07 ギンガトバリビル4
「相変わらずよねー」
モニターに映るサンは圧倒的な力でジュンとハンサムを追い詰め、もう彼らの残す手持ちは一体だ。
対するサンはまだ一体も倒されていない。
相手もそこそこ強いのか、サンのポケモンにダメージを与えられてはいる。
普通のトレーナーなら一度ダメージを与えられればよいほうだ。
長いこと一緒にいた私でさえ一体倒せるくらいなのに、ただのトレーナーに負けるなんてあり得ない。
私は誰にともなく呟いた。
昼間なのに妙に暗い裏路地、私はそこで一人、膝を抱えてうずくまっていた。
いや、一人ではなかった。私の横には一体のポケモン、ニャルマーがいた。
幼かった私は、あるきらきらしたステージに憧れて、母の反対を押しきって勝手に家を出たのだ。
結果はもちろんうまくいくはずもなく、そしてさらに私に追い討ちをかけるように、家に戻ってみると母が床で倒れて死んでいた。
もともと身体が弱く、病気勝ちだった母だ。発作かなにかで倒れてしまったのだろう。
いつもなら私がいて、何かあればすぐに病院に連れていけたのに。
私はたまらず家を飛び出した。
ただ泣くことしかできなかった私は、すぐそばに人が来ていることも知らずに、じっとうずくまっていたのだ。
それが私とボスの最初の出会いだった。
存在に気づいて顔を上げると、今と変わらない無表情でアカギ様が私を見ていた。
その時、アカギ様がなんと言ったのかはよく覚えていない。
ただ、世話をしてほしい者がいるということを言われた。
母の面倒も見れなかった私に何をしろというのか、とその時は思った。
でも、母の代わりという言い方もおかしいが、とにかくもう二度と、失わないように、もう一度、それが救いとなるかもしれない。
そう思い、私は返事をした。
世話をしてほしい者としてサンを見せられたとき、私は戸惑った。
こんな幼い子供を、しかもアカギ様の子供でもないという。
付いてきたニャルマーは、世話するには必要ないと言われ、与えられた部屋に置いておくよう指示された。
世話をしろと言われていたので、私は何をすればいいのかわからないからとりあえず話しかけることから始めた。
「何を読んでるの?」
初めての会話がそれだった。
聞いているのか聞いていないのか、サンはこちらを向くことも返事をすることもせず、そのまま本を読み続けていた。
もう一度同じことを尋ねると、ようやくこちらを向いてその本のタイトルだけを言って、再び本を読み始める。
本のタイトルは全くわからなかった。宇宙だか何かの本だった気もする。
向こうに会話をする気がないのだとわかると、何か言葉を続けようという気も失せ、パラパラと本をめくっていくサンをぼんやり見ているだけになった。
そんな感じで、私のサンの第一印象は最悪だった。
それでも、一応そばにいたうちに少し会話をするようにはなっていた。
会話といっても要件を伝える程度だったけど。
その時くらいにサンはアカギ様からポケモンを受け取っていた。
私も一緒にポケモンを受け取って、そこにニャルマーを加えた。
そして、少しアカギ様に教えられただけだというのに、サンは初めてのはずのポケモンバトルで私に圧勝した。
それを契機に、サンは読書だけでなく、ポケモンバトルのトレーニングやなんかもするようになり、それに専ら付き合わされたのは私だ。
結局、私はサンに一度も勝てないまま、後にやって来たジュピターやサターンも同じ。アカギ様ですら勝っているのを見たのははじめの方だけだ。
私とサンとの付き合いはアカギ様に次いで長い。
それなのに私は一度もあの子の別の表情を見たことがない。
いや、一度だけあった。
今でも信じられないが、あの子は一度だけ、ほんの少し笑ったことがあった。
いつだったか、バトルが終わってサンの方を見ると、サンの口の端が小さく上がっていた。
この子でもこんな風に笑うんだと、すごく驚いた。
とはいえ、一瞬のことですぐ元の無表情に戻ったのだが。
私は再びモニターに目を移す。
勝負あったようで、侵入者の少年は呆然と立ち尽くしている。
