ラストページにさよならを - 踏み出し
始まり
「フリストォ!」
「じっちゃんごめんなさーい!!」
 ツタージャのフリストは叫びながら家を飛び出した。彼女に踏まれた草がさらさらと揺れる。
 穏和村。かつて不思議のダンジョンの一部だった林を切り開いて作られた村だ。総人口は八百人ほど。ただの小さい村のようでいて、その実六千年ほど前から存在している村で、数々の伝説も残っている。ただし、傍目にはそこまで魅力的に映る村ではない。
「全く……」
 じっちゃんと呼ばれたポケモンはアバゴーラだった。逃げ出していった彼女を追いかけようと家の外に出て、すぐに立ち止まった。孫娘――――実際、血は繋がっていないが、フリストのいたずらに顔をしかめつつも、首を振った。森の中で拾ってきた赤ん坊が、今やこんな悪ガキと化している。だがまぁ、元気なのはいいことだ、とアバゴーラは彼女を追いかけることはせず、家の中に戻った。

 フリストは学校では説教を受けない日がないほどの問題児である。学校がある、というだけでも驚かれるような村だが、あると言ってもクラスは一つしかなく、教師も四人だけである。まだ分校よりはマシ、というだけのレベルだ。生徒の数も、ゴーリキーの手の指で足りるほどだ。カイリキーではなく、ゴーリキーの手の指で。
 そんな中でいたずらに精を出すフリストは、当然ながらその学校の教頭に案の定目をつけられていた。何せ、説教を食らわせるときでさえヘラヘラ笑っているのだ。時には目を輝かせながら危ないから行くなと言われた不思議のダンジョンに飛び込んでいくこともある。毎日笑顔で走り回っているので、通知表に書く長所は大体「元気がよく、挑戦心に満ち溢れている」の一点張りだ。
 さて彼女は草を鳴らしながら、一年前に隣に引っ越してきたコノハナというポケモンの家の前を走って通り過ぎようとした。名をノーテルと言い、大陸の極東出身で、生まれはこの穏和村に引けを取らない片田舎だったらしい。証拠といっては何だが、かなり訛りがきつい。そこから一人で引っ越してきたと言っていた。割と気さくな人物で、早々に村の人たちと馴染んでいたが、未だに独り身だと言う。
 家から出てくる誰かとぶつかった。
「いったぁ!」「きゃっ」
 どて、と草の上を転がる。しっぽの葉が揺れた。
「ふ、ノーテルさん……? ごめんなさい!」
 てっきり、家の主、コノハナのノーテルにぶつかったと思い、身を起こしながら彼の名を呼んだ。
 しかし、起き上がって目の前にいたのはしかめっ面をして頬をさするポケモンの姿だった。
 黄色の体で、とがった耳の先は黒い。さすっている頬はさながらリンゴの赤だ。つぶらな瞳を持つそのポケモンは、種族としては珍しく、この辺では滅多に見かけない。確か、ピカチュウだったはずだ。
「何よアンタ」
 表情を見るに、どう見てもいい気分ではなさそうだ。突然横からぶつかられたのだから当たり前ではあるが。
 そんなことよりフリストが疑問に思うのは、彼女自身の存在だった。ノーテルは独り身で、家族はいないと昨日も言っていたはずだ。彼は東方の出身で訛りが強いのだが、この少女に訛りはなさそうなので、親戚の子でもなさそうだ。
「え、何? ノーテルさんじゃない? あなた、誰? ノーテルさんの隠し子?」
 見た感じ、年齢はフリストと同じくらいだろう。
 となれば普通は学校に通っているはずだが、学校では見かけない。他の村の子が遊びに来たのかと考えても、明日も学校があると考えるとそれも考えづらい。つまり、このピカチュウは明日から学校にくるはずだ。
 そう考えると仲良くなりたくなるのがフリストである。だが、ピカチュウの少女は冷たかった。
「は?」
 彼女怪訝な一音を残すと厄介ごとはごめんだと家の中に引っ込んでいった。
「え、ねえねえ待ってよ! ここに住んでるんだよね? よかったら仲良くなろうよ。私フリスト! 君の名前は?」
 そう言いながらフリストはピカチュウのしっぽを引っ張る。
「……ちょっと、何? アンタ。うるさいんだけどやめてくれない? ここの家主なら今この村の学校に出かけてるからいないわ。後でね」
