第四十話-クフィル村
ピテとの話を終えた後、ディーザとリンの二人は明日の早朝にまた訪れることを伝えて長老の家を出た。
それからしばらくして、リフィル村は日没を迎えた。その日の夜空には、無数の点が一面に散りばめられ、村の澄んだ空気がより一層に感じられた。
そんなキラキラとした装飾の施された暗幕を、一人で部屋の窓枠から眺めていたジュテの下に、日中外出していたセテがやってきた。
「寝むれないなんて珍しい。どうかしたのか?」
「……、モヤモヤしてる」
すぐ傍に来たセテに対して、ベットに横になっているジュテは淡々とした口調で言った。
「リンと話せたらスッキリすると思ってた」
「ダメだったのか?」
「少しは晴れたけど、何か違う。よくわからない別のモヤモヤがあるんだ……」
ジュテはそこに詰まるものを取り除こうとするように胸を摩った。
「……そうか。明日の朝、見送りはするのか?」
セテは必要以上に詮索することはしなかった。そんなセテの問いに、ジュテは返答に困るように沈黙し、何も答えなかった。
そして翌る日。
朝日が昇り、鳥ポケモンの鳴き声が聞こえてからしばらく経った頃。身支度を整えたリンとディーザが再び長老宅を訪れていた。入り口の戸をノックすると、すぐそこのテーブルで待っていたのか、まもなくセテが出迎えた。その奥には、すでに準備を整えたピテが椅子に腰掛けていた。
「来たかい。それでは行くとするかね」
ピテが玄関口で待つ二人にそう言うと、それぞれ頷いて応えた。
「ピテさんは一緒に歩くのでいいんですか?」
「たった三時間程度の道のりぐらい、余計な気は使わなくてよろしい」
「う、すみません……」
ピテは刺すような視線を落とし、態(わざ)とらしく声色を変えた。それにビクッとしているディーザを見て、リンはクスッと笑った。
「それにしても、ジュテは降りてこないのかな?」
「あいつは昨日眠れなかったみたいでね。今朝は起こしても起きなかったよ」
「そうなんですか……」
「終わったら一度こっちに戻って来る。気にしなくて大丈夫だよ」
セテの説明を聞いたリンが少し残念そうに呟くと、ピテがそう諭した。
セテに見送られてリフィル村を出発した三人は、色味の変わらない林景色の中を進んでいた。慣れているからか、ピテは迷うことなく前をスタスタと歩き、リンも疑うことなくそれに続いた。ただ一人、ディーザだけが尻尾の火先を気にしながら足を進めている。
木々の間を歩いて丁度三時間程度が過ぎると、太陽もすっかり目覚めており、葉の間から差し込む光ですら暑さを感じた。
「あれ、何か飛んでくるよ?」
ディーザが道の奥を指差すと、前斜方から羽に鮮やかな模様が施されたポケモン-アゲハントが舞い降りてきた。その羽から降る鱗粉は、時折斜光によってキラキラと輝いていた。
「お待ちしてましたよ、ピテ様」
「出迎えだね。お疲れ様」
「いえ、とんでもないです。後ろの方はリンちゃんですか?」
「そうだよ」
「もうデンリュウに成長していたんですね。んー、小さい時が懐かしいですねー」
「もしかして、ビーティさんですか?」
「その通り。覚えててくれたんだね」
リンが名前を言い当てると、ビーティは優しさの滲んだ笑顔をこちらに見せた。
「初めまして。ディーザといいます」
「はい、お話は簡単には聞いてます。リンちゃんと一緒に旅をしているですよね。ありがとうございます」
「いやそんな……」
ビーティはペコッと頭を下げた。それを見たディーザは、初対面の相手に頭を下げられることに少し申し訳ない気持ちになった。
「ビーティさんには小さい頃からちょくちょくお世話になってたんだ」
「小さい時はよく、ビーティさんだけ空を飛んでズルい、なんて言って頬を膨らませたりしてたんですよ」
「ちょ、ちょっとビーティさん!?」
「へぇー」
「ディーザも忘れて!」
