第五話-名前は?
「いっって!」
階段で三階へ小走りで向かう途中、二階から三階に掛けての折り返しに差し掛かった所で、ドン! っと勢いよく何かにぶつかってしまったヒトカゲは、その反動で後ろによろけて壁に思い切り頭を打った。ジンジンとする患部を両手で抑えると、立ちくらみのような軽い目眩がした。
(………ん……!)
「(今、何かに聞こえたような…)」
(……なん……よ!)
「(頭が凄く痛い。今にも真ん中で綺麗に割れそうだ…)」
「ちょっと! ぶつかった所痛いんだけど! ついでに尻尾も!」
ヒトカゲは、薄っすらと聞こえてきた声とは、また別の聞き覚えのある声に気づいた。閉じていた目を開けて上を向くと、そこには、階段の段差に座った状態、というより尻もちをついたデンリュウがいた。
「あっ、朝の上から目線の…(やばい! つい言っちゃった!)」
「上から目線の何?」
「いやつい…、あっ、ついじゃなくて…」
口を滑らせるヒトカゲに語気の強い言葉をかけるデンリュウ。それに押されて、さらに墓穴を掘りそうになったのを冷たい目線で突き刺す。これから察するに、かなり気まずい状況である。その中で、ヒトカゲは園児の書いたぐちゃぐちゃの線のように混乱する頭に浮かんだ言葉を喋り出す。
「あのーさ、ぶつかってごめん! 俺の不注意だった。でさ、今日ここに泊まることになったんだけど、まだ昼だし、もし良かったら案内でもしてよ…(苦し紛れに何を言うかと思えば案内してなんて…。ごめんで止めとけばいいのに)」
言葉に出してから途端に思考が冷静になって後悔した。その発言から一分弱経ったかどうかというところで、デンリュウはムッとしたまま口を開いた。
「ご飯おごってあげるから、そのかわりちょっと用事に付き合って」
身構えたヒトカゲには予想外の返事だった。それに拍子抜けしながらも、その用事の内容を謙った小さめの声で聞くと、
「今は言わない。もし言ってもあんたみたいなのは嫌がるだろうし」
強気な命令口調で返って来た。大丈夫?、なんて優しく言ってたのが同じデンリュウとはとても思えなかった。
「えっ、気になるじゃん。内容の把握は必要だよ…(なんでこんな低姿勢で話さなきゃいけないんだよ)」
「心配する程度じゃないし、元々あんたに拒否権はないし」
常にはっきりとものを言われ過ぎて、ヒトカゲはもうむしろ清々しくなってきていた。
「はい…、着いて行きますとも、喜んで…」
「それでよし。じゃあ食堂行くよ!」
ムッとしていた顔がいきなりふふっとした笑顔になった。そんなデンリュウを見て、本当に同じデンリュウなのかとまた思うヒトカゲをよそに、一階の食堂へと向かった。
「ここのは結構美味しいんだよ」
食堂に着くと、簡単にそう説明した。さっきまでの口調に比べてなんて上機嫌なんだ。でも何故か腹が立たない。一度根負けするとこんなもんなのか、とディーザは思った。
その食堂は高速道路のサービスエリアのような感じだった。そこで食券を買い、料理との交換を終えて席につく。ヒトカゲの買った料理は、無難なカレーライスのトッピングなし。対してデンリュウは…、
「そんなに食べんの?」
「逆にそっちはそれでいいの?」
「えっ、まぁ、俺はおごってもらう側だし…」
「そっか、意外に気を利かせるんだ〜」
「う、うん。そうだね…」
相槌しか打てなかった。トンカツのような揚げ物が乗ってる定食みたいなものと、オレンのみ入りスープ、ミルタンクの無調整ミルク、マトマスパゲティに、よく名前のわからないやつが二品…。ポケモンってこんなにご飯を食べるのかと、ヒトカゲは驚いた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。わたしはデンリュウのリン。そっちは?」
「(そういえば、この世界で聞く初めての名前だ。今までは心ん中でずっと種族名で呼んでた。やっぱりポケモンの世界となると人間みたいに一人ひとり名前もあるんだ)」
と思うと、あのヤドキングとレディアンの名前とかまで気になりだしたが、それを一旦振り払い、自分の名前を名乗る。
「俺は…ディーザ。(確かそうだったはずだ。さっき思い出したのはこの名前と、歳が十四だってこと)」
「おっ、今度は素直に答えた! ディーザって珍しい名前だね」
「そうかな? (珍しいかどうかはわからないけど、デンリュウ…じゃない、リンの機嫌はかなり良いみたいだ。とりあえずこのまま怒らせず穏便に済ませたい)」
そしてしばらく投げかけられる質問には素直に答え、食を進めた。
「あ〜美味しかった! ごちそうさまでしたー! ディーザのカレーは美味しかった?」
「うん、美味しかった。(確かに美味しかった。けど、記憶の片隅にある、誰かに作ってもらったカレーの方が美味しかった気がする。誰かは思い出せないけど…)」
「そっか」
そう言うと、大きめの食器に小さい食器を重ねて席を立ち、三段になっている返却口に返した。このシステムも、人間が使う物と変わりなかった。
「じゃあ早速準備しよっか!」
「準備? 今日出かける用事だったの?」
「そう。とりあえずアイテムバンクで必要な道具を引き出さなきゃね」
聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
「アイテムバンクって?」
「えっ、知らないの? ディーザも冒険者でしょ?」
この世界で当たり前のことは、ディーザにとっては初体験のものであることが多い。これから先、幾度となく、知らないの?、と言われるのが想像出来た。
「えっ、そう…なるのかな? あはははは…(冒険者って、旅でもしている人のことかな?)」
「ふーん、やっぱ変なの」
ヒトカゲはまた、変なの、と言われてしまったが、最初の時と違って普通の言い方で、軽蔑とかの意味は含まれていないように感じていた。
「今日はとりあえず、わたしがやってくるから入口で待ってて。もちろんディーザの分も貸してあげるから」
と言うと、掲示板の左横にあるATMのような箱型の機械に向かっていった。ディーザは言われた通りに、入口で出発を待つことにした………