第一章
第四話 怪物の正体

 午後9時、街の中心街から一本はずれた場所にたたずむビルの周りは静かなものだ。
 時折、街の喧噪やクラクションの音が遠くから聞こえてくる。

「まずは1階を調べよう」
「コワクナイ…コワクナイ、コワクナイ…私はリンコ、強い女。幽霊がなんぼのもんじゃい…頑張れリンコ、負けるなリンコ。あなたは強い…..あいあむ、すとろんぐりんこ…」
「リンコ君?」
「ひゃっ!でゃいじょーぶです!」

 挙動不審のリンコの手を引きながらガレージの方へ向かい、バシャーモの手を借りてシャッターを開ける。
 大きな音とともにガレージが口を開け、向かい側にあった街灯の光がうっすらと中を照らす。
 すぐに身構えるユキオとバシャーモだったが中には何の気配もなく、懐中電灯で照らしても古い木材と段ボールが転がっているだけだった。
 ガレージの中にある個室は、工具箱が机の上にあるくらいで中には誰もいない。
 さらにその部屋の奥のドアも裏口と非常階段があるくらいで変わった所は見当たらない。

「なんだ、何もいないではないか。足跡でもあれば何かの手がかりになったというのに」
 そう言いながら再び入り口へ戻るユキオ。

「おーいリンコ君、ここには何もなかったぞ。…リンコ君?」

 彼女はバシャーモの陰に隠れ、ディグダの様に顔を出したり引っ込めたりしながら恐る恐るこちらを見る。

「所長、大丈夫ですか?呪われたりしてませんか?」
「バシャ…」

 これにはさすがのバシャーモも少し呆れている。

「呪いなんてあるわけないだろう。さっさと上の階に行くぞ!バシャーモ、リンコ君を引っ張ってきなさい」
「や、やめてバシャーモ。お腹が、お腹が痛くなってきたの!いたた…いたたたた!」
「そうか、それじゃあ朝一番に病院に連れてってやる。それに必要ならビルのトイレで用を足せばいいだろう」
「絶対嫌です!」

 リンコの必死の演技もむなしく、自分の相棒に引きずられながらガレージの側にある玄関へと向かっていく。
 ドアを開けると大人二人がすれ違えるほどの幅広い階段が続いていて、途中に踊り場が1つある。
 ユキオは手すりや壁を調べるがここにも特に異常はない。
 しかし、時折首筋や手首に違和感を覚える。
 そのことをリンコに伝えると彼女はさらに縮こまり、バシャーモの背中にしがみついた。

 最初の階段を上りきり、2階へ到着する。
 電気は通っているらしく、明かりを付けると広いオフィスが広がっていた。
 大きなワンフロアをいくつかの壁で仕切り、一番開けた部屋は大きめのソファと長いテーブル、窓を背にするようにリクライニングチェアと大きめの机がセットされている。
 ユキオはその席に向かって当然走り出し、椅子に飛び乗ったかと思うとボールから出したニャースを膝に抱きグルグル回転する。

「素晴らしい!リンコ君、この事務所が手に入った暁にはここは私の特等席とする!所長だから当然だな!」
「にゃんにゃー!」

 はしゃぐ彼らをリンコはビビりながら説得する。

「しょ、所長やめてください!勝手にあがりこんでそんなことすると、おばけが…呪いが…」
「リンコ君、さっきも言ったように呪いなんてものは…あれ?」
「うにゃ?」

 彼が回っていた椅子は急に勢いをなくしていき、部屋全体を見渡せる位置でピタッと止まった。 
 ユキオはさらに自分の異変に気づく。
 体が全く動かない。

「所長?どうしたんですか?」
「来るなリンコ君!この部屋に何かがいる!」

 その言葉にバシャーモはいち早く臨戦態勢を取る。
 すると急に部屋の電気が消え家具がガタガタと音をたてて宙に浮き、さらに煙のようなものが視界を遮る。四方八方から耳をつんざくような音が鳴り響き、どこからともなく現れた黒い影が3つの目を光らせながら宙を飛び回る。

「いやあぁぁーー!」

 リンコはパニックになり、耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
 バシャーモは主人を庇うのに精一杯で、反撃しようにも主の指示なしではどうすればいいか分からない。

「落ち着けリンコ君!リンコ君!」

 ユキオの声はリンコまで届かない。なんとかしたいが自分もニャースも身動きが取れない。

「ポケモンの仕業であることは間違いないのだが…っ!バシャーモ、ボールだ!リンコ君にモンスターボールを見せろ!」

 彼の言葉に反応したバシャーモはリンコが腰にセットしていたボールを掴み、もう片方の手で彼女の肩に軽く爪を立てた。

「痛っ!今度は何!?」

 思わず痛みで顔を上げると、鼻先にモンスターボールを突き出される。

「リンコ君、幽霊なんかいない!これはポケモンバトル、君の出番だ!」

 リンコはハッとし、バシャーモと一緒に立ち上がる。

「ありがとうございます、おかげで助かりました。所長はそこで見ていてください」
「うむ、頼んだぞ?」
「ご安心を…行くわよ、バシャーモ!」
「シャアッ!」

 その様子に飛び回っていた家具も得体の知れない何かも一瞬動きを止める。
 リンコはその隙を逃さなかった。

「そこよ!バシャーモ!」

 バシャーモはリンコの指示で真っ暗な部屋の隅に飛びかかるが、寸でのところでかわされてしまったようだ。
 その後もバシャーモは襲いかかる家具を回避しながら陰を追いつめるが、中々捕まえることができない。それどころかバシャーモの動きはどんどん鈍くなっていく。
 しかし、リンコは焦らない。

