第三十八話-対面
「おはようございま〜す」
「あっ、ディーザおはよう」
ディーザが目を擦りながら部屋を出てくると、リンが既に朝食の準備をしていた。
外の景色には明るく光る新緑の森が広がり、昨日よりもいい顔を見せていた。
「おはよう。あれ、レアナさんは?」
「お母さんはちょっと用があるからって」
手に持ったお皿を食卓机の上に置き終えると、リンはディーザの方を向いてそう説明した。
「ほら、ちょうど準備出来たし、食べちゃおうよ」
「そうだね。じゃあいただきます!」
今朝の献立は丸い形をしたパン、それに付けるためにペースト状にしたチーゴのみと質素なものだった。普段リンが食べている量からして少ないと感じたディーザがそのことについて聞くと、どうやら昨夜のご馳走で食材をたくさん使ってしまったからだそう。ただこの量は、少し食べ過ぎていたディーザの朝ご飯にはちょうどいいものだった。
「今日は長老さんの所に行くんでしょ?」
「…うん」
その朝食をあっという間に食べ終え、ディーザが改めてリンに確認をした。すると、リンの表情は昨夜と同じような難しい顔になった。この様子に、ディーザは薄々何かを感じ取った。
「やっぱりディーザも一緒に行こうよ。長老様はもの知りだから何か聞けるかもしれないし、挨拶しておいた方がいいかも」
「それなら俺も行こうかな」
直接は本音を吐露しなかったが、その意図を汲み取ったディーザは、いろいろと聞きたいという理由を口実にリンの話に乗った。
「ただいま〜」
「あっお母さん、おかえり」
「おかえりなさい、レアナさん」
会話が終わったのとちょうど同じタイミングでレアナが帰宅した。その手には、いったいどこで採れるのかわからないような大きな葉っぱで丁寧に作られた手提げを持っていた。
「何かお話中だった?」
「ちょうど終わったところ。それと、そろそろ長老様の所に行ってこようと思う」
その台詞を聞いた時、レアナの顔色が微妙に変わったのがディーザにも分かった。今のリンの表情に、少しばかりの嬉しさのようなものが混ざった顔だった。
「頑張ってきなさい」
「うん」
レアナの励ましに、リンは静かに頷いた。
数分後、二人は揃ってある大きな家の前に立っていた。平屋建てが多く立ち並ぶ中、この家は二倍以上の敷地をを誇る二階建てだった。屋根からはグリーンカーテンが垂れており、如何にも特別だという雰囲気を出していた。
ディーザはその様相に驚き、リンは表情をとても堅して口を乾かしていた。
「すぅ、はぁー」
だんだんと溜まる胸のムズムズを落ち着かせるため、リンは大きく深呼吸をした。それを横で見ているディーザは敢えて理由は聞かなかった。
そんな時、二人の背中にそよ風が吹いた。リンは思わず固唾を飲んだ。
すると、何かに押されて勇気が湧いたのか、また一つ小さく息を吐くと扉をコンコンとノックした。
「お久しぶりです。リンです」
すると、入口の前で待っていたかのようにすぐ扉が開いた。
「どちら様ですか? あぁ、リンちゃん。きっと来ると思って待ってたよ」
そこには大人の風格を漂わせるジュカイン-セテが立っていた。
「おはようございます…。あ、いや、もうこんにちは、ですかね?」
「そんなに緊張することないよ。長老、待ってるよ」
「…はい」
固くなっているリンを、セテはなだめるようにして声を掛けた。しかし、このやり取りがリンにとって、自分の状態を改めて理解してしまうことに等しく、セテの思うような効果はなかった。
「こんにちは。俺もお邪魔していいですか?」
「確かディーザ君だったよね。挨拶しに来てくれたんだろう? もちろんいいとも」
ディーザの名前もちゃんと覚えていたセテの了解も得て、二人は中へと通された。
そして見えてきたのは、生活空間というよりは会議室のような厳かな大間だった。長机と複数個の椅子、余計な物はまったく置かれていなかった。
「長老は二階にいるよ」
ディーザが不思議そうな顔をしていたのを見たからなのか、セテは居所を聞かれる前に教えた。
