしてるんじゃないわよ」
そして、ハルモニアは二の句を告がれる前に歩き出した。
「あ、待ってよ」とフリストが追いかけて、彼女の右手を握った。
フリストが案内し、村の南端まで行き、森を抜け、そこにあった丘に登ること約十分。風にさらさらと揺れた草を踏みしめたハルモニアの視界を覆ったのは、空と、森と、湖と、煙をあげる家々。さわやかな空気が彼女の鼻をくすぐった。
「……綺麗ね」
「ねえ、ここ。すごいでしょ!
ここから穏和村を一望できるんだ……私だけの、秘密の場所。綺麗で、優しくて、どこまでも遠くが見渡せる……だから、ハルモニアにも来てもらったんだ。ここから空を見上げると、気持ちよくって、風が心地いいんだ……天気もよくってさ。絶好の冒険日和だったし、楽しかった」
遠くの空で、入道雲が湧き上がっている。
「私たちは、あの雲に比べたらすごくちっぽけで、でもあの入道雲も世界の欠片みたいなもので、そう考えると、わくわくするんだ。この村の外には、色んな場所があって、たくさんのポケモンがいて、たくさんの冒険がある。私は、全部見てみたいんだ」
広い空が、フリストの語りに説得力を授けている。
「だからね、私は調査団に入りたいんだ。昨日言ったやつ、覚えてる?」
「この世界をくまなく冒険する組織、だったかしら」
「うん。調査団に入って、この星にあるもの全てを見て、この星全体の世界地図を完成させる。それが私の夢なんだ!」
「……叶うといいわね」
気の長い夢だ、とハルモニアは彼女の行く末を案じながら言った。
「そうだね……私みたいな子供はまだ調査団には入れないし、何よりじっちゃんが村の外に行っちゃだめって言うから、まだ……ダメだけど」
――――アンタ、堂々と村の外に出入りしてるじゃない。でも、確かに何でもかんでもはやらせてくれなそうね。
「あれもだめ、これもだめって言うし……無茶なことしたら怒られちゃうから、何もできないんだよね」
――――それは当然だし、あんたは止められても底なし沼に勢いよく飛び込んでいくタイプよね。
言葉には出ない。それもそのはず、ハルモニアは空を見上げていたら眠くなってきて、そのまま睡魔にとらわれたのだ。
「それも私が大人になれば終わりだけど、それまで待ちきれない。私は今すぐにでも夢を叶えに行きたい。絶対、あきらめないからさ、ハルモニアは私の夢を応援してくれるよね?」
フリストがそう聞いた時にはハルモニアはもう安らかに寝息をたてていた。
「あ! ちょっとハルモニアなんで寝てるの! 起きてよ!」
「何〜……うるさいわね……」
「ねえねえ、ハルモニアも私の夢を応援してくれるよね!」
「うーん……」
「あ、今うんって言った! へへ、ありがと!」
もう、フリストは無理矢理起こそうとはせずに一人ではしゃぐだけだった。