私の言葉は終わらない
魔術師
「……」
 リリーは考えあぐねていた。
「うーん、どうしたものかしらねぇ」
 いや、というよりは迷っていたという方が正しい。
 これまでも同じことは何度かあった。おやつで小腹を満たそうとしたときにポロックを買うか、ポフィンにするか。など。
「あのー、誰かおりませんかぁ?」
 そして長い時間をかけて決断を下し、念願のおやつにありつくことになったとて、その苦悩が終わるわけではない。彼女の主たるシャルルはいつもいつも、その幸福をともすれば全て奪おうと甘えかかってくるのである。
「……返事がないわねぇ」
 攻撃力をとことん下げられてなお、彼女は戦利品を渡すか渡すまいかの選択肢を突き付けられるのである。(大概、根負けした彼女はシャルルにおやつを取られてしまうのだが)
 という話はさておき、彼女の目下の悩みは、カバンを方から降ろし、屋敷の門の前をうろつくサーナイトの女性である。
 十分ほど前に突然訪れ、声をあげたのだ。
 こんな日に誰かが訪ねてくるなんて聞いてない。怪しいことこの上ないが、顔の造形は非常に整っており、美しい。こんな状況でもなければ魅入っていただろう。歳の頃は二十前半であろうか。普通に考えればアーサー卿の親類にあたるのだろうが、彼の妻はシャルルが物心つかぬうちに亡くなったと聞いている。とすれば彼の妹、もしくは義妹か、と考えたのだがそこを当たっても彼の知り合いとは結びつかず、結局彼女が何者であるのか掴みかねているというわけだ。知らぬ者を屋敷に通すわけにもいかず、かと言って無視するわけにもいかず、庭の植え込みに隠れてかれこれ十五分ほどが経過した。
 ええい、早く諦めて立ち去ってくれ! 今日はみんな忙しいんです! と心の中で叫ぶリリーである。というかなんで誰も来ないんだろう? もしかして本当に忙しかったりするのかな? とふと心の中によぎる。
 しょうがない、私が出てやろうじゃあないか。全く。
 こうして謎の女性の訪問からかれこれ二十分をかけ、リリーはその訪問者と顔を合わせることと相成った。
「……はい、なんでしょう?」
「あ、ああ、やっといらっしゃった。全く、遅いですよ、ぷんぷん」
 その擬態語を声に出して言うポケモンは初めてだ、という言葉を飲み込むリリー
「す、すみませんお待たせしてしまって……それで、何か御用でしょうか?」
「ええ、ええ、ユーサー様はいらっしゃいます? あっ、失礼しました。自己紹介がまだでしたね。私メルディン=アンブロシアと申します」
 だが、彼女の言動はその不可思議なぷんぷんに反して柔らかく、物腰も見た目の年齢とは不相応に柔らかい。実年齢はもう五つか十は上だろうか?
「ゆ、ユーサー、さんですか?」
「ええ、ユーサー=ペンドラゴン。あっ、今はサルジャーニーと名乗っているのかしら」
「うーん? そんな名前の方はこちらにはいらっしゃいませんが……あっ、ひょっとしてアーサー卿のことですか? その方ならお呼びできますよ」
 と聞かされ眉を顰めるサーナイトの女性、もといメルディンである。
「アーサー君はそのお子さんよ? ユーサー様ったら、子供をほっぽって何をなさっているのかしら……」
 ああ、なるほど。その言葉でリリーは少しばかり状況を飲み込んだ。彼女がここに来たときには既にユーサーなる人物はいなかったが、彼女はそのユーサーの知己というものだろう。だが、
「(いやいや、嘘つけ。そんなわけあるか)」
 とリリーはそれに脳内で反駁を試みる。既に述べたが、メルディンの年の頃は見た目では二十代前半である。対してアーサー卿は既に子持ちで、青年と言って佳い歳もとうに過ぎている。幼馴染と言われても説得力がないほどの年齢差である。
「(姪っ子なんです〜と言われてもな……それならアーサー卿の父さんがここにいないことくらいは聞かされてるだろうし)」
 こいつは何者だ? と欺瞞たっぷりの目でメルディンをねめつける。対して、彼女は気を取られたかのように虚空の中の一点を見つめていた。死んだコイキングのような目ではなく、はっきりと焦点のあった瞳である。
「(――――?)」
 さっきまでユーサー様がどうのとかぼやいてたじゃあないか。今度は何を――――?
