01
彼女は本を読んでいた。本棚から持ってきたシンオウ神話に関する本だ。時折伸ばしている黒髪を触りながら結構な早さで本を読み進めている。
「サン、あんたもう寝な。今十分に睡眠摂っとかないと成長しないよ」
サンと呼ばれた少女は本から目を上げず言った。
「わかった、この章読んだら寝る」
「この章って、あと軽く100ページはありそうだけど?」
「ちょうど読み始めたとこだったから」
サンに声をかけた女性は長い薄紫の髪で隠れたこめかみを押さえながら言った。。
(まったくこの子は……本当に8歳なのか疑いたいよ。本ばっか読んでるのは仕方ないと思ってるけど、読んでる本、私でもあんな早くは読めない。あんなに動いてないくせして私よりバトルはるかに強いし……根本から違うとしか思えない)
「ねえジュピター」
「何?」
ジュピターは手にしかけていたカップから手を離した。
「ポケモンって何だと思う?」
「あんたが今読んでるのには始まりの神が産み落とした神々のうち一匹が産み出した『命の塊』が次々に分裂したものって書いてあるんじゃないの?」
ジュピターも今サンが読んでいる神話は読んだ。が、今まさにサンが読んでいる1章でやめた。あの神話集は専門家が読むようなもので、ほとんど原文のまま書かれた、字が細かいそれこそ一面字ばかりの本。
「……そう」
そう言うとサンはパタリと本を閉じて立ち上がった。
「ちょっと、1章読んでから寝るんじゃないの?」
「気が変わった」
(この子の気まぐれは今に始まったことじゃないけど……何考えてるのか未だにさっぱりわからないね。本も置きっぱなしだし)
ジュピターはカップを手に取り、その姿を見送った。
サンがドアから出ていくのを感じながら、ジュピターはポットに水を注ぎ、電源を入れた。
(ボスは……あの子をどうしたいのかしら。それになぜボスはあの子を拾ったのかしらね……)
サンがギンガ団のボス、アカギに拾われたのはまだ一歳にも満たないような頃だったと聞いていた。
その時、またドアが開いた。大方サンが本を取りに来たのだろうと思い、茶葉を測りながら言った。
「本なら机にあるよ」
「……はぁ?」
明らかにサンの声ではない。というかこんな口調ではない。
「あ、なんだマーズか」
入ってきたのは赤い髪の女性だった。
「なんだって何よ、あ、お茶私にも頂戴」
「一人分しか水沸かしてないわよ……机の上の本あっちの棚に入れといてくれない、あの子置いて行っちゃったのよ」
マーズは机の上に置きっぱなしになっているさっきまでサンが読んでいた本を見て言った。
「あー、これ読んでんのあの子?私は一ページ目でやめたわね……」
そう言ってマーズはその本を棚の上に移し、サンがさっきまで座っていた椅子に座った。
「私のは後で沸かすから先これ飲んでな」
ジュピターはそう言うと、お茶の注がれたカップを机に置いた。
「ありがと」
「どういたしまして……で、何しに来たの?仕事あるって言ってなかった?」
「何って、休憩よ休憩。今晩徹夜になりそうだから」
「あれってそこまで時間かかるものだった?」
「プログラムにミスがあったのよ、それともう一個作らないといけないのもあるし」
ジュピターは自分の分のお茶を淹れて、マーズの反対側にある椅子に腰を降ろした。
「ふぅん、まあ頑張って」
「何よ他人事みたいに……まあいいわ。で?あの子何したの?」
「何でそんなこと聞くの?」
「だってさっきなんか少し怒ってたじゃない」
ジュピターはしばらく考えてから言った。
「あの子にいきなり『ポケモンって何だと思う?』って聞かれてさ。取り敢えずあの子が読んでた神話引用したら一言『そう』って言って『気が変わった』っていなくなっちゃたの。相変わらずよくわからないわ」
「ん、まあ私もそんなこと言われたら困るけどさ、何でボスがあの子を拾ったのかわからないわ」
「それは私も知りたいわよ、あれで八歳なんて未だに信じられない」
「去年もそんなこと言ってたわね……ほんと、外と中が釣り合ってない」
「私らがここ来たときに六歳だったから。外だとあんな年頃の小は公園とかでキャーキャー言いながら遊んでるわよ」
「ボスはあの子をまだ外に出す気はないみたいだけど……」
彼女らはここに来てから一度もサンが外で何かしているのを見たことがない。いつも本を読んでるかバトルをしてるかしかしていない。
「あの子のことが公になると色々困るからじゃない?小さい子供を洗脳とか変なことになるのよ。まあボスがどうしたいのかはわかんないけどさ」
「まっ、そうよね。あの子のことはデータそのものに載せないくらい警戒してるみたいだもんね。サターン曰く名前くらいしか知られてないらしいし」
そう言ってマーズは残ったお茶を一気に飲んで立ち上がった。
「じゃ、仕事に戻るわ」
「頑張れ、まあ私はもう寝るけど」
「はいはい、どうせ私は徹夜ですよ」
マーズはそう言って出ていった。部屋に一人残されたジュピターも一気に残りのお茶を口に含み、立ち上がった。そして机の上にマーズのカップが置きっぱなしになっているのを見つけた。
「カップくらい自分で片付けなさいよ……」
そう言ってマーズのカップも手に取り、水で洗って乾かしておいた。
(明日は書類まとめて会議出て……うん、もう寝よう)
そんなことを考えながらジュピターは電気を消して部屋を出た。