きっといつか
屋敷の外に出ると、星たちが待ってましたとばかりに瞬いた。庭先を超え、舗装された道に出る。彼女――――ハイネスがそこから数分歩くと、屋敷と同じくらいの広さの公園にたどり着いた。
結局、ツァーリがここにきた理由を教えてくれることはなかった。どこかの宿に泊まっているのか、毎日リリーたちの目の前に現れ、他愛もない談笑をしては去っていく。シャルルは彼女が好きらしく、毎日彼女と会うのを楽しみにしている。リリーも、最初こそツァーリを警戒していたものの、段々と彼女に向ける瞳を丸くしていった。胡散臭さを感じているのはハイネスだけだが、特段何もされないので気にしなくなっていった。
ハイネスにはそれ以上に気になることがある。“時間旅行”としての自分だ。ツァーリがエルセンを訪れてひと月。毎夜、リリーが寝静まる度に外に出て、密かにディアルガを召喚していた。
いや、その練習をしていた。
実はツァーリが現れる前、初めてディアルガを召喚してからその日までのおよそ一週間、どうにかしてディアルガを召喚できないか考えていた。
もちろん、手がかりなど欠片もなかった。何せ、あのときは意識がない状態だったのだ。当然一瞬ともディアルガを顕現させられなかった。
だが今は、ツァーリが間近でディアルガと対をなすパルキアを召喚させたときの感覚を覚えている。あのときの鼓動を思い出し、体全体に力を籠める。ディアルガの存在を感じられたところで、祈る。出てきてください、と。
ここ一ヶ月間で、五日も成功していない。成功したと言っても、召喚したディアルガは聞いていたものより小さかったり、足がなかったり、動いてくれなかったりと散々で、大体は十秒で消えてしまう。
あのとき、誘拐犯に襲われたときに出したものは“時の咆哮”を放っていたそうだ。
攻撃技としてはドラゴンタイプ最強の威力だ。凄まじい光線で、全てをなぎ倒す。
そんな技を出せる神サマが戦闘に加担してくれるんなら百人力だ。
別に、誰かを倒したいわけじゃない。リリーに目に物見せてやるわけでもない。ただ、彼女やシャルルの敵や悲しみがそれでいなくなってくれるなら、それでいい。
「……アイツらを守るのに、伝説のポケモンの力なんて大仰すぎるのかな」
今夜もまた上手くいかなかったハイネスは星空を見上げて呟いた。もしジラーチがいるなら、自分はリリーとシャルルと、身内のポケモンたちが安泰に過ごせますようにと願うんだろうなぁ。
ハイネスはせめて流れ星の一つや二つでも見つけられないかと目を凝らしたが、結局諦めて屋敷に変えることにした。いやいや、今日は上手くいったじゃないか。体の前半分しかだせなかったが、一五秒召喚できた。二日連続だ。
さぁ、帰ろう。草を踏みしめながら歩く。そして、舗装された道に出て、
ーーーー後ろに音を聞いた。
「ッ!」
カサッという小さな音だが、ハイネスが弾けるには充分である。サッと振り向くと、炎の渦を吐いた。それが防がれると、今度はサイケ光線を乱れ打った。紫色に妖しく光る直線は、それがまた防がれる様を照らしだしていた。
後ろにいたポケモンの目の前に、謎の光の輪が現れる。それにサイケ光線が当たった瞬間に、技は立ち消えた。吸い込まれたのだ。そして、相手の後ろからまたサイケ光線が発射された。相手は、空間を切りつないでサイケ光線の軌道を捻じ曲げたのだ。そんな芸当ができるのは、広い世界でただ一人。
「……ツァーリ?」
「ハイネスさん、練習お疲れさんですなぁ」
あの胡散臭いムウマだった。
「何してるの、こんなとこで」
「そんな牙むかんどいてください、あなたに危害をくわえるつもりはあらへん」
「何してるのって聞いてるでしょうが!」
飄々たるツァーリに、ハイネスはまた炎の渦を打つという姿勢を崩さない。
