プロローグ
「……それで、王国転覆を図るつもりか?」
薄暗いレンガの壁の部屋の中央。二つの眼光がきらめいた。
「当たり前だ。そうでないと目的は果たせない。今必要なのは権力だ」
対するはもう二つの眼光。二人の男の声が暗い部屋にこだまする。
「王族を追放し、国民を動かす力を手に入れる、ねぇ……」
「はは、殺さないのがせめてもの温情さ」
片方は口調も大人しく、暗い。
「失敗したら血祭じゃねえか」
「怖いのか?」
「ったりめえよ。命を粗末にする真似はしたくねえぞ。クーデターなら俺は抜ける」
もう片方は声も声のトーンも高く、行動力がひしひしと、もう片方の男に伝わっている。
「大丈夫だ。成功率100パーセント」
「なぜ言い切れる」
「切り札があるんだよ。俺にはな……それに、ハートスワップで“記憶”もとってある」
★
「……リリー。リリーってば」
自らの呼ばれる声で、イーブイの少女、リリーは目を覚ました。リリーと言っても、これは本名ではない。彼女の本名は、彼女すら知らない。
「……お嬢様?」
リリーは川の土手の草原で寝ていたようだ。草のさらさらとした感触が心地よい。
「ちょっとリリー、何寝てんのよ。お嬢様のお相手は?」
お嬢様、と呼ばれたポケモンが返事をする前に、その横にいたフォッコの少女が彼女に棘を向けてきた。
「あー……ごめんね、ハイネス」
大きくあくびをしながら、リリーは起き上がった。ハイネス、という名のフォッコは前足で彼女の耳をはたいた。
「ほらここ、ごみがついてるわよ」
「ん、ありがと〜」
「自分でやりなさいよっ」そう言いながら、ハイネスはリリーの耳に小さな炎を吐きかけた。
「あっつ! やめてよ火傷状態じゃん!」
リリーは耳を抑えてぴょんぴょんと跳ねまわった。ハイネスはただふん、とそっぽを向くだけであった。
「仕事さぼって寝てるあんたが悪いのよ。さ、行きましょうお嬢さ――――寝てる!?」
彼女が“お嬢様”と呼びかけたラルトスは、草原に顔から突っ込んで寝息をたてていた。
「ちょ、ちょっと、さっきまで目ぇパッチリだったのに、どうして……」
ハイネスはなんとかラルトスの少女を起こそうとした。
「あ、さっきあくびを浴びせたからね。それかも」
「はぁ!? さっきの技だったの!? というかお嬢様に技を当てて眠らせるとかバカじゃないの!?」
バカじゃないの、という言葉を飲み込もうとして、ハイネスは飲み込むのをやめた。
「ん〜〜だって、私もまだ眠いし」
「眠いし、じゃない! 私たちもう帰らないと、卿に怒られちゃうじゃない!」
「えっ」
怒られる、という言葉を聞いた瞬間、リリーの目が丸くなった。
事実、あと十五分で六時になる。このラルトスの少女の父親であり、このエルセンの街を治めるエルレイド、アーサー=サルジャーニは、娘のシャルルの門限に少しうるさい。
「ごめん〜〜! お嬢様、起きてー!」
リリーはどうにかしてシャルルを起こそうと少し躍起になったが、彼女はうんともすんとも言わない。
「技で眠り状態になったんならなかなか起きないわよ。もう、抱えて走って行ったほうが早いわ。ほら早く」
あきれた目のハイネス。リリーにシャルルを担ぐよう指示した。
「わ、私がかつぐの?」
「誰が眠らせたかわかってるの?」
「えぇ〜こんなか弱い女の子にそんな重労働させるなんて、ハイネスちゃんひど〜あっごめんなさいやりますやりますってば、火を吹くのはやめてあっつい!!」
そろそろハイネスも苛立ってきたのか、彼女の背中に乗って遠慮することなく火、というより最早炎を吹きかけてきた。リリーはいそいそとサイズのあまり変わらないラルトスの少女を抱え、走り出した。
門番のルカリオ、アイザックは怪訝な瞳をリリーとハイネスに向けた。
「……帰りが遅い」
「えへへ、ごめんね」
「あんたは謝りなさい」
ヘラヘラ笑顔を崩さないリリーとあきれたままのハイネス。
「そうだぞリリー。ったく……」
何やらぶつぶつと言いながら、アイザックはリリーの背中に乗ったシャルルを抱え上げた。リリーと違い、二足歩行で力も強いアイザックだと安定しているように見える。
「お嬢様は部屋に送っていくから、お前らも早く自分の部屋に戻れ」
「はーい」
「あ、ありがとう……」
シャルルを運ぶアイザックの後ろ姿をちらちらと確認しながら、ハイネスは自室へと向かった、無論、リリーは彼の姿など気に留めることもなかった。
リリーとハイネスは孤児である。ハイネスは街路で倒れているところをアーサー卿に拾われ、その二年後にリリーは街の外れで力尽きて転がっているところを通りかかったアイザックに保護された。経歴や年の頃が似ているというところも手伝って、二人は一緒にアーサー卿の娘であるシャルルの遊び相手を任された。ただ一点違うのは、リリーに関してはこの街に流れつくまでの記憶が一切合切失われていることである。
アイザックに拾われ、ハイネスに看病されて、二日後にやっと目を覚ましたイーブイの少女は、何も覚えていなかった。自分がどこからきたのか、親兄弟は何をしているのか。そして、自分の名前も。
行くあてもなく、食い扶持も当然なかった彼女に、ハイネスはリリーという名をつけて屋敷に住み込むよう勧め、アーサー卿に、彼女の保護を求めた。
二人は一緒の部屋に住み、今年で五年目である。
「……どうしたの?」
「え?」
おそらく、リリーが最も多くの時間を一緒に過ごしたのもハイネスである。
「え、じゃないわよ。なんか暗い顔してたんだけど」
そのハイネスが一番気になるのは、上記のように、リリーが時折つらそうな表情をすることにある。
当然ながら、理由は嫌になるほど思いつくが、ハイネスにはどうすることもできない。ただ、彼女が笑うのを見ているだけだ。
「……大丈夫だよ。何もない」
そういって、リリーは静かに笑った。