第一章
第五話 リンコの実力と新しい事務所

「フン!…くぬぬぬ!」
 ユキオは体をよじるが中々抜け出せない。アリアドスの糸は思った以上に強力のようだ。
 すると事務所の中に誰かが入ってくる気配がする。
「フー!!」
 ニャースは動けなくても警戒し始める。
「落ち着けニャーコ。そこに誰かいるのか?すまないが身動きが取れなくてな、誰でもいいから助けてくれないか?」
 するとこちらに気づいたのかゆっくりと近づいてくる影。
 窓から差し込む月明かりに照らされたのは、人ではなくポケモンだった。

「もしかしてさっきのポケモンたちの仲間か?」
 首を横に振る。
「それじゃあ君は野生のポケモンか?」
 今度は首を傾げる。
「そうか。わたしは何も危害を加えたりしないから、ここから降ろしてくれないか?」
 少し考えるそぶりを見せてからこくりと頷き、糸を切る。

「助かったよ、ありがとう」
「ふにゃあ」

 お礼を言うと、大きな音とともに天井から埃が落ちてくる。

「リンコ君、派手にやっているな。ところで君は…ん?」

 振り返ると部屋には何の気配もなく、ポケモンの姿も消えていた。

 ―――

「メタグロス、バレットパンチ!」

 リンコの指示でメタグロスは文字通り弾丸のような速度で移動し、ヌオーの体に拳が深々と突き刺さる。するとヌオーはそのまま倒れ込みそして動かなくなった。
 2階でリンコたちを強襲したポケモンは次々と倒されていき、そして今最後の1匹が戦闘不能になった。たった1体で連戦を繰り広げたメタグロスだが疲れを見せる様子はない。

「驚いたよ。まさかこんなに強いトレーナーを連れてくるとはねぇ」

 その言葉にリンコは違和感を覚える。彼女の言う通りなら、自分たちが誰かに頼まれてここに来たことを知っていることになる。
 もしかすると自分たちは騙されているのではないか。不審に思った彼女は交渉を持ちかける。

「もう終わりにしませんか?私とあなたの力の差は歴然、これ以上やっても意味はありません。それよりも私たちを連れてきたと仰っていましたが、我々の依頼人に何か心当たりがあるのでは?」
 老婆はヒヒっと笑うばかりで答えようとしない。
「そいつが知りたければこの子たちに勝ってからにしな。さあ、お前たち出番だよ!」
 そう言うと老婆はモンスターボールを2つ投げる。

「ゲコ…」
「ロゼ」

 中からハスブレロとロズレイドが出てくる。特にロズレイドの方は今までのポケモンとは雰囲気が違い、メタグロスを前にしても少しも動じる様子がない。
 どうやらこのポケモンが彼女のエースのようだ。

「さ、あんたももう一匹出しな…。最後はダブルバトルとしゃれ込もうじゃないか?」
「後悔しても知りませんよ?…ペリッパー!」

 リンコが呼び出すとペリッパーは元気よく空を飛び回り、やがてメタグロスの隣に着地する。

「速攻!メタグロスはバレットパンチ、ペリッパーはエアスラッシュ!」
 リンコの指示で動き出すが、突如メタグロスの前に現れたハスブレロが顔の前で手を叩き、その衝撃でメタグロスは動かなくなる。

「ねこだまし…そぉれぇかぁらぁ…」
 いたずらが成功した子供のように老婆は笑う。

「しびれごな!」
 ロズレイドはメタグロスに近づき両手の花弁から粉を吹きかける。

「ゴ、ゴゴ」
 メタグロスの動きが鈍くなる。
 ペリッパーはロズレイドに狙いを定めるが、踊るようなステップでかわされてしまう。

「そっちのゴツいのは厄介だからね、まずはあんたから仕留めさせてもらうよ。ハスブレロ、にほんばれだよ!」
 ハスブレロが祈るようなポーズで手を合わせると暗い空に小さい球体が飛んでいき、屋上一角だけを野外ステージのように照らし出す。

「さあ準備が出来た。お次はロズレイド、お前さんだよ。ウェザーボールをお見舞いしておやり!」
 ロズレイドは胸の前で花弁を合わせエネルギーを凝縮させていく。
 技の名の通りみるみるボール状に形成されていくそれは、にほんばれの光を浴びて燃え始める。
 そして溜まりきったエネルギーをメタグロスに打ち出した。
 着弾とともに足場まで燃え広がり、炎の中にいるメタグロスが見えなくなる。

