第一話 ファーストコンタクト
ジョウト地方自然公園。コガネシティの北に位置し、自然をそのまま残す形で整備された敷地は、虫取り大会が行われるほど広大で普段も人々の憩いの場となる美しい景観が人気のスポットだ。
そんな名所の片隅にいる一人と一匹。
「ニャーコ、今日はいい天気だし依頼人が来るかもしれないぞ?」
「ニャン!」
返事をするように、元気よく頷くニャース。
ユキオはベンチに座り、段ボールで作った手製の看板を立てかけ、オレンの実を半分にしてニャースと食べる。
結果からいってユキオの探偵事務所開業は失敗だった。
初等教育で義務教育が修了するため、子供たちは小学校さえ卒業してしまえば大人の仲間入りができる。
アルバイトもできるし、会社の正社員にだって法律が制定されてから現在までの長い歴史をたどれば、ごく僅かだが前例がないわけではない。
健康面から飲酒ができない、身体能力的に自動車免許は18歳以上などある程度の制約はあるが、おおよそのことは大人たちと同じ権利を持つことが許される。
しかし、働けるといっても起業となれば話は別だ。運営するための資金は必要だし、年端もいかない少年少女相手にお金を貸す銀行もない。
法律上は無理ではなくても、小卒の子供が一から会社を建てるには強力なバックアップと大人の補助が必要不可欠だった。
世の中お金が全てじゃない。そう称える人も多いが、現実は金が全てだ。金がなければ物も買えないし、病気も治せない。
事件が多そうだからという理由だけで選んだ大都会コガネシティは、ユキオに現実の厳しさを教えた。
店舗を貸してもらおうと思っても子供の冷やかしだと相手にしてもらえず、借りるにしても金が必要だと言われ、銀行で事情を話すと親を連れてこいと鼻で笑われ帰らされてしまった。
それでも彼は少しも落ち込まず、薬局から失敬してきた段ボールで自然公園をねぐらに無理矢理開業に漕ぎ着けた。
その名も『まねきネコ探偵事務所(自然公園営業所)』
日中は街に繰り出し街頭で首から看板をぶら下げ道行く人に声をかけ、夕方になると森で木の実を探して、夜は眠くなるまでいつくるかわからない客を待つ。
その姿はまるで秘密基地を作る子供か、物乞いする乞食のようにしか見えなかった。
こんなおかしな子供に寄り付く人などいるはずもなく、たまに声をかけるのは酔っぱらいくらいのもので、巡回中の警察官には初めてあったときに補導されかけたため、隠れるようにしている。
そんな浮浪者同然の生活をし始めて二週間が過ぎようとしていた。
最初の3日で持っていた食料が底をつき、そこから一週間で財布も殆ど空になってしまった。
もちろんその間依頼はなし。代わりに最近始めた公園のゴミ拾いや街のボランティアのお礼で食べ物にはあまり困らなかったが、彼の理想とする探偵像からは大きくかけ離れていた。
「しかし、このままではいかんな。人の役には立っているが探偵とは違う気がするし、そろそろ洗濯しないと依頼があっても客が寄り付かなくなってしまう。だが、服を洗おうにもお金がない。」
顎に手を当てて考えていると、心配そうな顔でニャースが見上げている。
「心配するなニャーコ。...そうだ!こんな時こそ奴の出番ではないか!」
思い出したように鞄を弄りモンスターボールを取り出す。
「出てこい、ツッツン!」
かけ声とともに足下にボールを投げると青白い光を放った後、穴の開いた固そうな殻からニョロッと顔を出すポケモン、ツボツボ。
それも一般的な個体と違い、甲羅の色が青い。
タンバを旅立つ日、最後の思い出にと海岸でニャーコと遊ぶことにしたユキオ。砂の上で踏ん張りが利かず、あらぬ方向に飛んでいったサッカーボールを追いかけたニャーコが代わりに転がしてきたのが彼だった。
ツボツボ自身も何が起こったか分からない様子だったがお詫びに木の実をあげると、そのまま船まで付いてきたのでせっかくだからゲット。
「ついにお前が活躍する時が来たぞ!」
「ツボ?」
のんきな彼には伝わっていないようだ。
「今の私たちには、お前の力が必要だ。」
ツボツボはそれでも首を傾げる。
「前に木の実をあげたとき、おいしいジュースにしていたな?初めてだから驚いたが、あれは素晴らしい味だったぞ!」
「ツボ!」
褒められたのが分かったのか、少し得意な顔をするツボツボ。
「そこでだ!お前に色んな木の実をジュースにしてもらって、それを街で売ってお金を稼ごうと思う。幸い木の実には困らないし、お金ができれば不動産も銀行も考えを変えるだろう!」
「ニャア!」
「ツボ!」
なるほど、といった具合に相づちをうつ2匹。
「そうと決まれば入れ物を探さなければ。ゴミ箱のはばっちいし買うお金もない。・・・そうだ!コガネ百貨店なら商品開発に協力してもらおう!あれだけ美味いんだ。飲めばきっと納得するはずだ!」
そこまで言うと照れだすツボツボ。逆にニャースは少し不満そうな顔をする。
