第二十六話-記憶と思い出
「記憶…、思い出したい…?」
リンはベットの上で上体を起こしているディーザに聞いた。外の天気は若干の曇りで、それに隠れた太陽は、空の真上に辿り着くにはもう少し時間の掛かる所にいた。
「えっ? そりゃ思い出せるに越したことないと思うけど…」
「そっ、そうじゃなくて…!」
リンの様子にその場の空気が一瞬固まる。リンは、しまった、という感じにも取れる顔をした。
「…どうしたの?」
「うん…」
リンは自分の考えを上手く表現出来る言葉を、絡まった糸を解くように探していた。
「そういえば、俺ってどうなったの?」
「え?」
「ほら、俺がローラにボコボコにされた後のこと」
「あぁ…、そこのことね…」
ディーザの質問で話の話題が変わり、リンの詰まっていた息がすぅーと抜けた。
「あの時は、ディーザが物凄い炎を使ってローラやリタイの手下…あいつらなんて言うのか忘れたけど、攻撃して倒したの。やっぱり覚えてないの?」
「うん。覚えてない」
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「ヘックシュ!」
「カロートどうした?」
「わかんねぇ。誰か噂してんじゃないか?」
「へぇーそうか…へっ、へクシュ!」
「ラーチもか?」
………………………………………
「その時のディーザ、ちょっと怖かった」
「そんなに?」
「ううん。怖かったけど、それがどうとかじゃないんだ。それにしても、あれってなんだったんだろうね?」
リンがうーんと考える素ぶりをする。不穏な空気さえあったそこには、いつの間にかいつもの二人が戻ってきていた。
「いや、俺に聞かれても…」
「そうだね。とにかく、ディーザが起きてくれてよかった。だって三日も寝てたんだもん」
「え、それ初耳なんだけど? 俺そんなに眠ってたの?」
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その日の夜。
「あー喉乾いたなー」
ふと喉の渇きで目を覚ましたディーザ。リンと、あの後戻ってきたローラは部屋にあったもう一つのベットで一緒に寝ていた。何でもディーザを運び込んだ時、部屋が二人用しか空いてなかったそうだ。
「あっぐ…、いて〜」
ディーザは飲み物を探すためベットから降りるが、その時の衝撃でまだ残っている締め付け痕に痛みを走らせた。
「こんなんになってたのか…。こりゃあしばらく安静だな」
ダメージを負っている自分の状態を確認したディーザは、今度は辺りを見渡す。
「おっ、冷蔵庫がある」
部屋の入り口から少しの所に備え付けの冷蔵庫を見つけた。ディーザはそれを音を立てないように静かに開けて中を覗いた。
「何かないかな〜?」
中にはここで調達したらしき食べ物類が入っていた。それを見ると、ここに来てから数日たっているというのが見て取れた。そんな中身を探したが、肝心の飲み物が見当たらなかった。
「(無いか〜…。あっ、水筒があった)」
静かに冷蔵庫の扉を閉め、ベットに戻ろうと向きを変えると、同じく部屋に備え付けられている丸いテーブルが視界に入る。その上にはディーザとリンの色違いの肩掛けバックが二つと、出しっ放しの水筒が置いてあった。
「これ、俺の水筒だから飲んでも大丈夫だよな」
(ガチ、ガラガラ…。カチッ、ジョロジョロ…、カチッ)
ディーザは徐に水筒を開けると、コップに水を汲み、それを飲んで一息ついた。音がない空間には、普段は気にならない水筒や喉を水が通る音が大きく聞こえる。
「まだこんな時間だし、寝るか」
ディーザは再びベットに戻り、瞼を閉じた。時刻は、月が空の真上を少し通り過ぎた頃だった。
………………………………………
「(ここです)」
「ここです、って言ったってな〜…」
「この渦巻きなに?」
「(えっ、またこれ?)」
ディーザはまたこの不思議な空間で、以前と同じやり取りを聞いていた。
「(この渦の向こうは、この世界とはまた別の世界です。この先に、ダイさんは向かいました)」
「(あれ? この前は名前とか聞こえなかったのに)」
神々しい声がダイという名を口にする。ダイとは誰なのか、そもそもこの現象はなんなのか、感覚や意識が前よりもはっきりしているディーザには疑問が多く浮上した。
「何だよそれ。もしかして俺達のこと騙してないか?」
「(そんなことはありません!)」
男の子が疑念を抱くと、神々しい声は、心外だ、とばかりに反論した。
「…すみません。取り乱してしまいました」
「お、おう…。別にいいけど…」
「行ってみようよ、面白そうだし」
「(行ってくれるのですか?)」
「この先に、ダイがいるんだな?」
「(はい。彼を助けに・・・そして、私達の世界を救いに・・・)」
「「行くよ!」」
前にも聞いた二人の決意表明。前に自分もしたことがあるような会話だな、ぐらいにしか思わなかったこのやり取りに、何故か今は親近感に似た感覚を覚える。スルー出来ない気持ちが出てくる。