「ふふふ、ただトイレ行こう思て部屋出たらあんさんが外に出ていくところを見かけてん、着いていっただけです。
何しとんのやろ思いましたら、ディアルガを召喚する練習やったとですねぇ」
「なんで着いて行ったの?」
「そらこないな夜中にあなたみたいなめんこい子が歩いとったら危険やからなぁ」
「……」
ハイネスは、あくまでツァーリは『今は』攻撃してこないと思っている。
そう、『今は』である。一切の信用はない。少しでも彼女に疑わしいところがあれば一秒後であっても攻撃を加えようと思っていた。そして――――
「……そう」
それはもう、今の瞬間しかないとも考えていた。
「ハッ!」
「きゃあ!?」
彼女は牙を引っ込めることもなく、炎の渦をぶちかます。ツァーリも、流石に不意打ちだったのかそれをモロに食らってしまった。
「あつつ……あらあら、練習ならお相手せなあきまへんな。
大丈夫です、死ぬまでぶちかましたりはいたしまへん」
とツァーリは言い、パルキアの爪を出してそれを振るった。
「!」
次の瞬間、ハイネスの横に巨大な壁ができた。
「亜空切断。文字通り、空間を無くす技なんです。無くした空間は削り取られて閉じるか、壁になって通り抜けができなくなるんです」
ハイネスはそれを聞いて身震いした。口では死ぬまでぶちかましたりはしないと言いつつ、殺す気満々じゃないか。
「まぁでも、今回はこれは使わへんことにしましょ……あら、危ない」
言いかけたツァーリの言葉も聞かず、ハイネスはサイケ光線を放った。ツァーリはそれらの軌道を全て捻じ曲げ、180度向きを変えた。当然それは、一直線にハイネスに向かっていく。体が反応しない彼女に、紫の光線が突き刺さった
「いっ!」
体が飛んで倒れ、それでも起き上がったハイネスが見たのは怪しげに輝くパルキアの爪だった。ドラゴンクローである。
――――適うわけがない!
瞬時にそう悟ったハイネスはドラゴンクローが空気を凪ぐ音を聞きながら逃げ出した。しかし、相手は空間を操る術を持っているのである。
「ほいっと」
パルキアの爪で真円に一閃。空間に穴が開き、そこからハイネスが飛び出してきた。逃げ損ねたことに一瞬遅れで気付く彼女はその途端に青ざめる。
「何逃げてはるんです? 練習ならお相手します言いましたやん」
ツァーリがパルキアの爪を振り翳す。対するハイネスは恐怖を感じながらもなんとか策を探っていた。そして爪が動き出した瞬間。ハイネスはニトロチャージで飛び出し、ツァーリに肉薄した!
「あらっ」
これにはさすがに面くらうツァーリ。しかし、ニトロチャージが当たるその瞬間に、彼女の体は十メートル後ろに下がる。
「……ひ、卑怯よっ! 伝説のポケモンの力なんて」
と叫ぶハイネスの抗議を、ツァーリは微笑みながら切り捨てる
「面白いこと言いはるんですなぁ。そういうあなたもディアルガを使役できるんでしょう?」
「……私は……私っ、まだそんなの使えない……っ。弱いのよ! 器としては最弱かもしれないの!」
「わかっとります。やから、こうやって相手しとるんですよ」
ツァーリが言った瞬間、彼女とハイネスのいる場所が閉ざされた。パルキアの力か、この世界から二人だけが切り取られているのである。
「知っとります? アーサーさん、剣術に長けとるらしいですなぁ」
「……いきなり、なにを言うの」
黒と青と緑と、沢山の色の波が交差する空の下で、二人が対峙する。
「私も一度、お会いして剣術試合見せてもろたことがあるんです。そしたら、まぁ早いのなんのって。相手の剣を受け流して一撃振り下ろす。これが私が瞬きする瞬間にあったんです」
「聞いてないわ! そんな話。私は『まだ器としては最弱』としか言ってないのよ」
「やからそれに対する答えを言っとるんですよ。私の話、どうか最後まで聞いておくんなし」
「……?」
