第三十九話-解決策
「ディーザ君」
リンが部屋を出ていくのと同時に無意識に席を立ってリンを追いかけようとするディーザに訴えるようにしてピテが呼び止めた。それがリンとジュテを、まずは二人で会わせたいという思案の故の制止であることは、我に返ったディーザにはすぐに理解出来た。
「君には別に話があるのだが、いいかい?」
「何ですか?」
しかしそれだけではなく、敢えてリンがこの場にいないことを利用するかのように話事を持ち掛けてきたため、一体何の話題についてなのかディーザは心当たりを探っていた。
「ロシのことは覚えているかい?」
「えっと……、誰ですか?」
「名前は聞いてないんだね。ではまず、これを見てもらっていいかな?」
と言って、ピテがディーザに手渡したのは、開封済みの一封の横長で長方形の封筒。こちらの世界ではどうなのかはわからないが、今時珍しい、けれどこれこそが手紙と言える三つ折りにされた一枚の便箋が入っていた。
「集会所の管理人のヤドキング、といえば分かるかな?」
「あの人からの手紙なんですか。でもどうして?」
「ちょっとした知り合いだよ。その手紙はつい二週間前に届いたんだよ」
ピテの説明を受けつつ、ディーザはあのヤドキングのイメージにそぐわない綺麗な字で綴られた文字を読み進めていた。
そしてその途中には、あのことも書かれていた。
「あの……」
「なんだい?」
「これ、読まれたんですよね?」
「そりゃワシ宛の手紙だからね」
それを聞いたディーザはもう一度同じ所を読み返す。
[元人間だ、って言うヒトカゲに会いました。ピテさんの所のリンちゃんと一緒にいますよ]
確認を済ませたディーザはピテの方に視線を戻す。
「じゃあ、最初から俺のことは知ってたんですか?」
「そうなるねぇ」
また、あの全てを見通しているかのような目が向けられた。ディーザはこの感じがどうも苦手で落ち着かなかったが、頭の中は至って冷静だった。
「俺にこれを見せてるってことは、この話、少なくとも信じてるってことですよね。あの人が、俺がリンと一緒にいるってだけで連絡するとも思えない。もしかして、このことについて何か知ってるんですか?」
「勘がいいねぇ。ご名答だよ」
ディーザの回答を聞いたピテは椅子から腰を上げ、部屋の隅にある本棚に向かった。目立って背中が曲がっているなどの特徴はないが、その足取りは軽やかではなく、長老が長老であることをディーザに再認識させた。
ピテは本棚の一番下の段の端からノート二冊分の厚さの本を引き出し、背表紙に付いた埃を払った。
「世界が危機的状況に陥る時、それを救わんと別の世界より姿を変え訪れし者あり。これ、世界を生みし者の定めなり」
本を手に持ったピテは、また椅子の所へと戻りながら呪文を唱えるかのように呟いた。
「それはつまり、人間がポケモンになるのは、役目を持っていることが前提だってことですか?」
「そうなるねぇ。事実、アミュレットを奪う者が現れ、世界には歪みが起きている。ダンジョンの増殖がそれを物語っている」
「……そうなんですか」
誰が聞いても驚きそうな内容の説明を受けたにも関わらず、ディーザは少しも驚かなかった。自分がただの事故などでこの世界にやってきたのではないことは、既に解っていた。
「ところで、記憶は幾らか戻ったのかい?」
「誰かと同伴で、誰かを追ってきたみたいです。あと、案内人みたいな声だけの存在もありました」
「なるほど。記憶がなくなった上に仲間も散り散りにときたか…」
ピテに問われ、ディーザはここまで夢で見て思い出した内容をそのまま伝えた。その情報を元に、何やら思考を巡らせているような素振りをピテは見せた。
「これからどうするべきだと思いますか?」
自分の置かれた状況を把握した上で、やるべきことを分かった上で敢えてディーザはそう聞いた。まるで、発注作業で間違いがないか確認するように。
「分かり切ってることだよ。リンと一緒にいてやって欲しい」
「へ?」
「つまり、リタイレムとやらを止めるんだよ」
「あぁ…、そういうことですか…」
予想してたのと違った形で御触れが下されて、張り詰めた空気に漂っていた緊張感はあっさりと取り払われてしまった。もちろん、ピテにそんなつもりはなく、至ってどちらも真面目な答えだった。
「しかし、今のままで勝てると思うかい?」
「そう言われると、正直…」
目的ははっきりしたものの、それを熟すことが出来なければ元も子もなかった。
「ほう。威勢でも張って見せるのかと思っていたけど、意外に自分が見えてるみたいだ。ではどうするべきだと思うかね?」
ピテに問われると、ディーザは心なしか試されているように感じた。
「……修行をする、ですかね?」
確信を持った答えでないがために、ディーザは遠慮がちにそう答えた。
「よし、わかった。修行場にいい所を知ってるから少し準備しておこう」
一拍間を置いた後、修行することを快諾したように見えたピテだったが、その表情は正と負の混じった微妙なものだった。
そして一階では、リンを含めた三人は、大部屋である一階に唯一と言っていい家具である椅子にそれぞれ座っていた。久々の再会にリンは涙を堪えられず、目元を泣き腫らし、そんなリンが落ち着くまでジュテが宥めるには少し時間を要したが、今は話せる状態まで落ち着いていた。その間、その隣にいたキノガッサは何とも言えない複雑な気持ちのためか、自分の立ち位置の取り方に困っていた。
落ち着きを取り戻してからは、お互いに多少の気を使いながらの会話を交わしていた。