左脇に備えられた階段を上って二階へ向かう間に一枚の扉が空間を区切っていた。そこを潜ると、リンの家とほぼ同じ様相、強いていえば広さが違うだけの至って普通の生活の場が広がっており、それを見るとディーザの緊張は意図せずに解かれた。
「長老、入ります」
二人を先導していたセテは、上がって一番奥の扉に手を掛けて開いた。
するとそこには、椅子に腰掛けて窓越しに外を眺めている、セテよりもふた回り程小さいジュカインがいた。
「リンちゃんが来ましたよ」
そのセテと一言を聞いた長老は、座っている椅子をゆっくり回してこちらを向いた。
「久しぶりだね」
リンのことを目視した長老はそう言って微笑んでいた。それに対し、リンは咄嗟に声を出せなかった。
「とりあえず、中に入りなさい。それと、お隣の赤い子はどなたかな?」
「俺ですか? 俺はディーザっていいます。ちょっと縁があって、ここまでリンと一緒に旅をしてきました」
「縁ねぇ…」
何かを感じたのか、長老はその向こうを見通すようにディーザを見ていた。
「えっと、何か…?」
「いや、何でもないよ。あなたも入りなさいな」
「お邪魔、します」
この独特の雰囲気に何かを見透かされているような気分になる。折角解かれたディーザの緊張は再びぶり返していた。
「それじゃあ、また後で」
すると、セテは二人を残して部屋をあとにした。部屋には、リンとディーザ、長老の三人が残された。
「それで、探し物は見つかったのかい?」
「えっ!?」
この玩具の水鉄砲のように飛んできた問い掛けをされたのは、部屋に備えてあった椅子に二人が腰掛けようとした時だった。
「バレてたの…?」
「もちろんさ。リンの考えていることぐらい手に取るようにね」
不意を突かれ驚いたリンは、先ほどまでとは打って変わってスムーズに言葉が出てきていた。この長老の言葉の意味がスっと思い当たらなかったディーザは、むしろ冷静に今の様子を見ることになった。あれだけガチガチだったリンの緊張を一発で解いた長老の話術のようなものに、恐怖とは違う何か怖いものを感じていた。
「それなら説明はいらないよね。おばあちゃん、聞きたいことがあるの」
「なんだい?」
「アミュレットのこと」
リンが長老の目を見て言った。そこには、ディーザの知っているいつものリンがいた。
「ほう」
「わたし達、アミュレットを二つ見つけたの」
リンの報告を受けて、長老は急に難しい顔になった。その時の雰囲気は、まるで合言葉を唱えたことで何かが開くような感じがしていた。
「いろいろと知ったようだね。それで、何か大きな問題が起きている。そんなところかい?」
何もかも見通してしまう長老に、ディーザはやはり底知れないもの、計り知れない凄みのようなものを感じていた。
「アミュレットを集めて願いを叶えるって言っている、絶対に悪いことに使おうとしてる奴がいて、二つともそいつに取られた。それで、あいつは最後の三つ目も当然獲りに行くはず。それを止めるために、止めにいくために、三つ目の場所を知っていたら教えて欲しいの」
窓の外、のどかな村に風が吹いた。
「まず、その二つの場所は"感情"と"知識"の地底湖でいいかい?」
「うん」
「それならば、残る三つ目はここからずっと北にある大きな山、"意志の山"にある。ただし、あそこの近辺は危険も多い。それでも行くのかい?」
「もちろん」
長老の説明を受けた上で改めて自分の意思を示したリンの顔は、隣に座るディーザには凛々しく見えた。
「さて、この話はこれぐらいにして、もっと楽しい話をしようじゃないか。さっきから話す間もなさそうで可哀想だからね」
「俺ですか…?」
「リンと一緒に旅をしてくれているお礼もしなければね」
「そんなお礼なんて。俺の方がお世話になってますから…」
「そんな細かいことはいいんだよ」
「はっ、はい…」
話を切り替えてからの長老の押しの勢いは凄く、受け流すなんてことは出来そうになかった。
「その前に、まずは自己紹介が先だね。ワシはこの村の長老、ピテ。さっき二人を連れてきたのがセテ、ワシの息子だよ」
「そうだったんですか。あっそうだ。リンも含めて質問があるんですけど」
