第三十話-二つのフレット
ディーザが再びフレットのもとへ向かうために集会所を出た今日の天候は、予報通り回復に向かっていたが、不思議なことに、何かを暗示するようにまた段々と少しずつ傾き始めていた。
そして、ディーザが訪れたフレットの小屋には新しい来客が近づいてきていた。
「フレットいるのか!?」
「っ!?」
「あっ、グラドのおじさんだー!」
突然開いた扉の先から大きな声にディーザはビクッとして出口に視線を向け、子供達は馴染みの声に反応して喜んだ。
「悪いな皆、今は遊んでいられないんだ。フレットは…って、お前はあの時の」
「…あー、引ったくりの時の」
ディーザの視界に入ってきたのは、子供達にグラドと呼ばれたグランブル。それは、ナサハを訪れた時に目撃したフレットの引ったくりの事件の際、その現場にいた人そのものだった。
そして、お互いが口を開くタイミングを見計らって、グラドが先に言葉を出す。
「何でお前がここにいるんだ?」
「何でって、それはこっちも同じなんですけど」
厳つい表情(つまり通常)での質問に、ディーザは少し困った顔で返答した。
「…まぁいい。ところで肝心のフレットはどこにいる?」
「フレットなら昨日から帰ってきてないみたいですよ。というより、俺がここにいる理由も、恐らくグラドさんと同じです」
困った表情から真顔に戻ったディーザの言葉を聞き、今度はグラドの顔が少し曇った。その様子から、何か余程大切な用事があることが伺えた。しかし、それはディーザも同じで、今朝のニュースと合わせてフレットの行方がわからないことはかなり気になることだった。
「グラドさん、よかったら事情を話して下さい。俺にはフレットがやったとは思えないんです」
「何を、やったって…?」
「…グラドさんは、今朝のニュース見ましたか?」
事情を聞こうとディーザが質問をすると、シラをきるように返してきた。しかしディーザは、それが余計な墓穴を掘らないための言い回しであることにすぐ勘づいた。
「…そう、思うのか?」
「俺は、フレットがここで皆の面倒を、優しい顔をして見ているのを知ってます。だから、昨日の引ったくりと、今朝のニュースと、いろいろわからないんです」
「…わかった。なら教える」
スパッと言い切ったディーザに少し圧倒されたようにも見えるグラドだが、ニュースについて聞かれた時点で、やっぱりその話か、というように思っていたようで、そこで何かを決断したかのように、大きな口を小さく開いて続けた。
「あいつは、フレットは二重人格なんだ」
グラドの口から隙間風のように放たれた言葉は、ディーザの予想を超えていた。それは、ディーザの様子を見れば容易に分かる。
「フレットは元々、身体もそんなに強くないし、ガツガツしてなくておとなしいやつだ。でも、あいつの親父さんが死んでから、もう一人の人格が生まれたんだ」
「優しいフレットと、犯罪を犯すフレット…」
「…犯罪って、言わないでくれ」
グラドの説明を受けて呟いたディーザの言葉に対し、怒鳴り声から覇気が消えた声でそう言った。それは、空気を固めるというより、重苦しい空気を漂わせる役割を担った。
「そうせざるおえない状態なんだ。あいつの中にいる、フレットの心が生み出した親父さんの分身がそうさせるんだ」
「…それは、どういうことなんだ?」
グラドの話が段々と凄味を増していき、ディーザは敬語で話すことすらも忘れてしまっていた。すると、グラドは一回大きく深呼吸をして、頭の中で何かを整理してから話し始めた。
「俺達は、言ってみれば貧民だ。あの街の奴らはそんな俺達と関わることを恥として、本当に苦しくて生活もままならない人への支援は愚か接触すら拒まれる。酷い時は小石を蹴るように突き放されることもある。
でも親父さんは違ったんだ。貧民街の、といってもほとんど街外れの森の中で散り散りとしてるが、自分の出来る範囲で親なしの子達の面倒を見てくれたんだ。けど、貧民ではないけど特別裕福でもなかったから、きっと大変だったんだと思う。そして活動を始めて七年ぐらいたった頃、初めて親父さんは生計を立てるために盗みを働いた。それから本当にどうしようもなくなる度に、何度もするようになった。それを繰り返していく内に、フレットの親父さんはおかしくなっていったのをよく覚えてるよ。頭を抱えて泣いてた時もあった。
それから何年も経たない内に、警察に捕まってしまった。そのまま裁判にかけられて、罪を重ね過ぎたせいでかなり重い懲役刑になった。そしてしばらくすると、刑務所で亡くなったという電報だけがポツンとフレットに届けられた。それからだ。フレットの中に親父さんが現れたのは」