「そう怒るなニャーコ。お前が拾ってきてくれる物だってとても役に立ってるぞ?この金色の塊はよくわからないがな。鞄にの中にゴロゴロ入っているからそろそろ使い道を見いださないとな」
そう言いながら抱き上げると嬉しそうに彼女は喉を鳴らし始める。
「そうと決まればお昼は休業だ!さっそく百貨店に行くぞ!」
ユキオは二匹の小さな相棒を連れ、元気よく街へ繰り出す。
ーーー
ユキオが出かけて4時間、日も沈んだ自然公園。人気のない噴水近くのベンチにたたずむ一人の女性。
年の頃は20代後半で、橙色をした髪をショートカットに切りそろえ、清潔感のある整った顔立ちで、鋭さのある目つきは知的な印象を受ける。
黙っていれば美人の部類に入る彼女だが、現在口元をだらしなく開け天を仰いでいた。
「はぁ...」
元プロトレーナー、リンコは今日何度目かわからないため息をつく。
ホウエンリーグのプロトレーナーとしてある程度の成績を残していた彼女だったが、しばらくは勝てない試合が続き昨年ついに負ければ後がないという大切な試合で、一回りも小さな少女に敗北しそれが引退試合となった。
各地方に点在するポケモンリーグ。ポケモンバトルの総本山。
明日のチャンピオンを夢見る各地の猛者たちがひしめき合うプロリーグのバトルは、テレビでも高い数字を誇っている。
このリーグに挑戦するためトレーナーたちは各地を旅し、その地方が要するジムのバッジを8つ集め、そこでやっとプロテストを受ける資格を与えられる。
篩にかけられた一握りのトレーナーは、リーグが開催するペナントレースに出場し、勝利を重ねた真の強者だけが四天王とその先の頂点、ポケモンリーグチャンピオンへの挑戦権を得る。
だが彼らの強さは並のプロの比ではない。いくつもの修羅場をくぐってきたトレーナーとポケモンたちでも、大体一人目の四天王に弾き返されて終わる。
チャンピオンへの挑戦など、エキシビションマッチを除けば数年にあるかないかだ。
「どうして」
そう漏らしながら、モンスターボールを眺める。
彼女はフエンタウンで将来を有望視された才能豊かなトレーナーだった。
実際彼女はホウエンリーグにある2つの階級のうち一つ目をクリアし、2つ目の階級では挑戦権争いの常連となる活躍を見せる。
最高戦績は1部リーグ優勝1回、準優勝3回、四天王挑戦1回。
しかし、ここが彼女の限界だった。
初めての四天王戦は相手の2体を倒すのがやっとで、それ以降はリーグの優勝争いにも加われず、簡単に順位を落としていった。
スランプに陥った彼女は格下相手にも負けるようになり、1部リーグ最下位と2部リーグの優勝者との昇格戦で敗退し、限界を感じて自らの意思でリーグを去った。
それでも一度は諦めきれず、新天地での再起を図って乗り込んだカントー・ジョウトリーグでのバッジ集め。
ジョウト上陸初のジム戦はエンジュシティ。
結果は今の彼女の姿が物語っている。
「どうして...」
そう呟きながらモンスターボールを見つめていると、先ほどのバトルがフラッシュバックする。
次々に倒されていくポケモンたち。
どんなに戦略を立てても思い通りに戦えない。
どうしても勝ちたい。そんな気持ちだけが先走り、ポケモンたちに思うように指示が届かず惨敗を喫した。
どの地方でプロになっても、一度プロになったトレーナーに対してジムリーダーたちは手を抜かない。
彼らは各タイプのプロフェッショナルとして、ポケモンバトルの相性や戦術、その奥深さを学ばせるためにトレーナーたちの登竜門となり、そしてトレーナーとしての姿勢や心構えを説く指導者としての役割を担っている。
弱いトレーナーでは務まらない職業なのだ。
本気の彼らの実力は、バッジを集め終えて調子づいた新人のプロトレーナーなど簡単に打ち負かしてしまうこともある。
「どうして勝てないんだろう」
何度も繰り返し呟いていると、視界が滲んでくる。
プロの世界は厳しい、そんなことは彼女も十分理解していた。だからこそ、ポケモンたちのトレーニングには余念がなかったし、戦術の研究も欠かさなかった。
それでも勝てない。何をしても空回りしてしまう。
酷いときには自分のポケモンたちに八つ当たりしてしまったこともあった。
いつしか彼女はバトルと勝利にしか自分の価値を見出せず、それができないのであればと、ある決断を迫るほど追いつめられていた。
「ごめんね。もっといいトレーナーに巡り会ってね」
そう呟きながら6つのモンスターボールを小さな箱に入れてベンチの下に押し込み、そのまま立ち上がろうとした矢先、こちらに歩いてくる少年と目が合った。
「(まずい!)」
そう思い、少年が通り過ぎるのを待とうとわざとらしく伸びをしながらベンチに座り直す。
しかし少年はどんどんと近づいてきて、やがて自分の前で立ち止まりニッコリと笑って大きな声で話し始めた。
「ようこそ!招き猫探偵事務所・自然公園営業所へ!」
これがユキオとリンコのファーストコンタクトだった。