「私が勝てないんだもの、むりよ」
長い間規格外とも言えるサンのバトルの相手をしてきたのだ。
それでも勝てず、差が広がるばかりなのに、どうしてあんな新人とも思えるトレーナーがサンに勝てるというのだろう。
少年の様子からすると、お互い知っているようなのに。
あの子の心を動かせるとでも思ったのだろうか。無理に決まっているのに。
あの子に心が無いわけではない。
一瞬だが表情もあった。
本当にボスは何を考えてこの子を育てているのだろう。
考えるほど理由がわからなくなる。
私はサンの映るモニターを切った。
画面が暗くなる直前に見えたのは、やっぱりいつもと同じ、なんの表情も浮かばないサンの顔だった。
バトルの結果は、やはりサンの圧勝だった。
ジュンもハンサムも半ば諦めたような表情で立っている。
「……湖の三神の解放が目的だったね」
ジュンははっと顔をあげた。
「解放する」
「おい、いいのか?」
黙って壁にもたれ掛かっていたサターンが慌てたように言う。
「私は構わない」
「ならせめてボスに聞け」
「わかっている」
サンはジュンの方に向き直った。
「今すぐにはできない。アカギの許可が降り次第解放する」
驚きのあまりジュンとハンサムは何も言えない。
「フーディン、テレポート」
驚いて固まっているジュンとハンサムを、サターンはフーディンにテレポートさせてバトルスペースから追い出した。
ジュンとハンサムがいなくなると、サンは自室に引っ込み、バトルスペースにはサターンのみが残された。
そこにフーディンが戻ってきて、サターンはフーディンをボールに戻す。
サターンはインカムの電源を入れて、マーズと通信を開始した。
『終わったみたいね。で、結局どうなったのよ?』
「サンが勝ったよ」
『そんなの言われなくてもわかるわよ。サンがどうしてるのか聞いてるの』
「自分の部屋に戻ったぞ。侵入者は他の部屋に飛ばしたしな」
そう言いながら、サターンはワープパネルに近づいた。
「パネルを第五研究室に接続してくれ」
『あのじいさんに何か用事でもあるの?』
「いや……サンが湖の三神を解放するとか言ってたから、じいさんに言っとこうと思って」
サターンはサンが何を思ったのかよくわからなかった。
(あいつの行動は基本的に予測不能だからいいんだけどな。まあじいさんの好きなようにさせるのも癪だからいいか)
『接続終わったわよ』
「了解」
サターンはそこで通信を切った。
ワープパネルに乗ると、一瞬でプルートのいる第五研究室に到着する。
プルートはモニターと向き合いながら、時々物凄い速さでキーを叩いていた。
サターンに気づいた様子は微塵もない。
「おい、プルートのじいさん」
サターンは後ろから声をかける。
「じいさんじゃないと何度言えば……で、どうした?」
「サンがそれが完成したら湖の三神を解放すると言っていた」
「なんじゃと!?あの娘は何を考えとるんじゃ?」
「俺にわかると思ってるのか?俺よりはるかに付き合いの長いマーズですらわからねーんだから」
プルートはキーを叩く手を止めてサターンの方を向く。
「シンオウ神話の神じゃぞ?いくら使えるものか想像のつかぬ存在を……」
「不満ならボスに言えよ。サンは俺には止められねーし、ボスが言えば止まると思うぞ」
「………」
プルートは黙ってしまった。サンが解放すると言っているのだから、止めることはできないと悟ったようだ。
「一応言っておいたぜ。聞いてないとは言わせねーよ」
サターンは研究室の出口の方を向き、そちらに向かって歩き始めた。
「お主、あの男……アカギがわしに作れと言ったもの、なにかわかるか?」
不意にプルートが口を開いた。思わずサターンは振り向く。
「新たな宇宙を創るためのモノだろ」
「ふむ……まあいいわい。完成すればわかるじゃろ」
「一体何を……」
「完成すればわかる。それまでお主らは侵入者の撃退でもしとれ」
プルートはサターンを小馬鹿にしたように言う。
「そうさせてもらうさ」
サターンはプルートの口調に怒りながら、研究室を後にした。