第三十六話-兆し
「グラド、何を話してたんだ?」
「特別報告するようなことはしてないさ」
ディーザの問い掛けに、たった今市庁舎から出てきた、重荷が取れたような顔をしたグラドがそう答えた。
そして、街の空模様は五人の知らぬ間に青一色となっていた。
「さて、これからどうする?」
ハメイが議題を持ち出した。
「僕はまず小屋に戻るよ」
「俺も自分の家に戻る」
フレットとグラドが答える。
「リン、俺達はもう出発する?」
「そうだね。準備なら昨日の内に終ってるわけだし」
「じゃあ一度集会所に戻らないとな」
ディーザとリンからも回答が出た。
「なら、とりあえずはここでお別れだ。俺も一度家に帰る」
そう総括すると、ハメイは現れた時のように目を閉じながらその場を離れていった。
「また会おうな」
ハメイを見送ると、グラドもまた、しみじみとした様子で歩いて去っていった。
「じゃあ僕も…」
「あっ、フレット、俺も付いていっていいか?」
と、ディーザが言ったのは、フレットもこの流れでこの場を後にしようとした時だった。
「どうしたの?」
「いや、小屋の子達にも一度会ってるから挨拶しておこうと思って」
「そうなの? うん、いいよ」
「ありがとう。ということわけだから」
フレットに付いていくことになったディーザは、リンの方を向いた。すると、リンは腰に手を当ててこう言った。
「わかったよ、"また"、待ってるから」
「う…、なるべく早く戻るよ…」
リンの少しの嫌味が込められた承諾を聞いたディーザは、善処するように約束するしかなかった。
小屋までは然程時間は掛からなかった。最初にディーザが訪れた際に掛かった時間と比べると、余計だった分を除いても三分の一程度だった。ディーザは、さすが地元だなぁ、と感動に似た感情を持っていた。
「ただいま〜」
「あっ、フレット帰ってきた!」
「「本当だ、帰ってきた!」」
フレットが小屋の扉を開けると、中で仲良く遊んでいた子供達がフレットの帰りに歓喜した。
「よかったな、元気そうで」
「そんなに心配してくれてたの?」
「昨日の朝に見てから一日放っておいたら心配にもなるさ」
「確かに、言われてみればそうだよね」
フレットは頬を掻いてみせるしかなかった。
その時、大勢の中の一人が、フレットに向かって大声を出した。
「フレット!」
「どうしたの?」
「お腹空いた!」
フレットとディーザに沈黙が起こる。
「お腹空いたって」
「うん、お腹空いたって言ってる」
「「くっ、ははは!」」
お腹が空いたという、ただそれだけのことだったが、あまりの無邪気さに笑うしかない二人だった。
「じゃあご飯作ろうか。ディーザ君も食べていく?」
「いや、俺はリンを待たせてるからいいよ」
「そうだったね。皆を心配してくれてありがとう」
「おう、元気でな」
フレットとの会話を終えて、ディーザは小屋の入口から外へ出ていくと、それに気付いた子供達が一斉に声を上げた。
「「お兄さん、よろしくなー!」」
「えっと…。あー、よろしくな」
子供達の意図が一瞬わからなかったディーザだが、すぐに何のことを言っているのかを察し、手を振って答えて扉を閉めた。
「よろしくなって?」
「お兄さんが言ってた。"また会おうね"って意味なんだって」
子供達がわいわいとしながら答えた。
「ふーん、そうなんだ」
その時の子供達の顔を見たフレットの顔には、笑みが溢れていた。
………………………………………
それから時間が過ぎていき、ディーザとリンの二人は森林の中を歩いていた。ナサハシティとの境にある丘を越えると見えてくるこの森は、まるで地平線に伸びる緑の絨毯のようで壮大だった。
太陽が傾き、西日と呼べる程になった頃。二人は野宿をする場所を決めていた。
「今日はもう日も沈みそうだし、ここで休もうよ」
「そうだね。昨日までの疲れもあるし、早めに休もっか」
今二人がいる森は、上から見た通りの樹海だった。ある程度予想はしていたが、夕方の時点で既に視界が悪くなってきていた。
二人はこの人気のない場所でテントを張ると、晩ご飯の準備を始めた。食糧はナサハシティで調達してあるため、特に困るようなことはない。
「ナサハで買ったポロックと、タポルのクッキーならどっちを食べる?」