「ヒヒヒ、さあ後はペリッパー1匹」
 既に勝ち誇る老婆だが、それでもリンコは顔色を変えず、眉一つ動かさない。

「ふぶき」

 彼女が小さく呟くと、冷気を纏った暴風が突如巻き起こる。その激しさに近くの電線はたわみ、壊れたドアが天高く巻き上げられる。
 老婆は溜まらず身を屈める。
 風が止んだことを確認し杖をついて立ち上がると、彼女は目を丸くした。
 目の前にはスケートリンクのように凍り付いたフィールドとハスブレロの氷像が出来上がっている。
 ロズレイドは何とか堪えているが立っているのがやっとのようだ。

「言ったはずですよ、後悔しても知らないって。メタグロス、バレットパンチ」
 ロズレイドにはもうメタグロスの渾身の一撃を避ける力はなく、マネキンのように軽く吹き飛ばされフェンスに叩き付けられてしまった。

「そんな、確かにメタグロスはウェザーボールで…」

 先ほどまで4体のポケモンを相手にし、今またしびれごなで動きを封じ弱点を突いたにもかかわらず、平然と立ち上がっているメタグロスに老婆は更に驚愕する。

「相手の力を見抜き的確に弱点を攻めてくる戦術、そしてポケモンたちのコンビネーション。確かにあなたのバトルには目を見張るものがありましたが、私にはそれが日常だったんです」
 今まではね、と付け加えるリンコ。

「…どうやら私の完敗らしいね」
「どうしてこんなことを?」
「ああ、それはね…」

 すると誰かが階段を駆け上がってくる音がする。

「やっと追いついた。…ん?何だか寒いな。リンコ君の言う通り今夜は冷え込むようだ」

 屋上にたどり着いたユキオは肩で息をしている。そしてリンコを見つけると足早で詰め寄った。

「こら!所長を置いてきぼりにして!まったく…あのポケモンがいなかったら、わたしは今もあの椅子に張りつけだったんだぞ?」
「ごめんなさい所長、すっかり忘れていました。それより、他にもポケモンが残っていたんですね」
「…依頼が完了しても、君の取り分は無しだな」
「え?」
「ところで怪物退治は出来たのか?」
「見ての通り、怪物というかおばあさんとバトルを少々。それで今から事情を聞こうと思いまして。というか所長、報酬無しって…」

 ユキオたちが話していると、さらに階段を駆け上がってくる音がする。
 まだポケモンがいたのかと二人は身構えるが、現れたのは昼間の老人だった。

「ばあさあぁーーーん!儂が悪かったー!!!」
「じいさん!やっぱりこの子たちはあんたの差し金かい!」

 ポカンとするユキオとリンコ。

「…取り敢えず、詳しく聞かせてもらいましょうか?」

 ―――

『はあ…』

 思わずため息をつくユキオたち。

 話を聞くと実に下らなかった。
 元々この二人は夫婦で、大手建築会社の会長とその夫人。
 最近経営を息子に任せて悠々自適な暮らしを送っていたが、旦那がポケモンコンテストに夢中になり、若い女性コーディネーターの写真集まで集め始めたのがそもそもの始まり。浮気だなんだと難癖をつけ、旦那と大喧嘩をしたらしい。結局夫人が旦那を完膚なきまでに叩きのめし、営業所として使っていたこのビルでプチ家出をしていたらしい。
 常日頃から夫人に頭が上がらずトレーナーとしても未熟だった旦那は、謝ろうにも彼女のポケモンたちに追い返されてしまい、仕方なく腕の立つポケモントレーナーを捜し始める。
 しかし、若い頃トレーナーとしてならしてきた彼女のポケモンたちに敵う者は中々現れず、彼らの証言と相まって噂が噂を呼び、現在の怪物騒動にまで発展してしまった。
 そこで彼はその噂を逆手に取り、今回ユキオたちに依頼を持ちかけたというわけだ。

「つまり、ただおばあさんに謝るチャンスが欲しくて利用したとそういうわけですか?」
 ジト目の彼女に老人は縮こまる。
 その姿に最初に会った時の風格は見当たらない。

