私の言葉は終わらない
暗闇のあと
 ツァーリ=J=クリームヒルトと名乗ったムウマは喉元の宝石を怪しく煌めかせた。
「……(もしかして、夜中の光は……?)」
 リリーは徐に昨日の記憶が夢ではないことを微かに思った。だが、そうすると昨日の夜屋敷の正門前で彼女はなぜ光を放っていたのだろうか。精神的なスイッチかもしれない。
 ――――それ以前に、この部屋に彼女が来た理由を知らなければならない。
「ん〜私がここにきた理由、ですねぇ」
「さっさと喋りなさい。理由によっては警察に突き出すのだけは勘弁してあげる」
 意外にも喋ろうとしていたツァーリを、ハイネスは更に急かした。だが、朝起きたらいきなり目の前に現れた赤の他人に対し警察沙汰はまぁ妥当なところだろう。
「せやったら、一つだけ聞きたいことがあるんですけど」ツァーリはゆっくり、マイペースに喋りだした。「ディアルガっていうポケモン、知っとりますやろか?」
「ディアルガ? それって――――」
 それって、ハイネスがこの前なんか呼び寄せてた、と言おうとしたリリーを、ハイネスは視線だけで黙らせた。
「知ってるわ。パルキア、ギラティナとともにアルセウスから生まれ、新王という地を作った神話上のポケモンのことでしょ。それがどうかしたの? 書物なら図書館に行けばたくさんあるわ。この街の神殿は……残念だけど、ディアルガは祀られていないわね」
 ごまかした。リリーもハイネスも、この間の一件でディアルガというポケモンのことは嫌というほど思い知らされた。恐らく彼女もその一件に関わっているのだろう。知ってはいるが、詳しいわけではない。ハイネスはそういう体をとった。
 リリーは開けかけた口を閉じ、ハイネスに会話を任せることにした。彼女はいつもリリーの二手、三手先を読む。そして考えた上で最良だ、と判断した答えを出す。無鉄砲なリリーより物事を悪い状況に持っていくことはないだろう。
「いーえ、私別に調べたい言うとるんやありませんの。そのディアルガいうポケモンの行方を追ってるんです」
「……そう」
 リリーは直感だけで悟った。ツァーリは、ハイネスがディアルガを呼び出せることを知っている。絶対ではなくとも、自分かハイネスのどちらかにアタリをつけているだろう。そもそも突然この部屋にやってきた時点で彼女の直感などなくとも明確である。恐らく、リリーかハイネスかのどちらかと言えばハイネスが黒に近い、というところまで答えを出しているんだろう。
「そうです〜。
 ちなみに、一つ豆知識。ディアルガとか、パルキアっちゅう伝説のポケモンは、そこに存在するだけで“歪み”をもたらすんです」
「歪み?」
「ええ。例えば時間や空間の歪みや心の歪み。なんで、伝説のポケモンたちは歪みを発生させんためにそこらへんにおるポケモンたちの中に入り込むんです。
 もちろん、ディアルガゆうポケモンもその例外やあらへん。ディアルガは“時間を作り出す”ポケモンやけん、存在しとったらぎょうさん時間が歪んで歴史がおかしなことなってしまうから、大体その辺の普通のポケモンの中に入りこんどるんです」
 このあたりはほとんど、グリックから聞かされた下りと一緒だった。だが、ハイネスはそれを「知ってるわ」などと切り捨てずに最後まで聞いた。彼女はあくまで白を切るつもりなのだ。
「あら、そうなの。それで?」ハイネスは、ツァーリの探しているものとは何も関係ないと少し斜めを向いた。興味もなさそうに片方の目をつぶった。
「ふむ……頭がいい割に察しが悪いですなぁ。
 私、あなたの中にそのディアルガが入っとるん知ってるんですよ」
「は?」
 的中だった。リリーかもしれないという可能性に見向きもせずハイネスに当ててきた。びくびくしているリリーをよそに、ハイネスはまだばかばかしいとばかりに白を切っている。
「知らないわよ、そんなの。頭がおかしいんじゃない? やっぱり警察に突き出した方がいいわね」
「ディアルガを入れておく器。名前は“時間旅行”で、パルキアを入れる“空間遷移”と対になっている。そうですやろ?」
「バカなこと言ってないで。リリー、卿を呼んできて頂戴」
「え、あ、うん」
 ハイネスは気に留める様子もなくベッドから飛び降りた。後ろ足でがしがしと耳をかく。
「証拠もあるんですよ。数日前に、ディアルガを召喚しましたやろ」
「……」
 ここで初めて、ハイネスが呼吸を止めた。その直後、息を飲む音を聞いたリリーが足を止めた。
 彼女自身にその記憶はない。ディアルガを確かに呼び出していたらしいが、それを見ていたのはリリーとグリック、そして彼についてきたヴェルダンだけ――――だったらいいが、ここのところ話題に上がる誘拐犯グループもそれを見ていた。もしもツァーリが彼らの仲間で、それを知ってきていたとしたら……。
「そこまで知っているんなら、やっぱり警察を呼ぶしかないわね」
「あ、あれ?」
「……仕方ないから言うけど、あんたの言ってたことは全部当たりよ。ただどうやって知ったのか気になるの。場合によってはやっぱり警察に突き出すわ。嫌なら洗いざらい話しなさい。リリー、卿を呼んできて」
「つまり、見られたらあかん人に見られた、っちゅうことですかねぇ」
 バタンと閉まるドアの音と、ハイネスがつばを飲む音が重なった。
「そうよ。誰から聞いたか言いなさい。私の知っている人なら許す」
「ん〜」やわらかな声でツァーリは迷っている「誰から聞いたわけでもあらへんので、そないなこと聞かれましてもなぁ〜」
「……どういうこと」ハイネスの口の中で炎が渦巻いた。いつでも炎の渦を出せる準備までしている。
「実は……」

