ラストページにさよならを - 踏み出し
洞窟内を進め
 モグリュー炭鉱。穏和村を東に、恐怖の森をさらに越えて行った先にあるダンジョンにハルモニアたちは連れてこられた。名前の通り、モグリューというポケモンがあちこちで黙々と石炭を掘り出している。見渡せばボタ山がいくつも点在している。
 リールが説明を始める。
「このモグリュー炭鉱ってとこはな、不思議のダンジョンなんだ」
「不思議のダンジョン? モグリューたちが働いているのに?」とフリスト。
「ああ。だけど、不思議のダンジョンになってんのはそのうちの一部だけなんだよ。お前ら、あそこを見ろ」
 と言ってリールが指さした先には、洞窟が一つ。
「あの入り口から入ると、しばらく一本道が続く。途中に分かれ道があるんだけどな、右に行っても何もない。ただし、左にいくとポケモンたちが襲ってくる不思議のダンジョンだ。最下層には赤い宝石が眠っているから、お前らは、そのお宝を取ってこい。そうすりゃ認めてやるよ」
「言葉遣いが悪いわね。取ってきてください、でしょ」
 煽るようにハルモニアが言葉を浴びせる。
「うっせぇ。どうせ途中で泣いて引き返すのが関の山なんだよ。今から土下座の練習でもしてなっ」
 とリールが吠えた。
 そうは言いつつも、彼らは恐怖の森同様このダンジョンにもろくに入れていないのだろう。実際、赤い宝石なんてがせじゃないのだろうか。仮に失敗したとて、彼女は萎縮するつもりはさらさらなかった。
「吠え面だけ勇ましく見せても私には効かないからね。オラ、フリスト、行くわよ」
「う、うん。じゃあ行ってくるね」
 そう言って、ハルモニアはスタコラサッサと洞窟に歩いて行った。その途中、気づいた工夫のモグリューが止めようと歩いてきた。親分、というべきポケモンがいるかは分からないが、立ち入るのはやはりまずいのだろう。
「お、おい、なぁお前ら……こ、この先に、は、入るのか?」
 彼女らの前に立ちはだかるその工夫は、喋りが遅く、所々吃音でつっかえている。進んでも攻撃してくる様子が見られなかったので、ハルモニアは右手で工夫を払いのけ、洞窟に入って行った。
「あ、待ってよ。ご、ごめんなさい。私たちこの洞窟に用があるので、ええと……行きますね」
 フリストが払いのけられた工夫を心配しつつ洞窟に入っていくと、ハルモニアが早速拳を構えていた。洞窟は一本道とはいえ不思議のダンジョンであることに変わりはないようだ。だが、ハルモニアは怯えない。ココドラやマグマッグをエレキボールや電気ショックで蹴散らしていく。ナックラーやカラカラといった電気技を受けない相手は草結びで倒していく。
 一方、フリストはと言えば次々に出てくる獲物をハルモニアに取られてしまい、手持ち無沙汰になっていた。時折道端に落ちていて、ハルモニアが見逃した玉や木の実を拾うか、後ろから迫ってきている敵を打ち払う以外にすることがなかった。地面タイプのポケモンは自分が戦う方が有利だとハルモニアに言っても彼女は聞き入れようとしなかった。
「でもさ、草タイプの技は草タイプのポケモンの私が使った方が威力は高くなるじゃん? だからそういう相手は私に任せた方が……」
 メラルバが現れ、火の粉を吹いた。ハルモニアがそれをかわすと足元に落ちた。だが、一瞬だけそれは炎をあげて、ハルモニアは更に後ずさった。
「タイプ一致って言うんだったかしら。別に、私の草結びでもそんな苦労してるわけじゃないんだから関係ないわ。っ」
 と、その言葉に少し遅れて右手からエレキボールを放つ。メラルバに命中した。メラルバは糸を吐くという技をこちらに向けてきた。螺旋を描き縛り付ける糸を回避して、フリストはグラスミキサーを。ハルモニアはそれより早く猫騙しを打った。グラスミキサーはタイプの相性もあってそこまで効果はないようだった。メラルバが倒れたのは猫騙しの結果だろう。
「だから余計な手出しはいらないって言ってるでしょ」ハルモニアは眉間に皺を寄せた。
「ご、ごめん。でもさ……」
「いらないっつったらいらないの。行くわよ」
 ところで、さっき炎が上がったのはなんだったのだろう、と思いながらその地面を見てみると、マッチ数本とその箱が転がっていた。工夫が葉巻を吸うのに使っていたのだろうか? 彼女はそれを拾い上げると、鞄の中にしまった。
 目の前からカラカラが迫ってきた。少し戸惑いながら草結びを打つ。地面から生えた蔦がカラカラをぶちのめした瞬間に、電光石火でぶつかる。蹴散らされたカラカラを傍目に少し行くと、開けた空間に出た。
「何かしら、ここ」
 目の前にトロッコがあり、トロッコが乗っている線路は右折し、トンネルの中に続いている。左折する方向にも線路はあり、トンネルがあるのだが、そのトンネルの前には二本のコーンが置かれていた。まるでここから先には行かせないと言いたげに。
「ここがリールたちが言ってた分かれ道なんじゃない? ほら、あのコーン」
 フリストはそう言って、コーンを指した。
「あれ、立ち入り禁止の文字があるじゃん」
「そうかしら」
 遠くてよく見えない。近くまで歩いていくと、確かに立ち入り禁止の文字が書いてある。……これは、この世界の文字、だろうか? 読めてしまった。そういえば、自分はこの世界の言語は理解できるくせに、文化は一切分からない。慣習なんかも全然知らない。自分は何者なんだろうか。
 今日のマサムネ先生の授業でやった、この世界の人間が絶滅する経緯はなぜか知っていた。だが、その後この世界がどうなったか。それは知っているかどうかもまだ定かではない。
――――私は、この世界で暮らしていたのかしら……?
