第三十二話-脱走計画
その日の夜。会議の後一度別れた四人は、それぞれの所定の位置にいた。と言っても、ハメイ一人だけが例の伏流の川下に当たる、岩壁から水が滲み出ている場所に待機していた。グラドとディーザ、リンの三人は刑務所の裏手の近くにいた。ここまでは、グラドが先陣を切り、それに付いてディーザとリンで夜道を照らすという形で来ていた。
その人目などは絶対にないようなこの場所で、グラドが口を開く。
「ここまで来て何なんだが、ディーザとリンは、こんなことやらなくてもいいんだぞ?」
それは、本来関係のない二人に対しての気遣いだった。しかし、当の二人にとって、それは愚問だった。
「本当に今更だよね」
「そうだよ。いいに決まってるから手伝おうとしているんだから、気にしなくていいよ」
その言葉を聞いて、グラドはぐっと何かを堪えていた。
「ありがとな」
今回の計画は、三人が所定の位置に着いたところで、ハメイが間欠泉を起こす。これに合わせて、刑務所の高い壁に脱出用の穴を三つ空ける。二つの作業のタイミングを合わせることで、壁を壊した時の音を間欠泉の衝撃で掻き消して、損壊場所を相手に知らせないようにするのが目的だ。三箇所に穴を空けるのも、逃げた方向を少しでも撹乱するという目的がある。なので、三人の感覚は百メートル以上離れるようにすることになっている。
「(こっちは準備が出来た。そろそろ始めるぞ)」
三人から離れた場所で、相変わらず無表情のハメイがテレパシーでそう伝えてきた。相変わらずこの無愛想な話し方だが、ディーザとリンもこれにはもう慣れてしまった。
ハメイは目を閉じて、両手をガッチリ結ぶとすぐに、その手先から沿って肘の辺りまでを青い光の筋が輪郭を作り出した。それに連なって、滲み出る水の量が段々と減っているように見えた。
「わかった」
グラドが落ち着いた雰囲気で返事をする。
「なぁ、グラド。腕に付けてるのは何?」
「これか? 俺の母さんの形見だよ」
ディーザにそう答えたグラドは、少し難しい顔をした。
「もしかして悪いこと聞いちゃったか…?」
「別に気にしちゃいないさ」
「そうか。ならよかった」
これから始まるイベントにおいて、もし仲違いでもしてしまえば、上手くいく可能性は下がってしまい兼ねない。これがその原因にならずに済んで、ディーザは少しホッとした。
「さぁ、ハメイが待ちくたびれてるから早く位置に就こう。俺がここ、ディーザがあっちで、リンがそっちな」
グラドの言葉に二人が頷き、壁を伝ってグラドの位置から百メートル程離れた任意の地点まで移動を始め、それぞれが所定の位置に立ち止まると、ディーザとリンはそれぞれ合図を出した。
「(今から間欠泉を起こす。俺の合図に合わせてくれ」
ハメイの言葉に、三人がそれぞれ頷く。
「いくぞ。三、二、一…、フッ!!」
「"メガトンパンチ"!」
「"かえんほうしゃ"!」
「"チャージビーム"!」
………………………………………
今晩の空には、街を明るく照らす月が出ている。その形からして、数日後には満月になるだろう。薄っすら見える雲は小さく疎らで、天気に回復の兆しが見えていた。
「…さて、今日は帰るとするかな。ん、何だ?」
市長のブルドが席を立つと、突然縦揺れの地響きが始まった。そして、まもなく下から突き上げるような衝撃が市長室を貫いた。その勢いでフラついたブルドは、机を頼りに態勢を保とうとしていた。
その揺れが収まると、すぐに秘書のスリーパーがブルドの元へ来た。
「市長! お怪我などありませんか?」
「大丈夫だ。それにしても、これは一体何だ? 地震にしては突発的過ぎるが…」
「それが、特別監視牢を謎の間欠泉によって損壊しました。今のはそれによる衝撃です」
机の上で倒れているスタンドを立て直しながら聞いていたブルドは、秘書の言葉に怪しんだ顔をした。
「何故、間欠泉なんかが?」
「原因はわかりませんが、運の悪いことに、それはフレットの牢を破ったようです。それに乗じて、フレットはすでに逃走したとのことです」