 と言いながらピカチュウがフリストの手を抑えると、フリストは彼女の手を取った。
「あっ、この村も初めて? 初めてだよね? じゃあ私が色々案内してあげる!」
 返事も聞かずにコノハナの家を飛び出し、道すがら引っ張っていき、橋を渡った。
「え、は? ちょっと待ちなさいよ。頼んでないんだけど。大体アンタ何なの」
「私フリスト。って、さっきも自己紹介したじゃん? そういえば、まだ聞いてなかったけど、キミ、なんて名前なの? あとどっから来たの? あ、ここガルーラカフェだよ。穏和村店限定のラムの実カフェオレオススメだから飲んでみてね。あと道挟んで隣にあるのがカクレオン系列店のお店ね」
 二人は橋を渡ると村の広場に来た。このような場所が村の中にもう三か所ほどあるらしい。そんなことより、ピカチュウの少女は彼女の態度が癪に触っていた。いきなりぶつかってきたと思えば、勝手に連れ出して村を練り歩く、こいつは一体何なのだ。更に言うと、彼女はノーテルから戻るまで家から出ないよう言われているのだ。その事情も喋らせずにいきなり手を取るとはどういう了見だろう。そこはどうでもいいというのが本心ではあるが。
 さて、ピカチュウの彼女はうんざりしながら、しかし帰る前にせっかくだからざっと目を通しておくか、とフリストが指した順番に目を通した。まず、ガルーラカフェ。広場で一番大きい建物だ。正直十年後も存続しているかどうか怪しいほど人口が少なそうな村だが、儲かっているのだろうか? それに、カクレオン商店。フリストがぺらぺら話すのを聞くと、世界中全ての大陸に系列店があるらしい。中には世界を救うほどの成績を収めた探検隊のバックアップをしている店もあるのだ、と彼女は言っていた。右手にはルチャブルというポケモンが番をしている店があったが、そこに関してはフリストもよく分からないとのことだった。ついでに、カクレオン商店から東へ伸びる道についても気になったが、すこしでも興味を持ったような素振りを見せるとフリストがうるさいので黙っておいた。


「で、このカクレオン商店とガルーラカフェの間の道を行ったら学校に着くんだ。キミ、遊びに来たって感じでもないし明日から学校に行くんでしょ? じゃあ学校まで案内してあげようか?」
「余計な真似しないでちょうだい。……確かに明日から学校には行くけど。もう帰るから、着いてこないでね」
 ピカチュウは早々に後ろを向いて帰りだした。うるさい。静かにしてほしい。自分は色々事情があって疲れているんだから。……ん?
「ちょっと、なんてことしてるの!?」
 そのとき、後ろから叫び声が聞こえてびくっとした。フリストとやらの声ではない。振り返ると、広場の真ん中で三人のポケモンが言い合っているのが見えた。それぞれシキジカ、チョボマキ、ヤンチャム。周りの大人たちがちらと目を向けまたさっきまでやっていたことに目を戻す。
 ……あまりいい雰囲気ではない。
「あ、あの子たちも私たちと同じ学校に通ってるんだー。多分、キミも同じクラスになると思うよ。教室一つしかないからね」
「……なんかもめてるみたいだけど、大丈夫なの」
 ピカチュウは顔だけ、広場の方を向けている。
「お、話しかけてみる気になったかな?」
「……」
 ヤンチャムとチョボマキはヘラヘラ笑っているが、シキジカはなんだか今にも泣きそうだ。いじめだろうか? あの年齢だと、男の子が気になる女の子にいじわるをするという話は付き物だが……確かに、シキジカは二人に気に入られていそうだが、どうもいじめとは違うようだ。なんだろう、困ったことが起きているようだ。
 フリストが茶化すのは無視して、彼女はシキジカたちのところに歩き出した。
「ねえ、何かあったの」
 唐突な一言。何せ、見知らぬポケモンが話しかけるのだ。彼女としては言葉を選んだつもりではあった。
 シキジカは言葉に詰まったような顔を見せ、ヤンチャムたちは振り返るやいなや未見に皺をよせた。
「あん、誰だよお前?」
 ヤンチャムとチョボマキは威圧的な態度で、シキジカは返事をする様子を見せなかった。うーん、あのツタージャ曰く明日からこいつらと一緒の学校にいくらしいからあまり波風は立たせない方がいいだろうか?
