2 そびえ立つ屋敷
朝日はすでに昼の太陽へと変わろうとしていた。
アルアとクゥヤはまず目を疑った。目の前に広がる光景がとても信じられなく、そして驚愕する。真っ白な壁、規則正しく取り付けられた多数の窓、二階建てだがそれ以上に高く感じる外装で、よりその迫力が分かる。
これといって大きな特徴はない、シンプルな家柄。庭は荒地が関係しているのか緑は少ない。中央に枯れた大木と、植木鉢によって添えられた花しか自然といえるものはなかった。
ホエルオーもビックリなその巨大な屋敷に、ただのフローゼルとキュウコンは茫然と建物を見つめていた。
(おいおい、こりゃとんでもないとこに連れてこられたな)
(こんな屋敷があること、レイガに言われた?)
(いや、全くだ。こんな目立つ屋敷があるくらいだから、大まかな情報くらい掴んでいてもおかしくはないはずだがな……)
(そもそもここが私有地ということの方が大切なんじゃないの?)
(それもそうだな。何にしろ不自然なところだぜ)
この何もない荒野に不自然な屋敷だ。そうバクフーンに質問したが、「私語は禁止です」とあっさり振り払われてしまう。荒野で襲われたときから、一切こちらの要求は跳ね返されてしまう。何とも気に入らない態度に、アルアは舌打ちをわざとらしく打つ。
「付いてこい」
ストライクが強引に二匹を引っ張り、大きな扉のある部屋の前まで連れていく。何の変哲もない普通の扉だが、胸が苦しくなる気味の悪い感じがしてならない。いったいこの扉の向こうに誰がいるのだろうか。
「ブロンデー、敷地内に侵入した野郎共を捕らえた」
ストライクが扉を開けると、部屋の光景が目に広がる。これまた一段と広い部屋に連れてこられた。
綺麗に整頓された本棚が多数配置され、質の良い木の壁は綺麗に磨かれている。だが部屋に入った途端に、ツンと鼻を刺激する臭いがした。オレンの臭い、しかも相当キツイ濃度まで高めている。思わず鼻を摘みたくなる臭いに、アルアは渋い表情を拵える。
そこにはストライクらと同じ、黒い身なりのよいライチュウが割れたビンを持ちながら、足下にこぼれた液体を拭いていた。ストライクの言葉に耳を傾けたライチュウは、こちらを見つめながら軽い足並みで近づいてくる。
「ったく、この時期にとんでもねえ奴らが来たもんだな……話は簡潔に聞いている。シックル、お前はもう下がってくれてもいい」
そうか、とストライクは淡麗な言葉を残し早々と部屋を出て行った。仮にも侵入者のアルアたちを残して、一匹で事情聴衆をしようというだろうか。また暴れ出すとも分からない自分らを置いてとは、とんだ肝の据わったライチュウだ。
アルアとクゥヤ、そしてあのライチュウと三匹だけになったこの部屋で、互いに妙な空気が流れる。ライチュウはアルアの目をジッと見つめながらこちらに近づいてきた。
「部屋の臭いが気になるだろう?今さっき、オレンのみを絞った香水をぶちまけてしまった。少し鼻に付くかもしれないが承知してくれ」
そう言うと窓を開け、風通りを良くする。木の実で作った香水とはまた変わった物を目にする。確かに香りの良いオレンのみを身に付ければ、身だしなみだけでなく、オレンのみの効力により元気も出る。だが、薬も過ぎれば毒となるとは言ったものだ。原液を直接吸ってしまえば、ただ頭の痛くなる異臭となる。
「使用と雇用を務めるブロンデーだ。さてと、面倒だから単刀直入に訊く。……お前たちは、ここが屋敷の主が管理する地だと分かっていて侵入したのか?」
冷たい口調に、ライチュウに相応しくない鋭い目つきに緊張が走った。今こちらが置かれている立場から察すれば、当然の態度だろう。容疑者を逃がさない、無言の圧力はアルアにもひしひしと伝わる。
「オレたちゃ、この先にあるメックファイに向かっていただけだ。その途中で道に迷い、管理だが私有地だが何だか分かんねえが、この土地に知らずに入った。ただそれだけだ」
「メックファイ?それなら、荒野の山道から迂回していけばいいだけのこと。そもそもメックファイに何しに行くつもりだ?あそこは観光やら、旅をしている者が行くような所じゃないはずだ。そういう奴らなら、もう少し東に行った所にあるレイクセントラルに行く。何故だ?」
嘘も全て見抜かれそうな目にアルアは一瞬口が開けなかった。言い訳すら許さないこの威圧感は誰かに説明しようとも出来ない。