「どうして息子さんに話さなかったんですか?警察だって事情を話せば動いてくれたかもしれないのに」
「息子は呆れて相手にしてくれないし、警察に頼むのは…その、恥ずかしくて」
 情けない声を出す老人にリンコは肩をわなわなと震わせる。

「り、リンコ君?」
「すまん!ばあさんも許してくれ!このとーり!」

 猛烈な勢いで頭を地面に付ける老人。
 そんな旦那を見て、夫人もやっと熱が冷めたようだ。

「はぁ…もういいよじいさん。この子とのバトルも久しぶりに楽しかったし私も少し意地を張りすぎた。あんたたち、迷惑かけてすまなかったね?」
「…これからはもう少し仲良くしてくださいよ?」

 リンコは疲れた様子で苦笑いする。
 ユキオはよりの戻った夫婦の会話を邪魔しないように、リンコに近づき小声で語りかける。

「これで一件落着かな?リンコ君、お邪魔虫は帰るとしよう。それにこのビルも諦めた方が良さそうだ」
「え?だって今回の報酬は…」
「怪物騒動が解決したんだ。買い手が付かないような物件でもないし、縁がなかったんだろう。さ、今日は帰りに何か食べていこう。わたしは腹が減った」
「あんまり無駄遣いしないでくださいよ?」

 あれだけ拘っていた事務所を簡単に諦めたことに拍子抜けするが、彼がそう言うのならとリンコも素直に付いていく。

「お待ち!」

 婦人が2人を呼び止める。

「じいさんから話は聞いた。この老いぼれたちのために街中駆けずり回ってくれたそうじゃないか。そんなあんたたちを手ぶらで帰すわけにはいかないよ」

 2人は恐る恐る振り返る。

「どうせ今回のようなことでもない限りここは使ってなかったんだ。あんたたちが好きに使いな。なに、お金のことなら心配入らないよ。家賃も土地代も要らないさね」
「そ、それじゃあ…」

 ユキオは期待を込めて聞き返す。

「これでいいだろ?じいさん?」
「ああ、もちろんだ」
「や…やった、やった…やったあ!!ついにやったぞリンコ君!」
「ちょ、ちょっと所長!…もう、フフッ。おめでとうございます、やりましたね?」

 思わずリンコに抱きつくユキオと驚きながらも抱きとめて喜びを分かち合うリンコ。
 老夫婦はそれを微笑ましく眺めていた。

 ひとしきり喜んだところでユキオは老夫婦に向き直る。

「そう言えばおじいさんにおばあさん、あなた達どちらかのポケモンにお礼を言いたいのだが。2階でぐるぐる巻きにされたわたしを助けてくれたポケモンがいたからな」

 その言葉に二人は首を傾げる。

「おや?私らのポケモンはここにいるので全部だよ?」

 するとユキオの隣でドサッと倒れる音がする。

「…リンコ君?リンコくーーーん!!」

―――

「さて、これからバリバリ難事件を解決していくぞ!」
「ニャー!」

 事件から3週間。
 ユキオはお気に入りの椅子に腰掛けてニャースを膝に乗せてグルグル回る。
 ツボツボは日の当たる場所を見つけ昼寝をしているようだ。

「所長、まずは依頼が来ないと」

 楽観的な上司にツッコみを入れながらクスクス笑うリンコ。
 そんな彼女にユキオは回るのを止め、少し真剣な表情をする。

「リンコ君、改めてありがとう。これからもよろしく頼むぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
「ウニャア!」

 大都会コガネシティ。
 コガネ百貨店と繁華街を抜け自転車屋の角を曲がり少し歩くと、石畳の通りが綺麗な番地に出る。
 そこに一件の事務所がオープンした。
 屋上の看板には大きくて可愛らしい肉球スタンプと『招き猫探偵事務所』の文字。

 1階の入り口のドアには手書きのポスターが一枚。

 −失せもの・探し人・浮気調査に殺人事件。あなたの悩みを解決します−
 −どんな小さな悩みもご相談ください−

 下手っぴなニャースのイラストと一緒にそう書かれていた。


■筆者メッセージ
バトルの描写は苦手です。
ハイライト ( 2018/02/01(木) 14:51 )