第三十七話-故郷
木漏れ日が心を洗う。そして暖かくしてくれる。時より吹き抜けるそよ風が、より一層この清らかな風景を色濃く描き出す。
二人が森の中を進んでいると、それまでせめぎ合うように密集して生えていた長身の木々が道を開けてくれるかのように視界を広げてくれた。そして現れたのが、のどかな場所という第一印象を受けるリンの故郷だった。
「着いたよ。ここがわたしの故郷、"リフィル村"」
今朝の太陽が傾き始めた頃。二人は目的地である"リフィル村"に到着した。ここまでの道中では誰にも会うことがなかったため、この場所が人里から離れた所であることが改めて分かった。
「この場にいるだけでこんなに気分がいいなんて、本当にいい所だね」
ディーザは深く息を吸い込み、綺麗な空気を堪能した。
村は森の中に位置しているため、当然のことながら多くの木々に辺りを覆われている。形式的な入口というものはなく、居住区によって形作られ、生える木々の間隔が疎らな様子からその範囲を伺える。上空からは村があることを知らなければほぼ気づくことはない。言うならば、リフィル村は周りから隠れているようにも、隠されているようにも感じられた。
「それでどこに向かうの? って、もちろんリンの家だよね」
「そうだね。わたしの家は村の少し外れにあるんだ」
「そうなんだ」
ディーザに聞かれたリンは、ほのぼのと賑わう村の中、奥の方を指差した。
「ちょっと君、もしかしてリンちゃんじゃないか?」
今まさに家に向かって歩きだそうという時、唐突にリンを呼ぶ声がした。リンはその声がする方へと視線を向けた。
「おじさん…」
「やっぱりそうだ。二ヶ月近くもどこに行っていたんだい?」
リンが向かわせた視線の先には、大人の風格を漂わせているジュカインが立っていた。
「友達の所に行ったり、探し物をしたり、です」
「それにしては長かったね」
「そう、ですよね」
この二人はお互いによく知った仲のようだが、リンの話し方はぎこちなかった。そして、ジュカインはリンの隣にいるディーザに気づいた。
「ん? そういえば見ない顔だな」
「このヒトカゲは旅先で会ったディーザです。ディーザ、この人はわたしが小さい時からよくしてもらってるおじさん、セテさんよ」
「そうなんだ。こんにちは」
「あぁ、こちらこそ」
リンにお互いを紹介してもらい、ディーザがペコっと頭を下げると、セテも愛想よく返してくれた。
「それより早く家に帰って顔を見せてきなさい。とても心配していたよ」
「そうですね。また改めて挨拶をしに行きます」
「あ、あぁ。待ってるよ」
その時のリンの言葉を聞いたセテは不意を突かれたかのような反応をした。
「どうかしたんですか?」
「あぁいや、何でもない」
それを不思議に思ったディーザが伺うと、セテは平然を装った。
「ディーザ、そろそろ行こう?」
「わかった。それじゃあ、また」
会話を終えると、リンは半ば足早に歩きだした。ディーザも遅れまいと、セテにもう一度挨拶してからリンを追っていった。
「そうか、あいつに会ってくれるのか…」
セテは少し嬉しそうな顔をして、そう呟いた。
それからの二人は、家に着くまでの間に何人かの村人に声を掛けられ、その度にきちんとリンが対応していた。ディーザはそれを少し離れて見ていた。リンの表情は真剣な話をしていた時の真面目さとは雰囲気が違うように思えていた。
歩き始めてから八分程して、通ってきた道と比べると閑散としている場所にある家の前でリンが足を止めた。
「ここがわたしの家だよ」
「ここが?」
リンは自分に確認を取るようにそう言った。その家はそれまでの道程で見てきたものと同じように角がない作りだが、大きさは平均よりは小さかった。
リンは家の戸をトントンとノックした。
「ただいまー」
すると、扉の奥の方から、悟らせないように急いでいて、葉が擦れるような足音が聞こえてきた。そして、扉は外に向かって開かれた。
「リン、おかえりなさい」
「うん、ただいま。お母さん」
リンがお母さんと呼んだ相手、建物の中から出てきたのは、全身の緑葉が印象的なハハコモリだった。
「それにしても、長かったわね」
「ごめんなさい。でもほら、この通り元気だから」
「そうね」
ハハコモリがそう心配すると、リンは一言謝った後に笑顔を見せた。そのお返しか、ほっとした安堵の表情を見せてくれた。
「それで、そちらは?」
「あっ、俺ですか?」
「お母さん紹介するね。途中から一緒に行動をしてくれたディーザっていうの」
ハハコモリの注意がディーザに向くと、リンは先ほどと同じように簡単に紹介した。
「そうなんですね。ありがとうございます」
「いやこちらこそ。というよりむしろ俺が助けてもらってます」
