プロローグ
白い砂浜、ゆっくりと流れる雲、そして静かに心地よいリズムで揺れる波。太陽の日差しは厳しいが、海の水はまだ冷たい。
夏の観光シーズンなら本土以上の賑わいを見せるタンバのビーチも、春先では静かなものだ。
そんな地元の人間しか寄り付かない寂しい砂浜を歩く一人と一匹。
少し癖のある黒髪と、気怠そうに半開きになった瞼から覗く黒い瞳の少年。腰にはモンスターボールが1つセットされていて、時折砂に足を取られながらとぼとぼと歩いている。
少年がちらりと足下に目をやると、ふにゃあとのんきな声が返ってくる。
声の主は、化けネコポケモン・ニャース。
初めて出会ったとき、彼女は傷だらけで今にも息絶えそうだった。
急いでポケモンセンターに連れて行って大事にはいたらなかったが、それから妙になつかれて現在に至る。少年のつけたニャーコという名前も気に入っているようだ。
ポケモンセンターでトレーナーカードが発行されたばかりのその日に出会ったのだから、運命だったのかもしれない。
しばらく歩くと海岸の端に岩場があり、そこには彼が見知った顔が7、8人。岩の上で話しこんでいる。
「やあやあ、遅れてすまない」
彼は最後に到着したようで、座り心地の良さそうな平べったい岩に腰掛け胡座をかいた。ニャースはその上で丸くなり喉をゴロゴロと鳴らし始める。ここは彼女の特等席だ。
それから一番大きな岩に座っていた少年が周りを見渡し、大きく頷いて話し始める。
「よし、これで皆揃ったな!今日はこの海岸で思い出作りをしよう!」
タンバのような小さな町の学校は生徒数も少ない。同級生はとても貴重な存在だ。
そんな数少ない友人たちとももうすぐ離ればなれになる。
彼らは卒業式を数週間後に控えている。タンバの子供たちは初等教育を修了すると、その多くが一度は本土に渡る。理由は様々だが、多くはポケモントレーナーとして自分の目標や夢を実現するためである。
そんな自分たちに残された時間、最後の最後まで楽しもうと最近は毎日のように遊んでいる。
学校を卒業すればこの砂浜や友人たちともしばらくお別れだ。少年はそんなことを考えながらニャースの頭を撫でていると、友人の一人が切り出した。
「今日は皆の夢を話さない?もうすぐ卒業だし、皆は将来何になりたいんだ?」
そういうと皆は口々に自分の夢を語りだす。
「俺は旅に出るぞ!そしてバッジを集めてプロのトレーナーになるんだ!」
「私はコーディネーター!何なら今サイン書いてあげようか?」
他にも学校の先生や、医者になるために本土の私立学校に行くなど話はどんどん盛り上がる。
そこで少年も、ここは自分の夢を語り友人たちから熱いエールを受けようと話の輪に入る。
「うんうん。皆、素晴らしい夢を持っているな。きっと叶えられるはずだ。だが、わたしの夢も皆に負けず劣らず素晴らしいものだぞ?何せわたしは・・・」
「あ、いーよお前の夢は。皆知ってるし」
およそ子供に似つかわしくないしゃべり方をする少年は自分の話だけを遮られたことに腹を立てる。
「なんだと!たかだか6年間の付き合いで私の何を知っているというのだ!そもそも、今まで誰にも話したことのない私の壮大な計画をこの機会に皆に語ってやろうというのに」
むすっとした表情の彼を尻目に他の子供たちは、いつものことだと気にした様子もない。
そして、そこにいた全員が少年を見て話しだす。
「だってさ」
「ユキオ君て」
『探偵になりたいんでしょ?』
皆が口を揃えて言った。
ーーー
あの時の衝撃は今でも忘れない。学校から帰ってテレビをつけると、昔のドラマの再放送がやっていた。
『探偵マイナン』
ぼさぼさ頭に電球の付いたハンチング、くわえ煙草というスタイリッシュな風貌の主人公、探偵マイナン。美少女アイドルという素性を隠し、助手として転がり込んできたプラス・ルゥ。
どんな難事件も小さなヒントから解決の糸口を探し、事件のトリックと犯人が分かると帽子の電球が光る。わたしにはその姿がどんなポケモンリーグのチャンピオンよりもかっこ良く見えた。
それからわたしは一気にテレビに釘付けになった。放送時間をチェックし、毎日欠かさずビデオに撮って3回は見た。
シリーズ3作目から登場するライバル、怪盗ズバットとのやりとりは名作と言っても過言ではないだろう。こんな作品が自分が生まれる前に放送していたと知らず、もっと早く生まれたかったと後悔したこともあった。
それから見るだけでは満足しなくなり、格好や話し方まで変えた。
友人たちからは共感を得られなかったが、代わりに探偵の真似事をして探偵の素晴らしさを伝えることに夢中になった。
タンバシティの難事件は殆どわたしが解いていると言ってもいいだろう。
そして密かに心に決めていたジョウト一の...いや、世界に名だたる名探偵になろうという野望をこの機会に発表しようというのに。
「な、なぜ皆それを知っている!」