「今ポロックは食べないでしょ? 非常用なんだから」
「俺は食べたことがないから食べてみたいんだけどなぁ」
ナサハで買ったのは、グミと名産品のタポルのみで作ったクッキー、非常食として旅人に人気のポロック。きのみをすり潰してから硬く固める何かをすることで作られるポロックは、味によって赤や青などに色が変わるので、見分けが簡単になっている。どうしてそうなるのかということと、固める工程は企業秘密だそう。
結局はきのみとグミだけで食事を済ませた二人は、就寝する前のお喋りを始めた。
「ディーザは最近、よく夢を見てるみたいだけど、どんな夢を見るの?」
「何でそんなこと知ってるの?」
「このところよく寝言を言ってるから。どんな夢を何だろうなぁなんて思って聞いてみようと思ってた」
何を言っていたかは定かではないが、寝言を聞かれているということに、ディーザは無性に恥ずかしい気持ちになった。が、ディーザの見る夢というのは、映像こそはっきりしていないが、内容は覚えているもの。それ自体は恥ずかしいものではないので、ディーザは質問に答えることにした。
「うーん、よくわからないんだけど、何だか懐かしい感じがするんだ。それこそ昔の記憶を思い出すような感じの夢で、回想って言ったらいいのかな?」
「記憶を思い出す?」
「そう。聞き覚えがあるようなないような、はっきりしない感じだけど」
ディーザの説明に出てきた"記憶"というワードに、リンは大事なことを思い出した。
「ディーザ、ちょっといい?」
「何?」
そう言うと、リンはバックから水筒を取り出してディーザの前に置くと、今度はリンが説明を始めた。
「実は、[知識の地底湖]の水には、記憶や閃きを引き出す作用があるってユクシーが言ってて、その水はこの水筒に入れてきてるの」
リンの言葉を聞いて、ディーザは反応するのに少し時間が掛かった。それは、リンの話の内容が理解出来なかったわけではなく、その時視界に入ったものがそうさせてていた。
「どうしたの?」
ディーザはその言葉でハッとして深呼吸した。そして、なるべく落ち着いて話すことを心掛けて口を開いた。
「それの中身が、その水なの?」
「そうだよ?」
ディーザは、それを指差して間の抜けた顔をした。それが伝染したかのように、リンの表情も真顔も崩れてしまった。
「俺、ナギノにいた時に喉が渇いて、ちょうどその水筒かあったからその中身飲んだよ」
リンは応答しなかった。
「ごめん、勝手に飲んで悪かったよ」
リンは思考を巡らせていた。自分が何日も苦悩してやっと水の正体を伝えたのに、既に飲んでいたとあれば、わけの分からない気持ちになることは常のように思われた。
「もう、飲んでたの…」
「だから、その、ごめん」
「もういい、寝る」
「えぇ〜……」
リンはふてくされるように言い捨てると、ディーザに背を向けて本当に寝に入ってしまった。その様子に、ディーザは戸惑うような反応しか出来なかった。
そして、何とか取り繕うと奮闘していたが、そのまま応答してもらえることはなく、リンは寝息を立て始めてしまった。仕方なく、この時はディーザも諦めて寝ることにした。
その明け方。
テントの中で横に並んで寝ていたリンとディーザ。リンはいつも通りにスヤスヤと寝ていたが、ディーザはとても寝苦しそうにしていた。
そんなディーザの視界には、開けた草原が広がっており、その真ん中で誰かがやり取りをしているぼやけた映像が見えていた。
………………………………………
「うーん、ここはどこだ?」
「あう〜、お腹痛い…」
その場所に倒れていた二人が意識を取り戻した。その二人はお互いを認識すると、まるで初めて顔を合わせたかのようにキョトンとした。
「「っ、ポケモンが喋ってる!?」」
「「えっ?」」
「「何でポケモンがいるの!?」」
その二人は、慌てて互いを指差し、声を合わせて驚愕していた。そんな光景を、ディーザは何故か懐かしく感じていた。
「申し訳ありません。二人ともご無事でしたか」
そんな時、ディーザを含めた全員に聞き覚えのある神々しい声が頭の中に響いた。
「この声は! おい、どうなってるんだよ!?」
「それについてお話がありまして…」
「何?」
男の子が怒号を散らし、女の子の方が声に聞き返した。