ハハコモリの丁寧な対応に、ディーザは正直にそう答えた。
すると、ハハコモリは何かを思い出したかのように葉の手を合わせた。
「このまま立ち話では失礼ね。中に入ってゆっくりして下さい」
「あっ、お邪魔します」
何を言うのかと少し身構えていたディーザは間の抜けた返事をしてしまった。
そうして中に通されると、外見を裏切らない村の家の様相が見えてきた。日光を取り入れる小窓、天窓があり、機械的な物はほとんどない。ディーザにとって初めての木造建築。その独特な雰囲気と、角張ったものがない柔らかさが気持ちを和ませてくれた。
「やっぱりいいなぁ」
胸いっぱいに空気を吸い、リンは改めて久し振りの我が家を懐かしんでいた。
「先に荷物だけ簡単に片付けてきなさい。それからゆっくり話を聞かせてちょうだい」
「うん」
「あの、俺はどうすれば?」
ハハコモリに促されてリンが自室に移動しようとしたところ、手持ち無沙汰になりそうなディーザは困った顔で聞いた。
「あっ、そうだったわ! 家には客間がないから寝る場所はどうしましょう?」
「わたしの部屋でいいと思うよ? しばらく寝泊まりも同じ部屋だったし、問題ないよ」
何食わぬ顔でそう言ったリンを見て、ハハコモリは厭わしい気分になった。
「そっ、そう? ディーザさんはどうですか?」
「俺はどこでもいいですよ?」
思惑通りにいかず、ハハコモリの表情は気分の良いものではなかった。
「それなら、とりあえずはリンの部屋で…」
「わかりました」
そんなことに気がつくことはなく、二人は揃って荷物を置くため、入口から見て右手側にある二つの扉の奥側に位置する部屋へと入った。
手前に引いたドアの奥には、流石と言うべきか、きちんと整理されたリンの部屋があった。四畳半程の空間には上半身と同じ高さの窓が南向きに一つ付いており、木製のベットと本棚だけが置かれていて余計な物は一切なかった。
「旅に出る前に片付けたからちょっと寂しいかな」
リンは面白味のない自分の部屋を見て言った。
「シンプルでいいけどね。バックはこの辺りでいいかな?」
「いいよ。わたしもとりあえずそこに置こうかな」
二人は曲線を描いている窓側とは反対二つある角のうち、入って右手の角っこに鞄を置いた。それとほぼ同時に部屋のドアが開いたかと思うと、二人を出迎えた時のようにハハコモリが顔を見せていた。
「どうしたの?」
「いきなりゴメンね、リン。あなた長老様には挨拶はしたの?」
部屋に訪れたハハコモリは、急に入ったことを一言謝ってから確認を取ろうと質問してきた。すると、何故かその言葉を聞いたリンはギュッと顔を強張らせた。
「まだ、してない…」
それを横で見ていたディーザは、リンの様子が居心地が悪そうに見えていた。
「そうなの…。どの道挨拶ぐらいは行かないといけないわけだけど、いつ行くの?」
その様子に気づくような素振りはせず、ハハコモリは付け加えて聞いた。
「明日、行くよ…」
それが、この短い間にぐるぐると自問自答を重ねた結果として現れたものであることは、ディーザは知る由もなかった。
「そう。そうしたらお茶でもしながらお話しましょう。ディーザさんのこともまだよくわからないですし」
「あぁ、はい…」
ハハコモリまでもがしんみりとした雰囲気になったので、原因のわからないディーザはそんな言葉しか出なかった。
しかし、それもこの楽しい談笑が始まるまでの話だった。リンがディーザと出会った時の出来事から始まり、ディーザの寝言が酷いことなどまでに及んだ。
そして、あっと言う間に日は暮れて、晩御飯の時間になった。二人の前には、一時間程掛けて作られたハハコモリの手料理が出された。仕込みは既にしてあったようで、かなり手が込んでいた。この辺りで採れるらしい食材の特徴が出ているものが多かく、どれも自然の恵みを感じるものばかりだった。前にリンが言っていた通り、風味があってとても美味しく、手が止まることはなかった。その間も、積もる世間話を欠かさず話して楽しく食卓を囲み、初期にあったハハコモリのディーザに対する変な溝も自然と埋まっていった。
「ごちそうさまでした!」
「ふふっ、やっぱりこの量で正解だったわね」
リンが手を合わせて食材へのお礼を済ませると、ハハコモリ-レアナは嬉しそうに微笑んだ。
「とっても美味しかったです。特にこのスープが俺は好きですね」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。ありがとう」
満足そうな表情を見せる二人を見て、レアナはもうご満悦だった。
「でも美味しいのはお水のおかげだと思うけどね」
「水ですか?」
