家出少女の苦悩と本音
「……大丈夫だな」
バンギラスが動かないことを確認して、彼はそこらに倒れている他のポケモンを確認した。まずメタング。彼は恐らく、ハイネスが呼び出したあの群青のドラゴンの一撃にやられたと見える。というか、他のやられているポケモン――――ワンリキー、ポチエナ、クチート、ズルッグ。彼らは皆、あのドラゴンにやられたようだった。
「あれ、何だったんだろうな」
ヴェルダンが疑問を口にした。
「さぁ、ハイネスちゃん本人にしか分からないと思うが……」
「ごめんけど、私にも分からないわ。群青のドラゴンってなんなの」
グリックの言葉に、ヴェルダンの背中のハイネスがそう答えた。
「俺たちがここにきたとき、そのドラゴンがいたんだ。何やらとんでもない力を感じたんだけど、こいつの一撃で容易く沈められていたけどな」
「……それ、私も見たかも」
そのとき、リリーがぼそりと口を開いた。リリーもハイネスも、シャルルも目を覚ましてオレンの実を齧っていた。
「本当か?」
「うん……でも、青くて大きいのしか見えなかった。それ以外は何も分からないかな……私も力尽きてたから」
「そうか。まぁ、悪いことが起きなければいいか。とりあえずフィンジーマン、この子たちを屋敷まで連れていってくれ。俺もこいつらをサツに引き渡したらそっちにいくから」
「部外者が仕事もせずに何の用だ?」ヴェルダンは顔をしかめた。
「おいおい、仕事はしただろ。ただちょっと判断ミスで子供を危険な目にあわせちまったけどよ」
「これがちょっとですまされるか」
「あ、そうだ」
リリーが弾かれたように、グリックの言葉を遮った。
「確か、アイツ」リリーは前足でバンギラスを指して言う。「そのドラゴンのこと、時間旅行って呼んでた気がする」
シャルルが眠そうにあくびをした。ハイネスが早く行こう、と言わんばかりにヴェルダンの背中をつついている。
「……時間旅行? そうか。後で本でも調べてみるとするか」
グリックの声は平静を装っている。しかし、目が雷を間近で見たかのように見開かれていた。
「とりあえず、行きな」
「おうよ」
彼の声を合図に、ヴェルダンは飛び立った。誘拐犯に仲間がいると目論み、その仲間の追撃を恐れたのか高いところを飛ぼうとはせず、町の屋根の上を飛行した。そして屋敷の庭に降り立った。
「……まあ、大丈夫だよな」
グリックはヴェルダンが見えなくなるや否や、誘拐犯たちの人相を調べていった。バンギラス、メタング、ワンリキー、ポチエナ、ズルッグ、そしてクチート……。
「ん?」
クチートの顔を見たとき、彼はあることに気付いた。そしてコマタナ警察隊とキリキザン隊長が現場に着いたとき、彼はクチート以外のポケモンの身柄を引き渡した。彼女の身柄だけは自分で抱えて、屋敷に連れて帰ることにした。
軽くはない大あごを持つ少女を、肩に抱える。道行く人たちはみな、彼に怪訝な視線を向けていた。傍から見れば年端もいかぬ少女を気絶させて肩に抱えて歩く怪しいオッサンだ。
そういえばこの道でリリーとバンギラスたちは逃走劇を繰り広げていたんだったか……。あの警察隊ともう一度鉢合わせになるのはごめんだ、と思いながら屋敷までの道のりを歩く。
「しっかし、術式変換の塊はともかく“時間旅行”が見つかるとはねぇ……こうなったら“空間遷移”の子をさっさと保護しないと。他の“伝説の器”はまだ見つかってないし、“黒雷”は不穏な動きを見せているし……」
こりゃあノートを一からまとめなおす必要があるな、とグリックはため息をつきながら、アーサー・サルジャーニの邸宅へ入っていく。門の前には、一人のルカリオが立っていた。
「申し訳ありません。ここから先は関係者以外立ち入り禁止となっております。サルジャーニ卿もこの街の住民であるゆえ、ご理解とご協力賜りますよう……」
恐らくその台詞は、彼のテンプレートなのだろう。
「あー、違う違う。俺はサルジャーニ先生に用があるんだ。それと娘さんに。ランドルトって者なんだが、聞いてねえか?」
その名前を出した瞬間、ルカリオの口が止まった。
「グリック=ランドルト様ですね。遠路はるばるお疲れ様です。ところで、肩の上にもう一人客人がおられるようですが……」
「ちょっと色々あってな、とりあえず先生のところに……いや待て、娘さんのところに連れてってくれ」
「シャルルお嬢様は今、急病でして……。ああ、そういえばリリーが言っていましたね、バシャーモの男が来る、と」
「おう。通してもらえるか」