 と、彼女の視線を追うリリー。屋敷の少し上くらい。昼の空で少し見えにくいにも拘わらず、流星がきらり。
「流れ星、ですね」
「いえ、あれはどちらかというと彗星……竜の頭……」
 そのとき、屋敷の扉が開く音がした。そちらを見ると、件のアーサー卿の姿が。
「ん、何か喋り声がすると思ったが……リリー、客人かい?」
 と言いながら歩み寄るその影は、メルディンの姿を認めた瞬間に変な表情とともに歩みを止め、その場に立ち尽くした。変な表情、というのは、言ってしまえば、今にも「ゲェーッ!」と声の限り叫びそうな表情と言えばいいのだろうか。とにかく、普段の彼のイメージとは著しくかけ離れている。
「あっ! アーサー君じゃない! よかったぁ〜」
 対して満面の笑みを浮かべるメルディンである。彼女は明らかに歓迎ムードではないアーサー卿の態度を無視し、開けてと言わんばかりに屋敷の門扉をカンカンと叩く。
「よかった、じゃないんですよ。いやマジで。心臓に悪いんでいきなり来るのやめてください」
「あら、なら今度から夢枕に立てばいいのかしら?」
「手紙を寄越せっつってんだバカタレ。ほら、うちの部下を口説いてないで入ってきてください。リリー、鍵を開けてあげて」
「はっはい?」
――――口説く? この人、女性だよね? それに夢枕に立つってどういうことだ?
 その言葉に妙な違和感を覚えつつ、彼女は足元の錠前を解いた。
「あら、あらあらあら! エルセンの領主様のお屋敷! 懐かしいわぁ……ところでアーサー君、ユーサー様はどうなさったの?」
「親父ならとっくに引退して山に籠ってますよ。私は片づけなきゃいけない仕事があるんで、後の案内はそっちのリリーに任せますね」
 玄関前にて、アーサーはぶっきらぼうそう言った。
「アーサー卿、面会室で大丈夫ですか?」
「ん、そうだね」
 ふと、彼のこのときの言動がグリックに対してのものと似ているな、とリリーは思った。
「あら、この可愛らしい娘がご奉仕してくれるのね?」
 長く付き合いのある者に対して向ける信頼なのだろうかと思うリリーを、いきなり抱き上げるメルディンである。
「あ、あの?」
「ふふ、いい匂い……」
 彼女はそのまま、リリーの首のもふもふに顔を近づけ、その匂いを満喫する。
「リリー、気をつけろよ。そいつは夢魔だからな」
「むま?」
「聞いたことはあるだろ。相手と交わって精力を奪うあれだ。油断してると本当に襲ってくるぞ」
「えっ……えっ!? 女同士ですけど!?」
「ひどーい! 私は可愛い女の子には優しくするって決めてるんですぅー」
「どの口がほざいてるんですか。大体アンタ、女性にしか手を出さないでしょう。全く……」
 そう言い残して、アーサーは執務室に歩いていく。
「あの、アーサー卿? その情報だけ与えて私とこの人を一緒にするというのは考え物なんですけど、ねぇちょっと、待って! 待ってよ!」
 メルディンのその眼光からは、普段彼女がハイネスとやっているような乳繰り合いのようなものは一切感じられず、むしろもっともっとくらい深淵のようなものが示されていた――――それに気づいたリリーはアーサーを精一杯呼び止めようとしたが、彼は戻ってはこなかった。なるほど、メルディンが面倒くさがられる理由がわかった気がする。

 さて、相手が自分の貞操を狙う夢魔とはいえ雇い主の客人を無下に扱うわけにはいかない。リリーはやっとこさ床に降ろされ、そのまま面会室にメルディンを連れていく。
「……あの、夢魔というのは」
「本当よ」
 接客の経験が少ない彼女にとって、目的地までポケモンを案内する間の無言というのは慣れないものである。ので、何か会話しようと先のセリフを吐いたのだが、即座に聞かなければよかった、と後悔する羽目になった。
「一応聞きますけど、私攻略対象じゃ「若い女の子全員と交わるのが私の目標なの」」
 助けて、ハイネス。いや若い女全員、ってことはハイネスも攻略対象じゃないか。