レイクセントラルはアルアも良く知っている。巨大な湖の真ん中の陸地に建てられた町。大きな城と、水ポケモンたちの集いで賑わう水の町だ。同じタイプのフローゼルである、アルアも一目置く町。確かにそこなら情報やら集めるにも適している。だがそのようなことのために行く必要はない。アルアも譲れないものがある。
「……オレたちが追っている情報屋がその町にいるかもしれないからだ」
情報屋を営んでいるゾロアークを探しに場所を教えてもらっただけ。ただそれだけのためだ。場所の詳細などアルアにとってはどうでもいい。そのように言われるのは何回も経験しているため、ブロンデーが何を言おうと怯む様子は見せない。
「随分とその情報屋に拘るものだな。この大陸には、そういう奴らは数えきれないほどいるだろう」
「けどそれでも、オレたちは行くんだよ。そいつにしか持っていない情報がある。旅をしていてこれだけは確かだ。全部コイツの……このキュウコンのために――」
アルアがクゥヤに振り向いた。だが、クゥヤは拘束されながらも、鼻ちょうちんを膨らましながら居眠りをしていた。呆れて言葉をなくしたアルアは、何も言わずブロンデーに目を向けた。
「こんな場合において眠ることができるとは、緊張感のないキュウコンだな。それほどこの状況に余裕があるということか?」
皮肉だろうか。すやすやと可愛い寝息をたてながらのクゥヤを一目見るアルア。本当に気持ちよさそうに眠っているため、これはこれで起こし辛い気もする。
「ま、とりあえず理由なんて何でもいい。事情は把握したからな。そのいい分だと、白のようだから複雑な話はいらない」
あっさりとした言葉で振り返る。淡泊な反応に、さっきまで熱弁した自分が馬鹿らしくなってくる。
「……ところで、オレたちゃいつ解放してくれるんだ?」
「あぁ?知るか。それについては、ここの主のディレイから直接言い渡されるはずだ。仮にも侵入者だからな、俺たちだけの判断で委ねられねぇよ」
「その主とやらはいつ戻ってくる?」
「知らないな。先週から雷鳴山の調査に向かっていて、詳しい帰還日は分からない。それまではこの屋敷にいる羽目になるな」
「それじゃあ……いつ解放してくれるか、わかんねーのか。くそっ」
一刻も早く、ゾロアークに追いついて問い詰めてやりたいのに、こんな所で足止めとは冗談ではない。
すぐにでも逃げ出したい気持ちだが、そんな浅はかな真似はできないのは百も承知。結局相手の言うとおりに従うしかないのだ。
「ま、ずっと縛りつけたまま部屋に閉じ込めておくのもいいがな、流石にそれじゃあもったいない」
ブロンデーの言葉に、アルアは眉をしかめる。同時のクゥヤの鼻ちょうちんが割れた。
「そうだな、うちの使用たちと一戦交えていい勝負したそうじゃないか……。それだけの実力がありゃ、お前たちには言い分が申し出るまで、ここの屋敷の使いにでもなってもらおうか。そうすりゃ、俺の方も少しは楽になるからな。丁度いい。今は割と数が減っちまってな、ひとで不足なんだ。お前たちのような腕のたつ者はすぐにでも雇いたいと思っていたからな」
「……何で使用が戦いの実力を持ってなきゃ駄目なんだ?」
「それについては後で話す。……訊くまでもないが、無論了承してくれるよな?」
鋭い眼差しがアルアの瞳に映る。その真意を察するのは容易い。断る選択肢を与えない、相手を思うツボに操る。強引なやり取りに、アルアは悔しさのあまり歯ぎしりをした。抗弁すらもままならない、この一方的な状況に。
「……分かったよ。どうせノーと言えねえんだから」
「ならもう俺から言うことはない。フローガ!」
ブロンデーがそう叫ぶと、すぐさま扉が開けられる。あのアルアにトドメを刺したバクフーンだ。
なるほど、例え自分たちが逆襲に出ようが、すぐそばで待機していたらすぐ対応に出られる。それほど余裕があるのだろうか。
「今からこいつらは屋敷の使いとなったからな。……適当に仕事を受け入れてやれ」
「そういやあよ。オレたちが何で捕まった理由も聞いてねぇんだが――」
「今は口を慎め。知らずとはいえ、てめぇらがこの地に無断で足を踏み入れたことは事実だろ?今からはここの使用だ。どんな事情があるとはいえ、こちらに言いがかりをつけることはやめとけ」
アルアの眉間にキュッとしわが寄る。一方的に言い掛かりを付けられ、ただ相手の手の内に転がらされるのがよほど屈辱だったらしい。
「そうそう、ここから逃げ出そうという馬鹿なことを考えているかもしれないが、この屋敷の地中空にも使用を任してある。下手に騒ぎを起こすなよ。そうなりゃ次にお前たちの保障はされないと思え」
アルアはブロンデーに何も言わず、フローガという名のバクフーンに部屋から連れ出された。