「……面会の席を用意しますので少しお待ちください」
ルカリオはためらい気味にそう言うと下がって歩き出した。しばらく待つと戻ってきて、屋敷の門扉を開ける。
先ほどの敬語とは違って、「こちらへどうぞ」の一言もない。二階にあがり、ドアをいくつか通り過ぎ、やがてついた一つのドアをノックした。
コンコン、返事を待つことなく、彼はドアを開ける。恐らく、素は不遜なのだろう。 ドアの向こうには、さっきの三人がいた。面会室だろうか? リリーとハイネスがソファの上に腰かけそわそわしている。
「よう、どうだ? 傷の調子は」
グリックは部屋に入ると、クチートを床に置いて彼自身はベッドに尻と背中をあずけて言った。後ろでドアが閉まる音がする。
「さっき手当したばっかりに決まってるじゃない。それで、何よ。というかそいつ、なんで連れてきたの?」
ハイネスは床に転がっているクチートをごみを見るような視線で見る。
「そう言うなよ。この子、キルニの領主のお子さんだぞ」
「……キルニ?」
リリーにはその名前に聞き覚えがありながら、思い出せないようなもどかしい感覚があった。
「今朝言ってたじゃない。誘拐事件に巻き込まれたクソ領主のクソガキよ」
ハイネスがなぜか、吐き捨てるように言った。そしてクチートに軽蔑の視線を注ぐ。
「……誰がクソガキですって? 私にはちゃんと、イリーガルっていう名前があるのよ」
「あら、起きてたの。さっきはよくも私たちの邪魔をしてくれたわね」
ぼそりと響くクチートの少女の声。それに対し、ハイネスは敵意を隠そうとしない。リリーはじりじりと、ハイネスから距離をおく。その様子をシャルルはのほほんと見ていた。
「おいおい、二人ともやめな。喧嘩してる場合じゃないし、俺は一時までに先生と会う用事があるんだ。それまでにお前たちに話しておくこともあるんだよ」
グリックは胡坐をかいたまま、手のひらを向けて二人をなだめようとした。そして返答も聞かずに続けた。
「まぁ、イリーガルちゃんを連れてきたのはもちろんキルニに返すためなんだけど……」
「えーっやだー」
グリックの提案に、イリーガルの不満の声があがる。
「人の話を遮らないでくれ。時間がないって言ってるだろ。で、本題はここから。というか君に聞きたいことがあるんだけど」
グリックは彼女の目をまっすぐに見つめた。
「世間では君が誘拐事件に巻き込まれたってことになっているんだけど、それについては知っているかな?」
イリーガルは首を縦に振った。
「うん。で、見ている限りだと君はその誘拐犯に対してえらい協力的に見えるんだよね。まぁそこはどうでもいいんだけど、知りたいのは誘拐犯についてなんだ」そう言うと、グリックはシャルルを指さした。リリーとハイネスの視線が彼女に流れ。シャルルは首を傾げた。
「あの子を狙った理由を知りたいんだ。君は何か聞かされてないかい?」
イリーガルは視線を泳がせた。それは何かを誤魔化そうというものではなく、何かを思い出そうとしているものだった。領主の娘、というバックグラウンドも加味すると、恐らく彼女はあの誘拐犯とは仲間意識がないのだろう。
「えーっと……“進化の奇跡”かもしれないから、だって」
進化の奇跡。その名前の道具は聞いたことがあるが、その名をいただくポケモンの話は聞かない。
「……そうか」
「待ちなさいよ」
詰問をやめたグリックにハイネスが食って掛かる。
「もっと聞くことがあるでしょ。ねえクソガキ、進化の奇跡って何よ」
「知ーらないっ。私クソガキじゃないもーんだ」
「あんたなんてクソガキで充分よ。さっさと答えないと熱い目見ても知らな」
「待ってよハイネス、屋敷の中で炎吐いたら危ないよ!」
口の中で火をかき混ぜるハイネスの、その口をリリーは前足で塞いだ。じりじりと肉球が熱い。リリーは優しく、相手を怖がらせないように問いかけた。
「ええっと、イリーガルちゃんだっけ? その進化の奇跡ってなんのこと?」
「知らない。でもなんか、じゅつしきへんかんが強いんだって」
「術式変換?」またしても知らない単語が出て、リリーは首を傾げた。「何なの、それ?」
その様子に、グリックはアイロニーをぶつけた。
「おいおいリリーちゃん、いくらなんでも君が術式変換を知らないってのは無理があるだろ」
「えっ」
そうは言っても、リリーはその単語は初めてだった。
「なんだ? 君が覚えている技はみんな天然ものか……。まぁいい。術式変換を知らないんなら教えてやろう」