「あ、ごめんなさい。何か困ってるみたいだったから――――」
 困っている様子だったが、自分の手を借りそうにはない。落ち着いて身を引くか、と思った矢先にフリストがきた。
「三人とも大丈夫だよー。この子、転校生で明日からうちの学校にくるんだって」
 確かにこの村の学校に行くことになっているが、お前にその話をしたわけじゃないだろ。黙ってろ。
 そう言わんばかりに、ピカチュウの少女は沈黙に努めた。
「はぁ? 転校生? ずいぶんなよなよしてっけど、こいつが? うちは来月から実習の授業も入ってくんのに、役に立ちそうにねえなぁ?」
 と、ヤンチャム。なんだコイツ、フリストとやらとは違う方向でむかつく。この村の子どもはみんなこうなのか? とピカチュウは内心で思ったが、実際には鼻で笑うだけだった。もちろん、自己紹介などする気も起きなかった。
「ちょっと二人とも、今はそんな場合じゃないでしょ!? マイルが恐怖の森に行っちゃったって、どういうことよ!」
「えっ」
 恐怖の森、という言葉を聞いた瞬間、フリストが顔をしかめさせた。
 で、このシキジカは私を無視するのか――――いや、確かにいきなり見知らぬにん、ポケモンに話しかけられてもどうしようもないか。
「どうもこうもそんままだぜ。アイツがバカにすんなって言うから、前に俺たちが恐怖の森に行ったときに置いてきた紙を取ってこいって言っただけだ」
「あそこは不思議のダンジョンじゃない! マイルに何かあったらどうするつもりなの? リール、シン、早く迎えに行って」
「えぇ〜でもなぁ」
 そう言って躊躇うヤンチャムことリール。見る限りだと、意地悪だとかめんどくさいからだとか言うよりも、少しビビっているようだ。前にその恐怖の森に行ったとき、ビビって途中で引き返したというところだろう。……。
「やーだね。よわっちいくせして調子に乗るから悪いんだ。大人しくしてりゃ俺たちだって恐怖の森に行けだなんて言わないぜ」
「だよなぁ。根性を見せてやるだなんて、かっこつけてるからいけねえんだぜ? 今頃森の中で動けなくて泣いてるんじゃねえのか?」
 と、ヤンチャムとチョボマキ。もとい、リールとシン。手ごたえがない様子だが、シキジカはそれでも激昂した。
「ねえ! 私たちより幼いマイルをあんな森の中に迷い込ませてなんとも思わないの?」
 しかし、それでも悪ガキ二人が動き出す気配はない。シキジカが動き出すようでもない。と言うより、さっき橋の上から聞こえてきた会話を思い出す限りだと彼女は二人にとって女神とか妖精とか、そういった存在で危険な目に合わせるのは忍びないらしい。
「レイラ、私が行こうか?」
 と、そこに便乗していったのがフリストだった。丁度似たようなことを考えていたピカチュウだったが、恐らくフリストの意図は別なのだろう。顔が楽しそうだ。
「お前はすっこんでな、この冒険家気取りが」
「今は気取りでも、将来実際に冒険家になってやるから関係ないもんね、レイラ、私が迎えに行ってくるよ」
「え、で、でも……マイルを行かせたのはリールとシンなんだから、この二人に……」
 シキジカのレイラは迷っている様子だった。フリストとリールの顔を交互に見る。ここで自分が行くなんて言い出せば驚くだろうか、とピカチュウは思った。
「そこの二人は恐怖の森とやらにビビってるみたいだから、多分何言っても行かないわよ」
「なっ」「あぁん!?」
 いきなりビビってる、と言われてリールとシンは眉を寄せた。
「アンタ、さっき、役に立ちそうもないとか言ったわね? ちょっと癪に障ったから撤回させてやるわ。とりあえず、私がその紙のところまで行けばアンタと同じレベルってことよね。人数も二人で条件は同じだし」
 ピカチュウはフリストの方を見ながら続けた。
「だから、アンタが行くなら一緒に行くわ。恐怖の森とやらまで案内して」
「え? あ、う、うん。じゃあ行こうか。レイラたちも森の入り口まで案内して。そういえばまだキミの名前を聞いてなかったけど、なんて言うの?」
「……ハルモニア。ハルモニア=ロイフォード」
「そっかー。よし、がんばろ、ハルモニア!」
「……」
 いきなり下の名前で呼ばれるほど仲良くなった覚えはない。ハルモニアはフリストをにらんだつもりだが、にらまれた彼女は気にせずレイラに着いていった。その後をリールとシンが追いかける。
「……ふん、転校生のくせに、偉そうなやつ」

 先ほどハルモニアが気にしていた、カクレオン商店の前の、東方へ向かう道を行くこと数分。恐怖の森にたどり着いた。木がうっそうと茂り、ハルモニアたちのところまで光が届かない。地面は苔が生していてつるつると滑る。聞けば、この森に迷い込んだマイルとかいう臆病者はヌメラという種族らしい。野生では岩の影に住み着き、湿った場所を好み、泡や濁流なんかを使うくせにドラゴンタイプの。それなら、このジメジメした暗い場所は彼(彼女?)にとって最適な環境じゃないのか、と思うハルモニアだが、この世界のポケモンはそんな都合のいいものでもないのだそうだ。
