歴史にキスを!
序章 プロローグ
序章:
プロローグ


 ……人間、無能では生きてゆけないのだ。
 人は口を揃えて言う。「生きてることそのものがとてもありがたいのだ」と。僕はこの言葉が耐え難いほど憎らしい。こういうことを口にする人間全員の唇をカッターで引き裂いて、二度と言葉を語れなくしてやりたくなるほどだ。そうだろう、だってこの言葉は驚くほど偽善的で、驚くほど矛盾をはらんでいて、それでいてなんと耳あたりの良い言葉だろうか。泣き叫ぶ子供の身体を八つ裂きにするくらい非人間的で残酷な言葉であることを、口にする人間は知っているのだろうか。
 彼らは本当の意味で生きることをありがたいなどとは微塵も思ってはいない。それどころか、この社会では――「社会」とはつまり人の集合体のことだが――無能者は生きていてはいけないという現実がある。この社会の構造は、無能なもの、すなわち社会に適応できないものをハジくようにできているのだ。社会はこういう類の人間を嫌ってはおらず、どちらかというと興味がない。いなくなってもいいなぁと思っている程度である。これは被害妄想でも厨二病からくる考えでもなんでもない。澄んだ眼で、何の偏見もなしにこの世界を見つめた結果として見えた現実だ。社会に適応できない無能者は社会では生きてゆけないので、死ぬべきである。死ななければ、死よりも辛い生があるのみである。これが現実だ。

 そんな訳で僕は今ここにいる。こことはつまり橋の上で、視線を下に落とせばちょっと信じられないくらいの速度で流れる河がある。もし僕がこの手すりをひょいと乗り越えて身を躍らせさえすれば、僕の身体はあの急流に吸い込まれて、自分でも気付かないほどたちまちに僕は死ぬだろう。そう、僕はいま死ぬのだ。死ぬのだ。僕は社会に適応できない無能者である。無能者は死なねばならない。よって僕は今死のうとしている。そこに間違いはない、数式的、つまり絶対的な正しさがあるのみである。むしろこれまでの18年間、死なずにいたことを恥じるべきかも知れない。
 18年間。ある意味では長い人生だった。それなのに嬉しい思い出のひとつも思い出せないとは、なんて下らない人生だったんだろう。人と同じように生きてきたつもりなのに、他の人が普通に持つような喜ばしい思い出なんて、ひとつも、ただのひとつたりとも、
 ――いや、いや、なくはない。ある。ひとつだけ確かにあった。7歳の頃のことだ。僕は、当時流行っていた「ポケットモンスター」というゲームで地方優勝に輝いたことがあるのだ。親の言いなりに生きてきた僕が親に内緒で行動した唯一の機会だった。そして前年の優勝者や他のエースを次々と蹴散らし、初出場にして地方大会で優勝を果たしたのだ。あれこそは、僕が18年間の人生において唯一輝いた時期だった。僕は本物の笑顔を見せて壇上に立っていたはずだ。努力が実を結んだ歓喜と勝利の快感に陶酔した表情で、更に全国大会への眩しいほどの展望を夢見て、
 ――いや、いや、何を言っているのだ。全国大会には親にこっぴどく叱られて出場できなかったではないか。その時父親が口にした言葉を覚えているか? 「ゲームなんていうものはバカがやるものだ。それで1位になるということは、わかるかコウノ、お前が最もバカだということだ」。そう、こんなバカがすることを誇りに思うなんて下らない。しかも、その記憶を死ぬというその時に自分の宝物であるかのように回顧するなど、バカの極みだ。最後まで、僕はバカであり続けるのか。どうしてこんな下らない人生があるものだろうか? 本当に、本当に、ひたすらむなしい……。
 ……長く考え込みすぎてしまった。結論、僕の人生は下らないので、僕は死ぬ。それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 僕は自らの思考に終止符を打った。そしてできるだけ何も考えないようにして手すりを乗り越え、狭い足場で両足を揃えた。そこで、
「あッ」
 僕は足を滑らせた。自分でも何が起こったか分からずにいるうちに、河の水面が目の前に来ていた。全身から冷や汗がぶわっと出た感覚はしたが、一瞬後に水中に入ってしまったために何も分からなかった。僕の華奢な身体は予想通り、急流にほとんど無抵抗で運ばれていった。こうしてこの日、実はこれまで何度もチャレンジしては踏み切れず失敗していた僕の自殺計画が、偶然によって初めて成功に至ったのだった。

 ……もっとも、結果的には僕は助かってしまったのだった。というわけで、これから、その助かったあとの話をしようと思う。ちょうどこれが夏休み初日のことで、話の内容はちょうどその夏休みいっぱいだ。そのことが僕の人生に決定的な影響をもたらすことなど、少なくともこの時の僕はちっとも分かっていなかったが、衝撃的な体験ではあった。その話だ。
 遅まきながら僕は坂下コウノという。この時高校3年生だった。

コロポン ( 2011/09/15(木) 21:28 )