少し昔の話
「ボス」どこかの街の建物の中。石畳を敷いた部屋に鎮座するポケモンの目の前に、バンギラスが現れた。前にエルセンの街でシャルルを誘拐しようとした者と同一個体である。
「サクライか。どうした」
「……時間旅行を見つけた。大陸の東のエルセンという都市だ。唯一内戦の被害が及んでいない地域だな」
「種族は?」「フォッコのメスだ。……どうにも、使いこなせているようには見えなかったな。ディアルガが収まったのは最近だろう」「そうか……」
見つけた、と言いつつ後から何も来ないのは恐らく、見つけただけで連れてきたからではないのだろう。そのポケモンは落胆の息を漏らした。サクライはそれに対し無表情のまま返す。
「そう落ち込むな。居場所が分かったんだからいつでも調達できる。幸い、時間旅行はエルセンの街の侯爵の使用人だ。侯爵の娘でも使えば簡単だ。それに時間旅行の力を辿れば空間遷移も――――」「ああ、そいつはいらない」
おそらく必要だったのだろう、空間遷移を彼はばっさりと切り捨てた。
「……いらない? どういうことだ。せっかく時間旅行まで見つけておいて、諦めるのか」「そうじゃねえよ」
付け加えるが、そのポケモンの種族はレントラーである。尾から弱い火花を出しながら続ける。
「代わりになるモンを見つけたんだ。ポケモンじゃねえし動くこともない。当然“収穫”するときに抵抗されることもねえ。空間遷移を探し出して捕まえるより楽だ――――」言葉を吐きそうになったサクライを抑えるように、レントラーは次の言葉を出した。「まずは時間旅行を確保することが先決だ」
細長いしっぽをぺちん、と地面に叩きつけて立ち上がると、石畳の部屋を後にした。サクライが、少々急いでその後を追う。
「急な話だな? その空間遷移の代わりになるものがどこにあるのか、どうやって取りにいくのかも分からないし、それが何なのかもわからない。収穫とか言っていたが果実か? 何にせよ俺に納得がいく程度の説明くらいしてくれよ」
「あとでうんざりするほど聞かせてやる。まずは時間旅行の確保だ。ところで、進化の奇跡は?」
「それはまだ見つかっていないんだが……何故そこまで急ぐ?」
「色々あってな。……ところでサクライ、お前サツに捕まったとか聞いたが、どうしたんだ」
「とっくに釈放されたに決まってるだろ。まぁ怒られたがな。
……そう言えば、あれから何やら誰かに見られているような気配を感じるんだが」
ツァーリは、しばらくこの街に滞在するという一言を残し、去っていった。ハイネスが確認すると、廊下がループすることもなくなっていた。だが、ディアルガとパルキアが対になる存在である、と断言していたことからほぼ永住するつもりではないのだろうか? という心配がハイネスの頭をよぎる。
アーサー卿の屋敷の二階の一室、リリーとハイネスの寝室。朝からツァーリに騒がれたリリーが二度寝を決めていた。
「ちょっとアンタ、起きなさい! もうご飯の時間じゃない」
「ん〜、あと五分」
「さっきもそれ言ったでしょ。起きなさい! 燃やすわよ」と言いながら、ハイネスは炎のキバでリリーの耳に噛みついた。「ぎゃんっ!?」
ハイネスはとっさに離れ、リリーは飛び上がるとベッドから落ちて転げ回った。
「何するの!? 熱いんだけど!」
「火なんだから当たり前でしょ。行くわよ」ハイネスはリリーのしっぽを咥えると食堂まで歩いていった。
「ちょっと、ひ、引きずらないで……歩く歩く」
リリーが脚をもたつかせながら立ち上がると、ハイネスはその口を離した。
「いたたた……ちょっとは優しくしてよ」「してあげてるでしょ」「えぇ〜ん、もうちょっと大事にしてぇ〜」「は?」「ごめんなさい」
一音だけの気迫を押し合いへしあいしながら二人は歩いていく。太陽で熱された空気が二人の毛の奥の肌を刺していく。
「暑いわね……そろそろ七月だったかしら」
「明日から七月のはずだよ。来週の今日が平和祈念日じゃなかったっけ」
「平和祈念日……ねぇ」
それを聞いて、ハイネスは浮かんできた言葉をすべからく飲み込んだ。
かつて大陸東部以外の全ての地域を巻き込み、多数の死者を出した内戦の終わりから五年が経つ。北部のカリスト市でゲリラ兵が街を一つ制圧して反乱軍を興したのがきっかけだった。
フェイル歴では六年前の四五一年からおよそ一年、王都フェイルを中心に大陸各地を巻き込み四五二年の七月七日まで続いたそれに、エルセンの街は巻き込まれることはなかった。それはひとえにアーサー卿の交渉と判断力によるものだ。七年前にこの街にきたハイネスはそれで内戦に巻き込まれずに済んでいた。