「うーん、誤解されたくないからちゃんと夢魔について説明しようかしら。ついでに魔術についても教えてあげるわね。ああ、そうだわ。私とアーサー君の関係も。何から聞きたいかしら?」
「今更誤解が解けると思えないんですけど……うーん、じゃ、じゃあ……あ、そうだ。アーサー卿のお父さんのこと、色々聞きたいです。あ、この部屋です」
「ありがとう。それじゃ、アーサー君のお仕事が終わるまでお話でもしましょうか。
 まず……そうね、ユーサー様なんだけど、私の古い雇い主、と言えばいいのかしら」
「古い雇い主……? でもメルディンさん、見た感じ二十歳くらいじゃないですか」
 メルディンをソファに座らせ、部屋にある給湯器から湯を注ぎお茶を淹れ、彼女に出す。
「あら、お世辞が上手ね。私これでも六十を超えてるのよ?」
「お世辞とかじゃないですけ……ろくじゅう?」
「ええ。アーサー君が生まれる前からユーサー様にはお世話になってきたわ。なんなら、彼のお母さんの安産のお守りは私が作ったのよ?」
「えっ……えっ?」
 メルディンのまさかの実年齢に戸惑いを抑えられない。
「じゃあ、その若さは……夢魔の力、だったり」
「私がそれほどまでに若く見えるのなら、そうかもしれないわね」
「若い女性が好き、というのはまさか交わった相手から若さを奪い取る、とかだったりするんですか?」
「そんなエルジェーベト・バートリみたいなこと考えないわ。私が夜這いをかけるのは純粋な欲求からよ……あら」
 メルディンはお茶を一杯すするとリリーを抱き上げ。顔に寄せた。
「……今度は何ですか?」
「ただ、あなたは特別枠を設けてもいいかもしれないわね
「どういうことです?」
「特別に、一番気持ちのいいまぐわい方をしたいってことよ」
「ひっ!?」
 背筋の凍る音が聞こえ、リリーはたまらずもがく。
「そんなに暴れないで。夢魔にとってまぐわいというのは仕事のようなものなのだから。変わったまぐわいをしたいというのは親愛の証なのよ?」
「そ、そうですか……」
 親愛と言われても、自分とこのサーナイトは知り合ってわずか数分である。もしかして、そんなにちょろそうな相手に見えたのか? うーん、邪推しても仕方がない。ここはとりあえず純粋な好意だと受け取っておこう。
「ええ。怖がらせてごめんなさいね。そうだわ、お詫びに私がユーサー様に仕えていたころの話でもしましょうか。聞きたいかしら?」
「それは……はい」
 アーサー卿の従者となって長いが、思えば彼の家族はシャルル嬢以外誰も知らない。メルディンの話にはいくらかの興味を覚え、耳をぴんと立てる

――――ユーサー様は、若いころはそれはそれは強い武人だったのよ。アーサー君と同じエルレイドという種族のポケモンでね。剣を一振りするだけで国中に武勇が轟き回るほどだったの。もちろん比喩だけれどね? それで、私は彼に仕えるしがない魔術師だったの。
 魔術、と言っても、世に言うような大それた奇跡は起こせないわ。魔術学における魔術というのは、今の科学技術の基礎となる学問なの。より分かり易く言うと、昔は魔術でやっていたことを、今は技術が発展して科学で理屈を説明できるようになった、というところかしら。
 とにかく、私は魔術師として、ユーサー様にお仕えしていたというわけ。あるときは未来予知で予言を行ったり、あるときはユーサー様が戦うのを手助けしたりね。
 それである日、彗星が空に現れたの。竜の頭のような形の彗星が。
 当時、ユーサー様はドゥルーラというラグラージの男と対立していたの。エルセンの町の支配権をめぐって、ね。
 最終的に、二人が戦って決めようという話になったのだけど、ユーサー様はこの時だけは私の何の後押しも受けなかった。
――――自らの困難に自らの腕っぷしのみで立ち向かわずして、民の上には立てまいよ。代わりに、俺が勝利した暁にはお前のとっておきのまじないをかけてくれ。
 なんて格好つけてね。