グリックは一冊の分厚い本を出し、真ん中あたりを開いた。一匹のポケモンと、魔法陣が描かれているページだった。リリー、ハイネス、イリーガルの三人がそのページに着目するとグリックの講義が始まった。シャルルはベッドで寝息を立てていた。
「俺たちポケモンが使う技ってのは、一つ一つに“術式”ってもんが用意されている。その術式に使われている文字や数式が技のタイプ、効果、威力、到達範囲、はては技を覚えるポケモン全てを決めているんだ」
「たとえばy=xでyが3ならタイプは電気で〜みたいな?」リリーが首を傾げながら言った。
「おおざっぱに言えばそんなとこだな。そこまで簡単な式でもないんだけどな。実際には波動方程式みたいに複雑なんだが……まぁ、そう言ってもお前らには分からんだろう。
で、術式変換ってのは文字通り、ポケモンの技の術式を書き換えるんだ」
「どうやるのよ」今度はハイネスが聞いた。
「ポケモンが出している技から、その術式を解析してデータ化するんだ。そしてそのデータを書き換える。そうすれば、例えば電光石化の術式の文字を数文字置き換えるだけで“神速並の威力と速さを持つ電光石火”の術式ができたりするんだよ」
ここでグリックはそのページの右上を指した。logや√、limなどリリーたちには理解も及ばないような文字列が並んでいる。
「そのデータを技マシンに焼けば、“神速並の威力と速さを持つ電光石火”の技マシンの完成だ。手軽で強い上に、術式さえ組み替えればどんなポケモンでも覚えられる。だから国から規制がかかっていて、技術も技マシン自体も相当金がかかるけどな」
グリックは説明を終えると、本を閉じた。正直な話、彼女らは本の内容はまるで頭に入っていない。
「……ひょっとしてさ」リリーが恐る恐る尋ねた。「“神速並の威力と速さを持つ電光石火”って、私の技のこと言ってるの?」
「おう、そうだよ」グリックは臆面もせずに答えた。
「えっ……じゃ、じゃあ私、術式変換の技を覚えてたんだ……」
「それどころの話じゃあないさ。お前の覚えてる技は多分全部術式を書き換えられているぞ」
「えっ」リリーが硬直する。ハイネスも怪訝な表情を浮かべた。
「たとえば、お前の“あくび”だ。あれは当たってから数十秒経たないと発動しないのに、お前のは全部当たった瞬間に発動してんだろ? それとハイパーボイス。そもそもあれはイーブイが覚える技じゃないし、お前のフェアリースキンを使ってもあの威力は術式を書き換えられていないと説明が及ばない。色々と見た目に違和感はあるが、こんなところか」
「……そ、そっかぁ。私、自分でも結構強いと思ってたんだけど……術式変換か……」
今まで、リリーは何回も戦って勝ってきた。その経験を一瞬にして、打ち崩されたような、そんな絶望感がこみ上げてきた。グリックはそんな彼女に、ただ真実を伝えるかのように言った。
「力を持つのは悪いことじゃないさ。大切なのはその使い方だ。……まあ、最終的にどう使うかはお前の正義次第だ。
で、ちょっと脱線しちまったな。進化の奇跡の話だっけ?」
未だ納得してないようだったリリーを置いて、グリックは続ける。
「シャルル嬢が、その進化の奇跡だって言いたいのか?」
「……知らない。ただ、私が違ったから次はあの子じゃないのってアイツが言ってた」
拗ねたように、イリーガルはグリックの本の表紙の文字をなぞりながら言った。グリックはシャルルを見る。ベッドの背もたれに頭まであずけ、安らかに寝息を立てていた。
「お前も、最初は進化の奇跡だって言われたのか?」
「うん。それで、あの人たちについていったら面白いことがあるからって、私、毎日つまんないからあの人たちについていったのに、いきなり進化の奇跡じゃないからどっかにいっちゃえって……でも帰りたくなかったからあの子を誘拐するのお手伝いしたんだ。……お父さんもお母さんも、遊んでばっかりだもん」
幼いイリーガルの声は、泣き出しそうで、か細かった。
「……さみしかったのね」
ハイネスが悲しげに呟く。
「別に、あんたに心配なんてされるほどじゃないし」
そんな反論を無視してハイネスはさらに続けた。
「あなたはクソガキじゃないかもしれないけど、あなたの親はクソみたいね。親としても、キルニの領主としても」
「クソじゃないもんっ!」
ハイネスはキルニの領主と何かあったのだろうか。そう言えば、彼女はこの街に流れついたんだった、というのを思い出した瞬間、リリーはイリーガルの叫び声で身震いした。