「それが、うっかりしてまして、世界のバランスを崩さないために、この世界に来る際にはポケモンの姿になってもらう、という非常に大事な説明を忘れてしまいました…」
さらっと重大発表された二人は、束の間の沈黙を余儀なくされた。
「うわ〜、そんなのないわ〜。あり得ないよ〜」
男の子の方が、軽蔑するように嫌味ったらしく言った。
「どの道この世界でポケモン以外の生き物がいれば忽ち大騒ぎになりますから、悩まなくて済んだと思って、前向きに考えましょう」
「そうじゃない。説明を怠ったことを言ってるんだ」
男の子にそう言われ、声はそれ以上は反論をしなかった。
「加えてですが、名前は別のものを使って下さい」
「何で?」
「これから敵対する相手は、私と同等の存在です。本来の名前を使っていると、気づかれるのが早くなってしまうかもしれません。これから力を付けてもらう時間が必要ですから、それまでの時間を少しでも稼ぎたいのです」
まるで、事務作業をしているかのように、冷静に、淡々と説明した。
「確かに、俺達は技の使い方とか知らないもんな」
「それで肝心の名前はどうするの?」
「うーんと…」
男の子が腕組みをして考えだした。すると、女の子の方が上を見上げてそう宣言するように言った。
「わたしはリーフで。可愛いし、見た目的に」
「こういうのはいつも早いよね」
男の子は組んでいた腕を解くと、そう言って女の子の方を見た。
「でも俺も決めたよ。ディーザで」
「お二人とも決まりましたね」
「(えっ……?)」
その後、しばらく続いたこの出来事を、ディーザは記憶に残らない程に薄れていく意識の中でただ呆然と眺めていた。
………………………………………
「ちょ、ちょっと待て!」
ディーザは飛び起きるようにして目を覚ました。その額に浮かぶ、昨日よりも増した汗の量がその慌てぶり、動揺を表していた。
「今のは本当にただの夢なのか…?」
そう自問するが、自答は出来なかった。いや、正確にはまだ自分の中で答えが纏まっていない、というのが適当だった。
「ディーザ、また?」
昨日と同じように、またディーザの声でリンが起き上がった。
「あっ、リン…」
その呼び掛けに対し、ディーザは気まずそうにリンを見た。リンはその反応の仕方から、ディーザの今の心情を悟ったようで、まずはこの言葉から入った。
「昨日はごめんね」
「え、いや、元はといえば俺がいけないわけだし…。また起こしちゃったね」
あまりの気まずさに、ディーザは話題を昨日から逸らした。
「また夢を見たの?」
「うん、実は…」
リンの問いに対し、ディーザは自分が今見ていた夢の内容を話した。これまでとは違って、内容がはっきりとしていたこと。その中には自分と同じ名前の人物がいて、誰かと一緒だったことなど。
「どうする?」
「どうするって?」
神妙な面持ちで、リンはディーザを見ていた。
「地底湖の水を飲んだら、もっとちゃんとしたことが分かるかもしれない。だからどうするってこと」
その時のリンは、ディーザが驚く程、実に落ち着いた様子でいた。
「記憶は戻って欲しいと思う。最近見る夢が記憶に関係があるとすると、気になることが多いし、はっきりさせたい」
「そうだよね…」
リンは一瞬の間だけ、目をつぶって何かを巡らせていた。
「いっそのこと、一気に飲んじゃってよ」
ディーザの考えを聞いたリンは、今度は縛っていた縄が解けたかのように明るい顔になり、そっと水筒を手渡した。
「うん」
それに後押しされたかのように、ディーザは迷わず蓋を外し、コップに水を注ぐと、それを一気に喉に通した。
「どう?」
「どう? って言っても、そこまで即効性があったら逆に怖いよ」
「そっ、そうだよね。しばらく様子見だね」
水筒の中身にはもう一杯分残っていたので、ディーザはそれも注ぐと一気に飲んだ。
「全部飲んだ」
「よし、早く片付けて出発しよっか。この辺りからならあと半日ぐらいで着けるよ」
ディーザが水筒を振って音がしないことを確認すると、リンはすっと立ち上がった。
「うん、行こうか」
ディーザも続いてその場に立つ。
「記憶、戻るといいね」
「リン、ありがとう」
二人のテントは、遮る草木を物ともせず降り注ぐ太陽の日によって、包むように温められていた………