 結果は見事、ユーサー様の勝利。彼はめでたく民に迎えられ、当初は反対していたポケモンたちもやがて彼にかしずくようになったの。
 私は、そのとき空に現れていた彗星を忘れられなかった。あれはまさしく竜の祝福だった。だから、私が彼にかけたまじないは『ペンドラゴン』だったのよ。
 いえ、まじないとは呼べないわね。魔術なんかでもない。ただのペンドラゴンという名だった。ただ、ユーサー様は私が授けたその名前をとてもとても気に入ってくれたの。そして、ユーサー=ペンドラゴンと名乗るようになった――――もっとも、アーサー君には継がれなかったみたいね。
 それで、エルセンの領主になった彼は一人のサーナイトとの間に子供を授かったの。それが彼の息子。アーサー君。
 え? そのサーナイトってのは実は私のことなんじゃあないかって? 残念。さっきも言ったけれど、私の性嗜好は君のような可愛い女の子だけよ。ふふ、そんなに照れなくてもいいじゃない。……ええと、それでね、私はユーサー様にお仕えしていたとしても、彼の子を身籠ることはなかったわ。彼の奥方様は私とはおよそ血縁関係はない方よ。
 アーサー君は幼少期から剣術を習っていたの。ユーサー様の意向としては剣だけでなく、もっと沢山の武術を学ばせたかったようだけれど、きっと剣の道に憧れたのでしょうね。だからこそ、価値の高い目覚め石なんかを探してきてエルレイドに進化したのかもしれないわ。
 私は――――そのころには、ユーサー様からお暇をもらっていたの。彼はもう戦場ではなく、机で政務を行う方となっていたから――――。ちょっと寂しかったけど、もう私の未来予知や魔術がなくっても、ユーサー様もアーサー君もちゃんと生きていける、と思ったから。それに、私も街を出て色んな場所を巡ってみたい、と思っていたからいい機会だったのよね。だから私は、最後に一つだけ予言をして、この街から去っていったの。十年ほど前のことね。
 予言の内容? そんな大したものではないわ。ユーサー様に、「あなたが使っていた剣……ええ、あの業物のことですよ。あれは、あなたが引退するときには必ず――――必ず、アーサー君に授けてくださいまし。いえ、そうしないからといってこの街が滅ぶとまでは言いますまいが……。ですが、彼であればあの剣で必ず佳い結果を残してくれるはずです。ええ、ええ……それでは、私はここで。お世話になりました。何かあれば、またいつでも呼んでくださいましね」と告げた。それだけよ。


 メルディン=アンブロシアは茶を一口すすり、唇を濡らした。
「……うん、まだ話し足りないことはあるけど、この話はこれでお終い」
「お終い、ですか……」
「まだ聞きたいことがあるの?」
 と彼女はにこやかに笑う。
「いえ、ただ……アーサー卿がお父さんから受け継いだ剣、なんて見たことないと思いまして」
「ああ、それね。私、そのために来たのよ。お父上の剣。あの人ね、私の予言になんて答えたと思う?『俺は粗雑な性分をしているから、剣なんぞ取っとかずに売っぱらっちまうかもしれん。どうせ何年かすればまたこの街を訪れることもあるだろう。それまで持っていてくれ』ですって。私も長い間忘れていたけれど……」
 そう言って、メルディンは背負っていたカバンから一振りの剣を取り出す。鞘と柄には最低限の意匠が施され、それは窓から入る光に彩られきらりと光る。メルディンは少しだけ、その刀身を露わにした。白銀の刀が空気を斬らんばかりに煌めく。
「届けにきたんですね」
「ええ、ここに来られてよかったわ。彼にこの剣を届ける……もしかしたら、ユーサー様に仕える魔術師としての私の、最後の仕事なのかもしれないわね」
 そう語るメルディンの言葉に呼応するかのように、剣はまた、一層煌めいた。

BACK | INDEX | NEXT

■筆者メッセージ
Q.お前、FG○にはまったやろ?
A.なぜばれたし
鏡花水月 ( 2018/02/12(月) 21:16 )