「どうしたの、ハルモニア? コーンの前で固まっちゃってさ。早く行こうよ」
 疑問に耽る彼女の肩をフリストが叩く。
「……そうね」
 考えても分からないんだ。動くしかない。一歩足を踏み出そうとしたハルモニアを、そこにいたモグリューの工夫が呼び止めた。
「お、おい、お前ら、その先に行くのか? やめろ、書いてあ、あるだろ! そこから先は立ち入り禁止だ。わかったらおいだからだめだ! その先にはあ」
 黙ってろ、とすら言うのがめんどくさい。さっきも跳ねのけたら引き下がったし、どうせこのまま進んでも止めやしないんだろう。
 ハルモニアはずんずん先へ進んでいった。ダンジョンはさっきと違って道が狭くなり、別れたり広くなったりする迷路になっていたが、出てくるポケモンはさっきと変わり映えしない上に強くなったようにも見えない。こんなやつらが危険だなんて、転職した方がいいんじゃないか?
 そう思いながら広い部屋に出てマグマッグを打倒すと、その後ろからイシツブテが飛び出してきた。岩と地面の複合タイプだ。このダンジョンでは初めて見るが、こんなやつ、草結びの餌食にしかならない。ハルモニアが腕を振ると、地面から草が生え、イシツブテを打ち付けた。そこそこ力を入れたし、一撃で倒れてくれるだろう。吹き飛んだイシツブテを通り越そうとした瞬間、
 しかし、一撃で倒したと思っていた敵は起き上がって、弾け飛んできた。
「えっ!?」
 手に泥爆弾を構え、一振り。ハルモニアが苦手な技が、腹に突き刺さる。足を動かそうとすると、泥が絡んで上手く動けない。尻もちをついた。
――――しまった、“頑丈”か。
 イシツブテや、ダンゴロが備えている特性、頑丈。どんなに強い攻撃。例えばディアルガの時の咆哮やレシラムの青い炎といった技を食らっても、一撃だけであれば死亡寸前までダメージを受けつつも耐えるというものだ。
 裏を返せば、あと一撃さえ当ててしまえば相手は倒せてしまう。だが、その一撃は相手の方が早く出してしまいそうだ。敵が手に構えるは岩落とし。彼女が手を前にもってくる前に命中するのが目に見えている。だめだ、間に合わない!