ビーティによって晒されたエピソードに慌てるリンを、ディーザは敢えてにやけ顏で見た。
「それでは、ちゃんとしたお話は着いてからにしましょう。村長も待っていますし」
「そうしよう。あれは待つのが嫌いだから、あんまり待たせるときっと目を真っ赤にさせるだろうからね」
「まぁ、また面白いご冗談を」
ディーザの目には、意地悪な顔をしたピテとそれで微笑むビーティが収まっていた。
まもなくして、景色が開放的になっていくのを感じるようになると、それと同時に軒並みがチラチラと見えるようになった。視界に小さく映る家屋は、リフィル村と同じく木造で規模も然程変わらないが、リフィル村の建物が円系なのに対してきちっとした四角の形を成していた。それは家の並びが規則正しいところにも反映されていた。
「あれですか?」
「そうです。あれがクフィル村です」
ディーザが指を差すと、ビーティが答えた。
そして、森と村の境目の空間にもまた一匹のポケモンが背筋を伸ばして待っていた。それはこちらの存在に気がついたのか、斜め四十五度に頭を下げた。
「お待ちしてました」
「久しぶりだね、ケテック」
そのポケモン、コロトックのことをそう呼んでピテは挨拶を交わした。
「それで、あいつの姿がないみたいだけど?」
「村長は既に[修行の岩門]に向かわれました」
「そうなのかい? 相変わらずせっかちな奴だね」
ピテは呆れたように一息ついて後ろを振り返った。
「リンとディーザは家で待たせてもらいなさい。ワシは直接会いに行ってくるよ」
「うん」
「ではピテ様は私と。ビーティはお連れ様のご案内を」
「もちろん。任せて下さい」
ビーティは小さな手を胸に当てて、どーんと任せろ、というサインを出して答えた。
それから村長の家に着くまでには五分と掛からなかった。ただ、低空飛行でビーティが羽ばたくと、時より零れる鱗粉が丁度ディーザの頭の高さに降るので、何度もくしゃみをしていた。リンは風邪でも引いたのかと心配していたが、ディーザにはリンの身長が羨ましく映るだけだった。
それとはまた別の岩壁の前では、すでにピテがある人物との再会を果たしていた。
「待たせたね」
「やっと来たか。準備はとっくに終わってるぞ」
「相変わらずだね、レオン。久々なんだからまずは挨拶ぐらいしようじゃないか」
「その通りですよ、村長」
その人物、エンペルトに対して、ピテは相変わらずの話し口調であり、ケテックもそれに沿ってコホンと咳払いをした。
「そんな柄じゃないだろう、あんたは。まぁいいけど」
「そんな柄とは失礼だね、相変わらず」
「その相変わらずの連呼やめてくれよな」
エンペルト、もといレオンは元から諦めているような口調で苦言を呈すると、まるで何かの勝負に勝ったかのようにピテはニカッと笑った。
「冗談はこれくらいにして、本題に入ろうかね」
「そうだな」
一通り笑い終わったピテが話を転換すると、先ほどまでとは空気が一変とし、固くなった。
「リンちゃんが旅に出てから三ヶ月か。意外に早かったな」
「いや、ロシからの連絡の時期からすると一ヶ月半だよ。アミュレットのこともあるし、案外逼迫してるのかもね」
「アミュレットの強奪、か」
レオンは頭をポリポリと二度掻いた。
「それにしてもさ、こんな回り道をするようなまどろっこしいことしないで、二年前の時点で俺たちが解決に乗り出しても良かったんじゃないのか?」
「あの時も言っただろう。もう私らも歳を食った。その上所在が分かってるメンバーだけで解決出来るとは思わない。それに、リンのこともある」
「それって、あの胡散臭い予言のことか?」
「他に一体何があるんだい。その予言通りにリンはディーザ君を連れてきたじゃないか。とにかく、相手が大き過ぎる。そのためにもリンにはあれを習得してもらわないと」