(何か……誰かさんにすこーし似てるかもね……)
***
「あの……お嬢様、もうお部屋に戻られたほうがよろしいかと」
彼女は使いの方からそういわれると、ゆっくりと振り向く。
「どうしてよ?もう少し……外にいたいの」
「いえ、それではブロンデーさんから怒られてしまいますよ」
「大丈夫よ。今日は屋敷内の掃除が基本だって言ってたし……ここに来るはずはないわ」
「で、でも……」
使用のジュゴンは、懸念の声を出す。ジュゴンのような滑らかな体系に合わせたのか、グレーのレースを首筋から掛けている。いかにも品のある風貌から、ジュゴンのより白い体毛も艶やかさを増している。
「今しか……出られないんだから……。グラキエス、お願い」
悩むジュゴンのグラキエスに、追い打ちをかけるようなか弱い一言。気の小さいグラキエスは、無理強いにお嬢のお願いを聞き入れるしかなかった。
「いけませんよ、お嬢」
「あ……シックルさん」
ふと横から入って来たのはストライクのシックル。わがままを言うお嬢に顔をしかめ、鋭い目つきで睨む。
「あなたの気持ちは分かりますが、決められた時間を越えての出入りは約束を破ることになるのですよ」
「でも……私は、子どもではありません!それに、それはブロンデーが勝手に決めたことじゃないですか。私はそんな約束をした覚えはないです!」
「それはあなたの身を考えてのことです!さぁ、早くお戻りください!」
厳しい言葉を浴びせるシックルに怯みはするも、依然として意地を張る。しかしここからどうシックルに反抗したらいいか分からず、グラキエスに目を向ける。見つめられたグラキエスも、どうすればいいか分からず目をギュッと瞑り反らした。
「あなたたちまで……私を縛りつけるんですね……。もう……この屋敷に私の話を聞いてきれる方なんていない……!」
そう啖呵を切ると、‘シャドーボール’を繰り出す。咄嗟の反応に、シックルは軽く避けるが、そのまま避けきれなかったグラキエスに‘シャドーボール’は直撃してしまう。
放った後、相手の状態を確認すると、逃げる用に走りぬく。当てるつもりはなかったのだろう。それでやけになり、闇雲になったか。
「お嬢!……くっ、仕方ない……!」
走り去ろうとしるお嬢にシックルは鋭い鎌を向け、そして一閃を断ち切る。素早い身のこなしに、まるで時間が止まったかのように、グラキエスはたたずむ。
風が後を追うように吹き、やがて時間が再び動きだすと、その場にバタリと倒れこんだ。
「ちょっ、ちょっと、シックルさん……!?」
「なに‘みねうち’だ。あまり手荒な真似なしたくなかったがな」
かすかな傷はあるものの、気を失わせた程度だ。荒っぽいやりかたに、グラキエスはどう反応したらいいのか分からず、ただオドオドと倒れたお嬢を心配そうに見ていた。
「あとはお前が部屋に連れていけ。俺は屋敷外の警備に行ってくる」
「あ、は、はい……」
振り返らず、シックルはその場をあとにした。
残されたグラキエスは、優しくお嬢を抱き上げる。傷は軽く手当てをすれば済む程度の切り傷。素早い身のこなしでこれだけ傷つけずにお嬢を保護するなんて、自分にはできない業だ。
それにしても先ほどの言葉。『この屋敷に私の話を聞いてきれる方なんていない……!』
この悲痛な叫びにも聞こえる声が、グラキエスの頭から離れなかった。先ほど自らが受けた‘シャドーボール’も、思ったほど外傷はないが、胸の奥に強く刺さるような感じが強かった。
「わたしは……ただあなたのためと思って……」
何か一つの葛藤が、グラキエスの中で渦巻き始めた。
***
「何なんだよ、あのネズミ野郎!一言もオレたちの話を聞こうとしねえ!」
理不尽な申し出にアルアは苛立ちを隠せなかった。使用の部屋らしき場所に連れてこられた二匹は、さっそく仕事に取り掛かってもらうための準備をしていたが、どうもこの展開に納得のいかないアルアは、牙を剥き出しにひとり怒っていた。
「と言っても、知らずとはいえ無断で立ち入ったことには、一応の非はあるものね。納得いかないのもわかるけど、逆らえる立場じゃないんだからさ」
「おめー寝てただろうが」
「あれ、そうだっけ?」
「ぐっ……このヤロ―……」
狸寝入りならぬ狐寝入りか。どうやら細かい話から逃げるために、全部アルアに任せたらしい。あんなにブロンデーに意見を突き付けていたのに、このキュウコンときたら……
「で、オレたちゃこれからそうすればいいんだ?」
