第十三話-二人の秘密
半月が綺麗に輝く夜。雲も少なく、自然の多い場所には劣るが空気も澄んでいた。
その街、レーガシティにある図書館から目と鼻の先に建つ社宅は、二階建ての一般的なアパートだった。その一角にある六畳間の部屋に、ディーザ達はいた。そこには、夜の冷たさと重苦しさを含んだ空気が漂っていて、何と無く話すことが気まずい空間だったが、そこで意を決して、ディーザが口を開いた。
「リン、これ見てよ」
そう言うと、昼間に買ったあのテントを見せるために取り出した。
「これ買っちゃったんだ〜、いいでしょ?」
ディーザはなるべく明るい口調でと気をつけて話した。リンは辛うじて聞き取れる大きさの声で反応は示したが、何と言ったのかは分からなかった。ディーザは負けずに話を続ける。
「ほら、俺の尻尾は燃えてるじゃん? だから下手に寝ると火事なるからって気にして寝られなくってさぁー…」
返答を少し待ってみたが、今度は何も返ってこなかった。
「これさ、信じられる? 絶対に燃えないんだって。これで今日から安眠確保だよー」
ディーザはへへっと軽く笑った。そこで、リンはやっとディーザの方を向いた。その表情は至って普通だった。怒りや悲しみもなく、かといって、変に真顔なわけでもない、自然な顔だった。
「ディーザ、ありがとう」
小さく口を動かし、呟やいた。それを聞いたディーザは、唇を噛むように口を閉じた。
「今日、館長さんに謝れなかった。自分がいけないのに」
顔はディーザに向けられているが、目線は少し下を向いていた。
「何も出来なかった。ただ目の前で盗まれたの。そんな自分が…」
涙を堪えるようにして話すリンを、ディーザは黙って、視線を逸らすことなく見ていた。
「わたし、悔しくて、情けなくて、申し訳なくて…」
震える声で話し、感極まって耐えきれなくなったのか、そこで言葉が止まる。グッと何かを耐えていたのが、少しして落ち着いてきたのか、一つ息を吐いた。
すると、今度は冷静に、落ち着いた声でまた話を始めた。
「わたしがまだモココだった時、仲良しだった男の子がいたんだ。その子は冒険好きで、いつも近くの森とかを探検してた。わたしもそれに付いて探検するのが楽しくて、いつも一緒にいたの。
ある時ね、いつものように森に探検に行ったら、急に雲行きが怪しくなって、暗くなってきたかと思うと雨が降り出したの。仕方なく木陰で雨宿りしてたんだけど、全然止まなくて時間だけ過ぎていったの。
その時、大きな何かに襲われたの。わたしを守るために、彼は勇敢に戦いに行ったけど、レベルが違い過ぎて歯が立たなかった。その時のわたしは、目の前で傷だらけになっていく彼を、わたしはただ見ているだけで、相手を恐れてただ泣くだけだった。だから、あれが何だったのかは今もよく分からない。それであの何かが去っていったのは、彼がほぼ完全に立てなくなって、雨がちょうど止んだ時だった。彼は気を失って、傷だらけで、見ていられなかった。攻撃を受けている時、わたしは彼を助けたいと思ったけど、思っただけで、わたしは何も出来なかった。
そこからはよく覚えてないんだけど、その後大人の人達が探し当ててくれて、村に連れて帰ってくれたみたい。でも、村にはわたしのことを責める人なんかいなくて、むしろ何もなくて良かったと言ってくれたことは覚えてる。今日のゴーゼルみたいに。
それで、彼は怪我が酷くて、後遺症が残って歩けなくなってしまった。そんな状態の彼に、何て言っていいか、どんな顔をして会えばいいかわからなくて、謝ることすら出来なかった。
それから今まで、ずっと避け続けてきたの。わたしはあの時、何も出来なかったし、今日だって、ディーザにも怪我を…」
ゆっくりではあったが、しっかりと話していたリンの言葉がそこで詰まった。その様子を見たディーザが一言、言った。
「俺、強くなるよ」
予想していなかった言葉に、リンは少し驚いた様子で顔を上げ、ディーザを見た。
「今日俺が怪我したのは、俺の実力不足…っていうか、経験不足のせいだし…。とにかくリンは悪くない。泥棒を取り逃がしたのも俺だ」
「そんなことないよ。だって…」
「そうなんだよ!」