「そうと決まったら早速行こうぜ!」
「わたしも!」
「(あっ、すみません! 一つ言い忘れていたことが!)」
「「えっ、何?」」
男の子と女の子は、その言葉を残して不思議な渦の中へと消えていく。
「(この説明だけはしておくべきだったのに…。しょうがない、後で話してわかってもらうしかない…)」
「(説明ってなんだろう…)」
声が止むと、突然目の前が白くなった。光に包まれたという表現とは違って、特に眩しかったり意識が遠のくとかではなく、シーンが切り替わるというような感じだった。
「(これって、もしかして夢なのか?)」
ディーザには会話をする声は聞こえるものの、目に映る映像はぼやけていて、詳しい様子までは見えていない。意識がはっきりしている今でこそ気づけるが、今、自分はベットで寝ているはずということを思い出し、これが夢であると断定した。
まもなくして、白が薄くなり、コバルト色の映像が浮き出てきた。
「何なんだ、ここは…?」
色だけではない。先程説明を聞きそびれた二人がそこにいた。しかし、存在が確認出来るだけで、容姿などはぼやけて見えなかった。
「綺麗…」
「綺麗…、だけど…」
女の子は気づいていないのだろうか。もしそうだとしても、男の子にははっきりと分かっていた。この感じたことのない違和感が、何かを起こそうとしているのを。それは、ディーザ自身が一番解っているような気がした。
「あれ…? なんか…、気持ち悪くなってきた…」
「おっ、おい、大丈夫か?」
聞くまでもなく、大丈夫でなかった。何故なら、大丈夫? と聞いた本人ですら、それと同じように吐き気や目眩を患っているからだ。そして、それに気づく頃には、熱っぽさや倦怠感まで併発していた。
「くっ…るしい…」
二人がその場に横たわり、意識を失う頃、ディーザの胸にも息苦しさがあった。そしてまた、辺りは白く染まっていく。今度は紛れもなく、眩しい光によるものだった。
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「夢……か…」
ディーザが静かに目を覚まそうとする。しかし、目を開けようとすると、登ったばかりの元気な太陽の光がそれを阻んだ。窓側とは反対の方を向き、ベットから降りて目を開ける。相方のベットを見ると、リンもローラもそこにはいなかった。
その少し前。
集会所のロビーでは、自動販売機のガタン、という飲み物が落ちてくる音が二回した。
「わたし、一つ悩みがある」
そう話すのはロビーのベンチに座ったリンだ。辺りはまだ暗くて肌寒く、他人の気配を感じることはない。そこへ、夜中の節電のために温い状態で出てきた缶を二つ持ったローラがその隣に座る。
「ちょっと温いですけど、どっち飲みます?」
「こっちがいい」
両手に一つずつ持ってリンに見せて聞くと、リンは自分から見て右側の缶を選んだ。ローラはそれを手渡し、もう一個の缶の蓋を開けて一口飲んだ。
「[知識の地底湖]の水なんだけど、ディーザに伝えるかどうか、迷ってる…」
手に持った缶の温度を確かめるように軽く握りながらそう言った。
「迷ってるって、何ですか?」
「昔の記憶が戻ったら、今のディーザはいなくなっちゃうような気がして…。それを考えると…、怖いの…」
手に持った温い缶を見つめながら話す。言い終わると、その後に凄くという言葉を付け加えた。それに対してローラは、そうなんですか、と返した。
「わたしが知っているディーザの記憶は、わたしとの出会いから始まってるの。昔の記憶が戻って、もし、わたしと出会ってからの記憶がなくってしまったら、わたしはディーザの中からいなくなることになる…」
リンは缶をギュッと強く握る。何かを堪えるように。
「きっと、大丈夫です」
「どうしてそう言い切れるの…?」
ローラはまだ半分以上残っている缶を自分の脇に置き、リンの冷たくなってきた缶の上に手を添えて言うと、リンはローラの目を見ずに呟いた。
「確かに無責任です。でも、こんなことしかうちには言えません。他に出来るとしたら、話を聞いてあげることしかないです。そんなうちの言葉ですが、もう一度言います。思い出はそう簡単にはなくなりません、大丈夫です」
普段ははっきりとものを言わないローラが、この時はリンを見てはっきりと言った。それを聞き、リンの缶を握る力がゆっくり緩んでいった。
「自信を持って…」
ローラが語気を少し弱くして、呟くように言う。
「話せて、よかった…」
リンは缶の蓋を開け、一気に飲み物を口に含み、喉に通した。
「ちょっと冷たくなっちゃったね」
「リンさん…」
含んだものを飲み込むと、そう言って顔を綻ばせた。ローラはそれを見て、残っていた自分の分を飲んだ。
「うちのも冷たいです」
ローラがそれを飲み干すと、そう言って小さく笑った。
二人の後ろにある小窓から、優しい光が入ってきたのは、丁度その頃だった………