 リリーは廊下をかけ、三つ隣にあるアーサー卿の部屋を目指した。
 目指した、というと何やら切羽詰っているような印象を受けるが、本当に切羽詰っていた。
「……走っても走っても、私たちの部屋にしかたどり着かない」
 彼女の寝室を出て、一つ隣りの空き部屋まで走っていく。だが、そうしたつもりがドアの前を通るとなぜかハイネスとツァーリの会話が聞こえてくる。
「あれ?」
 アーサー卿の部屋の入り口には、そうとわかるように札が下げられている。そこまで走っていこうとしても、なぜかたどり着かないのだ。どこまで走っても、リリーの寝室の前しか通らない。試しに逆方向に走ったが、変わらなかった。
「どうしてっ!? アイツに、催眠術でもかけられたの!?」
 ゴーストタイプのポケモンが使いそうな技で、幻覚を見せるものと言えば催眠術、ナイトヘッド、怪しい光の三つだ。
「……怪しい光?」
 そういえば、私は彼女に紫色の光を見せられていなかったか。ひょっとすると、ずっとツァーリの術にはまっていたのかもしれない。
 じゃあ、自分は今混乱している……ということだろうか?
「混乱なら……キーの実のはず」
 昨日の夕食で出たものを食べきれずにとっておいた。彼女は首から下げているポシェットを探ると、目的のものを取り出して一口かじった。さぁ、これで幻覚は解けるはず。もう一口、二口。そうして、キーの実を丸ごと一つ食べて、またアーサー卿の部屋に向かったが、通過する場所は同じだった。
「……どういうことなの」
 恐る恐る、寝室のドアを開けて中の様子をうかがった。出ていったときと変わらず、ハイネスとツァーリが向かい合っていた。
「リリー、どうしたの」ハイネスの声は心なしか震えていた。「早く、早くアーサー卿を呼んできてよ」
「違うよ。何かおかしいの。走っても走っても、この部屋の近くをループするだけなんだよ」
「……なんですって?」
 ツァーリだけが余裕の表情を浮かべた。

 時間は先ほど、リリーが寝室をあとにしたところまで巻戻る。
「実は……」ツァーリは間を置いて、真実をぽつぽつと話し始めた。「私の中に、空間を司るポケモン、パルキアがおるんです。ディアルガと対を成す伝説のポケモン」
「はあ?」
「私が“空間遷移”なんです」
「……そう。だから何なのよ。大体、」
「今から証拠を見せましょうか?」言おうとしていたことを先取りされたハイネスは、黙るしかなかった。「別に、無理にしなくてもいいのよ。今ここでそのパルキアを出されても困るだけだわ」
「そうですか」
「で、あなたが空間遷移だったら何? それで私の居場所が分かるの? 大体なんで私に会いにきたの?」
「うぅん……質問は一つにせなあきませんよ。
 まず一つ目。あなた、この前ディアルガを召喚しましたやろ?」
「覚えてはないけどね」
「ディアルガとパルキアは対になる存在です。片方が目覚めればもう片方がそれを察知する。元々引き合う運命にあるんです」
 そう言いながら、ツァーリは喉元の宝石を煌めかせた。すると、彼女の頭上に一対の腕が現れる。紫色のコアをあしらったアーマーから伸びた純白の腕。両方に三本の爪がついている。
 その瞬間、ハイネスの中で妙な鼓動が波打った。強くひきつけられていく残滓を残す鼓動が、徐々に早まりながら彼女の胸を打つ。
「やから、私はあなたが時間旅行だ、とわかったんです。
 数日前、あなたが感じたような奇妙な鼓動を、パルキアの力で追ってみた。そしたらあなたが見えた。だからここにきたんです」
 ツァーリの
「……だから、何よ」
 まだ彼女がここにきた理由を聞いていない。敵か味方かもわからない。彼女の警戒心は逆に増していく。
 そのとき、ハイネスの後ろのドアが開いた。彼女は片目でツァーリを見ながら後ろを振り向いた。はぁはぁと息を切らしながら入ってきたのは、相部屋の知り合いだった。
「リリー……」アーサー卿を呼んでくるように頼んだはずだが、そこにいたのは彼女一人だった。「どうしたの。早く、早くアーサー卿を呼んできてよ」
「違うよ。何かおかしいの。走っても走っても、この部屋の近くをループするだけなんだよ」
 リリーは息を切らしながら、口を必死に動かした。それでもまだ伝え足りないとばかりに咳きこんだが。ハイネスはその一言だけで察することができた。
「……なんですって?」
 空間を操る能力。どこかのタイミングで、ツァーリはこの部屋と前の廊下に何らかの技をかけたのだ。



鏡花水月 ( 2015/07/20(月) 03:24 )