「ほら、前に言ったでしょ? ここのお水は柔らかくてとっても美味しいんだよって」
「そういえばそうだった。レアナさん、水だけで飲んでみてもいいですか?」
「もちろんどうぞ」
レアナの了解を得たディーザは、席を立って水道の所まで自分の使ったマグカップを持っていき、蛇口を捻ることで流れ出した綺麗で透き通った水をそれに注いだ。その目の抱擁になる水面を一度眺めてから、ぐびっと喉を通した。
「何と言うか、心が洗われてるみたいだ」
スープでは気がつかなかった混じり気のない軟水を味わうことが出来た。喉を通り過ぎると、細く枝分かれをして全身へと染み渡っていくのがわかった。
それと同時に、不思議な感覚が後を追ってきた。
「あれ、飲み慣れてないせいかな? 身体に染み渡って凄く美味しいんだけど、それ以上に不思議な感じがする」
ディーザの感想がスッキリとしなかったせいか、二人は何と反応すればわからなかった。
すると、レアナが前触れなく口を手で覆うと小さな欠伸をした。
「あら、張り切ったから少し疲れたのかしら?」
「あれ、わたしもだ」
レアナの欠伸が移ったのか、リンの口も小さく開いた。
「今日はそろそろ休みましょう」
「そうですね」
レアナの意向に、自身も眠くなってきていたディーザが同意を示した。
「あの、お母さん。少し二人で話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「どうしたの、急に?」
「ディーザは先に部屋に行っててくれる?」
「えっ、うん」
藪から棒に、リンは相談を持ち掛けるようにレアナに言った。ディーザだけをこの場から外そうとしていることから、ディーザも二人だけしたい大事な話をするのだろうと察した。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、ありがとう」
何をするのか気になる気持ちを抑えて、ディーザは部屋の中に入っていった。リンは自分の思案を汲み取ってくれたことに感謝を述べた。
「それで、どうかしたの?」
ディーザがリンの部屋に入っていったのを確認すると、レアナは優しくリンに話し掛けた。
「うん…」
リンは空気を切り替えるように間を空けた。
「…明日、長老様の所に行くってことは、わたしはジュテに会うことになるよね」
「そうね」
「わたし、どうしたらいいのか、まだ分からない…」
面と向かった二人は真剣な顔をしていた。
「お母さんにもわからないわ」
「…そうだよね」
リンは何かしらの答えを期待していたが、レアナは至って単調に返した。未だに整理のつかない蟠りが落ち着くのを期待して、リンは小さく息を吸って、吐いてみたが、そう上手くはいかなかった。
「やっぱり…」
「やっぱり?」
レアナがその先を促してみたが、リンはそのまま言葉を籠らせた。
「試しに聞くけど、今更ながら謝るつもり、なんて言わないでしょうね?」
「えっ…、どうして?」
そのレアナの矢はリンの的を射ていた。図星を食らったリンは思わず聞き返した。
「今からでも謝るのが、ダメなの?」
「ダメではないわ。ただ、あの子はそんなことをして欲しいとは思っていないだろうし、謝るにしてもやっぱり遅くはない?」
レアナの言うことを言われずとも分かっていたリンは返す言葉がなかった。
レアナはその様子を見てから続けた。
「相手の気持ちを考えて、どんな顔をして会うのがいいのか。今考えるのはそれだけでいいと思うわ」
「…うん」
レアナから出された助け船を受け取ったリンは小さく頷いた。
「今日はもう寝なさい。折角久し振りに会うのに眠そうな顔で行ったら失礼よ?」
「そうだね。…おやすみなさい」
そうして席を立ったリンはディーザの待つ自室へと戻っていった。レアナはその後ろ姿をじっと見ていた。
「あっ、リン。…リン?」
先ほど見た時より元気のない顔を見せたリンを見つけ、ディーザは思わず二度呼んだ。
「あれ、まだ寝てなかったの?」
「いや、先に寝ちゃうのは悪いかなって」
「そんなの気にしなくていいのに。…あっ」
リンはディーザに発した言葉がそのまま自分に向かって返ってきた気がした。
「どうかしたの?」
「えっと…」
ディーザにその原因を聞かれ、リンは上手く説明出来る言葉を探したがそれは叶わなかった。
「別に無理をしなくていいよ。もう遅いし寝よっか」
「…うん」
会話に詰まるリンを見て、ディーザはそれを追求するのを辞めた。しかし、その気遣いがこの時のリンにとっては嫌なものとなっていた。
そして夜は更けていき、森の静けさが主役となる時間。ほとんどの村人は既に床に就いていた。それは二人にも当てはまり、暗くした部屋にはディーザの火だけが灯っていた………