悲観的になっているリンがどんどんと沈んで行きそうなのを、ディーザが声を張って、それ以上言わせないように止める。そこで二人ともハッとして、ディーザは慌てて続きの言葉を練った。
「だから、その…。とにかく、これからは俺がリンを助ける。約束する」
少しの間、音のない時間が過ぎる。
そして、リンは溢れていた小さな雫を拭き取り、少し笑みを見せた。
「大袈裟だなー、ディーザは」
始めは元気に言ったが、最後は小さく呟くようになった。リンの目の下はまだ赤いが、もう大丈夫だろう、とディーザは思った。
「あっ、やっぱり?」
「うん、大袈裟…。でもありがとう…」
「こちらこそ。大事な話をしてくれてありがとう」
うん、とリンは頷いた。それを見たディーザは、少し考えてから話し始めた。
「リンが大切な話をしてくれたから、次は俺が話してもいい?」
「別にいいけど…」
リンは改まるディーザの様子を見て、一体どんな話をするのかと考えた。ディーザがスーっと息を吸うと、吹っ切るように言葉にした。
「俺、本当はポケモンじゃなくて、人間なんだ」
「…えっ?」
「ちなみに、人間だった時の記憶もない」
また、音のない時間が過ぎる。
「元々、人間だったの?」
リンが職務質問をする警官の如く聞くと、ディーザは静かに頷いた。そこから、次の言葉が出るまでに時間が掛かることはなかった。
「そっか」
呆気ない返事が返ってきて、ディーザが少し驚いた。もっと大きなリアクションをしてくれることを期待していたわけではないが、本当にそれだけの反応だったので拍子抜けした。
「えっ、そんな簡単に信じるの? こんな話…」
「ディーザは嘘つかないよ。そう思うもん」
リンは優しい目でディーザを見ていた。
「俺、リンと旅をして、自分が誰で、どんな奴だったのか思い出したいんだ。そして、何でポケモンになってしまったのかも」
一拍の間を空ける。
「リン。これからも一緒に旅をして下さい」
ディーザはスッと立ち上がって、頭を四十五度傾けた。
「改めて言わなくても、もちろんだよ」
リンは笑顔で答えた。
「…ありがとう」
「ううん。こちらこそ…」
ディーザが姿勢を戻してお礼を言うと、リンも同じように返した。
先程まで重苦しかった空気が和らぎ、少し開いた小さな窓から流れ込む冷たかったはずの風が、何故かこの一瞬だけは温かった。
………………………………………
その翌朝、二人は社宅の外に出て朝日を迎えていた。太陽が東から上り、辺りを明るく照らし始めると、胸の奥からスッキリとし、身体の中にある悪いものがなくなるような感じがした。昨日の重苦しさは、もうなかった。
「昨夜は眠れましたでしょうか?」
「はい、よく寝れました。昨日は、本当にすみませんでした」
朝一番で様子を見に来てくれていたゴーゼルの気遣いに応え、リンは改めて謝った。
「もう過ぎてしまったことはしょうがないです。気にしないで下さい」
リンは下げていた頭をゆっくり上げる。その時の顔は、いい表情をしていた。
「ゴーゼルさん、お世話になりました」
「いえいえ、私は何もしていません」
その横にいたディーザがお礼を言うと、ゴーゼルは謙遜した。
「お二人はこれからどうなされる予定ですか?」
その問いには、ディーザが一拍の時間を空けてから答える。
「俺は修行がしたいと思ってます。どこかいい場所を知ってたりしますか?」
ディーザがはっきりした口調で真っ直ぐに答えた。ゴーゼルはそれに丁寧に応える。
「それなら、町外れに道場があります。街を出て少し移動することになりますが、そこならば修行をすることが出来ると思います」
それを聞いたディーザは、リンの方を見た。リンもディーザのことをしっかり見て頷いた。
「大丈夫です。そこに行こうと思います」
「わかりました」
その答えを聞いて、ゴーゼルは丁寧にその場所を教えてくれた。
「では、お気をつけて」
「はい!」
「ありがとうございます」
ディーザははっきりと、リンは感謝を込めて、それぞれ返事を返した。その姿からは、それぞれに何かの思いを感じることが出来た。
そして、挨拶を済ませた二人は振り返った。朝の日の光を背に受けて、道場を目指して歩き出した………