0 「プロローグ その1」
「キミ、どうしたの? 大丈夫!?」
幼い男の子のように高い声が、頭に響いた。
頭がぼーっとしているな……。
そんな状態ではあるが、とりあえず目を開けてみた。
視界がぼやけてよく見えない。辛うじて見えるのは、オレンジ色の空と砂浜だけだった。
「あっ、気がついた!」
……あー、眠い。もう一眠りしていいかな。いいよね……。
「ね、寝ないでよ! ほら、起きて起きて!」
腕を引かれ、無理矢理立たされる。
正直、もうちょい寝ていたいんだけどなぁ。そこまでやられちゃ仕方ない。
顔を両手でぱんっと叩く。思ったより力が入らなかったのは、きっと起きたてだからだろう。
そうすると、視界がはっきりしてきた。
だが次の瞬間、はっきりしたはずの視界を疑った。
目の前には、可愛らしいけどよく分からん生物がいました。
体の殆どが青色で、ペンギンのような見た目をしている。丸い目は瞬きをし、黄色いくちばしはパクパクと上下に動いている。
「え、え、えぇ……ペンギンが喋ってるぅ!?」
「ぺんぎん……? ボクはぺんぎんじゃないよ? ポッチャマだよ」
色々分からないことはあるけど、とりあえずアルから目を背けて、他の物をざっと見る。
左側にはこれまた青くて広い何かや、茶色くてゴツゴツしている何かが沢山あった。青い奴は、遠くの方までずっと広がっている。俺の頭は、勝手に海を連想した。
……海だとしても、全然見覚えはないのだが。何処なんだろう、ここ。
いやその前に、何なんだろうこいつ。夢、じゃ、無いよな……?
「――、――――ぇキミ、聞いてる?」
「うぇ? あ、あぁごめん。何も聞いてなかった」
どうやらずっと何か喋っていたらしい。別のことに気が行ってたら、周りの音って聞こえないものなんだな。
若干上ずった声で応えた。
「仕方ないなぁ。じゃあ、改めて。 ボクの名前はアル。よろしくね!」
「う、うん」
さっきしっかり聞こえてたんだけどね。それをわざわざ言う気はしないが。
言わなくても話は進むし。
「それで、キミは? ここら辺じゃ見かけないようだけど……」
俺の焦りとかその他諸々の感情は、無視する方向ですね分かります。
仕方が無いので気持ちを切り替える。
えーと、何処から来たか、かな? ここら辺じゃ見かけないって、そりゃあこんなとこ知らないし。つまり来たこと無いんだよな。
俺は確か……何処にいたっけ?
今まで何処にいたのか、さっぱり思い出せない。
――えっ、待って。それだけじゃない。今までの思い出、自分は一体何者か。要するに、自分自身とは一体何なのか。そういうことが全然思い出せない。
もしかして、記憶喪失というやつだろうか?
すんなり、その事実は頭に染みこんでいく。抵抗なんて欠片もない。
特に何か思うわけでもなく、「へ〜」の一言で済んでしまう。
……やけにすっきりと受け入れているが、そういうものなのだろうか?
「えっと、何処から来たの?」
あっ、どう答えればいいんだこれ。考える時間欲しいな。
というわけで。
「ちょっとタンマ」
「あっ、そうだよね。まだ起きたばっかりだもんね……」
よっしゃ、時間はゲット。さあ考えよう。
自然に手が頭に当てられる。さらさらとした毛の感触、そして……違和感。自分の頭の中に残っているものと、現実との齟齬が生み出している物。
気のせいかなとは思いつつも、手を眼前に持って行ってみた。
……あれ、人間の手はこんな形だっけ。絶対違うよな? こんな動物の前足を簡単に描いたような形じゃねえよな!? 色も真っ黄っ黄だぞオイ!
見間違いだと思いたくて目をこすり、頭を振ってみるも、見えるものは変わらない。
無意識に体が左に向き、少しずつ前進していく。
「ちょ、ちょっと! そっちは海だよ?」
アルの声を意に介せず、自分の体を海に映した。
案の定想像通りであり、期待を裏切っていた。
手と同じように基本カラーは黄色。ハムスターをでっかくしたような見た目で、耳を伸ばしてしっぽの形を変えた感じだ。耳は先が尖っており、先端が黒くなっている。しっぽの形は稲妻形で、付け根辺りが赤くなっている。また、頬の辺りに赤い斑点がある。何かの模様だろうか? また背中には茶色い縞模様があった。
さて、こんな見た目のやつははたして人間でだろうか? 答えはきっと、満場一致で”違う”だろう。
流石に頭を抱える。記憶喪失になるだけでなく、まさか見た目まで変わってしまうとは。
これは、記憶探しを頑張るべきだろうか。こうなった理由がとても気になってきた。
いや、それは後の話だ。まずは質問に答えないと。……と言っても、どう答えようか。
バカ正直に、「実はわたしは記憶喪失です。あと、人間だったはずなんですがよくわからない生物の体になってるんですけど」とでも言ってみようか? そうすれば疑われるのは確定だ。
ではどうするか。嘘をつく? 何だか、それは生理的に嫌だ。
……他の案が思い付かない以上、バカ正直に言うしかない、か。もしかしたら、俺みたいに、人間からこんな生物になってしまった奴はポコポコいるかもしれないし。
賭けになるが、まあ最悪疑われまくってもここから逃げればいい。
さて、方針は決まった。後は口を開くのみだ。
「(あー、あー……いうえお、っと)」
小声で声の調子を確認する。アルとは声質が違えど、やはり小さな男の子のように高い声だった。他人の口から聞いてたら、何となく無邪気さを感じたかもしれない。
アルの方に向き、目を合わせる。
「よし」
「……大丈夫?」
「大丈夫になった。ちょっとばかし遅い気もするけど、起こしてくれてありがとう」
「気にしなくていいよ。当然のことだし!」
ほう、中々優しい奴じゃないか。
その後俺は、さっき纏めたことを、簡単にアルに伝えた。
やはりアルは仰天したようで、飛び上がりながら叫ぶというリアクションをしてくれた。
「に、ニンゲンだって!?」
「あ、あぁ……そんなに驚くことなのか? って驚くよな、うん」
あまりに激しいリアクションだったので、軽くそんな疑問が出てきてしまったが、普通に考えればそうだよな。俺も結構驚いてたし、うん。
「でも、だって、どこからどう見てもピカチュウだよ!」
「へぇ、ピカチュウって言うのか? いやまあ、信じられるようなことではないと思うし、俺も何でこうなったのかさっぱりだ。記憶もないから確認しようもない」
少し間を置いて、アルはこう言った。
「……キミ、何か怪しいな。もしかして、ボクを油断させて騙そうとしてる?」
「いや、そんな考えは全く無いって!」
「ホントに? じゃ、名前は?」
「名前も忘れちまったんだって」
「…………」
考える像のようなポーズで、アルは黙った。考えているようだ。
少し緊張しながら、答えを待つ。
答えが出たのか、アルの口が開きそうになる。けれど、開ききらなかった。
何故なら、急に弾かれたかのように俺に飛んできたからだ。