「なるほどな……。でもそのヒトカゲが来るまで、本当は半信半疑だったんじゃないのか?」
レオンの指摘にピテは口を噤んだ。
「図星っぽいな」
「ガサツなお前にしては勘が良いね。まぁ、どちらにしてもここまで事が起こっている以上、やってもらわないと」
「ガサツってなぁ……」
優位でいたつもりが、結局流れを持ちなおされたレオンはなんとも言えない気持ちになった。
「ところで、モノは相談なんだが、一人修行に付き合わせたい奴がいる。付けていいか?」
「どんな子かにもよるね」
「あんたも知ってる子だよ。それにろくな歓迎も出来ていないしな」
レオンは背後の自宅方面を指差した。
「お前が歓迎なんて、雪でも降りそうだよ」
「いつものことながら、一言多いよな」
気だるそうなをレオンの顔を見て、ピテはまたクスりと笑った。
そうしている間に、ビーティに連れられて歩くディーザとリンはの家に到着した。家の風貌は周りの建物と大差はなかったが、リフィル村の時と同様に広く敷地を占めていた。森の景観に同化するような木造の家は、キャンプ地にでもありそうな宿舎のような佇まいだった。
ビーティは入り口の前に立ち、目の前の扉をコンコンとノックした。
「只今戻りましたー」
ビーティの言葉の後、トトト、という足音が近づいてきた。
「ビーティさんだよね、おか……いや、ビーティさんの声を真似た不審者かもしれない……」
「そんなことないですよー。ビーティですよー」
中から聞こえてきた子供の声にディーザが首を傾げた。
「ビーティさん?」
「いつものことなんですよ。でも安心して下さい」
ビーティはそういうと、扉右端に空いていた針の穴程度の隙間に向かうと、口から細い糸を出してそこへ通した。
すると、突然ガチャっという音と共に扉が奥に引かれて小さな塊が飛び出てきた。
「ビーティさんだ、おかえりなさい!」
「はいはい」
ビーティはその塊を抱えて、和むようにふふっとと微笑んだ。そのビーティの様子はとても面倒見の良い乳母のようだった。
中に入ると、外観とのギャップの少ないロッジのような空間が広がり、入って右手側の壁にはそれに沿って作られた二階への階段があった。天井まで吹き抜けの構造のため、実際よりもずっと大きく見えた。
「お二人はあそこのテーブルのところに座って待っていて下さい」
ビーティはそう言うと、懐にいるポッチャマに部屋に戻るように伝えたようで、言われた当人は小走りで二階へと駆けていった。それを見届けると、ビーティはすぐにフロアの奥に向かっていった。二人が取り残された空間には包むような木の匂いがしていた。
ビーティが戻ってきたのは、それから程なくしてからだった。
「粗茶ですが」
「あ、ありがとうございます……」
その丁寧な振る舞いと、慣れた様子で手順を踏むビーティの習熟度の高さを察したディーザは改めて緊張の色を呈した。
「さっきのポッチャマって、もしかして村長の孫とか?」
「そうだよ。わたしはまだ喋れないくらいの時に会っただけだからあまり詳しくはないけど」
二人の間だけに聞こえるぐらいの小声でディーザが聞くと、同じようにしてリンも返答する。それを察してか、ビーティはおもむろに口を開いた。
「あの子は村長のお孫さんでルイ君といいます。ちょっと臆病なところがあって、さっきみたいに用心深かったりするんですよね。でもいい子で優しいんですよ? お友達は多くはないみたいだけれどね」
ビーティはお茶を少し啜った。
「外で遊び回るというよりは家の中で本を読んだりしてるタイプで……、あとは食いしん坊さんかな」
そこまで言うと、まるで母親が幼い息子の話をするように穏やかに笑った。そんなビーティを見て、二人は人心地ついた。
そんな時、玄関口からノックの音が聞こえた。それに合わせて、戻ったぞ、という低い声だけが届いた。
「帰ってきたみたい。ちょっと待っててね」