 そう思っていた矢先、イシツブテの方が弾き飛ばされた。
「ハルモニア!」
 視界が明滅し、走馬燈が駆け巡り始めたところで助かった。走馬燈、と呼べるほど記憶が保持されてもいないが。
 弾き飛ばしたのは当然フリストだった。竜巻で、イシツブテの体が持ち上がり天井に激突して動かなくなった。
「大丈夫? ごめん、手出すなって言われたのは分かってるけど……」
 フリストは駆け寄ってくるなり手を差し伸べた。
「でも、さすがに今のは手を出さずにはいられなかった、かな。ハルモニアが死んじゃったらいやだから」
 その手の向うで、彼女はニッ、と笑った。
「あ、アンタ……」
 ハルモニアは渋々、でもなく素の動きで、フリストの手を取った。
「ごめん、なんて言わなくてもいいわよ。助かったんだから」
 むずがゆい。手出し無用なんて言っておいてこの様で、助けられて、ありがとうだなんて言いづらい。
「ちょっと油断した。それだけかもしれないけど、死にそうになったのを助けてもらったんだから……か、返す言葉がないわ」
立ち上がって尻をはたき、何事もなかったかのように進んでいった。いや、実際は泥爆弾の影響で体にダメージが残っていて、足元がおぼつかない。
「食べる?」
 腹がずきずき痛み苦しがるハルモニアに、フリストは途中で拾ったオレンの実をそっと差し出した。
「結構よ」
 断った。とはいえ、自分がこの状態で更に進むのが苦しいのもわかっている。
「遠慮しないで。さっき言ったでしょ? ハルモニアが死んじゃったら私は嫌だから」
 フリストはそう言うなり、有無を言わさずハルモニアの口にオレンの実を突っ込んだ。
「むぐっ」無理矢理押し込まれ、しかし吐き戻そうとはしなかった。彼女の口に対して大き目の果実を、ゆっくりと咀嚼して飲み込んでいく。鼻や口に広がる柑橘の風味を心の奥で堪能していると、次第にダメージが消えていくのが感じられた。
「……ごくん。もう大丈夫。ありがとう」
「うん」
 さっき言いづらかったありがとうを、自然に言えた。そんなことどうでもいいんだけど。
 ハルモニアはもう何も言わずにさっさと歩いていく。狭い道と広い部屋を交互に攻略していく。次第に道は太くなっていき、先に光が見えてきた。ひょっとして洞窟を抜けてしまったか、と思ったが、どうも違うようだ。宝石が山積みにされ、天井に穴が開いていてそこから光が入り、宝石が光を反射することで洞窟の外にいるかのような光量を作り出していたのだ。宝石はダイヤモンドからサファイア、ルビー、エメラルドと色とりどりで、リールたちが言っていた赤い宝石、というのはルビーかガーネットのことであろう。たくさんあるからこのうちの一つを持ってこい、ということか。
「わぁ……」
 鮮やかな光にフリストが声をこぼした。ハルモニアも思わずその美しさに見とれてしまった。
 対照的に、地面は石炭が転がっていて足の裏が汚れたため、彼女は少し顔をしかめた。
 おかげで、下から上ってくる気配に気づくのが遅れた。
 気配は、宝石に近づいていた彼女の真下から正確に狙っている。とっさに後ろに飛んで下がると、つま先を何かがかすめ、地面が砕けた。
「え?」
 出てきたのはガバイドというポケモンだった。青い体に細い流線型のフォルム。腕に刃をつけており、進化すれば音速以上で移動するという彼は、いきなりのことで呆けているフリストに竜の息吹を吹いた。
 フリストは状況を把握し、体をよじった。ハルモニアはエレキボールで竜の息吹を弾こうとした。竜の息吹はフリストに当たったが、致命傷には至らなかったようで、彼女は吹っ飛ばされてゴロゴロと地面を転がり起き上がった。石炭が体をこすったため、体中が黒く汚れて悲壮感を感じさせる。
「い、いたたた……」
 ハルモニアは足元の石炭を蹴っ飛ばした。ガバイドはそれを腕の刃で防ぎ、石炭は彼の足元に転がった。
「お前たち、何者だッ! ここは俺の縄張りだ。出ていってもらおうッ!」
「ごめんなさい。あなたの後ろの宝石にちょっと用があるだけなの」
 そういえば、ガバイドは鉱物を好んで集めるポケモンだったことを思い出しながら、こう言っても聞き入れてはもらえないだろうな、と考えつつもこう言った。
「ならん、聞き入れられるか」
「お、お願い……」フリストが息を切らしながら続けた。「私たち、そこの赤い宝石を取りにきただけなんだ……」
 だが、ガバイドは沈黙を保つままである。ハルモニアは彼と対峙しながら、背中に妙な違和感を感じた。
「おいモグリュー共。始末しろ」
 振り返ると、鉱夫たちが構えていた。一瞬、背筋が凍るかと思ったハルモニアだが、彼らが小刻みに震え、怯えを表情に貼り付けていたのを見て敵にはならないことを悟った。ーーーーしかし、ポケモンとして生きてきたのは彼らの方が圧倒的に長く、しかも加えてガバイドも相手にしなければならない。逃げ出そうか? とも思ったが、その行動はモグリューたちの方が速かった。彼らはものも言わずに穴を掘ってすたこらさっさと逃げ出した。
「おい貴様ら! 契約と話が違うだろうが!」
 とガバイドが怒鳴る。契約?とハルモニアは首をかしげた。
「お、お願い。私たちここの赤い宝石を取ってくるように言われてて……」「黙れ! 黙ってすぐ立ち去れ! 立ち去らないのであればッ!」懇願するフリストに、ガバイドはまた龍の息吹を吹きかけた!