「まずはここで使い用の証として着替えてもらいます。その後は、各々に与えられた仕事を任されると思うので。……それより……」
フローガは二匹を見る。そして一つ間を開け、深く頭を下げた。
「先ほどは申し訳ありません。知らぬとはいえ、あなた方に危害を加えたことを、私たちは心よりお詫び申し上げます」
冷たい表情から一変した。バクフーンらしくない柔らかな表情。深々と頭を下げる品のある動作は、真に謝罪の意をしっかりと込めている。
荒野でのあの荒々しい目つきからの突然の変わり用に、互いに目をぱちくりさせる。
「私たちは、この土地の侵入してきた者どもを捕らえるのを、最優先に行わなければなりません。これは、この屋敷に使える『使用』の掟でありまして……。ですが、あなた方はただ迷われてきただけなのに……」
茫然とする二匹に、フローガは困惑な表情を見せる。
「あの……どうかされました?」
「あーいや、何かイメージと違うなー、と思って」
「あぁ、あれはその……ちょっとこちらの事情というか、何というか……」
頬を赤く染め恥を浮かべる。何か聞いてはいけないような気がしてならなかったので、アルアは口ずさむ。
「まさか戦いになると性格変わっちゃう性格だったりして――」
「近いですね。正しくは沸き立つ本能の逆らえないというか……」
「やっぱり。流石アタシと同じほのおタイプ。熱くなるところは燃え上がる炎の証ってやつね〜」
この感情はほのおタイプ独特のものなのだろうか。みずタイプであるアルアには、理解できない領域だ。
確かに、クゥヤもまともな戦いになれば、普段より少し気性の荒くなる所がある。彼女の性格からそれほど気にはならなかったが、フローガの様子から見るに感情が高ぶっているのだろう。
クゥヤは当たり前、というようなあまりにベターな答えだったもので、何とも面白みに欠けた表情がこぼれる。
フローガも答えるのに抵抗があったからか、二匹から目を反らす。クゥヤの軽はずみな発言と愉快な言葉は、話題を出し辛い微妙な空気と化す。若干湿った空気となってしまった。
「……ま、おめーの話はもういいや。それよりもあのライチュウだよ。いきなりあんな風に物申すのは、すげえ気に入らねえんだが」
「すみませんね。ブロンデーもあれで色々あるんですよ。逆らえない立場な故、つい他者には厳しくしてしまうのでしょう。あなた方に悪意がないのは承知ですが、私たちも気を使ってしまうので」
「全くだな。誰か止める役くらいいなきゃ、ありゃ抑えようがないぜ」
「……それは最な意見です」
ブロンデーに至っては何やら特別な事情があるらしく、フローガも表情があまり明るくない様子だった。だがあのように、一方的な命令が大の苦手なアルアにとっては、これ以上気に入らないことはなかった。
クゥヤもマイペースな性格ゆえ、たまに自己管理に欠ける行動をとる。そしてアルアのお怒りを買うことも珍しくはない。だが憎めない存在なのは、なんだかんだお人よしなところがあるからかもしれない。少なくとも、アルアはそう思っている。
「にしても目上に文句一つ言えないとか、使える側って本当に不便だよな」
「その使いに、今からアタシたちもなるのよ。ほら、アルのやつ」
クゥヤから手渡された、黒と白の布を縫い合わせた服。
どうやら様々な種族に合わせオーダーメイドで作られているらしい。最も、アルアたちの着る使用の服はお下がりのものらしいが。
「ん?気が利くな」
しかし運が悪いとはいえ、このような面倒な地に足を踏み入れたことにはツイていない。アルアたちは一刻も早くメックファイに行かなければならないのに、ここで足止めをくらうとは。
結局はここの主が帰ってこない限り、事態は進まないわけだから、今は大人しく彼らの言うことに従うしかない。無駄な足掻きほど醜いものはないことは、アルア自身も分かっている。
「あの、アルアさん……それ『メス用』です」
「…………えっ?」
フリフリのドレスが目に入る。親切にしてくれたと思ったらこのためだったのか、と罠に引っかかったアルアにクゥヤは大きな口を開いて笑う。
「あっははははっ!似合う似合う!」
「ふざけんなおまっ!ちょっ、あれ、脱げねぇ!おいクゥ!!」
阿呆が余計なことをしたせいで簡単には脱げないようにされたらしい。腹を抱えて憎たらしく笑うキュウコンに、今すぐにでも腹に拳を突き付けたいばかりの怒りが立ちこもってくる。
「……大丈夫でしょうか……」
このコンビに使用の仕事を任せてよかったのか。早くもフローガの表情に不安の色が浮かんでいた。