はい、と返事をした二人を残し、ビーティは席を立って玄関へと向かい扉を開けた。するとそこには、背筋の伸ばした青く背の高いポケモン、エンペルトがいた。そしてその後ろにはピテの姿も見えた。
「おぉリンちゃん、久しぶりだな」
「ご無沙汰してます、レオンさん」
そのエンペルトがリンと親しげに言葉を交わしたのを見て、ビーティとの間柄に似たようなものを感じた。
「君が、ディーザか」
「えっ?」
不意に向けられたその視線にディーザは背筋を伸ばした。レオンはそのまま少しの間ディーザに目を向けていたが、何か言葉をかけるようなこともなく焦点を議題へ戻した。
「聞いた話だと、アミュレットを盗んでいる輩がいて、そいつらを追っているんだってな」
「はい。最初はわたし自身がアミュレットを探していたんですけど、あいつがアミュレットを使って良くないことをしようとしてるって知ったら、止めなきゃって思ったんです」
「そうか……。君は、どうなんだ?」
再びレオンがディーザに視線を向けた。
「俺は、リンに付いて旅をしているだけでした。でも今はリタイを、俺もあいつを止めたいんです。やられた時のリベンジをしたいっていうのもあるんですけど」
今度は臆するようなこともなくそれに答えた。
「なら話は早い」
と、しばらく沈黙していたピテがそれを破った。
「この村の奥には、[修行の岩門]という場所があって、その中にはダンジョンがある。その最奥部にあるものを取ってくるんだ」
「"もの"ってなんですか?」
「ん、それはお楽しみだよ。もし知りたいのなら取ってくればそれで解決するだろう?」
「は、はぁ……」
ピテは一拍置いてからひょうきんに笑った。ピテ節が苦手なディーザは苦笑いするしかなかった。
「まぁ、善は急げ、とも言うから」
レオンはその言葉とは別にディーザに同情したような顔をして言った。それがディーザに伝わったらしく、あれを苦手にしているのは自分だけでないことを知った。
「"もの"っていうのも気になるけど、あまりのんびりしてられないわけだし、早速行ってみようよ」
気を取り直したディーザがそう言うと、その横でリンも同意を示すために頷いた。
「決まりだね。それじゃあ……」
「っと、そうだ。二人ともちょっといいかな」
その先を仕切ろうとしたピテの言葉をレオンが遮った。ピテの顔は言うまでもなく不機嫌そうだった。二人が各々、はい、と返事をしたのを見てレオンは言葉を続けた。
「ルイを、一緒に行かせてもいいかい?」
「なんだってルイ君を? まさかさっき言ってた子っていうのは……」
「あのダンジョンとの相性っていうのもあるが、きっといい効果がある」
「またそれか……」
「まぁそういうなって。ビーティさん、ルイを呼んできてくれないか?」
「わかりました」
困った顔をしてため息を吐いているピテを他所に、レオンはビーティにルイを呼びに行かせた。
「リン、どうする?」
「うーん。正直[修行の岩門]にはわたしも行ったことがないから判断できないけど、レオンさんが言うくらいだから大丈夫だと思うよ」
それは年齢的にという一方でレベル的にもという風にも聞こえた。事実ディーザには、修行をするからには困難があって当然と言える場所に、自分よりも幼い子が同伴することに不安がないといえば嘘になる。ただ、以前一緒に行動したことがあるフーカのことを考えると、案外年齢は関係ないようにも思えていた。
「わかりました」
気がつけばディーザがレオンにそう返答していた。
「すまないね。きっと迷惑をかけるかもしれないけど」
「大丈夫ですよ」
何か考えがあってそうしていることは言わずともわかる、とでも言うように凛として答えた。
「それじゃ向かうとするかね」
待ちくたびれたようにピテが口を開くと、しばらくの間忘れてしまっていたことにみんなが気がついた………