「危ないっ!」
 反応が遅れたフリストを抱き、ハルモニアは飛び上がった。数m空を舞い、地面にぶつかって転がった。
「話は通じそうにないわね……」
 言うや否や、鞄からマッチを取り出した。先端を擦って火をつけ、足元の石炭の塊を拾うと、それに直接引火させた。
「……ハルモニア!?」驚くフリストをしり目に、火のついた石炭をガバイドに投げつけた。ガバイドが左に飛んでよけると、ハルモニアはそこにもう一つ、火のついた石炭を投げつけた。火は地面に転がっている石炭に燃え移ったが、すぐに勢いは収まった。
「フリスト、マスクとか持ってないかしら?」
「マスク? 一応あるけど……二つあれば十分かな」フリストは言われるがまま、草を編んで作られたそれを取り出した。
「ええ。一つ頂戴。もう一つはあなたがつけてて」
 ハルモニアは、フリストが彼女の鞄から取り出したものを受け取り、更にこう付け加えた。
「私が合図するまで、何とかしのぐわよ。合図したら勝ったようなものだから、安心して」
 草のマスクを、ハルモニア自身は付けずに鞄の中にしまった。そして、間髪入れずに腕を振ると、ガバイドの足元に蔦が生えた。草結びである。
 しかし、草結びはガバイドのドラゴンクローが切断し、失敗に終わってしまった。次に、フリストがグラスミキサーを打ったが、ガバイドはそれよりも遙かに速く移動した。
「……は、速いっ!」
 ガバイドはそれについていけないハルモニアにドラゴンクローを振り下ろした。ドラゴンクローは、ピカチュウの頭を右脳と左脳に切断するかと思われたが、間一髪、ハルモニアが頭を後ろに反らす方が早かった。ハルモニアはすかさず電光石火で懐に飛び込み、拳を連続で打ち付けた。
 拳は、最初の三発だけがガバイドの頭に飛び込んだだけでそれ以外は彼のカギ爪に食い止められた。ハルモニアの拳に切り傷が走る。そこにガバイドは超至近距離から竜の息吹を放った。
「!」
 ハルモニアはまたも間一髪でかわし、彼から距離をとった。
――――電光石火も草結びもそれ以上の速度でかわされる。エレキボールと電気ショックは効果がない。時間まで耐えきれるかしら。
 ハルモニアは洞窟内の空気に少し意識を移した。石炭のなんとも言えない香り。さっきばらまいた炎は強くもなく弱くもなく、それでいて石炭の大きな塊を燃やしている。まだ時間がかかりそうだ。
 ガバイドはまた超速度で移動し始めた。無数の攻撃が、ハルモニアを襲う。
「っ、!」
 自分はあのスピードについていけない。打つ手がない! どうすればいい? フリストはどうしてる?
 そこまで考えが及んだ瞬間に、ガバイドのスピードについていくフリストが目についた。スピードが抑えられずに勢い余っているため、マークはしきれていないが、ガバイドは彼女を振り払うのに苦労しているようだ。ドラゴンクローや切り裂くなどの技が当たっていない。
 ガバイドはドラゴンクローを振り回した。それをフリストは右に左に飛んでよける。攻撃できているわけではないが、快調によけられている――――
 かと思いきや、足元の石炭につまずき転んでしまった。そこにガバイドがドラゴンクローを振り下ろす。
「危ないッ!」
 処刑完了、とはいかなかった。ハルモニアが咄嗟に。彼女の拳サイズの石炭の塊を投げ、攻撃の軌道は横にずらされた。起き上がったフリストが、蔓の鞭を振るった。拳の刃が地面にめり込み、動けないガバイドに技が吸い込まれた!
「があああっ!」
 ガバイドは怒鳴り声をあげ、素早く後退した。
「ふぅ〜っ、冷や冷やしたぁ……ありがとう、ハルモニア」
「ありがとうじゃなくてごめんなさい、でしょう。私の方が肝を冷やしたわ……あら?」
「ふん、なんだこれは? 石のつぶてが当たったくらいにしか感じないが……ッ」
 ハルモニアはガバイドの様子がおかしいことに気付いた。フリストの会心の一撃とはいえ、彼に蔓の鞭はそこまで通っていないだろうと思っていたのだが、彼はなぜか苦しんでいるように見える。
「はぁっ……はぁっ……貴様ら、許さんぞ……」
 そう言って、ガバイドはまた高速で動き始めた。だが、その動きに明確に違いが見える。まず、攻撃をかわすのが苦にならない。
――――なぜ? もう時間がきたの?
 そろそろフリストに合図するころか、と一瞬でも考えたハルモニアだが、彼女の嗅覚はまだ渡す引導がないことを告げていた。
「フリストッ! あんたさっきアイツに何をしたのッ!?」
 スピードでガバイドを圧倒しながら蔓の鞭を振るう彼女に、空を切るように叫んだ。
「簡単なことだよ。蔓の鞭で攻撃したときに、コイツに宿り木を植え付けておいたんだ」
 そう言ってにやりと笑うフリストと対峙するガバイドの足には、蔓が巻き付いていた。



鏡花水月 ( 2015/11/04(水) 20:11 )