「まだ自分は弱いから、未熟だから……そんなことを抜かす愚か者は『いつか』に縋る。いつか、強くなろう。いつか、できるようになる……と。その時点でもう負けている。いつかに縋るやつは、決して強くなれないし、大成することもない。今を生きることでしか、前には進めない……」
「なに? 私に聞かせてるの? 余計なお世話よ」
「アーサーさんが言うとった言葉です。その剣術試合の後の話ですよ」
「……そう、だったら何よ」
「簡単な話やないですか。今できるようにならなあかん。せやからこうやって相手してはるんやないですか」
瞬間、ツァーリの額に五芒星が輝く。
「せや、この機会やし、これも見せたりましょうか。私の力、空間遷移だけやないんです。むしろこれこそ九人姉妹の長女の一番の十八番いうところやろかなぁ」
「え――――」
その瞬間、ハイネスは心臓を冷たい手で掴まれたかのような悪寒に襲われた。ツァーリの傍に、一体の骸骨がたたずんでいる。ゴーリキーのような、二本足の骨組み。
それは、まごうことなき親友、リリーを引っ掴んで虚空に掲げている。
「……部屋からさらってきたの?」
じたばたと抵抗するのではなく、ぐったりと気絶したリリーである。ひょっとするともう死んでいるかもしれない。
「びっくりされましたやろか? これ、ただの幻なんですよ。ナイトヘッドでもあらへん、実際に触れるまぼ」
「あなた、リリーをどうするつもり?」
「――――」
ツァーリは言葉を飲んだ。思っていたよりも圧倒的に強く、彼女の怒りの琴線をかき鳴らしていたことに気付いたのである。
「いや、せやからまぼ」
「離してとは言わないわ。もう許せない……リリーに触れたあなたを、許してはおけない。
わからないでしょう。大切な者を奪われる悲しみが。知らなかったでしょう。私がその子にどれだけ強い親愛の情を向けていたことか。いいえ、知らなくていい。知る前に、その息の根を止めてあげる」
言葉が通じなくなっているのだ。今更幻影がどうとかと弁明しても遅い。彼女の怒りは止められなくなっていた。幸いなことに、力量差はツァーリの方が圧倒的に上なので殺される心配はない。
――――だが、それはいかなるイレギュラーも起こり得ないときの話である。
そして、奇跡というのはこういう時にこそ舞い降りるものである。
ディアルガが現れた。
神話に劣らぬ威厳と巨躯。普段のように変に揺らいだり、半身のみが顕現しているというわけでもない。まさにあの竜が、ハイネスの呼び声に答え参上したのである。
現れた瞬間に、ノータイムで攻撃を放つ。岩が宙を舞う原始の力である。
「ッ!」
挑発にしてはやりすぎた、と反省する間隙すら与えられず、ただ飛んでくる岩をガードすることのみに全神経を使うことを余儀なくされるツァーリ。
「冷静に……冷静にならなあきませんよ。……ハイネスさん?」
それを全て防いだかと思うと、次にはドラゴンクロー。ツァーリはこれをパルキアのドラゴンクローにて防ぐ。しかしディアルガはここで止まらず、五回目の横薙ぎの次に、大きく吼えた。
何をしているかはそれだけで十分に分かるというものである。胸部の宝石がまばゆく煌めき始めた。“時の咆哮”が、あたりを吹き飛ばそうとしているのである。
――――まずい!
ツァーリに迷っている暇はなかった。亜空切断で対抗できるものではない。パルキアの力で空間を曲げ、逃げる他なかったのである。白い光線が当たりを焼き尽くした後、ハイネスは元の場所に戻っていた。骸骨は黒い塵となって、偽物のリリーとともに霧散していったのである。
「私は……何を……」
息が荒い。心臓の鼓動が止まらない。私は何をしていた? 何を今考えればいい? 何か、何かを狂おしいほど愛おしく思えて、奪われたくない! と強く願ったことだけを覚えている。その感覚を忘れないよう脳裏で反復しながら、ハイネスはよろよろと帰路についた。