「んで? フリストとお前……えーと、ハルなんたらが行くんだって」とリール。
「そうだよ。行ってくる。それと、ハルなんたらじゃなくてハルモニア、ね。クラスメイトなんだから名前くらい憶えなきゃだめだよ」とフリスト
「(こいつは何の権利があって私の友達面をしているのかしら……)」とハルモニア。
 実際、ここに至るまで彼女は仏頂面で一言も喋らなかったため悪ガキ二人からよく思われなかったのみならず、レイラからも少し怖がられていた。リールたちにとっては、まだ学校に来てもいないクラスメイトを手を下さずにぶちのめす絶好のチャンスでもあった。シンがバカにしたような視線を送る。
「で、ほんとに行くってか? どうしてもってんなら止めねえけど、怖くなったなら引き返していいんだぜ? 調査団オタクのフリストはともかく、ハルモニアちゃんは内心ビビってんじゃないの?」
 イラッときた。明日からコイツらがいる学校に行きたくないなぁ……。どうにも気が滅入る。
「ねぇ、あの……本当にいいの?」
 そんなハルモニアにとって、レイラの心配そうな表情だけ、宝石のように映った。少なくとも、私はこの子とは上手くやっていける。今は距離を置かれているみたいだが、いずれ仲良くなれそうだ。
「大丈夫だよ!」
「心配いらないわ。さっさと帰ってくる。一つ聞きたいんだけど、アンタらがマイルって子に取りに行かせた紙って何なの?」
「ああ、それな」リールがにやにや笑いながら言った。
「前にここにきたとき、シート代わりにするつもりで持ってきたんだ。そしたら強いポケモンがわんさか出るもんで、捨ててきたんだ」
 そこにシンが続く。
「そうそう。あのときのリールのビビった顔ったらもう面白くてさぁ……それはそれとして、マイルのやつにはそれを見つけて、自分の名前を書いて持ち帰ってこい。そうしたらお前の根性も認めてやるっつったんだ」
 結局アンタたちもビビってるんじゃない……呆れるハルモニア。
「ごめんね。大体は分かったけど、頼まれてもらえる?」
「大丈夫だよ。ね、ハルモニア?」
 イラッ。だからアンタと仲良しごっこをしにここにきたんじゃない。この不思議のダンジョンを抜ければ、それ限りの関係……クラスメイトになるわけだからそうもいかないが、アンタとは極力話もしたくない。そう思ったハルモニアだが、ダンジョンに潜る経験は実は昨日が初めてだ。同年代の子どもがどのレベルのダンジョンにどの頻度で潜っているのか知らないが、協力はしないと危ないのは間違いないだろう。せめて口はきいてやるか、と小さくうなずいた。
「ええ。いくわよ」
 ハルモニアはそれだけ言うとすたすたとダンジョンの中に入り、それをフリストが追いかけた。
 不思議のダンジョン、とは二十年ほど前、隕石の接近に伴い世界のあちこちにでき始めた謎の場所のことを指す。入る度に地形が変わり、住んでいるポケモンが凶暴化し襲いかかる。当初は迷い込んだポケモンを助けるために救助隊なるものが続々と結成されたが、救助隊が調査するうちに、ダンジョン内にはポケモンバトルで使用できる種、木の実、玉や古代の秘宝が多く眠っていることが明るみになり、ダンジョンを攻略するために、探検隊のギルドが多く作られた。中でも世界的に有名なプクリンのギルドでは世界を救ったこともある英雄が学んだという逸話まである。世間では学校にいけない子どもはギルドに入るのが常識だが、この大陸ではインフラの整備が進んでいるためか、ギルドの代わりに都に調査団を置き、子どもはほとんど学校に行っている。というのをハルモニアはフリストから聞かされていた。
「でね、そのプクリンギルド出身の英雄がすごいんだ。シアン=ロビンソンって名前なんだけど、今から八千年後の遠い未来からこの星を救いに来て、それも一回じゃなくて二回救ってるの! すごくない!?」
「ふーん」
 いやいや、未来から来たってどういうことだ。セレビィの力でも借りたのか?そもそも、未来から来て星を救ったってことは世界線を変えてソイツは消えたってことだし、大体世界線を変える前の未来は滅んだ星の未来だろう。なんでソイツはそこで生きてたんだ。そこは文明が滅んだって言った方が正しいんじゃないのか。
「十二年前のことなんだけどね。でも、それより五年前の英雄もすごいんだよ! キルシィ=ロックっていうんだけど、隕石を止めるためにレックウザっていうポケモンに会いにいったんだって。かっこいいよね!」
「そうね」
 レックウザ――――? よく分からないが、知識“だけ”はある。天空の塔と呼ばれる雲に住み、塵を食べて生きる伝説の竜。しかし、十二年前の五年前……十七年前の英雄はよく雲の上までいったものだ。というか、五年そこらでこの星は危ない目に遭いすぎじゃないか?