その報告を聞いたブルドは、少し思考を巡らせた。
「今の話だと、フレットの対応は妙にスムーズだ。間欠泉も含めて、協力者がいるのは間違いないだろう。だとしたら、恐らくその輩はあの辺りにいるはずだ」
「なるほど、あの場所ですか。解りました、すぐに対応致します」
会話はそこで終わり、秘書は与えられた仕事を熟すために部屋を出ていく。
「奴らは、どうにも懲りないようですね…」
去り際に、そんな言葉を残しつつ…。
………………………………………
「間欠泉って、結構派手だったね」
リンがそう感想を述べた。
穴を空け終えた三人が再び元の位置に集まり、次の行動に備えていた。
「それにしても、天井までぶち抜く必要性あったのか?」
「そういう予定ではなかったが、どうせやるなら派手な方が相手の気を引けていいだろ?」
「そういうもんかなぁ?」
グラドの理由付けに、ディーザは少し腑に落ちない様子だった。
「(フレットはもうすぐ外に出るようだぞ)」
その原因のハメイから、グラドに向かって連絡が届いた。
「そうか」
「そうはいきませんよ」
三人の目の前に、スリーパーが上空から現れ、ゆっくりと下降してきた。
「誰だ?」
「ナサハシティの市長の秘書をしております、ヨープと申します」
地面に降り立つと、スリーパーは落ち着いた様子で名を名乗った。
「市長のってことは、味方じゃないな。それにしても、何でここがバレたんだ?」
慌てる様子のないグラドが呟いた。
壁を壊すタイミングは三人共ズレることなく出来ていた。間欠泉の大きな衝撃と騒音によって、壁の音はしっかりと掻き消されていた。すなわち、音で居場所を察知されることはないはずだった。
「そうそう。そちらの思惑通り、倒壊音は上手く消せていましたよ。しかし、前にも似たようなことはありましたからね〜。こちらには過去から学んだ経験があったということです」
「前?」
グラドは問うように呟いた。
「思い当たらないのなら、無理に知ることはないでしょう。それはさて置き、フレットを逃がすとこちらに不利益が生じるので、是非やめて頂きたいですね〜」
「元々はお前達のせいで、こんなことになってるのをわかってて言っているんだろうな?」
「何のことでしょう? 貧しいのはそちら側に問題があるからでないのでしょうか? それに、それが盗みを働いてもいい理由になりますか?」
「それはお前達がこっちを追い詰めるようなことをするからだろ! お前らのせいで、こっちには小さいチャンスすら転がって来ないんだ!」
「負け犬の遠吠えですね。チャンスに形も重さもありません。故に、坂の上にあるものは下にいても転がってくることなどありませんよ?」
「御託ばかり並べやがって! もう我慢ならねぇ!」
グラドの言葉が意図せずに荒くなる。あしらわれ続けたことによって頭に血が登っているようだった。
「グラド落ち着こうよ。相手はあいつ一人しかいないんだし、下手に騒いで援軍が来たらその方が面倒だよ」
「聞こえてますよ? その辺りはご心配なく」
ディーザがグラドを宥めようとしているちょうどその時、シナリオ通りと言わんばかりに、三人が空けた後方の穴から数匹の援軍が到着した。
「これじゃフレットは出て来れないんじゃ…」
「出て来れるさ!」
ディーザの言葉に対抗するように、援軍のさらに後ろから"でんこうせっか"を使い、敵を蹴散らして何かが登場した。
「フレットじゃねぇか。遅いぞ」
「無茶言うなよ。最初からバレてたみたいに監視が沢山いたんだからな? そのところ、ナビゲートしてくれたハメイに感謝しないといけないな」
フレットは少し笑みを零した。
「これは想定外でしたね。中で片付くと思っていました」
ほほう、と感嘆を漏らし、指をパチンと鳴らした。すると、取り巻き達が一斉に動きだし、攻撃の構えを見せた。
「戦うしかないな」
グラドが戦う構えを見せた時、刑務所から再び間欠泉が吹き上げられた。天井に空けた穴を抜けて青い筋を輪郭に帯びると、畝りながらこちらへ飛んでくる。
「「ぐわ!」」