話が進むに連れて、唇を噛んで顔を歪めていくグラドから、悔しさのような、怒りのような、ぐちゃぐちゃになっていくものを感じていたディーザは言葉が出なかった。すぐそばにいた子供達は話の内容を理解していない様子で、お構いなくまたワイワイと遊びだした。それは意図せずに、グラドの顔を少しだけ緩めてくれていた。
「何も、皆の前で話すことじゃなかったな…」
グラドは、周りに影響されることなく自分達の世界を守って遊ぶ子供達の姿を眺めて言った。
「…グラドさん、何でそんなにフレットのことに詳しいんですか?」
そう質問をするディーザ自身、返ってくる答えはある程度予想は出来ていたが、聞かずにはいられなかった。そしてグラドは、視線を変えることなくこう答えた。
「俺はフレットと一緒にここで育った。フレットの親父さんに助けられた中の一人」
「そうだったのか…」
グラドの答えはディーザの予想に見事に的中し、予想が確固たるものになったことを受けて言葉が漏れた。
「(グラド、聞こえるか?)」
「…か? どうした?」
「えっ?」
どこからともなく聞こえてくる棒読みの声に対して、グラドはその現象に慣れた様子で対応をする。しかし、ディーザには突然一人で喋り出したように見えているので、その光景を不自然に感じていた。
「(フレットが捕まった。テレビで流れてるから見てみろ)」
「嘘だろ!? てかそんなことを言ったってここにはテレビなんておいてあるわけないだろ!」
「テレビなら、集会所に行けば見れますよ?」
「本当か!? なら早くそこへ!」
何と無くテレビが必要なことは察したディーザが提案すると、グラドはそこに連れていくように催促した。
「わっ、わかりましたから落ち着いて…」
「皆はお留守番頼むな?」
「「はーい!」」
落ち着くように促すディーザをよそに、グラドは子供達に留守番を頼んで小屋を出ていき、窓越しにディーザを呼びつけている。その少し強引なところに驚きながらも、ディーザは走り去ろうとするグラドを追いかけていった。
………………………………………
それと同じ頃。閉め切った薄暗い部屋であるやり取りがされていた。
「フレット、そろそろ自供したらどうだ?」
その空間にいる二人の内の一人は諭すように提案するが、そのもう一人、壁に手足を繋げられた状態のフレットは頑なに黙秘権を行使する。
「今の内に自供すれば、お前が面倒を見ている子供達は皆な市長が引き受けるって言っているのに、何故拒否をする?」
そう尋ねられると、似たような台詞を聞かされ続けたことにうんざりしたようで、今まで硬く縛っていた口を小さく開けた。
「ありきたりな手を使うなよ。生憎俺はそんなに素直じゃないんでな」
「そうかい。なら、また来るよ」
フレットが売りつけた喧嘩を軽く受け流した相手は、一言だけそう言うとその場を離れていった。その後には、足音と扉が開閉する音だけが残った。それを確認すると、フレットの中で声を潜めていたもう一人が話し掛け始めた。
「(もう行ったの?)」
「…行ったよ」
内から気弱な声が聞こえると、表のフレットはその人物を安心させるために穏やかに言った。
「(父さんごめんね、僕のせいで捕まってしまって…)」
「そんなことないさ。優しいお前なら仕方ない」
「(僕は騙されてばかりで役に立たないんだ…。だからこうして父さんに頼ってばかりいる…)」
「息子に頼られて嫌な親はいないさ。むしろ死んでからも頼られるってかなり幸せなことだ。だからもう気にするな」
「(…うん)」
心の会話を終えた二人は、昨晩からの疲れを癒すために眠り始めた。このエリアにはフレット一人しか収容されていないため、微かな寝息さえ目立って聞こえていた。
そしてしばらくすると、フレットの意識は不思議な空間へと迷い込んでいき、そこには二人の先客がいた。
「父さん、またこんな夜中に外に出るの?」
「大丈夫だ、心配するな。いつもとは違う用事だけど、ちゃんと帰ってくるから」
低い声の主が出ていくのを、声変わり前の高い声が心配している光景だった。
「本当…?」
「約束だ。俺が約束を破ったことあるか? というより、毎回同じ約束をさせられる父さんの身にもなって欲しいな?」
「うーん…」
低い声の主が意地悪をすると、高い声はそれに対抗する言葉が出なかった。
「じゃあ行ってくる」
そこで空間との意識が途切れた。
すると、フレットの目尻を伝って一滴の雫が流れた………