なぜ彼らは自分の夢を知っているというのだ。
「見ればわかるよ」
ため息をつきながら答える友人に周りも頷く。
「見ればだと?だ、だったら証拠を見せてみろ!」
そうだ、証拠だ。推理物には欠かせないミステリーの鉄則。素人の皆きっと当てずっぽうで言ったに違いない。
「毎日虫眼鏡持ち歩いてさ」
タダシ君、探偵といえば虫眼鏡だ。ドラゴン使いといえばマント、カレーといえば福神漬け並にセットなのだ。
「近所のおじさんコソコソ追いかけ回してさ」
ミツオ、あれは怪しい顔だった。いずれ犯す犯罪を私が食い止めてやったというのに。
「あれ、うちのとーちゃんだよ!家の前まで付けられたって大の大人がビビってたよ!」
なんと、タンバの男がだらしない。
「それから、ただ海見に来ていた観光客にも変なこと言って」
ナナちゃん、変なことではない。きっと事件だ、わたしの勘がそう告げていたのだ。
「どうして写真撮りにきた人が、自殺するように見えるの!?」
確かあのときは、きっと本土で殺人事件を犯してこの島から高飛びしようと目論んだけどタンバの海の美しさに心を奪われ、自分の罪の大きさに気付き、その重圧から逃れようとしたけどせめてこの海の写真と一緒に海の藻くずになりたいと思っていた女性の自殺を止めたはずだが。
「想像力だけはプロ並みだよ!もうそれ探偵じゃなくて脚本家だよ!」
「それから、この間の将来の夢って言う作文!」
それがどうしたというのだ、転校生のダニエル。あの時は探偵という言葉は使わず、しかし自分の心に嘘は付かずに上手くごまかしたはずだが。
「浮気調査する人って何!?あの日家庭訪問あったのユキオ君だけだよ!」
妙に先生が優しく、母が厳しかったのはそのせいか。
「それに、ユキオ君がおかしくなるのは決まって探偵マイナンの再放送があった次の日なんだよ!」
失礼だぞ。わたしはおかしくなどないし、あれは私のバイブルだ。
これは今一度説明する必要がありそうだな。
「百歩譲ってわたしが探偵を目指していることは認めよう。しかしだな、この夢にたどり着くまでには壮大なプロセスがあり...」
「もういいよ、その話し方も自分のこと私っていうのも、主人公の話し方真似でしょ?ドラマの話しだすとユーちゃん長いもん。しかも途中で帰ろうとするとニャーコは怒るし...」
見ると、先ほどまでおとなしかったニャーコが私の熱弁を遮ったヨッちゃんを睨みつけ唸っている。ニャーコは数少ない私の理解者だ。
しかし、このままニャーコに頼んで無理矢理理解を得るのはスマートじゃない。わたしの夢が勘違いされたままというのも癪な話だ。
ただただドラマの影響でかっこいいからなりたいという訳ではない。ちゃんとした理由がある。まずはそれを皆に理解してもらわなければ。
そう思って岩から飛び降り、皆に向き直る。
「確かに皆から見ればおかしな夢かもしれない。沢山のトレーナーの目標になる訳でもないし、華やかなステージにだって立たない。でも、探偵はいつだって困っている人たちの見方なのだ。どんなに小さなことでも助けを求める人たちに手を差し伸べられる。わたしはそんな探偵をかっこいいと思う!そしてそんなかっこいい人間を目指すんだ。...さあ、笑いたければ笑ってくれ」
そこまで言い切って肩で息をしていると、彼らは本当に笑い始める。何とも薄情な奴らだ。
「ごめんね?でも馬鹿にしてるんじゃないんだよ?」
「お前があんまりムキになるからおかしくって」
「ユーちゃんらしくていいと思うな、私は。正義感人一倍強かったもんね?」
「あたしが大切な人形なくした時は、外が真っ暗で泥だらけになっても見つけてくれたし」
「迷子のポケモンがいたら、引っ掻かれたりかじられたりしながら群れに返してあげたり」
「転校してきた僕が友達を作るきっかけになったのも、ユキオ君の探偵ごっこだった。」
「校長先生のカツラの秘密を暴いたのもユキオだったな!」
皆が声を出して笑う。
「俺たち皆、お前のことかっこわるいなんて思ってないよ?」
「みんな...」
「だからお尻に噛み付いたニャーコをどうにかしてくれ」
「ふぎゅあぁ!グルルル!」
ニャーコはいつもわたしの味方だ。
「こら、ニャーコ!それはモモンの実じゃないぞ。病気になる前に離しなさい」
「イタタタタッ!どういう意味だそれ!」
「でも、ユキオ君卒業したらどうするの?」
尻を尻目に訪ねてくる転校生のダニエル。
「決まっているだろ。海を渡り、大きな街で探偵事務所を開くのだ!」
「でも、私たちまだ小学生だよね?」
「よし、それではわたしの壮大な計画を聞かせてやろう!何、皆の心配も予測済みだ。まず、わたしが卒業したらだな...」
−−−
波の音、たゆたう雲。
それぞれの夢に思いを馳せる少年少女たちの冒険はまだ始まってすらいない。
くわぁ、と欠伸をする化け猫ポケモンが一匹。
時折彼らの言葉に耳を傾けながら、夢中で話す主人に寄り添い、胡座の中で丸くなる。