一度夢見た世界の続き
ヒューン、と音がして丸が飛ぶ。ボン、と少しくぐもった音がして、続けて、コンコンコンと三回、高い音が鳴る。
クイ。ボールが左に動いた。
クイ。ボールが右に動く。
クイ。ボールが左右に動いて。
「おしい! あとちょっとのところだったのに!」
ボン、と音がして、安っぽいエフェクトと共に、ガーディが電子音で出来た鳴き声を上げながら姿を見せた。
二つ目のボールを投げた瞬間、前に全く同じ景色を見たような、そんな気がした。ボールが描く軌跡。ぴょんと跳ねるガーディ。デジャヴ。
気のせいだ。私はこのゲームを――『ポケットモンスターシリーズ』を初代からやっている。ガーディも何度か捕まえたし、ポケモンを捕まえるのに失敗したこともある。きっと記憶のカンチガイだろう。私はブラック2でガーディのゲットに失敗したことはないけれど、それでも、記憶と合致したのは、動くガーディに向かって飛んでいくボールの気がしたけれど。でも、そんな小さな差は、ガーディに付ける名前を考える時に、消えてしまった。
隣の家で犬がキャンキャン吠えている。
それをBGMに、私は朝ご飯をかきこみ、家を出る。
行ってらっしゃい、行ってきます、のやり取りを母と交わす。ちょうど、お隣さんも犬の散歩に出るところだった。赤いリードを拳に巻きつけている。
「おはようございます。これから、大学で?」
ええ、と私の代わりに母が答える。こういう時、何故母が代わりに会話をしてしまうのだろう、といつも思う。
「そのワンちゃんは……?」
「ええ、また飼い始めたんです」
子どもが自立したら寂しくて、と私の母より幾分か若いお隣さんは言う。こぶつきの私は、愛想笑いをするしかない。
「名前はガーディっていうんです。昔の子と同じ名前で」
お隣さんも愛想で応えながら、聞かれてもいない犬の名前を紹介した。ガーディという名のその犬は、ポケモンのガーディとは似ても似つかない、チョコ色のミニチュアダックスフンドだった。
行ってらっしゃい、気を付けてね、と言ってお隣さんは公園の方へ向かって行った。
それを見送ってから、ふと気になったことを母に尋ねる。
「お隣さん、犬、飼ってたっけ」
「飼ってたわよ。ずーっと昔。覚えてない?」
「覚えてない」
昔、よく手を出して吠えられてたのに、覚えてない? ――という母の言葉を背に、「覚えてない」とぞんざいに答えながら、私は駅へ歩き出した。今朝はちょっと立ち話したから、早足で行かないと。
自動改札に定期券をピタリとくっつけ、通過する。目的の電車にはギリギリ、間に合った。少し混んでいる電車の中に潜り込むと、朝方の不機嫌そうな目が幾つか、私をチラリと見た。形だけ申し訳なさそうに、空いたつり革を掴んで、でも心の中では、昨日捕まえたガーディのことを思い出して浮かれていた。電車は中の乗客のことなどお構いなく、腰を上げ、動き出す。
そういえば、お隣さんが昔飼っていた犬は、どんな犬だったのだろう。昔、私が手を出して、吠えられていた「ガーディ」。
少しずつ変わりながら、代わり映えのしない車窓を眺めながら、私は夢想した。もしかしたら、本当にガーディはガーディだったかもしれない。そして、私はガーディがそのままガーディであることが不満で、何か別の名前で呼んでいたかもしれない。そして、私が別の名前で呼んでもガーディはガーディのままで、私はどうしてもそれが許せなくて、ある日、
――だめでしょ、……ちゃん! 人のポケモンを捕まえたら、どろぼう!
小さな私はどうしてもそれが理解できず、むくれる。一つ目は、失敗だった。二つ目のボールは弾かれた。私はどろぼうするつもりじゃなかったのに。名前を付けて、お隣さんに返すつもりだったのに……
車掌が告げた駅名に、私はハッと顔を上げた。立ったまま眠っていたらしい。ゲームのやり過ぎ、と反省しつつ、私は開いたドアをするりと抜けて歩き出す。車中の夢は忘れた。
私の鞄の中では、DSが静かに動いている。昨日の夜捕まえたガーディの「レッカ」を手持ちに入れて、誰かとすれ違う為に。