「何かな?」
「リンはさっき、ピテさんのことをおばあちゃんって呼んでたけど、どのような関係で?」
「リンとジュテが友達でね。そのジュテはワシの孫なんだよ。つまり、そういうことだよ」
「ジュテ?」
ピテに自明のこととして扱われた聞き覚えのない名前に反応してディーザは聞き返した。リンはその横で背筋を震わせた。
「おや? リンから聞いてないのかい?」
「待っておばあちゃん! 自分で話すから!」
リンは驚くほど取り乱してピテの口を制した。しかし、ピテは気を悪くするどころか、相変わらずだね〜、と悪戯な笑みを浮かべて面白がっていた。それを見て我に返ったリンは、照れを隠すように一度喉を整えてからディーザの方に向いた。
「前にレーガシティで話したことだけど、その時に出てきた子が、その…、うん…」
ディーザは頭の中を漁っていると、そう時間が掛かることもなく思い出した。
「だからあんなに気まずそうに…。というより、普通に考えたらこの村がその現地だったよね。気がつかなくてごめん」
「ううん、そんなことないよ」
リンはピテの方に向き直した。
「おばあちゃん、ジュテは…」
「今の時間は療養のために泉に行っているけど、もう時期帰ってくるだろうね。もちろん待つんだろう?」
その問いに、リンは決心を固め、ピテの目を真っ直ぐに見た。
「そのつもりで来たから」
そのリンの返事はピテの期待通りの言葉だった。
「その言葉を聞けて安心したよ。ほら、ちょうど帰ってきたようだよ」
玄関の方で話し声と共に戸が開く音がしたのはそんな時だった。あまりにもタイミングがよく、慌ててしまってもおかしくはかったが、リンはもう動じるようなことはなかった。足に力を込めて席を立つと、部屋を出て自ら自分の過去に向かっていった。
「リン…」
「ディーザ君」
ピテは無意識に席を立ってリンを追いかけようとするディーザに訴えるようにして呼び止めた。
そして一階の玄関。
「今日もありがとうな」
「いつものことなんだから気にするなって」
その開いた扉からは、しっかりとした枝で作られた松葉を使い、左足を浮かせているジュプトルと、それに付き添うーの姿が見えていた。それを、リンは階段の中腹で身を潜めて見ていた。
「そういえばリンが帰ってきてるらしいな。知ってるか?」
リンの脈はその拍子を早めた。
「知ってるよ。父さんが会ったって」
「来ると思うか?」
「何が?」
「決まってるだろ? リンが。ここにだよ」
質問に対するジュプトルの答え。それが分かるまでの時間は妙に長く感じられた。そして次の瞬間、無音の空間がリンを包んだ。
「いいよ、別に」
リンの視界はぐらっと歪んだ。
「(やっぱり、わたしになんて会いたくないんだ)」
…………………………………………
「ほら、早く来なよ!」
「待ってよー」
とある森の中。元気発剌とした男の子は、枝から枝へと飛び移りながらどんどんと奥へ進んでいく。その後ろを付いていこうと、モコモコとした綿毛を首に巻いた女の子が少し大変そうに走っていたが、その努力虚しく遅れをとっていた。
「しょうがないなぁ」
それを見兼ねた男の子は、木の上から降りて女の子が追いつくのを待った。
「今日は昨日よりも奥に行くんだからもっと急ごうよ」
「わたし、そんなに早く走れないもん」
追いつくや否やそんなそんなことを言われ、女の子は少し機嫌を損ねた。
「…じゃあ、歩こうか」
顔を膨れさせた女の子の圧力に負けたのか、逸る気持ちを抑えて要望に応えて歩くことになった。
すると、ずっと遠くの方から雷の落ちる音が聞こえてきた。元々薄暗かったこともあって気がつかなかったが、いつの間にか雲行きが怪しくなっていた。
「冷たっ」
モコモコの綿毛がゴワゴワとしてきた矢先、頭の上に一滴の雨粒が跳ねた。それを合図に、緑の天井をすり抜けて滝のような雨が降り始めた。
その時運よく、ちょうど二人が入れそうな樹洞を持つ木を見つけ、そこで雨宿りをすることにした。
「すぐに止むかなぁ、雨」
「夕立ではないからしばらくは雨宿りかな。はぁ、今日これで終わりかなぁ」