「クソよ! あなたの親は! 蛆虫でゴミカスで役立たずなんだからっ! 死んじゃえばいいのに!」
「そんなことないもん!」
「あーあー喧嘩すんなお前ら。
で、今の話をざっとまとめると、イリーガルちゃんは“進化の奇跡”とやらを狙う集団に間違えて連れていかれ、そこでうまく言いくるめられてシャルルちゃんを誘拐しようとした。“進化の奇跡”はどうも術式変換に何か結びつくらしい。で、イリーガルちゃんはこれからキルニの領主サンとこに帰る、と」
「……帰りたくないもん」
「そのわがままはあと十年我慢しな。子どものうちはそういうこともあるもんだ。幸い、俺も先生もキルニの領主サンとは面識があるからな。
で、それはどうでもいいんだ。次はお前の話な」
グリックはそう言いながら、ハイネスを指さした。
「わ、私?」
「ああ。さっき時間旅行について調べてみたんだ。お前、ディアルガって知ってるか?」
「ディアルガ?」
言葉を詰まらせるハイネスに対し、リリーがすらすらと答えた。
「あ、知ってるよー。世界を作った神話上のポケモンなんでしょ?」
「お、リリーちゃん物知りだな。確かに神話ではアルセウスの次にパルキア、ギラティナと共に生まれパルキアと共に新王という地を作った、とされてるな。まあ、この話はどうでもよくて、重要なのはその存在自体は神話上のものじゃねえってところだ」
「……え?」
「単刀直入に言うと、ハイネスちゃんから出てきた青いドラゴンがディアルガ。司るのは時間だ。で、ハイネスちゃんはそのディアルガを入れておくための器。名前を“時間旅行”という」
「わ、私が? 器?」
「ああ。わけ分からんだろ? 俺も分からん。だからこれだけ理解してくれ。君は伝説のポケモンを入れておく器、即ち“伝説の器”なんだ。たとえば時間旅行や、あとは空間を司るパルキアを入れておく“空間遷移”。他にも交差や分離、白炎や黒雷、虹の翼や銀の風とか、他にもいるよ。そんなに多くはないがな」
「……じゃあ、ハイネスはディアルガの力が使えるんだね」
ぼそっと、リリーは言った。あまり明るくはない声だった。
「んー、まぁ、そうだな。付け加えておくと、ディアルガは世界を創世した存在から産まれたポケモンだ。だから一番神に近いポケモンでもあるし、技は大体全部とんでもねえ破壊力を持ってんだ」
「……」
さらりと返す彼の言葉に沈黙が場を支配する。
「昔っから、悲劇や不幸ってのは大体が力を持つ馬鹿野郎がそれを濫用したことから始まると相場は決まっててな。ハイネスちゃん。君の絶大な力は大切な人を護るときだけ、そのときだけ使えばいいさ。何、最初のうちは制御が難しいかもしれないが、それも慣れてくるだろ。俺はそんなでっかいもんを自分の中に入れたこともないから偉そうなことは言えないが……。とにかくそれさえ守ってりゃあ何も怖がることはないさ」
「……ぐ、グリック……さん?」
グリックはあくまで、軽薄な口調で、しかし大事を言葉にする。ハイネスは、リリーとイリーガルを見た。リリーは、大切。イリーガルは大切、ではないが、放ってはおけない。シャルルは絶対に守りたい。
「……いいわ、約束する」
その言葉がどういうことか、ハイネスはあまり深く考えないようにした。
「そんな緊張しなくたっていいさ。お前さんが暴走しなけ」
グリックは鼻くそをほじりだし、それをいじくりながらうなずいた。そして、その鶏冠を誰かに握られた。
「あいたたたたた!?」
「良い歳こいて叫ぶんじゃないよ。なんでランドルトがここにいるんだ。アイザック、お前もお前だ。客人はまず私に面会させろと言っただろ。コイツがロリコンだったらどうするつもりだったんだ」
鶏冠を握ったのは他でもないアーサーだった。ルカリオのアイザックが申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、リリーが話をつけてたもので……」
「あ、サルジャーニ先生。ちっす、ご無沙汰してまーす」
「ご無沙汰してまーす、じゃないんだよお前。うちに資料とりにきたんだろ? ったく大事なところをすっぽかすのは学生時代から変わんねえな」
「はーいすんません」
「あ、そうだ。資料やる代わりにうちの試験の丸付けも手伝ってくれよ。まだ物理と化学が終わってないんだ」
「あーきついっすねー俺の専門は術式変換あたりなんで」
「大学の範囲までやってないから大丈夫だ。オラ来い」
「痛い痛い! すいませんすいません!」
鶏冠を引っ張られながら、グリック=ランドルトはシャルルの部屋から消えていった。