「バシャーモ、一度戻って!」
 主人の呼びかけにバシャーモは戻ろうとするが、彼もまたユキオと同じように身動きが取れなくなってしまう。
「グ、グガ…」
 子供のユキオだけでなく、炎と格闘タイプを併せ持つ力自慢のバシャーモまで身動きがとれなくなったことでリンコの予想は確信へと変わる。

「バシャーモ、ブレイズキック!」
 バシャーモが脚に炎を纏うと、ブチブチという何かが切れる音がする。

「やっぱりね。それじゃあ今度はペリッパー、ムウマ出てらっしゃい!」
 リンコはモンスターボールを2つ取り出しさらにポケモンを繰り出す。

「ペリッパーは吹き飛ばし、ムウマはトリックルームよ!」
 リンコの指示で部屋の中に大きな風が吹き荒れ、部屋の空間が一瞬ねじれる。
 部屋全体を覆っていた黒い靄が消え去り、月明かりが差し込む室内にはポケモンがいる。

「所長、見てください」
「まさかこんなにいたとはな」

 そこにはバシャーモと対峙するアリアドス、部屋の陰や机の下から這い出てくるヌオーとジュペッタ、天井近くを漂うレアコイルと棚の上のヨルノズクはこちらをじっと見つめている。

「どうやら入り口からアリアドスの吐く糸をたぐり寄せてしまい、部屋の中に進むほど雁字搦めになるトラップだったようですね。ヌオーのくろいきりで視界を奪い、ヨルノズクのねんりきとレアコイルのフラッシュが怪奇現象と怪物の正体です」

「素早く動く陰というのは?」
「おそらくアリアドスでしょう。トリックルームが展開されていればバシャーモが遅れをとったのも頷けます」

 まさにポケモンバトルに精通している彼女ならではの推理だった。

「きっとこうして恐怖心を煽り、トレーナーたちを追い返していたんでしょう。でも、種が割れてしまえばこっちのもの。彼らを対峙すれば依頼は完了ですね」
「なるほど!それにあの酷い音もポケモンの技なら説明がつく。しかし、あの一瞬でトリックルームまで見破るとは恐れ入ったぞ」

 照れるリンコを他所にジリジリとポケモンに詰め寄るバシャーモたち。
 するとヌオーが『くろいきり』を吐き出し、逃走を図る。一瞬の隙をつかれたため反応が遅れ、ポケモンたちはまんまと出口へ辿り着いた。
 建物を出ることなく上の階を目指す彼らをリンコはあわてて追いかける。

「…リンコ君、まずは私を椅子から降ろしてくれないか?」
「うにゃ…」

 取り残された彼らの独り言は、薄暗い部屋の中に消えていった。

 ―――

 屋上には逃げたポケモンたちが集まり、レアコイルが自慢の磁力でドアを固く閉める。
 すると一人の老婆が陰から姿を現した。
 白く長い髪をお団子にし、顔には眼鏡をかけている。腰はブロスターのように曲がっていて杖をつきながら歩いている。
 そしてシワシワの手でポケモンたちを優しく撫で始めた。

「おやおや、あんたたちが逃げてくるなんて初めてのことだね」
 彼女はポケモンたちに傷がないことに気づき、戦わずに逃げてきたことを理解する。

「どうやら並のトレーナーじゃないらしいね。気にすることはないよ、わたしゃ怒っちゃいない」
 項垂れる彼らを慰めながら入り口に目をやる。
 するとコンコンと戸を叩く音がする。レアコイルは驚くが扉に展開した磁力を緩めようとはしない。
 するとドアの向こうの音が止む。

「ピピ?」
「…そこにいると危ないよ。あんたも早くこっちにおいで」

 ドアから離れようとした次の瞬間。爆音とともに扉は吹き飛ばされ、レアコイルはフェンスにぶつかる。
 扉を失った部屋からは固そうな爪を生やした無骨な青い腕が伸びている。
 その横をゆっくりと歩きながら、メタグロスを従えて姿を現すリンコ。

「…ずいぶん荒っぽい登場だねぇ?」
「ノックをしたけど、返事がなかったものですから」

 彼女は目を回してのびているレアコイルを見る。

「これは立派な不法侵入だよ?」
「許可は取りました。おかしな幽霊騒動もここまでです。さっさと出て行ってくださる?」
「ここは私の家だよ。出て行かせたかったら…」
「そうですか。...しばらく休業するかと思ったけどそんなこと言ってられないみたいだし、これまで散々な目に遭わされた借りも返さないと。…いいでしょう」

『ポケモンバトルよ(じゃ)!』


ハイライト ( 2018/02/01(木) 14:51 )