 考え込むハルモニア。そんなことより、このダンジョンでペラペラ歩きながら話していて大丈夫なのだろうか? 昨日、ノーテルと一緒にダンジョンを抜けたときに教わった。ダンジョン内のポケモンは凶暴化していて襲い掛かってくると。こんなぺちゃくちゃ喋っていては敵に位置を知らせているようなものだ。こいつを黙らせよう、と思った瞬間、フリストの一言で彼女の心臓が鼓動を打った。
「すごいのがね、どっちも元々は人間だったってことなんだ!」
「――――えっ!?」
「シアン=ロビンソンは未来からタイムスリップしてくるときに人間からポケモンになって、キルシィ=ロックは異世界からこの世界に召喚され、そのときにポケモンになったんだ。どっちも元は人間だったんだよ」
 ドクンドクン。ハルモニアの鼓動が強く波打つ。
「あ、ねぇ」
 彼女がフリストに呼びかけたその瞬間、
「どうしたの……、と、ごめん。話してる暇はないみたいだね」
 目の前に敵が現れた。白いふわふわの体毛。トリミアン。しかも二体
「ごめんね、私が話してるせいで余計におびき寄せちゃったみたい。ねぇ、ハルモニアは戦える?」
 聞きたいことがあったのに、キャンセルされてしまった。仕方ない。トリミアンたちは感情のない目でこちらを見つめてくる。
「戦える、わ。腕にそこまで自信はないけどね。右の方をお願い」
「分かった」
 フリストが蔓の鞭を構えた。ささっと打ち倒そう。ハルモニアはそう思って、飛び出した。
 基本的に、不思議のダンジョンのポケモンはこちらが動かない限り攻撃はしない。だから、走ってできる限り高速で拳を打ち込めば先制できる。
「ああああああっ!!」
 ハルモニアは二本足で地面を蹴る。トリミアンが、それに驚いて向かってきた。
――――遅いっ!
 だが、彼女の走りはイライラが募るほど遅かった。相手の方が圧倒的に速く、早速噛みつくという技を向けてきた。
「ッ!」
 ハルモニアは横にぶれて技をかわし、右手をグーにして力任せに殴りつけた。拳にそこまで振動が伝わらず、相手にもそこまで聞いた様子がない。
「オラァっ!」
 もう一発。左拳を打ち付ける。雷パンチでもなんでもない、ただの拳だ。トリミアンがまた牙を向けてくるが、それに構わず、むしろ好機と言わんばかりにパンチを連続で顔に、足に、体にぶつけた。
 十発、は打っただろうか。ようやくトリミアンは地に伏した。汗が数筋ほど流れ、息を荒くするハルモニアの目にフリストが映る。彼女はグラスミキサーと蔓の鞭を駆使し、すでに敵を倒していた。
「ハルモニア、大丈夫? 加勢しようと思ってたけど。技を使わないで倒すなんてやるじゃん!」
「え、ええ……」
 技を使わない、というより使えない。……ひょっとして、技を使わないで進んでいくのはキツイだろうか?
「でもなんで使わないの? 電気ショックとか使えばもっと楽なのに」
「……」
 痛いところを突かないでほしい。でも、こういうのは正直に言った方がいいのかな。
「あ、あのね……使わない、というより色々あって技が使えない状態なの」
 彼女はここで初めて笑いを見せた。と言っても苦笑いだが。こんなこと言うと帰れ、と言われるかな? 戦闘は見ていないが、フリストはそこそこ強そうだ。彼女一人でも十分だ、と言われることを覚悟したが、返事は以外にもあっさりしていた。
「あ、そうなんだ。まぁいいや。先行こうよ」
「……そ、そうね」
 驚きもせずに歩いていく彼女を、ハルモニアは追った。 



鏡花水月 ( 2015/09/22(火) 12:05 )