「脚は、良くなったの?」
「少しは自分で歩けるようになったよ。松葉杖は必要だけどね」
リンにそう聞かれると、ジュテは左足がリンに見えないように健常である右足をプラプラと振って見せた。
「とは言っても、まだ長距離は無理だけどな」
そこに水を差したのは、先程ジュテと共に家の入口を潜ってきたキノガッサ-テジで、ジュテとは仲の良い男友達。リンとの交流は深くはないが、知らないわけでもないという微妙な関係性だった。それ故に、テジの嫌悪感を滲ませる態度にリンは臆してしまっていた。
「……療養は、いつから?」
「知らないってことは、本当に全面的に避けてたんだな」
「止めろよテジ」
半ば責めるような口調のテジをジュテが止めた。それはジュテ自身、自分にも非があると思うがために耳に痛い言葉だったからでもあった。
「療養は怪我をしてから割とすぐに始めたんだよ。婆ちゃんに、森の泉には傷を癒す効能があるから行かないよりマシだろうって」
「そうだったんだ……。ごめんね、全然知らなかった」
明るい表情で話をしてくれるジュテが気丈に振る舞っているように見えてならないリンは少し俯きながら謝った。
「よく考えたら、全員が要らない気を使ったせいなんだよな。誰も一歩を踏み出さなかったのが溝を作った原因ってことか」
テジが何気なくふとそんなことを言った。しかしその台詞は、未だ壁を作っていることをリンに気づかせた。
「次に泉に行く時は、わたしも一緒に行かせてくれない?」
「もちろん。寧ろ嬉しいよ」
一歩踏み出して、勇気を出して言葉を発し、ジュテはそれをしっかりと受け取った。
「…ありがとう」
リンとジュテが面と向き合い、こうして話し合えたことで、二人の間にあった蟠りが少し晴れたように三人とも感じた。
「それじゃ、俺はこの辺で失礼するよ」
「そっか、この後用事があるんだったよな。時間取らせて悪かったな」
「別に問題ないから気にすんなって。また明日な」
そう言ってテジはその場を後にしようとした。その時リンは、テジに対して声は掛け辛かったため、その代わりに気付かれないようにそっと手を振った。
「そうだ。ジュテに会って欲しい人がいるんだ。いま二階にいるんだけど……」
「上れるよ。大丈夫」
「でも……。うん、おばあちゃんと一緒に呼んでくるよ」
松葉杖を持って立ち上がろうとするジュテを気遣ってその場に残らせた。
リンは速足で階段を上っていき、再びピテの部屋の扉をノックをしてから扉を開けた。
「おばあちゃん、ディーザ」
その迷いのないノックと共に部屋へと入ってきたのは、行きの神妙な顔つきが消え、どこか嬉しさが滲んでいるような表情のリンだった。それは、その顔を見たピテとディーザも同様だった。
「話は終わったのかい?」
「うん。テジ君は先に帰ったよ」
「そうかい。それでどうしたんだい?」
「ジュテにディーザのことを紹介しようと思って」
「俺の?」
ディーザが自身を指差すと、リンは小さく頷いた。
「そうしたら下に降りるとするかね。ワシは少し出掛けてくるよ」
「うん、わかった」
そうして三人は階段を下って一階に降りると、ジュテはそのままの位置で少し眠そうにしていた。そのジュテにピテが留守番を頼むと、わかった、と言いながら頬を叩いて眠気を飛ばした。
ピテが家を出た後は、ディーザとジュテの簡単な自己紹介に始り、旅の道中の話を経て、リフィル村の最近の出来事の話に落ち着いた。ジュテによると、ピテが言っていたようにダンジョンの増殖が起こっている影響で、村の北側にある砂漠の規模が拡大し、そこから吹き込む砂の影響で枯れる木も出始めてるとのことだった。
一通り話を終えて、水を飲んで息抜きをしながらピテの帰りを待つこと数十分。ようやく当人が帰ってきた。
「待ってたのかい?」
「戻ってくるまでは居ようと思って」
ピテが尋ねるとリンが答えた。
外の景色はいつの間にか赤く色付き始めていた。
「ちょうどよかった。ディーザ君に……。いや、リンにもだね。ちょっと提案があるんだよ」
「提案?」
後付けで対象に含まれ、不思議に感じたリンが聞き返した。
「ディーザ君とはさっき話したんだけどね。敵と戦うなら少しでも強くなっておいた方が良いだろうと修行場の準備をしておいた。明日からでもやってもらおうと思う」
「修行って、婆ちゃん随分急な話だな」
普段の生活では聞かない、増しては口にしない修行という言葉は、ジュテにとって全く脈絡のない急な話だった。
「ううん、急じゃないよ」
すると、無意識に声色の変わったリンが答えた。ジュテは目で理由を尋ねるようにリンを見た。
「ディーザには、わたしが旅に出た理由はおばあちゃんが見つけられなかったアミュレットを探して当てて、プレゼントするためって言ったよね。もちろん嘘じゃないけど、本当は叶えて欲しい願い事があったから」
リンはジュテの方に向き変えってそう話した。そして、その叶えて欲しかった願い事は、明言せずとも全員が理解した。
「その途中でディーザに出会って、アミュレットも見つけた。でもそのアミュレットは奪われて、今世界では歪みが起きてる。わたし達、それを止めたいと思ってるの」
決意を見せたその時の顔は、とても凛とした表情になっていた。
「そうと決まったら、早速明日からやるよ」
ピテの言葉に、リンはもちろん、ディーザも頷いた。ただ、その二人を見ていたジュテの心境は、どこか置いていかれているような思いに駆られていた………