それは不意を突かれたヨープ達に命中した。
「相変わらずハメイは手荒いな」
呆れ調子でフレットが言った。
水流が収まると、威力に押されて飛ばされた援軍の一部と、びしょ濡れのヨープ達がいた。
しかし、見た様子からして、上手くその場をやり過ごしていたヨープには大したダメージにはならなかったようだ。
「手荒なことは嫌いですね〜。ですが、先に仕掛けてきたのはそちら。これから先は正当防衛になることですし、少し痛ぶってあげましょう」
ヨープは二度三度、手を鳴らした。
「まぁ、待て」
「市長!? 何故こちらに?」
今にも仕掛けてきそうなヨープを止めたのは、後から歩いてきたあのブルドだった。
「待っているのも釈然としないからな。ん、グランブルもいるのか? まったく…。同じ種族として恥ずかしい限りだ」
ゆっくりと歩を進め、軽蔑するように四人を見た。しかし、ある物を視界に捉えた瞬間、ブルドは驚き、目を見開いた。
「そこのグランブル、その腕輪は何だ?」
「お前に教える必要は義理はない!」
それが気に障ったのか、グラドは嫌悪感を含めて怒鳴った。それと同時に、"いかり"を纏って攻撃を仕掛けていった。
「グラド待てよ!」
「待つのはお前だ」
止めようとしたディーザを、フレットが止めた。
「あいつは、グラドを怒らせたんだ。やらせてやらないと、気が済まないだろう」
「腕輪がどうとかって言ってたけど、それが原因なのか?」
飛び掛かるグラドに、ブルドは愕きたじろいだ。
「グラドの家は元々母子家庭だったんだ。その母親は病気がちで薬とかが必要だったが、政策の圧迫もあってそれが出来なかった」
グラドの拳はブルドに命中した。そのまま馬乗りになるグラドを、ヨープは慌てて引き離そうとしていた。
しかし、ブルド本人はグラドを振り払おうともせず、胸ぐらを掴まれても抵抗しようとせずに思考を巡らせていた。
そして、一つの仮説を見出した。
「やっぱりそうだ。お前、その腕輪を誰から受け取った!?」
「だから関係ないって言ってるだろ!」
「いいから教えなさい!」
ブルドの迫力にグラドを制された。
「俺の母さんの形見だ」
当惑しながらも、グラドは答えた。
「やはり、私の思った通りか…」
ブルドの中で、仮説が、確信に変わった。
「その腕輪は、私の妻が持っていた物だ」
グラドは、不審物を見るような顔をした。
「何、変なこと言ってるんだ…?」
「よく見せてくれ…。ほら、ここに私と妻のイニシャルがある」
腕をとって掌を向けさせると、言われなければ気づけない程に掠れて、見えにくくなっている文字が二つあった。
「どういうことだよ…?」
「まさかとは思うが、そうなのかもしれない」
ブルドの中の確信が、確証に変わった。
「お前は、私の…」
「言うな! 言わないでくれ!」
グラドは、自分の腕を持っていたブルドを突き飛ばした。その様子を見たブルドは、グラドの想いを察した。
「ヨープ…。今回は、水に流そう」
「そんなのダメですよ。罪人は、処罰しないと」
「何だと?」
ブルドの言葉に対して、ヨープは顔色を変えずに、無慈悲に言った。
「秘書の立場で逆らうのか?」
「よく言いますよ。あなたは一人では何も出来ないではないですか」
ヨープは間髪を入れずに続ける。
「今まで市長としてやってこれたのは、私の根回しがあったから。あなたの力ではないんですよ?」
「ヨープ…!!」
「さぁ、皆さん。やってしまいましょう!」
「「承知!」」
ブルドの護衛隊は、その一声で一斉に動きだした。
「お前達、止めないか!」
しかし、ヨープの命を受けた護衛隊達は、ブルドには応答しなかった。
「なんかわからないが、戦うしかなくなったな!」
「あぁ、全力でやってやる!」
「わたしもやるよ!」
フレットに続き、ディーザとリンも戦う準備は出来ていた。
「グラドはどうする?」
「俺は…。いや、俺もやる」
フレットの問いに、グラドは少し躊躇いを抱えながら答えた。
「決まりだな」
こうして、十三夜の月の下の真夜中の戦いが始まった………