帰り道の心配をする女の子とは対照的に、目的の所まで行けなかったことを残念がって、木の内側に凭れかかって呟いた。
「あんまり奥に行かない方がいいっていうことなのかな。おばあちゃん達もこの方角には行かないって言ってたし」
「うーん…」
そんな時だった。
重い鉄骨が引きずられるような音が辺りを不気味に包んだその瞬間。
「グォォン!」
唸り声と共に、巨大な鞭のようなものが樹洞の屋根を叩き飛ばした。
そして見えた相手の巨大な影。女の子は恐怖で足が竦む。男の子はそんな彼女を守ろうと、自分の何倍も体長のある相手に挑んだ。
雨は強さを増した。
レベルが違い過ぎた。歯が立たなかった。目の前で傷だらけになっていく。腰が抜けて助けることも出来ず、相手を恐れてただ泣くだけ。
そこからのことはよく覚えてはなく、二人を探していた大人達に連れて帰られ、気がつけば家の中にポツンと存在していた。すると何故か、不思議と張り詰めていた緊張が解け、それを合図に睡魔に襲われる。女の子はその疲労感による眠気に身を任せて目を瞑った。
その翌朝は、昨日の豪雨が嘘のような晴れだった。起きた女の子の中で、昨日のことは全て夢で、何もなかったことになっていた。それ故、いつものように男の子の所にに会いに行った。そうすれば、いつものように元気な顔を出してくれるような気がしていた。いつものように村一番の規模を誇る彼の家の裏手から名前を呼ベば、いつもと変わらない姿が見られると信じていた。
しかし、それは叶うことはなかった。
「はっきり言ってくれ。どうなんだ?」
「これだけの怪我です。絶対安静で回復させないといけないことに変わりありませんが、命には別状はない。ですが、足の方が。もうちゃんとは歩けないかもしれない」
そんな会話が外に聞こえていた。
後遺症が残って歩けなくなる。探検が好きであちこちに駆けていく。そんな彼にとっては生き地獄のような宣告。頭が真っ白になり、無我夢中でその場から走って家へと逃げ帰った。
そんなことを知らない村の人が数人、彼女の様子を見にきてくれていた。その際、皆が掛ける言葉は優しいものばかりで、助けられなかったことを責める者はいなかった。しかし、それが彼女を傷つけていた。
…………………………………………
自分をまた責めた。玄関で話す二人から目を離し、その場にしゃがみ込んで耳を限界まで塞いだ。しかし、話し声は無常にもその関門を難なく通り抜けてきた。
「別にって…」
「そんなこと気にしなくたって、本当ならとっくに会えてるはずだよ。でも、会えてない。理由は、リンが負い目を感じているから。俺に会うのが怖いから」
ジュプトルの言葉は、意図せずリンを追い詰めた。
「でも、それは俺も同じなんだ」
ジュプトルの言葉は、リンの身体から余計な力を取り去った。
「よく考えて…、いや、よく考えなくたって分かる。俺が会いに行ったってよかったんだよ。リンが負い目に感じることなんて一つもないのに、自分を責めて苦しんでる。だから一言。たった一言、気にしなくていい、って俺が言ってやれたら全然違ってたはずなんだ。でもその時の俺は、俺が会いに行くことでリンを追い込んだらと思って行けなかった」
「そんなこと、思ってたのか…」
「俺が今度、リンに会う時は、足を完全に治して、もう心配いらないことを示せるようになった時だ」
遮るものはなかった。気が付けば自己防衛のために丸めていた身体が考えるよりも先に動きだす。衝動的に、こうしてはいられないとばかりに。
「ジュテ!」
目に涙を浮かべながら声を上げたのは他でもないリン。その突然の来訪を目の当たりにした二人は、驚きのあまり立ち尽くすしかなかった。村に戻っているのは知っていたが、まさか自分の家に来ていることなど想像出来る範囲ではなかった上、今の話も聞こえてしまっていたことを察し、気まずい空気なのは確か。しかし同時に、込み上げるような嬉しさが湧いてくるのも、また事実だった。
「久しぶり」
そこには余計な思慮は一切なかった。ただ素直に、久々過ぎる対面を噛み締めていた………