未だにエルセンの街に来る以前の所在が不明なリリーだが、ハイネスは一つだけ確信していることがある。
リリーがこの街に来たのは五年前、四五二年の春。つまり内戦の真っ最中だ。エルセンですら、内戦に巻き込まれていないとはいえ、政府への反乱軍が踏み込んだことが一切ないわけではない。いわんや他の地域がどういった状況だったのか、ハイネスは想像もつかない。リリーは恐らく、いや、ほぼ確実に内戦で焼け出されてここまで辿りついたのだろう。
今もカリスト市はテロリストが歩きまわっているという話も聞く。北部出身の者にしてみれば迷惑な話だろう。
願わくば、これ以上の騒ぎは起きないでほしい……というのがハイネスの願いだが、時間旅行という単語がどうにも引っ掛かる。そんなわだかまりを持って、食堂に入った。あと十分で朝食の七時だ。よかった、間に合ったとほっと息を吐く彼女の耳にリリーの声が聞こえてきた。
「えぇ……なんでいるの」ハイネスはぎくりと彼女の視線を追う、と、確かにあまりいてほしくないアイツがいた。
「おはようございます〜」
綿毛だとか毛皮だとかを連想させるふわふわな声と関西風のトーン。
「あ、リリー」
ツァーリ=J=クリームヒルトというその女はなぜかシャルルとにこやかに話していた。
「おはようじゃねえ。さっき会ったでしょうが。大体なんでここにいるの!」
朝から変な目に遭わされ、リリーの子守もさせられ、挙句オマケまでついてきた状況にハイネスの苦言は限界を知らなかった。
「知り合いなの? この人誰?」そう言いながら首をかしげるシャルル。リリーやツァーリと違って彼女だけは可愛らしい。だが、知らない人にホイホイついていく癖だけは矯正させようとハイネスが思ったのは別の話である。そこにアイザックとヴェルダンが入ってきた。
「なんだ? てっきり卿が連れてきたんだと思ったが、違うのか」
「新入りじゃないのか……」
「ちょっと黙ってて」
「ねぇハイネスー、この人誰ー?」「ただの知り合いですよー。お嬢様もちょっと黙っててくださいねー」
ハイネスがアイザック、ヴェルダン、シャルルをいなしている間にリリーはその隣でニコニコしているツァーリに話しかけた。
「ねぇ、ツァーリさん、だったよね?」
「はいなんでしょう?」
「タメ口で大丈夫だよ。えっとね――――」聞きたいことは山ほどあるが、それに見合う時間はない。とりあえず今、気になっていることを、確実に聞き出せる質問を考える。
「あなたがここに来た目的は? 対になる二柱の神の器だとか色々言ってるけど、他に理由があるんだよね?」
「それはですね、ちょーっとだけ今厄介なことが起こってるんですわ」
「それって、最近起こってる誘拐事件とかと関係ある? 知ってると思うけど、うちのシャルルお嬢様――――、あなたがさっきまで話してたラルトスの子なんだけど、」
「巻き込まれたんでしょう? 大変ですよねぇ、貴族の娘さんの遊び相手いうんも。年頃の娘さんやし、仕方ないでしょうけど」
リリーの背筋を、嫌な予感がよぎった。
「そうだよ。それでね、その厄介なことって」「なんか、最近はフェアリータイプのポケモンが被害に遭うとるらしいやないですか。私も知り合いにフェアリータイプの子が――――」「ちょっと、ツァーリさん」
話をはぐらかすのが上手い。リリーは咄嗟にそれを察知した。彼女から聞きだしたいことをまとめなければ、彼女の話術に飲みこまれかねない。
「私の質問に答えて。その厄介なことって、誘拐事件と関係あるの?」「あぁ、ありますよ。でもまだ知らん方がええかもしれません」
はっきりと答え、きっぱりと言い切った。リリーは、人の忠告を素直に聞かない性格だ。相手が親しくても、だ。ましてや今朝会ったばかりの者の言うことなど聞けない。
「それでもいいから、教えてよ」
「……一つ聞きますが、リリーさんはこの街を出ていきとう思たことはありますか?」
「ないよ、そんなこと。ここ楽しいもん」
「やったら、ハイネスさんと別れても構わんて思たことは?」
「あるわけないじゃん」
そこまで聞くと、ツァーリはやたら優しい表情を浮かべた。
「やろうと思いました。まぁ、まだ知らん方がええと思います。必要な時んなったら、私の方からお話します。とりあえず私はあなた方に敵対するつもりはあらへん。それだけ覚えとってください」
「……どういうこと? いいから教えて。じゃないと」「私の言うことにしたがってください。今だけでええんです。やないと、もっとアカンことになる」「……」
黙るしかなかった、というのがリリーの率直な感想だった。