ボクは嘘つき
ご主人に見初められた時、ボクは素直に嬉しく思った。ありきたりなトレーナーとポケモンという関係だけれど、ボクにはそれが嬉しかったのだ。
だが、それはボクの思い込みでしかなかった。
「ねえ、――さん。私のこと、覚えていますか? 私、貴方の婚約者だったんですよ」
ボクは唖然とした。確かにボクは、死んだ人の魂から生まれたと言われるデスマスというポケモンだ。だがボクは、ブルンゲルのパパとデスカーンのママから生まれたから、違うのだ。死んだ人の魂から生まれたのじゃ、絶対ないのだ。ボクの持ち歩いてるこのマスクも、他人の空似なんだ。
「――さん、また会えて嬉しいですわ」
でもボクのご主人は、そんなこと、気付きやしなかった。
「ねえ――さん、コーヒーをお入れしましたよ」
彼女はボクに付きっきりで世話をした。ボクのマスクを見つめて、いもしない人をじっと見つめていた。
「コーヒー、お嫌いですか? 貴方の好きな豆でしたのに」
彼女が今にも涙をこぼしそうになっているのを見て、ボクはハッとして、コーヒーを飲み干した。熱くて火傷しそうだし、匂いも気持ち悪いし、ボクはそもそも苦いものは嫌いなのだけれど、けれど、彼女を泣かしちゃ悪いと思って、頑張って飲み干した。彼女は笑顔になった。
「――さん、今度は――さんが好きだった、あの場所へ行きましょうね」
ボクは無理矢理笑顔を作った。
「覚えてますか? この展望台で、私と出会ったんですよ」
ボクがそもそも人違い、というかデスマス違いで、彼女との思い出を何一つ覚えてないのは、「デスマスになったから混乱しているのかしら」の一言で終了させられていた。ボクは中途半端に首を傾げると、彼女の隣に行った。
「何度目かのデートの時に、貴方は私の肩に腕を回して……」
ボクは慌てて彼女の肩に手を置いた。
それからもボクは、彼女が語る婚約者の思い出に沿えるよう、精一杯努力した。
映画の途中で「手を握ってくれた」と言われれば手を握ったし、「ここで一緒にアイスを食べた」と言われれば、お小遣いを握ってアイスを買いに飛んでいった。嫌いなコーヒーも必死に飲んだ。普通のポケモンとして、トレーナーが喜んでくれるのは嬉しいものだから、ボクは努力した。ある日、「――さんだったらここで手を繋ぐかな」って思って、その通りにしてみたら、彼女はすごく喜んだ。ボクも嬉しかった。
それをきっかけに、ボクは彼女の思い出を先回りして、「――さん」の行動を取れるようになった。彼女は言葉では言い表せないくらい喜んだ。ボクは彼女の婚約者になれたみたいで、誇らしかった。嫌いだった筈のコーヒーも、楽々飲めるようになった。彼女に「――さん」と話しかけられることが、当たり前になった。
ボクは「――さん」だった。
そのはずだった。
「ねえ、――さん」
彼女がボクの腕に頬を乗せる。
「子供が欲しいわ」
ボクは、誰だっけ。
ああそうだ、ボクは、デスマスだっけ。
子供が欲しいと言われたその日から、ボクは「――さん」になろうとするのをやめた。
ボクはデスマスだ。どうやっても、人間の婚約者にはなれないから。
「ねえ、――さん。ここに来たこと、覚えてる?」
ボクは頷く。そして、彼女と腕を組む。ボクの想像の中の「――さん」みたいに。
ボクはデスマス。人間の婚約者の振りをする、嘘つきデスマスさ。